安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【鉄ちゃんのつぶや記 第29号】JR20年~またひとつ明らかになるマスコミの大罪

2007-02-17 23:15:28 | 鉄道・公共交通/交通政策
 2月16日、東京総行動参加のために地下鉄に乗った際、東京メトロ(旧営団地下鉄)銀座駅で「メトロガイド」なる地下鉄の広報紙を見つけた。「地下鉄で四季を感じる情報紙」との触れ込みで日刊工業新聞社が編集発行しているもので、地下鉄駅構内で無料配布されている。

 なにげなくこの広報紙の3月号を手に取ったところ、「日本一のさかな~ダンディーとイナセ」と題する注目すべき記事を目にした。その記事は、文京区湯島にある「丸赤商店」という鮮魚店を取り上げている。どうやら東京では有名なお店らしいが、この店はまた、あの「土光のメザシ」を取り扱ったお店だったのだ。

 『昭和50年代。財界総理と言われた土光敏男(原文ママ。土光敏夫の誤り)の朝食風景をNHKニュースで放映した。おかずはうるめいわし2尾。土光が奥さんを振り返って「もう1匹くれよ」「ダメ!」ピシャッ。アナウンサーが「土光さんの朝食はこんなに庶民的です」…』(記事より引用)

 この記事を書いた記者は、NHKの知人談としてこんな秘密を明らかにする。『このいわし、実は1尾1,000円とか。ミッチャン(筆者注:丸赤店主の愛称らしい)と知り合った頃、僕「ひょっとして、あれは丸赤のいわし?」「そう」「1,000円て本当?」笑って「話半分、当時で5~600円かな。いいもんだった」』

 スーパーで売っているメザシは1本に換算すればせいぜい70~80円くらいのものだろう。つつましやかで庶民的な「メザシの財界総理」は、メザシですら庶民の7~8倍もする高級なものを食べていたということがわかる。

 国鉄労働者悪玉キャンペーンを仕掛けようとする政府・財界の尻馬に乗って、土光敏夫の取り巻き連中みずからが「演出」と認めるようなやらせを垂れ流したマスコミは、意図的にか結果的にかわからないが国鉄分割民営化への露払いの役割を確かに果たした。それから20年、「質素な生活をしている土光さんと権利ばかり主張して働かない国鉄労働者」という構図を国民が受け入れた結果どうなったか? 「金で買えないものはない」とうそぶき、拝金主義の限りを尽くした六本木ヒルズの頂点で肥え太るIT長者、史上空前の数兆円もの利益を上げながらまだ儲けたりないとばかりに法人減税と消費税増税を要求するグローバル資本。その一方で「働けど働けどなほわが生活楽にならざ」るワーキングプアが大量に生み出された。そして、権利ばかり主張して働かない不良職員とやらを叩き出したJRもまた史上空前の利益を上げたが、尼崎・羽越では大事故が起き、首都圏のJRではまともに列車が走っている日のほうが珍しいほど遅れ・トラブルが日常化した。

 利益を極大化させながら肝心の品質が劣化するJRの姿はいまの日本の縮図である。耐震偽装マンション、中毒湯沸かし器、期限切れ菓子に殺人エレベーター、溺死プールにいじめ教育…老若男女、家でも外でも安住の場所がなくなってしまうほどの社会の劣化を生み出したおぞましい利益第一主義はあのキャンペーンから始まっている。

 こうして、思いつくままに社会の劣化を裏付けるいろんな現象を並べてみたが、その中でも最も劣化したのはキャンペーンを仕掛けたマスコミそのものだろう。1995年2月3日の朝日新聞コラム「にゅうすらうんじ」は、「土光敏夫さん行革推進へ『メザシ』の演出」という記事を掲載しているが、早房長治・同社編集委員は「質素なリーダーのイメージを利用して、行革を成功させるためだったと思う」とNHKの演出を認めながら、同時に「故郷の岡山県から送られた山海の珍味を使った直子夫人の手料理を、私は彼と一緒にたびたび食べさせてもらった」とみずからの「取り巻きぶり」を自慢している。今回紹介しているメトロガイドにしても、よくよく読めばこの記者は「丸赤」に通ってずっと前からその事実を知っていながら、「メザシの土光」のやらせを追及せず黙認していたことになるのだ。ジャーナリズムにとってやらせは死であるという感覚を持ったまともな記者なら、やらせをやらせと知りながら見過ごしていたことを恥とも思わず、後日談としてそれをもとに新たな記事を書くような真似はとてもできないだろう(もっとも、土光敏夫の名前を間違えているのに気づかない記者、校正しても気づかずそのまま載せてしまうような新聞にやらせを検証しろと求めるほうが無理な相談なのかもしれない。私は土光敏夫を支持しないが、このこと自体は彼に対してとても失礼なことである)。メトロガイドの記事が署名入りでなかったことで、この記者は読者に正体を知られずに済んだが、もし署名記事だったらとんだ赤っ恥をかいていたに違いない。

