人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

大黒摩季ライブin福島

2008-03-30 21:13:40 | 芸能・スポーツ
3月29日の大黒摩季ライブ、突然の割り込み仕事も発生せず、無事行くことができた。
前回のライブ参加がいつだったか、もう思い出せないくらいだ。2007年2月にも行く予定だったが直前に行けなくなったから、2年は経っている。結婚後は初めてのライブ参加。もちろん妻と一緒に行くのも今回が初めてである。

季節が逆戻りし、時折小雪がちらつく寒さとなった福島県文化センターは、1階席1000人、2階席600人の収容力だ。さすがにこのクラスのホールだと満席にする力が、まだまだ大黒摩季にはある。

今回のライブはデビュー15周年を記念して行われるものだ。福島では初のライブとあって、客層はいつものライブとかなり異なっている。具体的には、前方右側の席だけがファンクラブ枠と思われる「おなじみのメンバー」で、後はほとんど地元の人だ。
それも、上下ジャージ姿に野球帽をかぶったおじさんが1人で見に来ていたりして、明らかに「大黒摩季という有名な人が近くに来るらしいから、行ってくるべぇ」的な参加者が多く見受けられたのだ。地元民への感謝を示すためにチケットに一定の「地元枠」でもあったのだろうか。

午後6時7分頃、いつものように定刻から少し遅れて大黒摩季登場。いきなり6曲を歌う。
最初のMCでは「福島は初めてです。今まで避けていたわけじゃないんですが、東京と仙台に来てくれてありがとう」とあいさつ。さらに福島との意外なつながりを披露。「実は私、22歳でデビューしたんですが、最初のマネージャーが自分より年下の19歳で、Tちゃんと言います。彼女は年下だったのですがヤンキーの親分だったのでとても根性がありました。今、もし彼女を知っている人がこの会場にいたら、愛してると伝えてください」。

(注:大黒摩季本人は彼女を本名(姓のみ)で紹介していたが、彼女はすでにマネージャーを辞めており、今は一般人として生活しているので、当ブログ管理人の判断でイニシャル表記としました。大黒摩季の有明デビュー以前からファンクラブ会員だった人は、古い会報に彼女が実名で登場しているのでおわかりいただけると思います。)

MCの後はビーイング時代の曲をメドレーで歌う(フルコーラス歌わず1番のみ)。「恋はメリーゴーランド」では「恋はメリーゴーランド、ぐるぐるround and round」の歌詞に合わせてタオルを頭上でぐるぐる回すパフォーマンス。
"Return to Love"が歌われたのも個人的には嬉しかった。この曲は大黒摩季の曲の中でも珍しく他人が書いた曲(作曲は栗林誠一郎)で、思い入れがないのかなぁと思っていたが、ちゃんと歌ってくれた。実は結構カッコいい曲で私はとても気に入っている。

中盤に歌われた「ふたり」は大黒摩季のファーストアルバムに収録されていた曲。当時は「大黒摩季はロックだ」と思っていたので、うっちゃってほとんど聴いておらず、盲点だった。

後半はニューアルバム"POSITIVE SPIRAL"の曲。私が酷評した「コレデイイノ?」も歌われたが、この曲は独特の振り付けをして歌う曲のようだ。「後ろの画面を見て!」と叫ぶ摩季姉の指示で、みんなで振り付けをして踊る。なるほど、「コレデイイノ?」はこの振り付けのためにエンターテインメント性重視で作られた曲だったのだ(いきり立って酷評した私がファンとして未熟だったということか?)。

アンコール前の最後の曲"START LINE"に入る直前、MC。
「今回、新しいアルバム"POSITIVE SPIRAL"を作ったわけですが、この"START LINE" を書けたとき、私、大黒摩季はまだまだ死んでいなかったんだとわかりました。デビュー15周年をきっかけに、私も新たな“スタートライン"に立ちたいと思います」というコメント。

アンコールに応えて再登場した大黒摩季は、15周年ライブらしく、これまで応援してくれたファンへのお礼企画として「言えなかった「ありがとう」」と題し、ピアノの弾き語りでありがとうのメッセージを紹介。最後は恒例の「ら・ら・ら」で締め。

15周年記念地方公演ということで、ラスト時のいつものお約束である「大黒摩季の老後の楽しみ企画」(各地のライブ会場でファンの「ら・ら・ら」の歌声を録音する)は省略かなぁと思ったが、結局これもいつも通り実施。

