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【管理人よりお知らせ】11/30、日高の未来を考えるフォーラムが開催されます

2017-11-27 00:18:21 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

来る11月30日、「日高の未来を考えるフォーラム」が北海道新ひだか町で開催されます。日高線の復旧を目標として11月16日に結成された「日高線の未来を考える会」の主催で、当ブログ管理人は実行委員を務めています。

当日のフォーラムでは、酒井芳秀・新ひだか町長による「地域にとっての鉄道」と題した基調講演が行われます。その後は、酒井町長を含む3名の有識者がパネリストとして日高地域の観光振興をメインにパネルディスカッションを行います。日高線の復旧に関してはメインテーマにはなりませんが、「日高線の未来を考える会」は日高線の復旧を目指す団体であり、当ブログ管理人がメンバーになっている「日高線を守る会」と方向性は同じです。

詳しくは、チラシ及びレイバーネット日本のイベント情報をご覧ください。チラシがサムネイル表示になっている場合は、クリックすると拡大します。

なお、「日高線の未来を考える会」の結成については、11月22日付け「日高報知新聞」で以下のように報道されています。

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日高線復旧へフォーラム開催(日高報知)

 一昨年1月から鵡川―様似間116㌔で運休が続いているJR日高線の全線復旧に向けて、新ひだか町民有志による「日高線の未来を考える会」が16日に発足した。30日午後6時から新ひだか町公民館で酒井芳秀町長や学識・有識者を招きフォーラムを開催する。

 同会は町議の日向寺敏彦さん、NPO法人代表の三宅靖夫さん、農業の佐々木一夫さんが共同代表となり、町民約30人の組織。

 JR北海道が単独維持困難としている10路線13区間について、同社の島田修社長らが10月末、高橋はるみ知事に国への支援を要請する考えを示したことから、会は日高線の復旧に向けた地域の機運を盛り上げることが目的。復旧に向けた運動で先行しているJR日高線を守る会(村井直美代表幹事)とも連携する。

 フォーラムはその取り組みの一環で、酒井町長が基調講演する。また、日高町村会などによる「JR日高線(鵡川~様似間)沿線地域の公共交通に関する調査・検討協議会」に学識・有識者として参加した元エアドゥ代表取締役副社長の小林茂さんをコーディネーターに、JRA経営委員の青山佳世さん、元北海道新聞専務の岡田実さん、酒井町長をパネリストにパネルディスカッションも行う。

 共同代表の3人は「鉄道は経済と文化を運ぶもので、その目的は線路が敷かれたころと今も変わらない。ここには大きな観光資源があるので、各町の資源やイベントを有機的に結びつけることが将来は必要になってくる。そのときに鉄道があるのと無いのとでは大きく違う」。「今は新ひだか町だけの小さなうねりだが、フォーラムをきっかけに大きなうねりとなってオール日高で連携できるようになれば」と日高線存続への思いを話している。

 フォーラムは入場無料で申し込みは不要。

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【管理人よりお知らせ】安全問題研究会が11/24、日高町で行った講演資料をアップしました。

2017-11-26 13:39:28 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

安全問題研究会が11/24に北海道日高町で行った講演「こうしたら日高門別まで運行を再開できる!」の資料を、安全問題研究会サイト「深刻化するJRローカル線問題を考える」コーナーにアップしました。スライド版または配付資料版でご覧いただけます。

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JR北海道「維持困難路線」公表から1年 全北海道の路線維持の闘いが1つに~北海道の鉄道の再生と地域の発展をめざす全道連絡会設立総会開催

2017-11-25 22:03:46 | 鉄道・公共交通/交通政策
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2017年12月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 JR北海道が、全営業キロ(2,499.8km)の半分に当たる10路線13線区(計1,137.2km)について「自社単独では維持困難」だと発表したのは昨年11月18日のことだ。それから1年となる10月28日、「北海道の鉄道の再生と地域の発展をめざす全道連絡会設立総会」が札幌市で開かれ、約100人が参加した。



