戦争法案に反対する国会周辺のデモ隊で、今や中心的役割を果たしている学生団体、SEALDs(シールズ)。
その中心人物のひとり、奥田愛基(あき)さんが、参院の特別委員会で公聴会の公述人として証言した。その内容をご紹介する。若いのに本当に社会と政治のことをよく考え、行動していると思う。
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「国民をバカにしないでください」 SEALDs奥田愛基さんが国会で要望(全文)
●「私たちは無党派。政治信条の垣根を超えてつながっている」
ご紹介にあずかりました大学生の奥田愛基と言います。SEALDsという学生団体で活動しております。
あのー、すいません、こんなことを言うのは大変申し訳ないんですが、さきほどから寝ている方がたくさんおられるので、もしよろしければ、お話を聞いていただければと思います。
僕も2日間ぐらい緊張して寝られなかったので、早く帰ったら寝たいと思っているので、よろしくお願いします。
はじめに、SEALDsとは、「Student Emergency Action for Liberal Democracy s」。日本語で言うと、「自由と民主主義のための学生緊急行動」です。
私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えて繋がっています。
最初はたった数十人で、立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。
その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが考える、国のあるべき姿、未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。
今日、私が話したいことは3つあります。
ひとつは、いま、全国各地でどのようなことが起こっているか。人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。
ふたつ目は、この安保法制に関して、現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりに説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちは、この法案に対して、到底納得することができません。
みっつ目は、政治家の方々への私からのお願いです。
●「危機感を抱いた若い世代が動き始めた」
まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。
この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも日本中で止みません。つい先日も、国会前では10万人を超える人が集まりました。
しかし、この行動は何も、東京の、しかも国会前で行われているわけではありません。
私たちが独自にインターネットや新聞で調査した結果、日本全国で2000カ所以上、数千回を超える抗議が行われています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています。
この私たちが調査したものや、メディアに流れたもの以外にも、たくさんの集会があの町でもこの町でも行われています。まさに全国各地で声が上がり、人々が立ち上がっているのです。また、声を上げずとも、疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。
強調しておきたいことがあります。それは私たちを含め、これまで政治的無関心といわれてきた若い世代が動き始めているということです。
これは誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。
私たちはこの国の民主主義のあり方について、この国の未来について、主体的にひとりひとり個人として考え、立ち上がっていったものです。
SEALDsとして行動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。たとえば「騒ぎたいだけ」だとか、「若気の至り」だとか、そういった声があります。
他にも、「一般市民のくせして、お前は何を一生懸命になっているのか」というものもあります。つまり、お前は専門家でもなく、学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのかということです。
●「路上に出た人々が空気を変えた」
しかし、さきほどもご説明させていただきました通り、私たちはひとりひとり個人として、声を上げています。
不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。
「政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけば良い」。この国には、どこかそのような空気感があったように思います。
それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだということ。そう考えています。
その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。
2015年9月現在、いまや、デモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々が、この社会の空気を変えていったのです。デモや、至るところで行われた集会こそが、不断の努力です。
そうした行動の積み重ねが、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと、私は信じています。
私は、私たちひとりひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。
●「反対のうねりは世代を超えている」
安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など、誰もいないはずです。
私は先日、予科練で、特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。70年前の夏、あの終戦の日、20歳だった方々は、今では90歳です。
ちょうど、いまの私や、SEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そして、その後の混乱を生きてきた方々です。そうした世代の方々も、この安保法制に対し、強い危惧を抱かれています。
私はその声をしっかりと受け止めたいと思います。そして、議員の方々もそうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思います。
いま、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。
70年の不戦の誓いを裏切るものではないでしょうか。
いまの反対のうねりは、世代を超えたものです。70年間、この国の平和主義の歩みを、先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい。その思いが私たちをつなげています。
私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしています。つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として、国会に来ています。
●賛成の声は減っている
第2に、この法案の審議に関してです。各世論調査の平均値を見たとき、始めから過半数近い人々は反対していました。そして月日をおうごと、反対世論は拡大しています。
「理解してもらうためにきちんと説明していく」と、現政府の方はおっしゃられていました。しかし、説明した結果、内閣支持率が落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成意見は減りました。