全体を通して思ったことは、今回、露出の少ない衣装だったということ。私は大黒摩季の売りはそこではないと思っているので、いつもこのような控えめな衣装でいてくれるほうがいいと思っている。
このあたりは、大黒摩季のライブに初めて参加する人が多いという点にある程度配慮した感じもみえる(「大黒摩季をよく知らないけど、近くに有名人が来たから行ってみようか」的な動機で参加した客を前にあまり露骨な露出をすると客が引きかねないので、これは率直に言ってよかったと思う)。

「今日、大黒摩季のコンサート初めての人」と本人が会場に問いかけると、なんと9割近い人が手を挙げていた。客層がいつもと全く違っているように見えた私のライブ開始前の感覚は正しかった。
大黒摩季にとっては、15周年を機会に新たなファン層を開拓しなければならない時期に来ていると個人的には思っているので、こうしたライブをやることはとても大事なことだと思う。いつものライブであれば、内輪である安心感からか時折飛び出す「毒舌トーク」も封印して、初めてライブに来る人に好感を持ってもらえるような演出に徹していたのも良かった。

この日のライブを機会に、「大黒摩季、結構いいじゃん」と思ってくれるファンがきっと増えたことと思う。

私自身も、今回、久々にライブに参加して良かったと率直に思う。前回のライブから2年以上経っており、感覚を失っているんじゃないかと心配したが、始まってみると手拍子を打つべきところで打てたし、腕を振るべきところできちんと振れたし、拳を振り上げるべきところできちんと振り上げることができた。大黒摩季ライブのこの感覚を、身体は忘れていなかった。そのことが率直に嬉しかった。

ここ数年、大黒摩季に関してあらぬ噂が流れたり、「コレデイイノ?」の出来に愕然としていきり立ってみたりと、私自身も動揺が続いていた。大黒摩季ファンを続けることに自信を失いかけた時期もあった。だが、今回のライブで吹っ切れた。

ステージの上の大黒摩季が「新たなスタートラインに立つ」と宣言した今回のライブ。これを期に私自身も、動揺していた過去にけじめをつけ、大黒摩季ファンとしての新たな「スタートライン」に立ちたいと思う。

~セットリスト~

失意のオーロラ
Cyber Love

~メドレー~
 あなただけ見つめてる
 DA・KA・RA
 チョット
 別れましょう私から消えましょうあなたから
 恋はメリーゴーランド
 Return to My Love
 FIRE
 永遠の夢に向かって
 夏が来る
 ROCKs

虹ヲコエテ
最良の日
ふたり
POSITIVE SPIRAL
コレデイイノ?
テノナルホウヘ
熱くなれ
いちばん近くにいてね
アイデンティティ
START LINE

~アンコール~
言えなかった「ありがとう」
GO☆
ら・ら・ら

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お知らせ

2008-03-30 10:08:57 | 運営方針・お知らせ
お知らせです。
最近、コメントスパムが酷くなってきており、ここ2晩で10件のコメントスパムがありました。いずれもアダルトサイトへ閲覧者を誘引しようとするもので、削除も追いつかないほどになってきました。

そこで、コメントを承認制に変更します。同時に、禁止としていたトラックバックも承認制とします。今後は、管理人が承認したコメント・トラックバックのみ反映されます。

基本的には、スパム及び悪意があると判断されるコメント・トラックバック以外はすべて承認するつもりです。
インターネットは自由な空間であるべきだと思っており、そこでこのような管理方法を採らざるを得ないことは心苦しいのですが、機械でブログを巡回し、自動的にスパムコメントをつける業者を相手に何を言っても無駄なので、本当に残念なことですが、ご理解ください。

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ついに(?)国民病の仲間入り

2008-03-29 11:36:26 | 日記
数年前から、春になるたびに鼻がムズムズしたり、くしゃみが止まらなかったり、のどが痛かったり、やたら目にかゆみを覚えたりするようになった。

それまで花粉症と縁のなかった人がある年から突然花粉症を発症する実例もあるから、私ももしや…と思っていたが、年度末商売でもともとこの時期は忙しいし、自分自身、花粉症と認めたくない心理も手伝ってこれまで病院に行かないまま、市販の鼻炎薬で対症療法的に済ませてきた。
でも、妻から一度検査に行った方がいいと言われて嫌々ながら病院へ行った。血液検査をすれば、花粉症かどうかは1週間程度でわかるらしい。