 ●「バス転換飲めない」

 冒頭、唐渡興宣・北海道大名誉教授があいさつ。「30年前、日本では国鉄分割民営化から始まった新自由主義が様々なひずみを生み出している。欧米でもサッチャー元英首相やレーガン元米大統領によって新自由主義が強まったが、一方で欧州では交通権も確立してきており、新自由主義と交通権との矛盾が深まっている。今後は日本でも欧州のように交通権の確立を目指さなければならない」として、今日のJR北海道による路線切り捨てにつながった国鉄分割民営化と新自由主義を批判。これに対抗するための交通権確立の重要性を訴えた。

 2015年1月の高波災害で鵡川~様似間が不通になって以来、JR北海道が「資金不足」を理由に復旧作業をせず放置されている日高本線の沿線を代表して、酒井芳秀・新ひだか町長が「地域にとっての鉄道」と題して講演した。「鉄道がなくなれば、鉄路を維持するよりも多くの費用をかけて地域を振興しなければならなくなる。鉄道は揺れもバスより少なく、交通弱者のためのこれからの交通機関だ。巨額の費用をかけて整備した鉄道を簡単にはがすわけにいかない」と鉄道路線を残す重要性を強調するとともに、沿線自治体として廃線阻止に向けた決意を示した。

酒井町長はまた「30年前、私たちにとって大変冷たい分割民営化があった。3島JR(北海道・四国・九州)を犠牲にして本州3社(東日本・東海・西日本)を助ける分割民営化をやった。政府が3島JRに経営安定基金を設けたが、6年目くらいから金利が下降した。その時点で知らせてもらえれば、急がない役場職員の出張には列車を使うなどの対策も取れたのに、JR北海道は事実さえ公表しなかった。そんな中で簡単にバス転換の提案は飲めない」と地方切り捨ての国鉄分割民営化とJR北海道の秘密主義、隠蔽体質を批判。JR北海道の鉄道路線に上下分離方式(注)を導入し、線路・施設は国が保有・管理を行うべきだとした。

 ●鉄道の社会性の承認

 「各地域におけるJR北海道の現状」と題して報告を行った武田泉・北海道教育大学准教授は「北海道内では、JR北海道が維持困難と発表した13線区の沿線とJR北海道との協議会もメンバーが自治体に限られていることが多く、協議会自体も非公開。商工会、観光協会、住民団体、PTAが入ることも多い本州と対照的だ。JR北海道の徹底的な合理化で札幌直通列車がなくなり、長距離客は都市間バスに移った。名寄から旭川へ通院もできない事例が生まれている」と指摘。住民の声を協議会に反映させる必要性を指摘した。また「災害で運行できない路線が同時多発的に発生するような現状に対しては、『鉄道財源確保法』などの新しい政策や仕組みが必要だ」と訴えた。

宮田和保・北海道教育大学名誉教授は「スイス国鉄の赤字は3千億円を超えるが、政府が穴埋めしている」とヨーロッパの実情を報告。公共交通を含む公共サービスの地域的、社会的役割の承認と「ダイヤを一方的に変更し、自治体が乗換の利便性を求めても無視するJRに社会的監視、情報公開などの縛りをかけていくこと」が必要とした上で、国が運営を私企業に委ねたまま放置している日本の鉄道政策を批判。鉄道に公共性を持たせる上で必要な財源については北海道開発予算の活用などを挙げた。

この後、会場参加者が討議。(1)JR北海道に対しては全面的情報公開、(2)自治体に対しては協議会の内容の公開を求めるほか、(3)北海道に対しては申し入れや交渉、(4)国交省、国会議員、各政党に要求をぶつける上京行動、(5)国主体の上下分離を求める自治体決議を追求する――を今後の方針として決定した。

 最後に、まとめとして奥田仁・北海学園大名誉教授が、(1)鉄道を残せという地域の要求は大義があり、エゴではない(2)拙速に結論を出すべきではなく、十分時間をかけた全道的、開かれた議論をすべき(3)経営安定基金の運用益の低下というこの間の経過を見れば、事態の責任は国が負うべきである(4)鉄道だけが他の基本インフラと切り離され、民間企業に委ねられている点に根本的問題がある。国土インフラのひとつとして国の政策に位置づけることが必要(5)北海道民は大人しくあってはならない。声を上げること、また知事にその先頭に立ってもらうことが必要――の5点を確認事項としたいと提案、了承された。

