《JR福知山線脱線事故16年》加害企業の刑事責任は?遺族・有識者が「組織罰」導入訴えブックレット出版(ラジオ関西)
《JR福知山線脱線事故16年》加害企業への「組織罰」は問えるのか?東電・福島原発事故 強制起訴裁判、関係者は語る(ラジオ関西)
新型コロナ感染拡大の影響で、関西では昨年に続き、今年もJR西日本主催の追悼の会が中止となった。この事故の検証がよほどいやなのか、「追悼の会」もセレモニー化させ、できるだけ早くに幕を引きたいとの思惑は、この間のJR西日本の姿勢から透けて見える。JRがプレスリリースする「公式発表」をなぞっているだけの大手メディアの報道からはそうは見えないであろうし、「JR西日本が何度も反省の意を示しているのに、そんな一方的な決めつけはひどい」と思う人もいるかもしれない。
しかし、当ブログが間近で見てきたJR西日本の姿勢からは、そんな反省、謝罪など口先だけの嘘っぱちにしか見えない。本当に反省しているなら、なぜ事故現場近くの「慰霊の園」や展示の写真撮影すらさせないのか。「遺族の意向」と言うが、誰がそんなことを言っているのか。少なくとも私の知る遺族、藤崎光子さんはそんなことは言っていない。
昨年、ノーモア尼崎集会の前日に訪れた「慰霊の園」で、私は公園管理者との間で撮影をめぐって散々やり合った。
「なぜ撮影が禁止なのか。私は今まであらゆる大事故の現場に行ったが、どこも撮影自由だった。禁止はJR西日本だけだ」
「他は関係ない。遺族の中に撮影してほしくないという人がいる」
「どの遺族がそんなことを言っているのか。本当にいるなら今すぐここに連れてきてほしい。逆に、私の知る遺族は事故の起きた現場はできる限り公開してほしいと言っている。あなたが本当かどうか疑うなら本人に電話して、今すぐここに来てもらってもいい」
「そんなことを言われても困る。とにかく禁止なので」
「制服を見たところ、あなたはJR西日本の契約した警備会社の人のようだが、JR西は慰霊公園を訪れる人との応対などの重要な業務を警備員にやらせている。JRの社員とおぼしき人たちはあちらでさっきから掃除をしているが、本来なら逆ではないのか。なぜJR西日本の社員みずから慰霊の園の説明をしないで警備員にやらせているのか」
「私は詳細を知りませんので、会社に聞いてください」
JR西日本とはつまるところこのようなクソ会社である。本当に事故を真摯に反省している会社ならあり得ない対応と思うが、いかがだろうか。
さて、そんなわけで福知山線事故から16年を迎えた。15年でもなく20年でもない、こう言ってはなんだが「中途半端」な年数であることに加え、会社主催の追悼行事が中止になったこともあり、例年になく追悼ムードに欠ける4.25となった。だがそれでも、先日お伝えしたとおり、中央のメディアでも事故16周年のことはきちんと報道された。
遺族のみなさんも集会や独自の追悼行事を開けなかった。大森重美さんらで作る「
組織罰を実現する会」も、今年は例年のような行事を開けないので、「
組織罰はなぜ必要か~事故のない安心・安全な社会を創るために」(現代人文社)と題したブックレットを作った。私も早速ネット経由で申し込んだ。この連休中にも届けば読みたいと思っている。
組織罰とは、責任や権限が分散し、運営が複雑化した現代の大規模組織(官庁や大企業など)の過失で事故や災害が起きた際に、法人に巨額の罰金刑を科する刑事罰法制のことである。責任や権限が分散しているため、大企業・組織ほど個人の責任は職務権限との関係で問いにくく、法人を罰する規定がないため企業も罪に問われない。こうした現状を正し、過失事故・災害の責任を巨額の罰金の形で企業に負わせようというものだ。
英国では、2008年に労働党政権下で「法人故殺法」が制定された。企業に対する罰金刑に上限を設けず、現実に生じさせた被害額に相当する額を賠償として企業に負わせることができる。この法律成立後、英国では公共交通機関の事故が3割も減少。法制定時、頑強に抵抗した英国産業連盟(経済団体。日本の経団連に相当)も「事故を起こさないことによって企業に信用が生まれ、かえってビジネスによい影響がもたらされた」として今では法人故殺法を承認している実態がある。