そして、今日、結果を聞きに行った。

「スギ:陽性 ヒノキ:陰性」

スギ花粉症である。他人事だと思っていた国民病患者の仲間入りだ。

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JR羽越線事故で4月に事故調報告へ

2008-03-28 22:34:02 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR羽越線事故で4月に事故調報告へ(山形新聞)

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4月中旬にも報告書提出 JR羽越線事故で事故調委

庄内町のJR羽越本線で2005年12月、上り特急いなほ14号が脱線転覆し、乗客と乗員合わせて38人が死傷した事故で、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が早ければ4月中旬、冬柴鉄三国交相に事故調査報告書を提出する方向で検討に入ったことが20日、明らかになった。竜巻などの突風が列車を直撃したのが原因と特定する方針とみられ、車両が脱線転覆した過程をどれだけ解明できるかが焦点となりそうだ。

 関係者の話を総合すると、発生から間もなく2年3カ月が経過する羽越本線の事故について、事故調委は現在、報告書作成に向け最終的な詰めを急いでいるが、年度内の取りまとめは困難な状況とされ、4月の報告と公表が有力視されている。

 航空、鉄道両委員会で議決した事案について、事故調委はその多くを当該月の最終金曜に公表しているが、今年は4月最終金曜が尼崎JR脱線事故の発生から3年の節目となる25日に当たるため、報告書の提出日程を前倒しする案が検討されているもようだ。

 事故調委と海難審判庁を統合、今年10月に「運輸安全委員会」(仮称)を開設するため、国交省は現在、同省設置法の改正案を国会に提出しており、不安定な状態が続く国会運営の行方によっては、報告書提出の時期について慎重な判断を求められる可能性もある。

 事故の発生直後、事故調委は「風が原因の大きな部分を占める」として気象庁の観測担当職員を調査官に任用するとともに、JRの既設風速計両側に風向風速計2基を設置し、当時の風況について分析を続けてきた。これら調査にJR東日本からの聞き取りを加味した結果、事故調委の調査方針はその後、大きく変わっていないとみられる。

 列車を襲ったとされる突風について、一部専門家は「竜巻」と主張しているが、渦状の被害痕と目撃情報がないことを理由に、気象庁はいまだに正式な見解を出していない。突風に関する報告書の記述は、竜巻と断定するのではなく、現段階では抑制した表現にとどまるとの見方が支配的となっている。

 日本風工学会の調査によると、赤川河口に設置された同省酒田河川国道事務所の風速計は事故8分前の午後7時6分、最大瞬間風速36.9メートルの風を観測。海岸から東北東に向かう約12キロの範囲で、ほぼ直線状にビニールハウスが倒壊するなどの突風被害が確認され、列車が脱線転覆した地点はこの直線上に位置していた。

【JR羽越本線特急いなほ脱線転覆事故】 2005年12月25日午後7時14分ごろ、庄内町榎木のJR羽越本線で、秋田発新潟行きの上り特急いなほ14号が脱線、先頭から3両が転覆した。先頭車両の乗客5人が死亡、重軽傷は33人。事故発生直後から局地的な突風が原因とみられ、JR東日本は現場付近の約2.3キロ区間に防風柵を設置した。県警は庄内署に捜査本部を設置、業務上過失致死傷容疑で捜査中。犠牲者5人の3周忌が巡ってくることを念頭に、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は一時、07年内の報告書作成を目指したが、作業は越年した。
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2005年12月、5名の乗客が死亡した羽越線事故について、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)報告が4月に出る見通しになった。

尼崎事故の3周年という時期に合わせて報告書を発表する計画だが、政府の報告書は技術論に偏りすぎており、尼崎事故報告でJR西日本の企業体質を批判したのをほとんど唯一の例外として、鉄道行政や鉄道会社を批判したことはあまりない。

今回の羽越線事故の報告書も、原因は「異常な風」で片付けられ、転覆のメカニズムだの何だのといった技術論は解析すると思うが、犠牲者遺族の心情に応えるものとはならないだろう。

JR東日本や国土交通省に、ダイヤ編成見直しや日本海縦貫線の全線複線化などの具体的要求を突きつけた当サイトの報告書には自信を持っており、政府の報告書の内容によって当サイトが報告書の内容を改訂する必要性はないと思っている。

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日航、労使で安全策 合同組織を設置、報告へ

2008-03-27 23:19:40 | 鉄道・公共交通/安全問題
日航、安全問題を労使で話し合う組織を設置へ 常設化も検討(東京新聞)

