以下の文章は、同志社大教員を務める守田敏也さんの個人ブログからの転載である。関西が生活の根拠地でありながら、ここまで見事に福島県民の視点に立ちきり、寄り添うことができる卓越した見識をお持ちの方である。「最高学府」であるはずの大学の腐敗には驚きを通り越し、悲しみ、呆れるばかりの当ブログだが、こうした教員がひとりでもいる限り、まだ日本のアカデミズムも捨てたものではないと思わせてくれる。以下、全文をご紹介する。
守田さんは、この他にも卓越した文章を執筆されているので、是非リンク先のサイトも併せてご覧いただきたいと思う。
「明日に向けて」福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。
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2012年6月5日付記事
明日に向けて(480)疲れ・焦り・苛立ちにどう立ち向かうのか
ここ数日、「明日に向けて」の更新をお休みさせていただいていました。連日、講演や交流などがあり、時間が取れないからですが、にもかかわらず、「頑張って書こう」としていないためでもあります。申し訳ないですが、今は、持続可能な活動の樹立を優先しようと思っています。
こう思うのは、あちこちで、みなさん「疲れているんだなあ」と感じるからです。例えば、仙台を訪問したとき、仙台の地で、子どもたちを守ろうとしている女性たちの長い苦労話を聞きました。仙台も線量が高めです。なので避難する人もいましたが、残った方たちは、週末などを利用し、子どもと一緒に保養にでかけたそうです。
その際、南下することはできない。福島原発に近づいてしまうからで、そのためめざすのは北になったといいます。それで高速に乗る。仙台から北を目指す。しかし岩手県に入ってもまだ線量が高い。いや一関あたりはかえって高くなりすらする。そこをわき目もふらずに走り抜ける。1時間走ってもだめ、2時間走ってもまだ線量が下がらない。3時間ぐらい走ったとき、ようやく線量が下がってくれるのだといいます。
そうしてみなさんがたどり着くのは青森県。そこの保養地をみんなで借り、お金をはらってそこでしばし過ごす。そして英気を養ってからまたもとの道を戻ってくるわけです。だんだん線量が高くなることを感じながら。
そんな生活を1年以上、続けてきたそうです。しかも4号機がずっと危険な状態にある。だからそのためのシミュレーションもしておかなければならない。仙台の方たちは、4号機に何かあったら、まっしぐらに秋田空港を目指し、とりあえず海外に脱出することを決めているといいます。そのために子どものパスポートもしっかりとってある。それをそろえておいて、いつでも持ち出せるようにしている。
それやこれやの体制をとりながらの1年間、みんな、「命の問題はお金より先」「貯金はこんなときのためにしてきたんだよね」といいあいながら、交通費も青森での滞在費も、そのつど自腹を切ってきた。補償などないからそうするしかないからです。それでもみんなできるだけ楽しく、この行き返りを続けてきました。しかし1年経って、そろそろみんな貯金が切れてきたといいます。それと同時にいつまでこれを続けるのかという疲労感も濃くなってくる・・・。
これは一つの象徴的なありかたなのではないかなと僕には思えました。僕自身もそうですが、原発事故が起こって、これはもう命の問題だから、すべてを度外視してでも放射線防護に走らなければと思った。それはすぐに避難をしたり、何らかの防護行動に走った方たちと同じ思いの行動だったように思います。
しかもその行動は長く続きました。当初は社会全体が異変に気が付き、すべてを度外視している自分のあり方が、社会に全体化していくのではと僕は思っていましたが、少なくとも、この1年間はそうはならなかった。災害心理学にいうところの「正常性バイアス」にとらわれた大多数の人々は、わりとすぐに平常モードに戻っていった。その中で、放射線防護に走る人々は、膨大な放射能の前に通常生活に戻っていく社会のあり方に、何ともいえない異様さを感じながら、ここで負けてはならないと、より一層、懸命に防護活動に走りました。
そこにはある種の悲壮感すらあったのではと思います。当初は追いついてくると思った社会が追いついてこず、しばしば放射線防護活動が、孤立を強いられる中での活動となったからです。しかししばらくするとようやく脱原発の声が国中で高まりだした。そうして次第に原発が停まりだしました。放射線に対する危機意識もだんだんに高まりだし、今日の全原発停止にいたっています。
ところが徐々に政府の巻き返しが始まりだしました。その一つが、放射性物質にまみれた震災ででたさまざまな遺棄物(「がれき」)の広域処理の問題です。さらに大飯原発再稼動にみられる、原発維持のための画策が繰り返されるようになってきた。放射線防護に走ってきた多くの人々が、これを止めなくてはいけないと懸命に動きまわっていますが、連日、連夜の努力が必要で、当然にも疲れが押し寄せてきます。なにせ昨年3月からゆっくり休めない日々がずっと続いているのがつらい。
こうした状況をみるとき、放射線防護を進めようとする私たちに、疲れ、焦り、苛立ちが襲ってくるのは当然だと思います。何かをしなければならないと思いつつ、一方でそろそろ度外視してきてしまった生活のことも振り返らなければいけない。しかし今こそより頑張らねばという思いも強まる。その板ばさみが心の余裕をさらに小さくし、ついつい近親者にきつい言葉を発してしまって、そのこと自身に自分で傷ついてしまう・・・とそんな悪い循環に、私たちが今、入ってしまっていることもあるのではないでしょうか。
あるいは僕と僕の周りで見られることを一般化しすぎなのかもしれませんが、僕にはそうした「疲れ・焦り・苛立ち」が私たちの周りを覆っており、それとうまく対処していくこと、ある意味では非常体制だったこれまでのあり方をうまく持続可能なものに改めていくことがとても大事だと思えるのです。