 総じて、この国のマスコミはジャーナリズムとしてのまともな精神をとっくに失っている。そのことは、上で紹介した2つのエピソードに余すところなく表れている。こんなメディアに事実の検証などできるはずもない。いま私は、イラクに民衆のためのテレビ局を作るための運動に個人的に参加しているが、どうやら民衆のためのテレビ局は、イラクもさることながら日本でこそ必要なのではないか…過去20年のメディアを振り返り、繰り返されてきた空騒ぎを思うとき、私はふとそんな思いにとらわれるのである。

(2007/2/17・特急たから)

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【鉄ちゃんのつぶや記 第28号】JR発足20周年の鉄道ファン的総括

2007-02-12 23:15:08 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
 2007年も早1ヶ月が過ぎ、2月を迎えた。今年2007年は、言うまでもなく国鉄分割民営化から20周年の節目の年である。10年ひと昔とよく言われるが、20年はふた昔であり、赤ん坊が成人式を迎えるほどの長い年月である。俗物的なこの国のマスコミは○○周年といった時代の節目が大好きだから、JR20周年の今年も各局、各紙がJR20周年の総括をすることになるであろうが、私は鉄道ファンとしての立場から、彼らより早めにJR20周年を総括してみたいと思う。

 鉄道ファンの傾向を見るにはやはり鉄道雑誌(趣味誌)とインターネットが手っ取り早いだろう。鉄道雑誌は、月刊で発行されているものだけで鉄道ファン(最大手)、鉄道ピクトリアル、鉄道ジャーナルのほか、鉄道ダイヤ情報、レイル・マガジン、「とれいん」の6種類。鉄道誌という建前を取っていなくても、内容が限りなく鉄道誌に近い「旅」誌(JTB出版)を入れると7種類。これに、鉄道模型専門の月刊誌である「鉄道模型趣味」「RM  MODELS」誌で9誌。3ヶ月ごとの季刊発行の鉄道誌として「旅と鉄道」があるので、10誌に達する。ファンの間では、歴史が長く固定読者の多いファン、ピクトリアル、ジャーナルの3誌が「御三家」と言われ、他の雑誌は後発組とされているが、鉄道ダイヤ情報は鉄道写真派を中心に根強い人気があり、最近は精彩を欠いているジャーナルに代わって御三家入りする日も近いように思う。インターネットは他の分野と同様に、鉄道趣味の分野でも90年代末から活動が活発になってきている。

 ところで、これら鉄道雑誌では、以前からその傾向は出ていたが、最近ますます露わになってきたことがある。国鉄型車両(国鉄時代に設計・製造された形式の車両)への回帰である。毎年、ダイヤ改正のたびにJR各社から新車も出ているのに、そうした新車の紹介はさらりと流す程度で、特集記事といえば「SLの記憶」だの「寝台特急のすべて」だの「消滅間近!国鉄○○系電車」だのといった記事ばかりになった。読者層であるファンもファンで、鉄道写真コンテスト等に出品される作品には圧倒的に国鉄型車両が多くなっている。

 鉄道模型になると、その傾向はさらに顕著になる。鉄道模型メーカーには、玩具メーカー・トミー系列のTOMIX、鉄道模型専業の関水金属(別名KATO)の大手2社のほか、中小各社(マイクロエース、グリーンマックス、カツミ模型など)があるが、各社とも最近新発売になる車両は国鉄型、それも私ですら現役時代を見たことがないような旧型電車、旧型客車が増えている。そうした現象をいぶかしんだ私が、ある模型店で「JRからも新車は出ているのに、どうして最近、国鉄型の模型の商品化が多いんでしょうね?」と言ったところ、その模型店店主は顔をしかめながら「最近のJR型車両を出しても客に見向きもされない。全然売れないんですよ」と言う。

 鉄道模型はとても高価な買い物であり、最も普及しているレール幅が9ミリメートル(実物の150分の1サイズ)のものでも1両1万円近い。学生が簡単に出せる金額ではなく、それだけに鉄道模型界はいまも国鉄時代を知っている社会人層が中心を占めているという事情は考慮すべきかもしれない。しかし、JRグループにまだ国鉄の影が残っていた民営化初期に登場した車両の中には、JR東日本の「スーパービュー踊り子」車両やJR九州の「ハイパーサルーン」車両のように質的にも完成度が高いと思われるものもあるが、件の模型店店主は「それでも国鉄型車両に比べれば全然売れていない」というのだ。

