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また事故を起こしたJR北海道 あわや大惨事

2011-05-29 01:46:19 | 鉄道・公共交通/安全問題
スーパーおおぞら:白煙で40人病院搬送 車輪が脱線(毎日新聞)

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 北海道占冠(しむかっぷ)村のJR石勝線トンネルで釧路発札幌行き特急列車「スーパーおおぞら14号」(6両編成)が煙が出て緊急停止した事故で、後列車両の車輪が脱線していたことが28日、JR北海道の調査で分かった。トンネル入り口の手前から事故現場まで枕木に車輪がこすれたとみられる跡が残っており、同社は車輪脱線後にトンネルに入り、発煙した可能性があるとみて調べている。

 富良野広域連合消防本部によると、この事故で救急搬送されたのは計40人に上った。

 同社によると、煙が充満したのは後方の1~3号車で、乗客らは非常用ドアコックを開けて車外に脱出した。道警が28日未明に車内を確認したところ、逃げ遅れた人はいなかった。トンネル入り口では事故後も白煙が上がり続け、消防本部によると約9時間半後の28日午前7時半過ぎに煙は収まった。

 JR北海道が車両を調べたところ、後ろから2両目の後方の車輪が脱線しているのが見つかった。現場ではトンネル入り口の約600メートル手前のポイント切り替え付近からレール中央の枕木に車輪がこすれたとみられる跡が残っていた。国土交通省運輸安全委員会は同日、鉄道事故調査官3人を現地に派遣した。

 現場は占冠村役場から南西約8キロの山中。乗客のうち約200人はトンネル出口からバスで村の施設に移動した後、JRの用意した貸し切りバスで札幌や釧路などに向かった。【横田信行、伊藤直孝】

 ◇自ら非常用ドアコック…乗客ら
 煙が迫り来る暗闇の中、手をつなぎ励まし合って辛くも大惨事を逃れた。「地獄のようだった」「生きた心地がしなかった」。乗客らは黒くすすけた顔で口々に恐怖の一夜を語り「避難誘導がなかった」とJRの対応に不満を訴えた。

 乗客らによると列車は「ドンドン」などと異音がした直後にトンネル内で急停車した。「そのまま待機してください」。車内アナウンスが入ったが、後列の1~3号車内に煙が立ち込め始めた。「1~3号車の人は4~6号車に移ってください」。この指示を最後にアナウンスは途切れた。「どうなっているんだ」「避難するぞ」。乗客らは自ら非常用ドアコックを開けて車外に出たという。

 釧路市からの出張の帰りだった札幌市白石区の男性会社員(62)は煙が入らないよう口を手で押さえ、少しずつ前に進んだ。「最初に飛び出した人がいなければ危なかった」。釧路市の会社員、太田敏幸さん(51)は「JRから避難誘導はなく、自分で逃げなければ死んでいた」と青ざめた表情だった。

 札幌市の男性会社員(28)も「煙が立ち込めたので外に出ようとしたら乗務員に『待ってくれ』と言われたが、誰かがドアを開けて自主的に逃げ出した」と証言。煙で何も見えない中、励まし合って出口を目指した。「妻の顔が目に浮かんだ。二度とJRには乗りたくない」と語った。

 せき込みながらトンネルを出ると、乗客から安堵(あんど)の声が漏れた。「生きてて良かった」。高齢者の中には涙を流す人もいたという。200人以上が近くの草地に座り込み、山を下り始めたのは約3時間後の28日午前1時ごろだった。

 札幌市白石区の男性会社員(40)は「みんな冷静だった。ただJRはトンネルには誘導灯を設置するなど対策を取ってほしい」と話した。

 3号車に乗っていた男性車掌(60)は緊急停止後、乗客に「出口までどのくらいかかるか見てくる」と告げて車外に出て出口まで走り、約10分後に戻って避難を呼び掛けたという。だが同じ車両に乗った男性は「車掌が外に出たので不安になった」と述べた。【片平知宏、小川祐希、金子淳】
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JR北海道でまた大事故が起きた。すでに北海道では、函館線で2009年1月にあわや追突という信号トラブルが起き、2009年2月にはブレーキ部品の脱落事故が起きている。2009年12月には、富良野駅で快速列車と除雪車が衝突する事故が起きている。函館線の信号トラブルは、保守を担当する下請け業者の配線ミスという信じがたい原因だった。