ではその際、私たちが考えるべきことは何なのか。第一に、・・・この点がもっとも重要ですが・・・私たちの国の市民の放射線に対する意識は、昨年3月11日に以前にくらべて格段に高くなっているという事実をしっかりと認識することです。とくに原発が非常に危険なものであり、事故の可能性を抱えているという事実にようやく多くの人々が覚醒したこと、だからこそ今、すべての原発が停まっていること、この歴然とした事実をしっかりと見据えることです。
その意味で、私たちは知らない間にかなり高いところまで登っている。頂上ははるか先かもしれませんが、振り返ったときの私たちの歩みは非常に大きい。あえていいますが、大飯再稼動をめぐる攻防で、一喜一憂して、このことを見失ってはならないと僕は思うのです。
先日、関西電力京都支店前で、ついに最後の一つの原発が停まり、多くの方たちがそれまではと頑張ってきたハンガーストライキをやりおえたとき、居合わせたドイツ人の方がこうおっしゃいました。「私たちの国は脱原発を決めましたがそれでもまだ8基の原発が動いています。日本は全部停まった。日本人の方が進んでいます」・・・それは私たちを励ましてくれる温かい言葉でもありましたが、ともあれある見方では、そのように映るのが事実なのです。そしてこうした成果は、日本中で多くの人々が、・・・東日本の人も、西日本の人も・・・本当に一緒になって、放射線から互いを守ろうと必死になって動いてきた、その行動の中で生み出されたものです。
だから私たちは私たち市民・住民が積み上げてきたこの成果をしっかりと認識する必要があります。これこそは共同で生み出してきた財産です。何より、市民の中に広がった、放射線で人を傷つけるなという強い思いが、これを可能としたのです。
だから第二に、私たちはそんな私たちの力を過小評価しないように注意しなければなりません。とくに犯してはならないのは、自分を除外して、「○○の意識は低い」といいなすことで、私たち全体のポテンシャルを過小評価してしまうことです。こうした言動はある意味で「実体化」もしやすい。本当に意識を低めてしまうということです。例えば、一生懸命に頑張って前よりもいろいろなことができるようになったこどもを、「なんでこれができない」と、高みからしかり飛ばしてばかりいたら、萎縮させてしまい、せっかくの伸びが台無しになって、意識が後ろ向きになってしまう。
「意識が低い」というならば、私たちは本当に全員が、昨年3月11日以前、大変、意識が低かったのです。僕自身を振り返っても、原発の危険性はそれなりに理解しているつもりでしたが、内部被曝のことはほとんど分かっていなかった。放射線の危険性を知っているつもりでいながら、その実、自分がまだまだICRPが作ったでたらめな話の範疇にいることにすら十分に把握できていなかったのです。
もっと恥ずかしいのは、広島・長崎の被爆者がどのように生きてきたのか、本当にまったくわかっておらず、てっきりもっと手厚く扱われて、救済されてきていると思っていたことです。本当に意識が低かった。でもそれは僕だけのことではなかったように思います。もちろん、一部に非常に高い意識と志をもって、叫びを続けていて下さった方がいました。肥田舜太郎さんのようにです。ごく一部にそうした方がいればこそ、私たちは今日の歩みを作り出すことができたわけですが、しかし大多数の私たちは、かなり意識が低かったのではないでしょうか。だから原発を止めることもなかなかにできなかったのです。
そこから私たちは本当によくジャンプした。何せ、全原発を停める市民になったのですから。しかし私たちのジャンプにはかなりの個人差がある。この1年でものすごくジャンプした人もいれば、少しだけジャンプした人もいる。でも互いにジャンプはしたのです。だからより高く飛んだ人は、そうではない人をみて「意識が低い」と言うのはやめましょう。次にはその人が、より高く飛んで、私たちを追い抜かすかもしれない。いや次々にそういう人が出てきて、私たちがさらに刺激されればこそ、私たちも今よりももっと高く飛ぶことができるのです。そうして私たちが歩みを深めていけば、きっと今の私たちを、あんなに低いところにいたのかと、そう振り返る日が来るでしょう。
その意味で、私たちは互いの労をこそねぎらいあい、互いの前進を評価し、ほめあい、そうして私たちが共同で培っている力を慈しみあい、ともに育てあげ、さらに高めていくことをこそ目指そうではありませんか。
そしてそのためには、私たちが、この長いマラソンを走る中で、当然にも疲れを蓄積もしていること、だから適度に休みつつ、上手に歩みを続ける時期にきていることを自覚しましょう。その意味で、いろいろと大変なのですが、「無理は禁物」の精神にたちましょう。というか、私たちが心の余裕をなくし、周りにきつくなってしまい、寛容にあれなくなったら、それを「休むときがきた」というサインとみなすことが大事なのではないでしょうか。
僕自身は何よりも、自分の体に対して寛容さを失ってしまった。そうしてかなり疲れさせてしまった。だから今、そこからの回復のモードに入りました。それでもう結構時間が経っています。あいかわらずハードなスケジュールの中にはいますが、少しずつ、免疫力の回復モードには入れているように思います。・・・この点はまたの日にルポしたいと思います。
ともあれみなさん。やらなければならないことはたくさんある。でもあえて言いましょう。そんなもの、前からあった!のです。かつては私たちの意識が低かったから認識できなかっただけなのです。今、私たちは目覚めてしまった。だから課題がたくさん見える。でも人間、そんなに一気に変われるわけじゃない。だからおおらかに前に進みましょう。私たち自身が変わりつつあることも楽しんでしまいましょう。
そうしていつか今はできないこともできるようになる。僕もそう確信して、自分を大事にしながら、ゆったりと歩んでいこうと思います。