「選挙のときに集団的自衛権に関して既に説明した」とおっしゃる方々もいます。しかしながら、自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行しか書かれていません。
昨年の選挙でも、菅官房長官は「集団的自衛権は争点ではない」と言っています。
さらに言えば、選挙のときに、国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案をつくるなど、私たちは聞かされていません。
私には、政府は法的安定性の説明をすることを、途中から放棄してしまったようにも思えます。
憲法とは国民の権利であり、それを無視することは、国民を無視するのと同義です。また、本当に与党の方々はこの法律が通ったらどのようなことが起こるのか、理解しているのでしょうか。想定しているのでしょうか。
先日言っていた答弁とは全く違う説明を、翌日に平然とし、野党からの質問に対しても、国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。
このような状況で、いったいどうやって国民は納得したら良いのでしょうか。
●「今の世論を作り出したのは与党のみなさん」
SEALDsはたしかに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を私たちが作りだしたのではありません。もしそう考えておられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。
私の考えでは、この状況を作っているのは、紛れもなく現在の与党のみなさんです。
つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解しがたい、たとえ話をみて、不安に感じた人が国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めたのです。
ある金沢の主婦の方がフェイスブックに書いた国会答弁の文字おこしは、またたくまに1万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。普段なら見ないようなその書き起こしを、みんなが読みたがりました。なぜなら、不安だったからです。
今年の夏までに、武力行使の拡大や集団的自衛権の行使容認を、なぜしなければならなかったのか。
それは、人の生き死にに関わる法案で、これまで70年間日本が行ってこなかったことでもあります。いったいなぜ、11個の法案を2つにまとめて審議したか。その理由もわかりません。ひとつひとつ審議してはダメだったのでしょうか。全く納得がいきません。
結局、説明した結果、しかも国会の審議としては異例の9月末まで伸ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もうこの議論の結論は出ています。今国会の可決は無理です。廃案にするしかありません。
●「若者に希望を与えるような政治家でいてください」
私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して、抗議活動を行ってきました。そして、たくさんの人々に出会ってきました。その中には自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。
たしかに「若者は政治的に無関心だ」と言われています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。
私は、彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人と言われる超格差社会です。親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。いまこそ政治の力が必要なのです。どうかこれ以上、政治に対して絶望してしまうような仕方で、議会を運営するのはやめてください。
何も、賛成から全て反対に回れというのではありません。私たちも安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができない、その態度に強い不信感を抱いているのです。政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民ひとりひとりの生命を比べてはなりません。
与野党の皆さん、どうか若者に希望を与えるような政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、「義を見てせざるは勇なきなり」です。
政治のことをまともに考えることが、馬鹿らしいことだと、思わせないでください。現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。
世論の過半数を超える意見は、明確に、この法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度、考え直してはいただけないでしょうか。
●「3連休をはさめば忘れるだなんて・・・」
私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。もっと正直に言うと、この場でスピーチすることも、昨日から寝れないぐらい緊張してきました。
政治家の先生方は、毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後は投票により法案を審議する。
本当に本当に大事なことであり、誰にでもできることではありません。それは、あなたたちにしかできないことなのです。
ではなぜ、私はここで話しているのか。どうして勇気を振り絞り、ここに来なくてはならないと思ったのか。それには理由があります。参考人として、ここに来てもいい人材かわかりませんが、参考にしてほしいことがあります。
ひとつ。仮にこの法案が強行採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、国会前は人であふれかえるでしょう。次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。
当然、この法案に関する、野党の方々の態度も見ています。本当にできることはすべてやったのでしょうか。私たちは決して、いまの政治家の方の発言や態度を忘れません。3連休をはさめば忘れるだなんて、国民をバカにしないでください。
むしろそこからまた始まっていくのです。新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。
私たちは、学び、働き、食べて、寝て、そしてまた、路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。
私にとって政治のことを考えるのは、仕事ではありません。この国に生きる個人としての、不断の、そして当たり前の努力です。
私はこの困難な4カ月の中で、そのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。
●「グループに属する前に、一人の個であってください」
最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員としてではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
どうかどうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります。
政治家になった動機は人それぞれ、さまざまあるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。勇気を振り絞り、ある種の賭けかもしれない、あなたにしかできない、その尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私は、そのことを支持します。
困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。
2015年9月15日、奥田愛基。ありがとうございました。