今回の脱線火災事故は、トンネル内の列車火災としては戦後最悪となった1972年の北陸トンネルにおける急行「きたぐに」列車火災(死者30名)を上回る惨事になりかねなかった。犠牲者がゼロですんだのは、車掌の制止を振り切り、機転を利かせて自主的に脱出した乗客がいたからであり、はっきり言えば奇跡に近い。

その他にも、

1.「きたぐに」の火災は13,870メートルの北陸トンネルのほぼ中央で火災が起き、乗客のトンネル外への脱出が困難であったのに対し、今回の事故が起きた第1ニニウトンネルは長さ685メートルと短く、しかも列車が停止した地点が入口から200メートルの場所だったため、乗客のトンネル外への脱出が容易であったこと

2.「きたぐに」の火災では、食堂車の燃料(木炭)が火元となって有害な一酸化炭素が発生したのに対し、今回の事故では一酸化炭素が発生しなかったか、発生してもわずかな量にとどまったと考えられること

・・・などの点できわめて幸運が重なったといえる。もし今回の火災が、北陸トンネル並みの長大トンネルで発生していたら、犠牲者の発生は避けられなかったと思われる。ちなみに、「きたぐに」列車火災の後、国鉄は運転規則を改正し、トンネル内で火災が発生した場合には停車せず、そのまま走り抜けるよう取扱いを変更したが、今回の事故は、火災前に脱線が発生していたため、このとおりの取扱いを行うのは事実上できなかった。

別の新聞記事によれば、運転席には火災を知らせるモニターが点灯しており、車内まで煙が充満しているにもかかわらず、車掌は火災と認識できなかったという。非常時で動転していたという事情はあるにしても、あまりにお粗末だ。

車掌が車内の煙をディーゼル車両の排気ガスと誤認したのではないかとの報道もあるが、私はそれはあり得ないと思う。日本の鉄道車両(ディーゼル車)のほとんどは排気筒が天井の上にあり、排気ガスは上空に向かって吹き上げられる。正常な状態であれば、車内から排気ガスが見えることはほとんどないから、床下から煙が入ってきた時点で火災と認識できなければならなかった。JR乗務員であれば、排気筒が天井にあることくらい知っていて当然だが、この車掌の対応ぶりを見ると、それすら認識できていないように思える。そもそもJR北海道の社員教育体制はどうなっているのかと思わざるを得ない。

今回の事故は推進軸の破損から始まったとみられている。推進軸とはエンジンやモーターなどの動力を車輪に伝えるきわめて重要な部品であり、細長い形状をしている。自動車でいえばシャフトに当たるものだが、鉄道車両の中でも常に強い力がかかり続ける部品であるため、高い強度を持つように設計されている。それでも、鉄道車両の中で最も酷使される部品であるため、現在でも時々、破損事故が起きている。

脱線・火災と推進軸破損との関係は今後の解明を待たねばならないが、現時点、報道の範囲内で推定できる脱線の原因としては、推進軸が破損した後、その一部が車輪とレールの間に入り込み、その上を通った車輪がレールから外れて脱線、または推進軸が折れた後、枕木の間に入って引っかかり、車両が持ち上がって脱線・・・などがある。通常の部品であれば、折れて枕木に引っかかったとしても、車両の重量に耐えきれずに壊れてしまうことが多いが、推進軸の場合、前述のようにきわめて強度が高いため、いわばこれが「つっかい棒」のような形になって車両が浮き上がり脱線する、という可能性は十分に考えられる。火災に関しては、破損した部品の一部がエンジンか燃料タンクを傷つけて発生したと考えるのが最も合理的だろう。