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 新千歳、小松両空港で、日航機のパイロットが管制官の指示なしに誤って離陸滑走を始めるなどのトラブルが相次いだことを受け、日航がパイロットらの四労働組合の代表者と合同で「運航安全ワーキンググループ(WG)」を新たに設置し、原因究明や再発防止策の検討をしていることが二十四日、分かった。

 賃金など労働条件をめぐって厳しく対立することの多い日航労使が、トラブル対策のために合同の組織をつくるのは初めてという。

 WGは今月四日の小松空港のトラブル直後に発足して以来、集中的に討議を進めており、近く報告をまとめる方針。両トラブルの討議が目的だが、常設の組織として残すことも検討する。

 トラブルはいずれも運航便での社内資格訓練や機長昇格訓練の最中に起きたため、日航は同様の訓練を中止している。WGの報告を基にした再発防止策を国土交通省に提出した後、訓練を再開させる方針だ。

 小松空港のトラブル直後に、日航側が「再発防止のため、現場からの声を多く採り入れたい」として、WGの設置と代表者の参加を組合側に要請。組合側がこれに応じる形で実現した。

 WGに参加したのは、日航機長組合▽日航乗員組合▽日航先任航空機関士組合▽日航ジャパン乗員組合-の四労組。労組代表計十人と、会社側の十人で構成する。

 四月一日付で再発防止の担当役員に昇格する田村千裕運航副本部長は「訓練再開に向け、会社として積極的に取り組みたい」と話している。
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誤進入トラブルがきっかけとなり、安全対策を巡って日航に労使協議会ができた。少数派組合もメンバーとなる画期的なものだ。経営幹部に現場の意見を聞こうという雰囲気が出てきたのは良いことだと思う。

是非この協議会は常設にしてほしいし、ただ意見を聴いて終わりではなく、現場の意見を反映し、実行する機関にしてもらいたい。

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おおさか東線、開業8日目の乗車記

2008-03-23 22:20:41 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
JRおおさか東線が開業(産経新聞)

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 大阪府東部を南北に走るJR西日本の新線「おおさか東線」が15日、一部開業した。同社の新線開業は、平成9年の東西線(京橋-尼崎)以来11年ぶり。奈良県と京橋や北新地など大阪北部との間が時間短縮されるほか、大阪市営地下鉄や近畿日本鉄道と連絡して乗り換えが大幅に便利になる。24年春にはJR新大阪駅に直結、ものづくりの町で知られる東大阪市や八尾市など沿線の地元では、新線開業による活性化効果に期待が高まっている。

 おおさか東線は、久宝寺から放出(はなてん)を経由し、新大阪にいたる約20キロの計画。この日、そのほぼ半分の久宝寺-放出間約9キロが開業した。城東貨物線(単線)の施設や用地を活用し、電化、複線化した。

 同区間は普通列車で所要時間15分。通勤時間帯にはおおさか東線経由で、奈良-尼崎間に直通快速を1日8本走らせる。奈良から大阪・キタまで58分で着き、これまでの天王寺経由に比べ6分短縮となる。

 JRの関西線(大和路線)、学研都市線(片町線)、東西線と連絡するほか、5つの新駅のうち3駅がそれぞれ地下鉄中央線、近鉄奈良線、同大阪線と連絡。

 これまで南北を結ぶ鉄道がなかった大阪府東部の乗り換えが一気に便利になる。

 おおさか東線は1日に142本の列車を運行、3万6000人の乗降客を見込む。

 新線開業を活性化のきっかけにと期待をかけるのが東大阪市など沿線都市だ。

 おおさか東線の「JR河内永和駅」、近鉄奈良線の「河内永和駅」がある地域は、平成15年に東大阪市役所が現在地(同市荒本)に統合されるまで、市役所西支所が置かれるなど市内最大の官庁街で人通りも多かった。現在は、駅前商店街もシャッターを閉めたままの店舗が目立つ。

 しかし新しい駅ができ、「乗降客が増え商店街の活性化がはかれる」(今谷喜洋・東大阪商工会議所専務理事)と歓迎ムードだ。駅前で15階建てマンション「ローレルコート永和」を建設中の近鉄不動産が、8日から分譲を始めたところ、すでに登録が第1期分35戸の半数を超えたという。

