福島県知事選が終わった。何の波乱も、ちょっとしたハプニングすらない、ベタ凪の選挙。地元政財界丸抱えの相乗り談合選挙という流れは最後まで変わらなかった。コメントはしないつもりだったが、某陣営に私自身が関わったこともあり、感想を述べておく。
言うまでもなく、3.11後初の選挙。投開票の行われた10月26日は奇しくも「原子力の日」だった。不思議な巡り合わせを思わせる、最も象徴的な日に投票が行われた選挙だったが、既成政党がこぞって前副知事に相乗りをする中で、昭和の時代にタイムスリップしたかのような時代錯誤の選挙風景が展開された。
来月投票が行われる沖縄県知事選と並んで、今後の日本の進路を占う重要な選挙として位置づけられるはずだったが、見せかけの「敗北隠し」をしたい自民党本部の思惑が先行し、終わってみれば混迷する日本政治の現状を反映した結果だったといえよう。
相乗りに関わった既成政党すべての反省を求めたいが、その中でも最も情けないのは、かつて55年体制を担った自民、社民の両党だ。
もともと、自民党福島県連は佐藤雄平前知事に不満で、独自候補を立てる意欲は大いにあった。岩城光英県連会長が佐藤知事の面前で「独自候補を立てる」と宣戦布告したほどだ。この動きに、自民党福島県議団(28人)の内紛が絡んでいた。県議団主流派(15人)を率いている斉藤健治・前福島県議会議長は内堀副知事嫌いで知られ、内堀副知事の知事就任を防ぐ思惑もあって、9月に入ってから元日銀福島支店長の鉢村健氏の擁立に動いた。だが、滋賀、福島、沖縄知事選での3連敗を避けたい党本部が、県議団反主流派(13人)と結んでなりふり構わず「鉢村下ろし」に動いた。鉢村氏の自宅に右翼が押しかけ、「降りろ降りろ」などと執拗な街宣を繰り返していたという情報まで当ブログは得ている。
結局、こうした一連のゴタゴタの挙げ句、鉢村氏は出馬断念に追い込まれた。県知事候補として、一時は自民党福島県連から「三顧の礼」で迎えられ、日銀を退職までしながら、鉢村氏は人生を狂わされただけでなく、政治的にも大きく傷ついた。地元誌「政経東北」(2014年10月号)の報道によれば、自民党福島県連が鉢村氏のためにあっせんした再就職先も断り、「県連関係者とは二度と会わない」と激怒して公の場から姿を消したという。選挙戦に入り、「週刊プレイボーイ」誌が接触を試みたが取材拒否に遭っている(
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鉢村氏に対するこの冷酷な仕打ちに絶望し、県内の多くの自民党員が離党する見込みだとも伝えられる。福島の自民党組織は今回の知事選の過程で回復不能な打撃を受けた。共産党を除く各党の相乗りによって見せかけ上「敗北隠し」に成功しても、自民党にとって今回の知事選の代償は高くつくことになる。そうでなくとも、自民党は2006年の知事選では森雅子氏(第2次安倍内閣(改造前)の少子化担当相)を担いで佐藤雄平前知事に負け、2010年の県知事選では佐藤前知事に対立候補も立てられず、自主投票の屈辱を味わっている。そして今回、県議団を真っ二つに引き裂いての内部抗争の果てに、鉢村氏をいったんは担ぎ出しておきながらの裏切りだ。こんな醜態を演じられては、心ある自民党員は嫌になるのが当然であり、今後、福島で自民党が復活することは二度とないと思っていい。
自民党以上に情けないのが社民党だ。そもそも連合福島は、電力総連に牛耳られており、あれほどの大事故に県民が呻吟しているにもかかわらず脱原発宣言すらできないでいる。自民党福島県連さえ脱原発を宣言したのに、だ。福島で原発廃炉を目指す県民は、自民党とは手を結べるのに連合福島とは手を結べないという妙な状況になっており、これでは誰が労働者の味方か敵かまったくわからない。労働組合がこのていたらくでは福島県民には救いがない。
社民党内の一部に、内堀副知事への相乗りに反対する意見もありながら、「地元の県連がそれでいいなら」と何も考えずに内堀副知事への相乗りを容認したのは又市幹事長だという確度の高い情報もある。その上、選挙後の又市幹事長のコメントが、情けなさ過ぎて笑ってしまう。
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福島県知事選 元副知事の内堀氏 当選~各政党の反応(NHK)
社民党の又市幹事長は「政府・自民党が敗北を避けるために、内堀氏への相乗りに持ち込んだ結果、有権者に分かりづらく不満が残る選挙となったことは残念だ。社民党は、脱原発や再稼働阻止、原発事故の早期の完全収束などに全力で取り組むとともに、安倍政権の暴走をストップし、平和憲法をいかした県政の実現を求めていく」というコメントを発表しました。