ところで、重要な点として指摘しておかなければならないことがある。今回事故を起こした車両は、マニア的にいえばキハ283系と呼ばれ、民営化後の1996年から登場したものである。登場から今年で15年目だが、物持ちの良い鉄道業界では新しい部類に入る。ところがこの車両がよく事故を起こしている。冒頭にご紹介した2009年2月のブレーキ部品脱落事故もこの形式の車両である。

どうしてこの形式でばかり事故が起きるのか不思議に思われる方もいるかもしれないが、この背景には北海道特有の事情がある。新幹線がなく、札幌都市圏を除けばほとんどの路線が非電化区間(=ディーゼル運転)である北海道では、気動車特急が都市間輸送の重要な役目を果たしている。つまり、北海道の特急気動車は、新幹線と同じように1回あたりの走行距離が長く、しかも高速運転が多いという特徴がある。物持ちの良い鉄道業界では、在来線の車両で20年は若いほうで、車両によっては40~50年も現役で活躍するものもあるが、こと北海道に関する限り、在来線車両なのだから本州と同じように40~50年の使用に耐えるという考え方をしてはならない。前述したとおり、1回あたりの走行距離が長く、しかも高速運転が多い北海道の在来線特急気動車の走行形態は新幹線に近く、そのため、車両の劣化も新幹線車両並みのスピードで進行していくのである。1985年に登場した東海道新幹線100系が2005年には東海道区間から引退したことを考えると、北海道の特急用気動車も、概ね20年程度が限界であり、そろそろ更新を考えなければならない時期に来ている。

最後に、私はJR北海道によって公表された全焼後の車両内部の写真を見たとき大きな衝撃を受けた。座席などの車内設備が跡形もなく燃え尽きていたからである。冒頭でご紹介した急行「きたぐに」火災を受けて、国鉄は車両の難燃構造化を進めるため、廃車予定だった車両をわざと燃やして、どのような材質が最も鉄道車両として燃えにくいかを確かめる実験まで行った。その結果を基にして国鉄が車両の難燃化工事を進めたことが、その後の車両火災の減少に大きく寄与した。こうした安全向上の背景に、現場からの声と闘いがあったことは想像に難くない。

しかし、今回、この車両の燃え方を見て「国鉄の先達が苦闘しながら作り上げてきた安全はどこへ行ってしまったのだろう」と思わざるを得なかった。廃車予定の車両を燃やす実験をしてまで作り上げてきた安全はJRによって投げ捨てられた。機転の利く乗客の判断による自主的な避難が行われていなかったらどうなっていたか考えると、私は心底、ぞっとする。

JR北海道に再度私は警告する。JR西日本のようになりたくなければ、直ちに特急気動車をはじめとする全車両・設備の点検を行うべきである。そうしないと次の事故では必ず犠牲者が出るであろう。奇跡は何度も続かない。

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山崎社長、非科学的な主張繰り返す

2011-05-28 20:43:40 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR尼崎事故:被告人質問に前社長「カーブで脱線考えず」(毎日新聞)

後日アップ予定。

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文科省は子どもを殺す実験がしたいのか

2011-05-23 21:55:11 | 原発問題/一般
屋外プール 注意事項を提示へ(NHK)

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東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島市など福島県内の小中学校で、屋外プールを使った水泳の授業を自粛する動きが広がっていることに対し、文部科学省は、子どもが屋外のプールを利用する際の注意事項をまとめ、福島県に対して示すことになりました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島市の教育委員会は、子どもが受ける放射線量をできるだけ減らすため、ことしはすべての公立の小中学校で屋外のプールを使った水泳の授業を行わないことを決めました。福島県内では、福島市以外の自治体でも屋外プールの使用をやめたり、やめることを検討したりしていて、影響が広がっています。これについて文部科学省では、屋外で活動をする際の放射線量の目安である1時間当たり3.8マイクロシーベルトを下回っている学校では、肌をさらした水着で水泳の授業を行うことについて特に制限する必要はないとしています。また、プールの水については、現在たまっている水を排出したうえで、水質基準を満たした水道水を使用している場合は基本的に問題はないということです。そのうえで文部科学省は、保護者などの不安に配慮して、プールを利用する際の注意事項をまとめることになりました。注意事項は今後、専門家の意見などを聞いたうえで正式に取りまとめる予定で、プールを使ったあとはきちんと目を洗ったり、うがいをすることや、プールの水はできるだけ飲まないこと、それにタオルで水分をよくふき取ることなど、子どもが受ける放射線量をなるべく抑える具体的な対応策が中心になるということです。
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当ブログは、福島市の放射線量の水準から見て、ここで教育活動を行うこと自体、無理と考えている。現在、年間20ミリシーベルト未満であれば、教育活動を制限しなくてよいとの見解を文部科学省が示しているが、この基準自体、労働安全衛生行政を所管する厚労省にも一切の相談なく決められた、非科学的なものであることがわかっている。