 新線開業に連携し、東大阪市では産業振興ビジョンを新しく策定、新駅の駅前再開発などを進め、地域活性化に力を入れる。

 八尾市の久宝寺駅前でも、住友不動産と関電不動産が23年の完成を目指し、1500戸規模の高層マンションを核にした大規模再開発を進めている。

 一方、近鉄は、これまで同社線経由でJR環状線を利用した乗降客が、運賃が安くなるおおさか東線に回る可能性が高いとして「年約1億円の減収」を予想。しかし、21年春の「阪神なんば線」(西九条-難波)開業で、近鉄も神戸方面へ相互直通を実現。関西の交通網で新線との相乗効果も見込まれる。
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22日、大阪に行く機会があったので、15日に開業したおおさか東線に全線乗った。開業8日目の完乗達成である。

城東貨物線を転用したものであり、新しく線路を引いたわけではないし、城東貨物線時代に何度か写真撮影にも行っているので、特段目新しさがあるわけではない。しかし、今まで走れなかった線路の上を走れるようになると、当然ながら新たな発見がある。

同じように国鉄~JRの貨物線を転用した鉄道としては、2004年に開業した名古屋臨海高速鉄道あおなみ線があり、厳しい経営状況が伝えられている。こちらは名古屋市営地下鉄名港線がほぼ全線にわたって並行しているほか、盲腸線であるために本当に沿線に用がある客しか利用しないからそれも当然だと思える。
(それにしてもJRというのはせこい会社だと私は思う。同じ旧国鉄貨物線の転換路線なのに、有望だとわかれば自分で経営し、お荷物になりそうだとわかれば第三セクターに押しつける。こういうことをしているから、JRは私鉄のように大都市だけの交通機関になり、地方では相手にもされなくなるのだ)。

おおさか東線は盲腸線ではないし、沿線人口も多い。それに大阪近郊の有望な通過ルートとしても期待できる。現在、鉄道ファンにとってあまりに有名な赤川鉄橋を抱える北線部分の工事が終わって全線が開業すれば、直通運転の可能性はさらに広がる(奈良~おおさか東線~東海道線~梅田貨物線~大阪環状線経由ユニバーサルシティ行きなどという直通形態も可能になる)。


お詫びと訂正:

先に、『それにしても、おおさか東線が大阪近郊区間に含まれていないのはどうしたことだろう。他線区が軒並み3~10分ヘッドで運転されている中で、おおさか東線は15分ヘッドの運転だから、他線区の列車に乗り遅れておおさか東線に回ってくる客は現状では考えにくいだろう。しかし、将来の発展を考えるなら、大都市近郊区間内相互発着のルールが適用できるよう、近郊区間に加えた方がいいのではないだろうか。首都圏のように、あまりに近郊区間を広げすぎるのもどうかと思うが…』と書きましたが、正確にはおおさか東線は近郊区間に含まれています。

3月分時刻表の路線図で、おおさか東線が含まれていない路線図が見えたので、「おおさか東線は大阪近郊区間に含まれず」と書きましたが、私の見ていたおおさか東線を含まない路線図は、大阪市内駅の図だったようで、完全なる当ブログ管理人の勘違いです。
ここに事実を記載して訂正するとともに、お詫びいたします。

【完乗達成】おおさか東線〔新規開業線〕

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球春到来

2008-03-22 10:47:05 | 芸能・スポーツ
春はセンバツからとよく言われるが、長く寒かった今年の冬を突き破るように、第80回記念大会となるセンバツが始まった。

私の応援対象は福島・聖光学院の他、愛知勢と九州勢。
さて、どんな大会になるかなぁ。

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日銀総裁、初の空席に

2008-03-19 23:00:34 | その他社会・時事
日銀総裁、空席が確定(産経新聞)

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 参院は19日正午からの本会議で、福井俊彦・日銀総裁(72)の後任に田波耕治・国際協力銀行総裁(68)を起用する政府人事案を民主、共産、社民などの反対多数で不同意とした。福井総裁は19日で任期切れとなるため20日以降、戦後初の総裁空席が確定した。武藤敏郎副総裁(64)の昇格案に続く政府人事案の不同意は福田政権にとって大きな痛手。株安・円高・原油高などによる世界金融市場の不安感は増しており、福田康夫首相の求心力はますます低下しそうだ。