 ●全道の闘いが初めて1つに

 これまでJR北海道は各線区沿線地域との間で個別協議入りを強行しようとしてきた。またこの日の総会では、全発言者がJR北海道の秘密主義体質に言及した。こうしたJR北海道の情報隠蔽や分断策動を乗り越え、多くの沿線地域が「路線維持」「分割民営化見直し」で結集したことにこの日の総会の大きな意義がある。廃線阻止の闘いをオール北海道の団結した闘いに引き上げるため、全道から広く世話人を集め、会を軌道に乗せることが今後の課題だ。

(注)上下分離方式とは「運行事業者とインフラの整備主体が原則として別人格であって、インフラの整備に公的主体が関与する場合」をいうものとされている(2000年8月1日付け運輸政策審議会答申第19号「中長期的な鉄道整備の基本方針及び鉄道整備の円滑化方策について」)。

(黒鉄好・2017年11月24日)

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【管理人よりお知らせ】gooブログの「トラックバック」機能が11/27限りで終了します

2017-11-24 19:23:57 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

当ブログが使用しているgooブログの「トラックバック」機能が11月27日限りで終了となることが、gooブログ運営スタッフにより公表されています(記事)。

すでに、当ブログ記事に対するトラックバックは、2015年11月15日を最後に付いていませんが、11月28日以降、当ブログ含むgooブログの記事に対し、新たなトラックバックを付けることはできなくなりますので、念のためお知らせします。なお、リンク先のgooスタッフブログに記載されているように、過去に付けられたトラックバックはそのまま保存されるため、各ブログ管理人で消去するか「非表示」に変更するかしない限り、サービス中止以降も消えることはありません。当ブログとしては、あえて消去する理由もなく、このまま保存しておく予定です。

今後とも引き続き、当ブログをよろしくお願いいたします。

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【管理人よりお知らせ】明日、日高本線問題をめぐり、当ブログ管理人が日高町で講演します

2017-11-23 21:41:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
直前で申し訳ありませんが、管理人よりお知らせです。

2015年1月の高波災害以来、不通が続いているJR日高本線についての講演会が、明日24日、沿線の北海道日高町で開催されます。

JR北海道は、JR日高本線鵡川~日高門別間を、被災していないのに運休にしたまま、資金不足を理由に運行を再開しません。こうした姿勢は鉄道事業者としての責任放棄であり、許されません。沿線地域からは「被災してもいないのに列車を動かさないのはおかしい」との声が上がっています。

明日は、鵡川~日高門別間の運行再開を求める沿線の声に応え、JR北海道に運行再開を求めるため、「こうすれば日高門別まで運行を再開できる!」と題し、当ブログ管理人が講演を行います。

主催者からは、「これまでは、誰それが悪いとかこれが運行再開できない原因だというような後ろ向きで暗い話が多かったので、今回は沿線地域に希望を与えられるような前向きな内容をメインにしてほしい」との依頼を受けています。このため、今回の講演は責任追及などの後ろ向きの話はほどほどにし、具体的な運行再開の方法を提示するとともに、運行再開後の日高本線(と全国の鉄道)の具体的な活用策を示す場となります。在京テレビ局の取材も入る予定です。

万障お繰り合わせの上、ご参加いただきますようお願いいたします。日時、場所は以下の通りです。

日 時:2017年11月24日(金)18:30開演(18:15会場)
場 所:門別公民館(日高町役場隣 JR日高門別駅近く)

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【管理人よりお知らせ】JR北海道の路線廃止問題に関し、地方交付税制度の拡充を求める要請書を総務省宛に提出しました

2017-11-16 21:31:51 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

安全問題研究会は、11月14日付で、以下の要請書を総務大臣、及び総務省自治財政局長充てに提出しましたので、全文をご紹介します。印刷に適したPDF版をご希望の方は、安全問題研究会サイト内の「安全問題研究会が行った政府への要請・申し入れ」ページにあります。