原発で働く労働者が年間5ミリシーベルト以上被ばくして白血病を発症した場合、労災認定が受けられる。文部科学省の基準は、この4倍もの量を、大人の何倍も放射線への感受性が鋭い子どもに浴びせて問題なしとするものであり、狂っているとしか言いようがない。

「基準値が定められておらず、危険性の疑いが消えないなら水泳を再開すべきでない」という福島市の方針は間違っていない(その前に教育活動の継続を決めた福島市の姿勢は許し難いが)。それを、基準値を決めてやるから水泳を再開しろという文部科学省を、もはや私は人間として全く容認できない。むしろ文部科学省は、何ミリシーベルトなら子どもが死ぬか、積極的に実験してみたがっているとしか思えない。

なぜこんなことが起きるのか、答えを出すのは簡単だ。文部科学省には2011年度で2000億円を超える原子力予算が投じられており、この額は電力業界を管轄し、原発推進の立場に立つ経産省(予算額は2000億円未満)さえ上回る。文部科学省を腐らせているのはこの原子力マネーである。この予算を文部科学省から引き離し、文部科学省には真摯な自己批判を求める。それができないなら、文部科学省は解体・再編しかない。

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【管理人より】放射能測定の開始について、等

2011-05-22 22:46:13 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

1.カテゴリ再編を行いました。

(1)追加したカテゴリ
・「原発問題」
福島第1原発事故は、福島県(白河地域)在住の当ブログ管理人にとってもきわめて深刻な事態です。原発問題全般を取り扱うため、「社会・時事」カテゴリから分離させ、このカテゴリを設けることにしました。

・「福島原発事故に伴う放射能測定値」
当ブログでは、知人のご厚意により、ガイガーカウンターを一時借り受けられることになりました。このカテゴリでは、当ブログが実施する放射能測定の結果を報告するための専用カテゴリとして設置しました。

(2)廃止したカテゴリ
・「鉄道(尼崎事故裁判)」
JR西日本歴代社長の公判を追うための専用カテゴリとして設置しましたが、現時点で機能していない上、当ブログ管理人は原発問題もあり、しばらくこの裁判には関われない見通しなので、後日、その見通しが立つまで廃止します。

この結果、当ブログのカテゴリ数は新設2、廃止1となり、トータルでは1つ増えて16となります。

2.放射能定点観測を開始します。

知人のご厚意によりしばらくの間、ガイガーカウンターを借り受けできることになりました(使用するガイガーカウンターは、こちら)。このため、当ブログでは、できるだけ毎日、定点観測を行い、その結果を公表したいと思います。

地震と津波だけであれば、阪神大震災の時がそうであったように、人々はその惨禍を乗り越え復興に励むのですが、原発事故は日本の国際的信用を傷つけ、復興の阻害要因となっています。原発に関する限り、政府・東電は国民に真実を全く伝えず、ごまかしと過小評価(事故をできるだけ小さく見せようとする情報操作)を一貫して続けています。政府・東電に任せていたら、福島県民は捨てられ、確実に殺されます。

当ブログがみずからの手で放射能計測を行い、結果を公表する決意を固めた背景にはこのような理由があります。すでに、試験的に放射能計測を行った結果、福島県が発表する放射能計測値に対する重大な疑問が生まれています。それは数値云々ではなく「県は本当に計測を行っているのか。計測せず適当に数値を発表しているのではないか」とさえ思えるほどの根本的な疑問です。