物事の表面をなぞっただけで本質など知る気もないネット住民を中心に、日本でも組織罰の法制化には否定論、反対論が多い。「高額の罰金刑が科せられれば、企業が訴追を逃れるため自社に不利な証拠を隠ぺいするようになり、かえって真相究明ができなくなる。むしろ司法取引を導入し、処罰しない代わりに原因究明に加害企業を協力させた方が、再発防止につながる」が反対論の主なものである。
そんなことは、事故以来今日までの16年間ですでに議論され尽くしている。福知山線事故被害者も、事故後はいくつかのグループに分かれた。当ブログ・安全問題研究会が把握しているだけでも、①JR西日本の責任追及は棚上げにし、JRと協力しながら再発防止に向け努力しようとするグループ、②あくまでJR西日本の責任追及にこだわるグループ、③「遺族中心の動きにはついて行けない」として生き残った負傷者だけで独自の行動を続けるグループ--の3つの潮流がある。①の中心が浅野弥三一さん、②の中心が「組織罰を実現する会」の大森さんや藤崎さん、そして③の中心にいるのが「JR福知山線事故・負傷者と家族等の会」の三井ハルコさんである。
②で責任追及を続けている人たちも、16年間の闘いの中、「JRが安全文化を身につけ、再発防止が徹底されるなら」と期待して①の人たちと一緒に再発防止に向け協力して動いた時期もあった。しかし、2008年に発生した運輸安全委員会の報告書事前漏洩事件や、遺族の前に一度も謝罪に出ず、刑事裁判でも無罪を主張し続けた井手正敬元会長の姿勢に絶望して、②の人たちは袂を分かつ決意をしたのである。JR西日本が口にする「反省」を本物と見るかどうかが決定的な分岐点だった(①の人たちも、おそらくJR西日本の「反省」を全員が本物と信じているわけではないと思う。JR西日本という巨大組織との長い闘いに疲れ、本物と信じる
ことにした人たちも多くいるであろうことは付け加えておきたい)。
組織罰を実現する会がモデルとしている法人故殺法制定後の英国で、公共交通の事故が3割減ったことはすでに述べた。逆説的なようだが、組織罰制度は「安くない安全対策費を負担してでも、事故で賠償を払うのに比べれば安くつく可能性が高い」と企業に理解させ、安全対策をきちんと講じさせることに主眼が置かれている。つまり、組織罰法制は、発動させないようにするのが目的の法制度であり、逆に言えば、発動されるような事態が引き起こされれば負けなのである。
たかだか5千億円の津波対策費を出し渋ったために、福島第1原発が津波に襲われた結果、東京電力は現時点ですでに21兆円の賠償負担をしている。組織罰法制が日本にあれば、東京電力を21兆円の罰金刑に処し、その費用で国が被害者に賠償することができるわけだが、まともな思考回路を持った企業なら、そうなる前に5千億円の津波対策費を払うほうが安いと判断するだろう。そうした思考に企業を変え、事故を未然に防止させるのが組織罰制度の目的なのである。それゆえに組織罰制度は、発動されるような事態が引き起こされたらその時点で負けだと考えなければならないのである。
組織罰制度に反対している人はそのあたりの事情が分かっていない。証拠の隠ぺいをするような企業が出るから反対という人は、福知山線事故遺族の中で初めは①だった人が、②の立場に変わっていったのはなぜか考えてほしい。遺族がJR西日本の責任追及をあきらめてでも安全文化の確立に向け①の人たちと協力してきたのに、それが踏みにじられ、裏切られたという思いを抱いているからこそ②の立場に転じたのである。
組織罰を導入すれば、企業が証拠を隠ぺいする恐れは確かに検討すべき点のひとつだろう。それならば現在の原子力損害賠償法のように、過失責任の有無を問わない制度にすればよい。過失責任の有無にかかわらず、損害を発生させた時点でそれと同じ額の罰金刑が科せられるとなれば、証拠隠ぺいの意味もなくなる。仮に真相究明、再発防止ができなくても、JRや電力会社などの独占企業体は別として、一般の民間事業会社に対しては経営破たんして市場から追い出すという「最大級の制裁」を加えることができるのだ。
当ブログ・安全問題研究会は組織罰制度導入に賛成であり、そのために努力しているが、福知山線事故被害者のみなさんに対しては、①~③の立場の人すべてを協力対象と考えている。今後、それぞれ立場が異なっても、いろいろな協力要請があれば、①~③の立場の違いにかかわらず、すべてに応じるつもりでいる。