 数年前から続いている廃線跡ブームはいまだ根強い。これは廃止された鉄道の線路跡を巡って写真撮影や遺構調査などをするもので、すでに鉄道趣味においてひとつのジャンルとして確立しており、私自身もごく少ないが経験がある。私の見るところ、廃線跡をメインに活動する鉄道ファンは「廃線跡専門」の人が多く、他の分野で活動する人と一線を画している印象を持っている。私と親しいある鉄道ファンは、廃線跡に熱中する理由について「最近のJRは面白くないし、見ているのが忍びない。それなら廃線跡でも見ているほうがずっといい」と語ってくれている。

 インターネットでは、同じホームページで活動する仲間を集めた「オフ会」(インターネット上の仲間が実際に集まって活動するイベント)も地道に開かれており、私も何度か参加したことがある(ちなみに本コラム第21号「旅先で出会った悲しい駅員」でもオフ会の模様を紹介している)。そこで、過去数回のオフ会を振り返ってみたところ興味深い発見をした。東京都電の車両借り切りオフ会(第1回)、長野電鉄と渋温泉(第2回)、地下鉄で巡る東京下町銭湯の旅(第3回)、廃止予定のJR東海バス「いいなかライナー」ツアー(第4回、前述のコラムで紹介)、閉館する交通博物館と旧萬世橋駅遺構巡り(第5回)、そして今年2007年早々に開催した経営危機の銚子電鉄サポートオフ会(第6回)…と振り返ってみると、すべて地方中小私鉄、地下鉄、路線バスが目標となっており、JRを主要な目的としたオフ会が一度もないのである。他の参加者に確認してみたところ、彼らもだいたい似たような傾向のオフ会が多いという。目的地までの足としてJRに乗ることはあってもJR自体が目的のオフ会ではないのだ。それにしても、旧国鉄を引き継いだJRグループこそ日本の鉄道の中核であるはずなのに、JRの路線やその車両をメインとしたオフ会が一度もないというのはどういうことなのだろうか?

 JR発足から20年。私がこれまで頭の片隅でうっすらと感じてきた疑念…その恐ろしさ故に鉄道ファン仲間のあいだでは口にすることができなかった疑念がある。JRグループの路線・車両たちがファンの興味の対象から外れつつあるのではないかということである。京浜東北線の車両(マニア的には209系と呼ばれる)が、経済効率だけを追求した結果「タワシで洗車すると車体にタワシの傷跡が付く」という驚くべき情報を耳にしたのもファン仲間を通じてのことである。タワシの傷が付くような軟弱な車両が事故を起こせばどうなるかは、すでに尼崎において最悪の形で実証された。国鉄時代から走っている車両は別として、いま気がつけば日本のJR線を走る車両はどれもタワシの傷跡のつく車両と大差のない、薄っぺらな「走ルンです」ばかりになってしまっている。なるほど、鉄道雑誌の記事が国鉄型車両ばかりになるというわけだ。

鉄道ファンを舐めるのもいい加減にしてもらいたいと、最近は思う。私たち鉄道ファンにとっては表面的な便利さなどより鉄道車両としての本質(注)のほうが何倍も大切である。資本主義にまみれ、目先の利益ばかり追求するようになったJR。統一されたデザイン、機能美といった国鉄時代の良さを捨て去り、その代わりに得たものが安っぽさと干からびた便利さだけだということを、鉄道ファンはとっくに見抜いているということだろう。廃線跡巡りだって何のことはない、いまのJRに魅力がないから鉄道ファンが過去に「逃避」しているだけなのだ。

 これが民営化後20年を経たJRの偽らざる現実である。鉄道のことを誰よりも詳しく知っているファンたちは口にこそ出さないが、この20年のJRについて明確な審判を下したのである。JRの経済効率原理主義は鉄道趣味界をもつまらないものに変えてしまった。いま私は、鉄道ファンとして、鉄道趣味界の再建のためにも国鉄「改革」の検証と見直しが必要だと思っている。

(注:鉄道車両の本質とは、たとえば安全かどうか、トイレの必要数が確保されているかといったような基本に関わることである。国鉄時代と比べてJRの車内トイレは確かにきれいになり、車椅子のままでも使用できるバリアフリートイレを設置した車両が増えるなど明らかな進歩もあった。だが一方で車内トイレの数は減った。いくら清潔なトイレでも、いつも混雑していて使えなければ意味がない。そして鉄道ファンが目を向けるのはこのような部分だということである)。

(2007/2/12・特急たから)

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