この計測と発表は、できるだけ早く開始したいと思います。当ブログで発表の際は、

・計測年月日、時間
・計測場所、条件(大気中、舗装路面、土壌の別など)
・計測時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)

を発表することにします。

・当ブログでの計測方法
当ブログが放射能を計測するに当たっては、事故の影響を小さく見せるため、意図的に高い場所で計測を行うようなごまかしは行わず、真摯にやりたいと思っています。測定地点は大気中(高さ150cm程度)、舗装路面と土壌(いずれも高さ5~10cm程度)での実施を考えています。すでに試験的な測定によって、小数第2位(100分の1マイクロシーベルト/時)は気流によって小刻みに変動し、一定しないことがわかったので、小数第2位については、小数第1位までの数値が安定した後10秒間、ガイガーカウンターを固定し、その間に計測された最も高い数値をもってその時間のその場所、その条件下における計測値とします。

なお、発表は上でも触れたとおり、「福島原発事故に伴う放射能測定値」カテゴリで発表します。

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【鉄ちゃんのつぶや記 第42号】信楽高原鉄道事故から20年

2011-05-14 15:33:30 | 鉄道・公共交通/安全問題
 乗客42人が死亡した信楽高原鉄道事故から早いもので20年経った。事故の日である5月14日、追悼法要が甲賀市信楽町黄瀬の事故現場で営まれ、節目の年として、遺族が建立した「安全の鐘」が除幕された。鉄道関係者のほか、尼崎事故遺族、日航ジャンボ機墜落事故や2001年の明石花火大会事故の遺族ら約300人が参列し、犠牲者の冥福を祈りながら、悲劇を繰り返さないことを誓った。参列したJR西日本の佐々木隆之社長は、「信楽の事故を教訓に、安全対策を誓ったにもかかわらず、その後も大事故を起こしてしまったことをおわびします」とさすがに神妙な表情だったという。

 保安装置が正常に機能していれば決してあり得ない正面衝突という事態、くの字に折れ曲がったレールバスとJRディーゼル車(キハ58形)、そしていつまでも増え続ける犠牲者の名前に、当時、鉄道ファンとして再出発を始めたばかりの私は強い衝撃を受けた。同時に、当時、崩壊から再生への象徴と見られた第三セクター鉄道のレールバスの耐久性・安全性に、私が最初の疑問を抱いたのもこの事故だった。

 当時、1編成の列車が始発駅と終着駅を行き来するだけの全線1閉塞だった信楽高原鉄道に、行き違いのため小野谷信号場が設けられ、JRからの直通列車が運転された。それらはすべて、沿線で開催された世界陶芸祭のためだった。事故直後、救出された乗客から「小野谷信号場の出口にあった信号機が黄色(注意現示)だった」という、この事故の原因を探る上で決定的な証言が出たことを報道で知った。

 私はこの証言を聞いたとき、すぐにあり得ない事態だと思い、信号故障が事故原因ではないかとの直感を持った。駅の出口にある信号、つまり出発信号機が正常に作動しているのであれば、黄色(注意)が現示されるのは、次の2つの場合に限られる。

1.複線区間又はすれ違いのできる停車場間の線路が複数の閉塞区間に分割されている単線区間では、2つ先の閉塞区間に列車がいるとき

2.1以外の単線区間(つまり、すれ違いのできる停車場間の線路が1閉塞である単線区間)では、すぐ先のすれ違いが可能な停車場の場内信号機が赤(停止現示)であるとき

 全線が2閉塞しかなかった当時の信楽高原鉄道で1はどう考えてもあり得なかったし、衝突した2列車以外に走行中の列車がなかった当日の状況では、終点・信楽駅の場内信号機が赤、つまり2本ある信楽駅の線路が2本とも埋まった状態で信楽駅に向けて列車が走るという事態もあり得なかった。2の可能性も事実上なかったのである。

 この時点で、小野谷信号場の出発信号機が黄色(注意現示)であるべき2つの可能性は2つとも否定されたのだから、救出された乗客の証言が正しければ、信号故障を疑わざるを得ない状況だった。