なお、安全問題研究会は、これまで国交省鉄道局宛てに要請を行ってきましたが、今回から要請先を鉄道局以外に変更することにしました。2015年7月の要請の際、鉄道局が省内での面会を拒否した上、屋外で要請書だけ受け取ると国交省の建物に逃げ帰るという失礼極まりない対応を取ったからです。国交省は当事者能力を失っており、このような三流官庁に要請を行っても解決につながる可能性は低いと判断しました。今後も、鉄道局以外への要請を続けていきます。

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2017年11月14日

総務大臣 野田 聖子 殿
総務省自治財政局長 黒田 武一郎 殿

                          安全問題研究会


JR北海道の路線廃止問題に関し、地方交付税制度の拡充を求める要請書

 北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)は、昨年11月、路線距離で全道の路線の約半分に当たる10路線13区間を「自社単独では維持困難」であるとして、廃止~バス転換または沿線市町村が線路を保有する上下分離方式による運営に切り替えたいと提案してきました。

 しかし、経済活動の中心である首都圏等から離れ、大企業も少ないなどの条件に加え、除雪費など他地域にはない負担も抱えている北海道は財政運営が苦しい状況にあります。北海道内市町村も同様であり、危機的な財政状況の中で新たに巨額の財政負担を長期継続的に強いる上下分離方式の提案を、事実上鉄道路線の廃止の提案に等しいと受け止めています。JR北海道による提案から1年以上経過しているにもかかわらず、沿線市町村との協議はほとんど進んでいません。

 こうした事態を招いている要因のひとつに地方交付税制度の不備があります。地方公共団体が道路・港湾・空港の整備や維持管理を行う場合には地方交付税が交付される一方、地方公共団体が鉄道線路を保有し整備や維持管理を行っても地方交付税が交付される制度になっていないためです。

 当会は、各鉄道の安全や地域公共交通の存続及び利便性向上のための活動を行う鉄道ファンの任意団体ですが、北海道に拠点を置いて活動していることから、北海道内の鉄道路線の行方に重大な関心と懸念を抱いています。重要な社会資本であり公共交通ネットワークを形成する鉄道の廃止は、地域社会に重大な影響を与えます。また、今後、全国的な人口減少社会を迎える中で、現在の北海道が抱える問題は、いずれ全国に拡大するものと予想されます。

 貴職におかれましては、このような切実な事情及び本要請の趣旨をご理解いただくとともに、本要請書に対して、文書による回答を行われるよう希望いたします。



【要請事項】
 JR北海道が検討している鉄道路線の廃止~バス転換を行わせないようにするとともに、地域の健全な発展の基盤を維持するため、国鉄改革時の国会決議等をも踏まえ、鉄道線路を保有する地方公共団体にも地方交付税が交付されるよう所要の手続(法改正等)を行うこと。

【説明】
 JR北海道が昨年11月、鉄道路線の廃止~バス転換または沿線市町村が線路を保有する上下分離方式による運営に切り替えたいと提案した路線(10路線13区間)の合計は1,137.2kmであり、JR北海道の鉄道全路線(2,499.8km)のほぼ半分に及んでいる。

 国鉄改革関連8法案が審議されていた参議院日本国有鉄道改革に関する特別委員会が、1986(昭和61)年11月28日、同法案の可決・成立に当たって行った附帯決議は、「(JR各社の)経営の安定と活性化に努めることにより、収支の改善を図り、地域鉄道網を健全に保全し、利用者サービスの向上、運賃及び料金の適正な水準維持に努めるとともに、輸送の安全確保のため万全を期すること」「各旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の輸送の安全の確保及び災害の防止のための施設の整備・維持、水害・雪害等による災害復旧に必要な資金の確保について特別の配慮を行うこと」を国に対して求めている。この附帯決議の採択に当たり、国鉄改革関連8法案の担当である橋本龍太郎運輸大臣及び葉梨信行自治大臣(いずれも当時)が「その御趣旨を尊重」し、政府として努力・善処する旨答弁している。

 国鉄再建監理委員会における当時の議論やこうした歴史的経緯を踏まえ、経営が厳しくなると予想されたJR北海道・四国・九州の3社は国が設けた経営安定基金の運用益で持続的な経営を維持することとされたが、当初、7.3%と見込んだ金利が低下したため、期待通りの運用益が得られず、今日の事態を招くことになった。