 新総裁が決まるまでは日銀法の規定に基づき、政府が上席副総裁に任命するとみられる元日銀理事の白川方明・京大大学院教授(58)が総裁代行を務める方向だ。

 参院では、野党3党の反対により「田波総裁」案は不同意となったが、民主党の木俣佳丈参院議員が「日銀総裁空席は絶対によくない」と造反し、賛成票を投じた。

 また、元東大大学院教授の西村清彦・日銀審議委員(54)を副総裁に充てる人事案は賛成多数で同意された。

 これを受け、西村氏と、すでに国会同意を得ている白川氏の副総裁起用は確定した。

 一方、衆院は19日午後0時半から本会議を開き、田波、西村両氏の正副総裁案を同意した。しかし、日銀総裁人事には衆参両院の判断が異なった場合の「衆院の優越」規定はないため、総裁人事は白紙に戻った。
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最近、日本を50年間統治してきた自民党の政権担当能力の低下を示すニュースが多いが、これもそうしたニュースのひとつだろう。

財務省は、外部組織である日銀総裁をプロパーと財務省出身者のたすきがけ人事に戻したがっているようだが、財務省が日銀総裁のポストをあたかも自分の役所のポストのように位置づけている、その思考方法が改まらない限り、財政と金融の分離は不可能ではないだろうか。

そもそも、なぜ財政と金融の分離の原則が生まれたのか。
戦時中の1942年に制定された旧日本銀行法は、日銀の目的を「日本銀行ハ国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル為国家ノ政策ニ即シ通貨ノ調節、金融ノ調整及信用制度ノ保持育成ニ任ズルヲ以テ目的トス」(第1条)と定めていた。また「日本銀行ハ専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラルベシ」(第2条)とされ、日銀はあくまでも国策遂行機関としての位置づけだった。
この戦時体制の下で、大蔵省が暴走する軍部の圧力に屈した結果、戦費を調達するために紙幣がどんどん増刷される事態が起きた。紙幣増刷が間に合わなくなると、今度は新規に国債を発行し、それをいきなり日銀に引き受けさせるという方法で戦費の調達を行った。

だが、新規発行債の日銀引き受けは、国債の購入のために日銀が紙幣を刷って代金を払うということを意味しており、結局は紙幣増刷と何ら変わらなかった。このために大インフレが起き、日本経済が崩壊する事態を招いたのである。

戦後、この反省に基づいて財政と金融の分離の原則が採り入れられた。しかし、日銀を「国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル」ために「専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営」するという旧日銀法は改正されず、財政を扱う主計局と金融を扱う金融監督局が大蔵省の中に残り、大蔵官僚たちが両方の局を人事異動で行き来するという状態にもメスが入らなかった。財政と金融の分離はいわば中途半端なまま終わったわけだが、一方で財政と金融を一体のものとして運営できたことが、戦後日本の高度経済成長をもたらす要因にもなった。財政と金融の一体化は功罪両面を日本にもたらしたのである。

その後、金融庁が大蔵省から分離されたのはようやく1998年になってから。財政と金融の分離は、ここに来てやっと達成されたといえるのである。

戦時中の経緯を考えるなら、財政と金融の分離は徹底されなければならないから、日銀総裁を役所のポストの一部と考えるような人物は好ましくないと私は思う。「今までだってそれでやってきたじゃないか」という声もあるだろうが、国会がねじれ状態となっている今だからこそ、原則に忠実な人選が行われなければならないと考えるのである。その意味で、今回の日銀総裁空席は、やはり政府・与党の失態が招いた事態だといえそうである。

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門司港の観光トロッコ列車、動き出す

2008-03-15 17:43:46 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
門司港観光トロッコ列車、動き出す(毎日新聞北九州版)