 予想通り、事故原因は信号故障とされた。特定地方交通線(=赤字線)として信楽線を一度は切り捨てておきながら、世界陶芸祭で集客が見込まれるとなると、信号システムを改変させてまで信楽線への乗り入れを強行したJR西日本は厳しい批判にさらされた。乗客の感情、切り捨てられた信楽線沿線の住民感情、国鉄分割民営化から4年目で、まだ日本中に特定地方交通線廃止の記憶が生々しく残されていた当時の国民感情からすれば、そのような批判は当然だった。バブル経済による「地上げ」の進行などを背景に、儲けのためなら何をしてもいいという堕落した企業が厳しい批判にさらされていた時期でもあった。

 しかし、今から考えれば、JR西日本がこのとき取った事故への対応は、20年後の今日、まさに進行している福島原発事故で東京電力が取っている対応と同じお粗末なものであった。ひたすら情報隠し、ごまかしを続け、批判されると責任転嫁と形だけの謝罪を行うことで目の前の嵐をやり過ごし、そして嵐が過ぎたらすべてを忘却の彼方へと追いやって何ら改善への手を打つこともない。そしてそのツケは、2002年の東海道本線消防隊員ひき殺し事故、2005年に最悪の結末となった尼崎事故として現れるのだ。

 この事故から私たちは重要な教訓を読み取ることができる。企業であれ国家であれ、過ちを見つめる目を閉ざした者が輝かしい未来を約束される例はないということだ。東京電力も今のような対応を続けるなら、何年か後、さらに悲劇的結末によって迎えられるだろう。

 鉄道事故の犠牲者を自分たちで最後にしてほしいと願った犠牲者遺族の思いはかなえられなかった。だが、この事故が産み落としたものは悲劇だけではない。遺族たちの献身的活動によって鉄道安全推進会議(TASK)が結成され、その活動は航空事故調査委員会が航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)に改組されるきっかけとなった。今では当たり前のようになっている常設の鉄道事故調査機関の裏には、輝かしい未来を一瞬にして打ち砕かれ、人生を強制的に打ち切られた犠牲者たちの悲劇がたくさん詰まっている。

 あれから20年後の今日、私たちはこの事故から学び、成長することができただろうか。福島原発の事故を見ていると、残念ながら否定的回答をせざるを得ない。むしろ、自己保身のためにその場その場をやり過ごす能力しか持ち合わせていない官僚主義的企業に社会運営を委ねるなら命がいくつあっても足りないという、深刻な社会崩壊の危機に瀕しているのが実態だ。

 問われているのは私たち自身ではないか――そんな思いを強くする。誰かに任せて事足れりとする態度ではもはや未来への扉を開くことはできない。遺族たちと同じ立場に私たち全員が立ち、20年間、彼らが歩んできたように歩む必要がある。「自己保身野郎どもは直ちに引っ込め! 今こそ我々にすべてを委ねよ!」と要求することが、今、私たちが進むべき唯一の道であることを、信楽の20年は教えている。

(2011/5/31・黒鉄 好)

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杞憂であるといいのだが…念のため警告

2011-05-12 23:23:51 | 気象・地震
この記事を投稿することは、ある意味、当ブログにとって「賭け」である。しかし、東日本大震災の凄まじい被害を経験した直後とあっては、やはり「あの時警告を発していればよかった」と後悔するよりは、「警告が外れてよかったね」と言われるような形でありたい。だから、狼少年になるかもしれないという自戒を込めつつも、こうして警告を発したいと思う。もちろん、この警告を信じるかどうかは読者の皆さまのご判断に委ねたい。

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カツオ捕れない 紀南の漁師ら悲鳴(紀伊民報)

 和歌山県紀南地方でカツオ漁が本番を迎えているが、過去最悪の不漁ペースで推移している。「すさみケンケン鰹(かつお)」のブランドで売り出している和歌山南漁協すさみ支所(すさみ町)では、今年に入って昨年同期の15%ほどの約40トンしか水揚げしておらず「これまで経験したことのないほどの不漁」と悲鳴を上げている。