 一方、国鉄改革当時に新幹線保有のための制度として設けられた上下分離方式が、近年、地方路線を維持するために有効であることが認識されたため、地方路線でこの方式を導入する例が徐々に増えている。しかし、現行の地方交付税法では道路・空港・港湾と異なり、鉄道は地方公共団体による線路管理であっても地方交付税の交付対象とならないことから、鉄道に上下分離方式を導入した地方公共団体は全面的かつ長期的にその費用を負担しなければならず、このことが上下分離方式の全国的かつ大規模な拡大を妨げる要因となっている。このような制度の不備が原因で維持が可能な地方の鉄道路線が失われ、重要な社会資本である公共交通ネットワークが崩壊すれば、地域発展や産業・経済活動のための基盤が喪失し、国力も減退することが確実である。

 国鉄改革から30年を経過し、当初は新幹線への導入しか想定されていなかった上下分離方式による地方路線の運営の例が生まれるなど、この間、社会情勢は大きく変化している。こうした変化を踏まえ、鉄道線路を保有する地方公共団体も道路・空港・港湾の管理を行う地方公共団体と同様に地方交付税の交付対象とするよう法制度を再整備する必要がある。

<添付資料>
1.当社単独では維持することが困難な線区について(2016.11.18 JR北海道)
2.国会議事録(第107国会 参議院日本国有鉄道改革に関する特別委員会、昭和61(1986)年11月28日)

(※)上下分離方式とは「運行事業者とインフラの整備主体が原則として別人格であって、インフラの整備に公的主体が関与する場合」をいうものとされている(2000年8月1日付け運輸政策審議会答申第19号「中長期的な鉄道整備の基本方針及び鉄道整備の円滑化方策について」)。

(以  上)

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戦慄の総選挙結果と野党の歩むべき道

2017-11-15 21:51:54 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した原稿をそのまま掲載しています。)

 最後まで狐につままれたような、戦後最も摩訶不思議な総選挙から早いもので3週間経った。この間、何か結果について論評すべきだろうといろいろなことを考えているうちに、おおかたの論評らしきものは出尽くしてしまったようだ。だが、政党とは何か、政治家が主義主張を貫き、操を守るとはどういうことなのか、今回ほど深く考えさせられた選挙もなかった。今後のために書き残しておかなければならないはずなのに、誰からの指摘も受けていない事実が山ほどある。かなり出遅れたが、私のこの考察によって読者の皆さんが政治の本質に少しでも迫ることができればと思っている。

 ●戦時中よりひどい「戦慄」の選挙結果

 10月22日に投開票された第48回総選挙の結果をまとめておこう。定数削減の結果、総定数が465となった総選挙。獲得議席数で与党が3分の2を超えたことは周知の通りだが、日本共産党12議席、社民党2議席。立憲民主党の全員を護憲派とみなすことにして、その全議席(55)を加えても「護憲派」の総議席数はわずかに69。総定数に占める護憲派の比率は14.8%といまや6分の1にも満たなくなった。

 ここで少し歴史をひもといてみる。1942年4月30日に投票が行われた第21回衆院総選挙。この選挙の前年、日本は太平洋戦争に突入しており、選挙ポスターには「大東亜 築く力だ この1票」のスローガンが踊った。太平洋戦争中に行われたものとしては唯一となったこのときの総選挙では、すべての政党が解散または弾圧を受けた結果、大政翼賛会以外の「政党」は一切参加を許されず、翼賛選挙と呼ばれた。

 この翼賛選挙で、それでも大政翼賛会の推薦を受けない「非推薦議員」が85人も当選した。陰に陽に政府の様々な妨害を受けながら、これだけの非推薦議員が当選したことが当時は驚きをもって受け止められたことだろう。ちなみに、このときの衆院の総定数は今回とほぼ同じ466。当時より今の方がはるかに人口が多いのに、当時より衆院の総定数が少ないことに驚かれる方も多いと思う。だが、驚くのはまだ早い。非推薦議員の総定数に占める割合を算出してみると、18.2%――。