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 北九州随一の観光名所・門司港の魅力アップを図る「観光トロッコ列車」が、13日の鉄道事業許可申請で実現に向けて動き出した。和布刈地区への集客と同時に、関門人道トンネルを通じた下関市側との連携も視野に入れている。
 北九州市と平成筑豊鉄道(本社・福智町)の申請によると、JR門司港駅近くから和布刈公園まで、休止中の貨物線2キロを利用して走らせる。09年の開業を予定し、年間10万人以上の利用を目指す。
 和布刈地区は関門海峡の最も狭い部分に面している。頭上に関門橋があり、目の前を多くの船が行き交う。また歩いて下関市に渡れる関門トンネルの人道口もある。
 列車運行に合わせ、市は和布刈公園に民間の観光施設誘致を検討。また終点より先にある線路を使って手こぎ車両などで遊べる「レールパーク」の整備も考えているという。
 途中駅と関門トンネル人道口が近いことから、市門司港レトロ室は「下関側と協力してトロッコ列車とトンネル、バス、関門渡船を組み合わせた周回コースをアピールしたい」と話している。【古川修司】
〔北九州版〕
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鉄道ファン以外の方のため解説しておくと、JR門司港駅から門司港先端へ向けて大規模な専用線が延びている。このうち、門司港~外浜はJR貨物が第1種免許を持つ鹿児島本線の一部で、そこから先の区間が北九州市が第1種事業者である田野浦公共臨港線になっている。
この臨港線には、過去、平成筑豊鉄道から鹿児島本線経由で三井鉱山のセメント列車が運転されていたが、三井鉱山が産業再生機構傘下に入って再建されることになった際、鉄道輸送を廃止し、列車がなくなってしまったため、田野浦公共臨港線は2004年3月に「休止」となった。(写真は当時の貨物列車)

鉄道事業法では、休止は原則として1年が限度で、それ以降は廃止か復活させるか決定しなければならないが、休止から4年経った現在も休止のまま廃止を免れ現在に至っている。

国鉄分割・民営化当時には、この臨港線が運輸局への届出漏れで「幽霊線路」になるという事件もあった。国鉄と連結する専用線はJR貨物が一定期間内に届出をすれば、そのまま専用線の認可を受けたものとして引き続き運行できる法律があったが、JR貨物が届出を忘れ、北九州市も気づかず忘れていたために、運輸局からの認可がない状態で「違法営業」になっていることが、10年近く経ってから発覚するという事件だった。結局、関係者の協議によって認可申請を出し直し、運輸局が改めて営業を認可することで決着した経緯がある。

休止のまま廃止を免れたとしても、肝心の列車運行が復活する見込みが全くない田野浦公共臨港線の今後が気がかりではあるが、ともかくもトロッコ列車に和布刈地区までの運行認可が下りたのは初めてである。この路線は海のすぐそばを走り、風光明媚であるだけでなく、途中区間には和布刈トンネルもあるためトロッコ列車を運転するにはとても向いている。トンネルを越えた和布刈地区には市営プールもあるので、夏季にはプール前に駅を設ければ利用客の利便にもつながるだろう。

運行が開始された暁には、是非1度といわず何度でも乗りに行きたい路線である。JR小倉駅にも近いので、東京からでも大阪からでも日帰りで乗りに行ける便利さもある。

ただ、気がかりなのは路線の今後もそうだが、運行にJRが関与していないことである。行政中心のイベント運行では安定的な運行は難しいのではないだろうか。

成功したトロッコ列車の先行事例である嵯峨野観光鉄道、ノロッコ号などはいずれもJRが定期運行をしている。軌道に乗せるためには「いつでも運行していて、乗れる」という形にする必要があるが、そのためにはJRの協力が不可欠である。JR九州が乗り気でないならJR貨物でもかまわない。ぜひ、JRとの協力関係を築き、定期運行できる形にして認知度を上げる努力が求められるといえよう。

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さようなら「銀河」、ラストラン

2008-03-14 23:59:42 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
銀河、惜しまれラストラン(毎日新聞)

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さらば輝く夜の星--。春のダイヤ改正(15日)で姿を消すJR西日本の寝台急行「銀河」が14日、ラストランを迎えた。戦後間もない1949年から深夜の東京-大阪駅間を結び、出張サラリーマンの貴重な足として活躍。特別なセレモニーはなかったが、東京駅10番ホームに鉄道ファンら約2000人が詰めかけ、高度経済成長を支えた往年の名列車に別れを告げた。

 大阪行き最終列車は午後11時発。「ブルートレイン」と呼ばれる青い車体が午後10時23分、東京駅10番線に入線すると、ホームで待ち構えた鉄道ファンが一斉にカメラのシャッターを切った。午後11時。汽笛と共にゆっくり銀河が動き出すと、詰めかけたファンから大きな拍手と「ありがとう」「さよなら」と叫び声が響いた。