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「政府・自民党が敗北を避けるために、内堀氏への相乗りに持ち込んだ結果、有権者に分かりづらく不満が残る選挙となったことは残念だ」って…その内堀氏に社民党も相乗りしていたわけだが。社民党にしてみれば「自分たちが擁立した候補に、自民党が後から勝手に飛び乗ってきた」という恨み節なのだろうが、自民党が内堀氏に相乗りするのを見て熊坂氏の支援に切り替えた共産党のように、「自民と一緒が嫌なら降りる」選択肢も当然あった。それをしなかった執行部の責任を棚に上げ、他人事のようなコメントをしているようでは、いよいよ社民党も終わりだろう。
元々社民党は、福島県議会に1議席も持っていない(
現在の会派構成)が、こんなことをしていれば県民の支持が得られなくて当然だ。子どもたちを被曝から守るという使命も捨て、社民党は郡山市では市当局が打ち出してきた「屋外遊び場の増設」を容認する方向という。ここまで来れば、もう社民党は要らない。
投票率は過去2番目に低かったが、それでも前回は上回った。にもかかわらず、前回約61万票集めた佐藤前知事に対し、内堀氏は約48万票で約13万票も減らした。加えて、前回は対立候補が共産党単独推薦の佐藤克郎氏のみで約8万票だったのが、今回、内堀氏以外の5候補に投じられた票をすべて内堀批判票と見れば、合計で約23万票あり、前回の約3倍に増えたことになる。
毎日新聞の記事にあるように、福島県では92年以降、知事選はすべて与野党相乗りであり、相乗り談合政治は福島の政治文化、宿痾といってもいいが、その文化をこの未曾有の危機にあってさえ変えられなかったことに深い落胆を覚える。しかも、この選挙結果を見て「がっかりした」と表明しているのは県外の人ばかりで、肝心の福島県内からは選挙結果への落胆の声がほとんど聞こえてこないことにも絶望させられる。
せめてもの救いは、当ブログがこれまで「県営新聞」「誤報だらけ」などと散々批判してきた地元紙「福島民報」がそれなりに読める社説を書いていることだ。同紙は選挙が明けた10月27日付けの
社説でこう主張している――『今回の知事選で自民、民主、公明、維新、社民各党が内堀氏を支援した。だが内堀氏がよって立つべき基盤は政党や団体ではない。一人一人の県民だ。その時、一番悲しんでいる人と共に泣き、その時、一番傷ついている人と痛みを分かち、その時、一番怒っている人と共にこぶしを固く握り締めてほしい。「県民党」の立場に徹し、必要ならば政権与党とも厳しく対峙し、国や東電を動かしていく気概を示すべきだ。大いに物を言い、闘う知事を県民は求めている。』
この悲しむべき選挙結果は、当ブログが抱いていた「ある懸念」が正しかったことを証明してくれた。「自分の頭で考える福島県民、心ある福島県民はとっくに避難して県を捨て、後には命よりその日の経済が大事な県民が残ったのではないか」という懸念だ。もちろん、今なお福島県に残る県民全員がそうだと主張するつもりはないが、そうした人たちが主流を占める福島県の「岩盤」をどうしたら突き崩すことができるのか――今回の選挙結果にがっかりしている人たちの懸念と苦悩は、深まるばかりだ。
子どもたちを少しでも被曝から救いたい、健康被害から守りたいと考える人たちにとっての救済は、今回の選挙で大きく遠のいた。内堀氏は「これからが始まり」だと抱負を述べたが、なるほど、IAEAと一体化した「隠蔽とごまかしの県政」はこれからが本当の始まりだろう。もし内堀氏が「違う」と言うなら、少なくない県民が内堀氏を「SPEEDI隠蔽の主犯」だと考えていることについて釈明しなければならない。それが内堀新知事の最初の仕事であるべきだし、それがなければ、いくら県内原発全機廃炉などときれい事を言っても当ブログは信じられない。
週刊プレイボーイの記事によれば、今回の立候補者のひとり、伊関明子さんは「2大政党が相乗りを決める経緯をテレビで見ていた娘が、『お母さん、もう福島県に未来はない。今すぐ店をたたんで福島県を出よう』と言ったんです」と、出馬のきっかけを語っている。こうした話を聞くと、福島からの人口流出は放射能以前の問題のような気がする。県民に寄り添うことなく、「いかに適当にごまかして、文句を言っている県民を追っ払うか」だけを追求してきた福島県政の長年の「成果」が人口流出であることに、そろそろ福島県庁の官僚たちも気づくときではないか。
もっとも、内堀氏の当選は、福島県官僚たちに対するそのような貴重な「気づき」の機会も奪ってしまったように見える。ヒトラーとナチスが、ユダヤ人全員をガス室に送ることをユダヤ人問題の「最終的解決」と称したように、福島県は「反対派を根絶やしにする」ことが「放射能被害の最終的解決」なのだとでも思っているのだろう。もしそうだとするならば、今、福島県内にとどまって声を上げている人たちは、やはり福島から出るべきだと当ブログは考える。福島だけでしか生きたことのない多くの県民の皆さんは想像がつかないかもしれないが、全国転勤をしてきた当ブログ管理人の目で見れば、もっと住みやすい土地はどこにでもある。現状を打破する勇気が政治にも行政にも、そして現職副知事に投票する多くの県民にもないなら、残念だが自分の身は自分で守るよりほかにない。