 当時は中選挙区制だったのに対し、今は小選挙区制。女性には選挙権がなかった当時と、女性にも選挙権がある今を単純比較することはもちろんできない。だが、今回の総選挙における護憲派の議席数が翼賛選挙における非推薦議員の数よりも少ないことがわかる。数字の比較だけなら戦時中の翼賛選挙よりひどい、まさに戦慄すべき結果といえる。

<参考>戦時中の「翼賛選挙」と今回総選挙の比較


 だが、それでも改憲派に衆参両院で3分の2を許した2016年参院選の時のような悲壮感、絶望感は私には不思議なほどない。それどころか安倍政権発足以来、後退に次ぐ後退、絶望に次ぐ絶望だった時代から、小さな反転攻勢の芽をつかんだ高揚感さえある。おそらく、後で振り返ったとき「今思えば、2017年の総選挙が転機だった」と言われることになるのではないかという気がする。今後、私たちは何をめざし、どう戦うべきなのか。

 ●立憲民主党の勝因と今後

 「共通の政治的目標の達成」を可能にするために、党は緩やかにいろいろな立場の人を包摂し、大きくあるほうがよいのか。それとも決意と確信に満ちた人々のみで構成され、戦闘力があるなら小さくてもかまわないのか。10月1日付けレイバーネット記事「希望の党ドタバタ劇といつか見た風景~問われる決意と覚悟」の中で、私はこのような問いを提示した。闇鍋のように右も左もごちゃ混ぜになった民進党が存在していることで、結論を見ないまま放置されていたこの問いに、はっきり答えが示されたことが今回の総選挙の大きな特徴といえよう。

 希望の党の発足に当たり、小池百合子・東京都知事が行った「安保・憲法で考えが一致しない議員を排除する」との方針を「妥当」とした人が53%、「妥当ではない」とした人が25%だった(10月5日付け「朝日新聞」)。改憲・戦争路線・差別排外主義という排除の方向性が大きな批判を浴びたものの、「排除それ自体」は世論の支持を受けたことがこの調査結果からは窺える。「政治的目標や利害関係、思想・信条を同じくする人々のみで構成され、戦闘力がある政党なら小さくてもやむを得ない」が今回、日本の有権者の出した回答である。

 立憲民主党に参加した議員たちがそうせざるを得なかったのは希望の党に「排除」されたからであって、仮に排除がなければ旧民進党議員は全員丸ごと希望の党に移籍していたであろうから、立憲民主党議員を「信念を貫いた人たち」であるかのように言うのは過大評価だろう。だが選挙でどんな判断の下にどの候補者や政党を選ぶかを決めるのは有権者だ。「実際にどうであるか」よりも「有権者の目にどのように映るか」のほうが重要なこともある。党としてのまとまりや一体感を求める有権者の考えに合致したことが今回の立憲民主党の勝因だと結論づけてよいと思う。選挙後、「民進党との合併や再結集、統一会派の結成は当面は考えない」「永田町の権力ゲームに加わる考えもない」と発言しているところを見ると、枝野幸男代表もまた、そのことをよく理解しているように思える。

 社会党崩壊から四半世紀。自民党政権を支持しないが、投票用紙に共産党と書くことにも抵抗がある――そんな緩やかな中道左派勢力をすくい上げられる政党だけが、この間、常に日本の政治空間から欠落していた。中道左派を緩やかに支持する有権者の票は、四半世紀ずっと漂流を続けてきた。立憲民主党は、この空白を埋めるに値する久しぶりの政党として、待ち望まれた登場を果たした。「僕ら労組系には久しぶりの追い風だ」と評した立憲民主党関係者がいるとの証言もある(月刊「FACTA」誌10月号)。だからこそ安倍政権への対案を求める無党派層に支持を受けたのである。