 260席の乗車券は2月14日の発売日当日に約30秒で完売した。2月下旬からは10番線ホームにファンが連日押し寄せるようになった。

 銀河は49年に夜行急行として運行を始め、区間は50年に東京-神戸、65年に東京-姫路となった。68年に今の東京-大阪間の寝台急行となり、現在両駅を約8時間20分で結ぶ。最も安いB寝台で1万6070円。サラリーマンらが多く利用したが、新幹線が早朝深夜にも運行するようになったほか、深夜バスの普及や安値のホテルの登場に押されて乗車率が低下した。昨年12月に廃止が発表される直前には4割程度まで落ち込んでいた。15日には他に寝台特急「なは」(京都-熊本)と「あかつき」(京都-長崎)も廃止される。【伊藤直孝】
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寝台特急の衰退については、他の多くの鉄道サイト、ブログで書かれているから私ごときが今さら書くまでもないと思ったが、NHKがニュースで取り上げるなど「銀河」廃止は社会的に大きなムーヴメントになった。

最近は廃止、縮小の話題しかないブルトレ。近年は鉄道ファンのほうも「廃止慣れ」してきたのか、「出雲」の時も大騒ぎしていたのは地元と鉄道ファンだけという状況があった。ところが、「銀河」は運転区間が東京~大阪というインパクトもあったのだろう。急行列車であるにもかかわらず、特急である「なは・あかつき」を向こうに押しやり、マスコミがこぞって取り上げる久しぶりの話題となった。

(そもそも、急行列車であることを理由に「銀河」をブルトレに含めない立場を取る鉄道ファンも一定数存在する。だが、列車の編成も運転形態も限りなく寝台特急に近い「銀河」は別格であり、ブルトレに含めてもよいだろう。)

マスコミが取り上げるのは、やはり夜行列車、寝台列車が普段は利用しないものであっても、走っていることが世の中に安心感を与える乗り物だという潜在意識があるからだろう。だが、近年の効率化、市場原理主義の社会はそのような「利潤を生まないけれども存在していることが安心感を与える乗り物」を認める余裕もなくなってきたのだと思う。

国鉄時代、日本の鉄道はもっと牧歌的だった。東北本線全線電化が完成し、国鉄史上最大の白紙改正といわれた1968(昭和43)年10月改正(いわゆるヨン・サン・トウ改正)当時、国鉄は東京~大阪間の夜行列車を廃止しようとしたが、国鉄に存続を求める手紙が殺到。その手紙が石田礼助総裁(当時)の目に留まったことから、石田総裁が「国民が望むなら無駄も必要」と夜行の存続を決断したことがあった。この列車はいろいろと形を変えながら現在も東京~大垣間を「ムーンライトながら」として走り、青春18きっぷ族の希望であり続けている。
こうした経済合理性のみに縛られない経営というものが、公共交通にはもっと必要だと思うのだが…

しかし、「銀河」ですらも廃止となると、日本で生き残れる寝台列車はもはやないのではないか。「北斗星」などの北海道夜行も、北海道新幹線が開通すれば正直、どうなるか予断を許さない。

マスコミ報道等によれば、寝台特急の旅客数の落ち込みはそれ以前もあったが、1990年以降が酷く、90年と比べても4割まで落ち込んだ。その背景としては、新幹線が速くなったこと(これ以上「のぞみ」が速くなったら、始発の新幹線より早く着くという「銀河」の看板すら危うい)、高速バスが全国に路線網を築き上げ、夜行寝台の旅客を奪ったことが原因という。

確かに前者の要因は大きいだろうが、後者(高速バス主犯説)は今となっては本当なのかどうか私は疑いも抱いている。
よく言われることは、寝台特急と夜行高速バスは客層が全く違うということである。寝台特急に乗っているのは主にビジネス以外の中高年層で金も時間も持っている人。一方、高速バスは若い女性、学生、主婦などが多く、失礼な言い方になるが「時間はあっても金のない層」が乗っているということは以前から指摘されてきた。つまり、夜行高速バスはJRから客を奪ったのではなく、従来であればカネがないために移動をあきらめていた層を新たな乗客として開拓しながら成長していった面が大きいのである。

つまり、何が言いたいのかというと、寝台特急の衰退は高速バスが主犯ではなく、新幹線の高速化の他、やはり無為無策が大きいということだ。
とはいえ、鉄道の運行にはコストがかかる。夜行需要は根強く存在しているが、JRが定期列車を仕立てて採算が取れるほどの需要があるかといえば、盆、正月等の多客期を除いてほとんどないというのが正直なところではないか。

このように考えると、寝台特急の衰退はやはりいかんともしがたいのが現実である。JRとしては今後、寝台列車は多客期のみの運行とするほかないだろう。

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