 それを証明するデータがある。TBS-JNN系列による世論調査(11月11~12日実施)によれば、立憲民主党支持率は11.0%で自民党(35.6%)に次ぐ2位、テレビ朝日の世論調査(11月4~5日実施)に至っては19.9%と自民党(43.7%)の半分の数字を叩き出し、こちらも2位という健闘ぶりだ。にわか仕立ての党にもかかわらず、1970~80年代の社会党支持率(13~15%程度のことが多かった)にあと一歩まで迫っている(ついでに言えば、55年体制当時、社会党は支持率でも議席数でも自民党のちょうど半分で、そのため55年体制は「1と2分の1政党制」と呼ばれた。立憲民主党の支持率がほぼ自民党の半分になったテレビ朝日の世論調査結果を見る限り、55年体制の復活との評価もできる)。希望の党による排除の結果とはいえ、野党共闘と改憲阻止を訴える中道左派への「純化路線」は現在までのところ、見事に成功している。

 立憲民主党が今後どのような道を歩むかを予測することは、このような客観情勢・データを見ればそれほど難しくない。中道左派への「純化路線」で勝利したことが、今後のこの党の方向性を大きく規定すると考えられるからだ。中身が伴わない割に魅惑的な「政権交代」の甘言に惑わされることなく、枝野代表の言葉通りに民進党との合併や再結集、統一会派の結成の動きや、永田町の権力ゲームにも決して与(くみ)せず、野党共闘と改憲阻止を旗印として一体感を持って行動するなら、立憲民主党はかつて社会党が占めていた位置まで上ることができる。政権獲得は不可能でも、自民党政権の暴走を抑止するしっかりしたブレーキ役として、有権者から大いに歓迎されるに違いない。

 もちろん、立憲民主党がいかに力を付けたとしても、かつての社会党に完全に取って代わることはできない。「プロレタリアート独裁」を綱領に掲げ、「日本における社会主義の道」を綱領に準ずる重要方針と位置づけ、社会主義インターナショナルにも加盟していた社会党と異なり、立憲民主党はそのような綱領を持つわけではない。プロレタリア政党かブルジョア政党か(別の言い方をすれば階級政党か国民政党か)と問われた場合、立憲民主党は紛れもなくブルジョア政党、国民政党としか答えられないからである。だが今は憲法破壊、戦争挑発路線を進む安倍政権に対し、これに反対するすべての勢力が「反ファシズム人民戦線」を結成して戦わなければならない重要局面だ。立憲民主党が社会主義勢力でないとしても、労働者・市民が野党共闘という「現代日本版人民戦線」を形づくる勢力のひとつとして手を結ぶには、これで十分ではないだろうか。

 ●政党とは何か、政権交代は最優先目標か

 前原誠司・民進党前代表の全身に取り付いた「政権交代病」はもはや手の施しようがないように思える。もちろん、健全な民主主義社会を目指すなら政権交代はないよりはあったほうがいいことに疑いの余地はない。だが、政権交代を実現しても、大企業・富裕層・社会的強者のための政策から中小企業・貧困層や中間層・社会的弱者のための政策へ、変更を勝ち取れないなら意味がないということを、民主党政権3年半の教訓としてこの国の有権者は学んだ。いたずらに政治が混乱した挙げ句、市民に約束されたはずの看板政策はすべて投げ捨てられ、いつの間にか自民党と変わらない政治に舞い戻った民主党政権3年半の授業料は、東日本大震災・福島第1原発事故も加わってあまりに高すぎた。だが、「変えなければならないのは政策であって政権ではない」「政権交代は政策変更のための手段であってそれ自体は目的ではない」ということを日本の有権者が学んだ意味は大きかった。極端な言い方になるが、市民本位の政策が実施されるのであればその実施主体は自民党政権で何ら問題はないのである。前原氏の政治的罪は、手段に過ぎない政権交代を目的と取り違え、政策変更を(具体的なその実現方法まで含めて)提示しないまま野党共闘を民進党もろとも破壊したことであり、万死に値する。

 学校の授業のようだが、政党の果たすべき機能は何か、この機会にもう一度確認しておこう。(1)政権を担当し、自分たちの掲げた政策を実施すること、(2)政権を批判・監視・チェックし、市民・有権者にとって不利益な政策を阻止または修正させること、(3)市民の要求を吸い上げ、政府に伝えるためのチャンネル機能を果たすこと――の3つが特に重要な政党の機能である。このうち(1)は与党だけが、また(2)は野党だけが果たすことのできる機能である。(3)は与野党にかかわらず果たすことができる。イタリアの政治学者ジョヴァンニ・サルトーリは、(3)の機能がある限り、政党の必要性は1党独裁制でも失われることがない、と主張したが、1党独裁は(2)の機能を果たす政党の存在を認めない政治体制であり、権力に腐敗が生じやすいことは言うまでもない。あまりに自民党だけが強すぎ、(2)の機能が極端に減衰している日本も同様の状況であり、これが加計学園問題に象徴される政治私物化、安倍政権の暴走につながっている。

 今回の選挙結果が私たちに示したのは、日本では政権交代は当分の間不可能であり、二大政党制に至ってはおそらく永久に実現不可能だろうということである。だが、55年体制当時のように、自民党の暴走を阻止し、政府与党に緊張感を与えられるだけの「強力な抵抗野党」が復活する端緒が切り開かれた。前述した私の「小さな反転攻勢の芽をつかんだ高揚感」もここから来ているに違いない。

 市民は今後、野党とどのように関わるべきだろうか。立憲民主党を強力な抵抗野党として育て、かつての社会党のポジションに押し上げるために、さし当たって私たちがなすべきことがある。(1)この党に中道左派「純化路線」を維持させるため、右派の合流・復党(右派込みの参院民進党へのなだれ込みを含む)を許さないこと、(2)立憲民主党執行部を監視し「右旋回」させないこと、(3)これら2つを維持するために、下からの野党共闘路線を強化発展させること、(4)連合の支持をこの党につなぎ留めるとともに、彼らを監視し、特に民間右派労組による立憲民主党破壊・分裂策動を阻止すること。これらの行動を、市民主体で作り上げることができるなら、政権交代は不可能でも、今よりずっと幸せだった55年体制当時に近い政治体制を再建することができる。

 ●社会主義革命から100年、ロシアとの奇妙な一致

 ロシア帝国・ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世は、みずから放った「朕は国家なり!」の言葉通り、国家と国民がまるで自分の私有物ででもあるかのように勝手気ままに振る舞った。自分に対抗する勢力が政治家をめざす動きに対しても「ばかげた夢だ」と言い放ったこの粗野な皇帝は、ついに1917年2月、革命で倒される。帝政ロシア打倒後の2月革命で成立した臨時政府(連立政権)の第1党は、立憲民主党(カデット)を名乗った。この後、カデットが政権を離脱して第1次臨時政府は崩壊。引き続いて成立した第2次臨時政府は左翼政党、社会革命党(エス・エル)が第1党となり、エス・エル出身のケレンスキーが首相になった。しかしこの政府も不安定で長続きせず、ついに10月、第2次臨時政府も倒される。身の危険を感じたケレンスキーは女装しロシアを脱出、事態はやがてロシア社会民主労働党(ボルシェヴィキ)が政権を獲得し、レーニンが指導者となる世界初の社会主義革命へと進んでいった。革命の数年前、「陛下の命は長くは持たないでしょう」と不気味な予言をしたのは、宮殿内に跋扈し、怪僧と恐れられたラスプーチンだった。その予言通り、ウラル山脈の麓に位置するイパチェフ館で、皇帝一家の命を絶つ銃声が響き渡ったのは、革命翌年、1918年のことだ。

 今からちょうど100年前、実際に起きた出来事である。国家私物化の限りを尽くした皇帝の打倒後に成立した臨時政府の第1党と同じ名前の政党が100年後の今年、日本で生まれた。偶然とはいえ、あまりにできすぎたストーリーだ。時代と場所を変え、歴史はまた繰り返すのか。それともまったく新しい未来が今後の日本に待つのか。粗野な独裁者を倒し、よりよい未来を作るためには、独裁に反対するブルジョア政党から社会主義政党までが小異を捨てて手を結ぶこと、真の社会主義勢力を育て、チャンスが来たら一気に攻勢を掛け変革をめざすこと。これこそロシア革命の歴史から私たちが得るべき教訓なのではないだろうか。雨降って地固まるということわざもある。前を向いてまた歩き出そう。「あの時があったから今がある」と、100年後の日本人から正当な歴史的評価を受けられるように。

(文責:黒鉄好)

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