 和歌山南漁協すさみ支所によると、漁は例年、1月ごろに始まり、5月中旬まで続く。水揚げは、1月が333キロ(昨年同期5・5トン)、2月が10・52トン(同19・6トン)と少なく、例年水揚げが増え始める3月でも19・3トン(同124トン)だった。4月も20日までで10・2トンしかなく、昨年4月の122・7トンを大きく下回りそうだ。1~4月の水揚げは2008年203トン、09年160トン、10年272トン、今年は4月20日までで40・3トンと大幅に少ない。

 大きさは平均2キロほどで1キロ1300円程度で取引されている。例年より300~500円高いが、漁協関係者は「割に合わない」と話している。漁船の燃料費も高騰し、不漁に追い打ちを掛けているという。

 漁師歴50年ほどという赤木勝さん(71)=すさみ町周参見=は「これほど捕れない年は知らん。魚はどこにいるのだろうか」と嘆く。和歌山南漁協すさみ支所の岸正嗣さん(58)も「すさみの漁協に勤務して40年になるが、これほど少ないのは初めて。この時期のカツオは漁協の売り上げの中心で、年間の7~8割ほどになるので、このまま続けば非常に厳しい。ただ、21日に四国で釣れ始めたようなので、これからに期待したい」と話している。

 県水産試験場(串本町)によると、田辺、すさみ、串本の3漁港の合計漁獲量も少なく、2月は20・3トンで1993年以降3番目に少なかった。3月は49・1トンで、平年の2割程度しかなく過去最低となった。最盛期の4月も21日までにわずか22トンしか水揚げされておらず、最低だった1999年の120・8トンを大きく下回りそうだ。

 今年のカツオ漁は、ひき縄漁で有名な高知や千葉、八丈島なども不漁となっている。紀南沿岸の潮の流れや海水温などは良好であることから、日本沿岸へのカツオの回遊自体が少ないとみられている。
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紀伊半島沖で、カツオがベテラン漁師も経験したことがないほどの記録的な不漁になった。記事にあるように潮の流れや海水温に異常は見られず、原因は不明のままである。

明確な原因がわからないのに、今まで生息していた生物が急に姿を消したり、逆に生息していなかった生物が急に大量発生するのは大地震の前兆のことがある。人間にはわからない小さな地殻変動を捉えた動物が、危険を察知して住み慣れた場所を離れるということが実際によくあるからだ。

そう言えば、昨年の夏から秋にかけても東北沿岸でサンマが記録的な不漁だった一方、イワシは記録的な豊漁といわれた。関係者の多くは昨年の記録的な猛暑が原因だとして深く原因を追究しなかったが、今思えば、こうした生物の異変は、東日本大震災の予兆だったかもしれないのだ。

我が家でも昨年夏、生物を巡るひとつの異変が起きていたことを今さらながら思い出した。過去3年間、屋内で数匹も見つかれば「珍しいね」と言っていた蟻が、昨年夏、我が家では何十匹もの群れとして室内で見つかったのだ。追い出しても追い出してもまた室内に群れではい上がってくるので、業を煮やした妻が蟻の進入口となっている壁と床の間の隙間をガムテープでふさいだほどである。このガムテープの跡は、今もそのまま残っている。

一方、私たちが住んでいる集合住宅の別の棟で、以前、蟻の被害に悩まされていた人がいたことを思い出し、「お宅では今年も部屋に蟻は出ていますか」と尋ねたところ、「そう言えば今年はあまり出ていない」と、驚くべき答えが返ってきたのである。

こうした生物の異常は、宏観(こうかん)異常現象と呼ばれる。「ナマズが暴れると地震」という民間伝承と同じレベルで、いまだこうした宏観異常現象と地震との関係は明らかになっていないが、NPO法人大気イオン地震予測研究会(e-PISCO)を中心に、こうした宏観異常現象をデータベース化して、地震予知に役立てようとする研究が行われている。

もし、昨年秋のサンマ大不漁、イワシ大豊漁、そして我が家での蟻の突然の大発生が東日本大震災の到来を告げる明らかな予兆だったとするなら、今回、紀伊半島沖で起きているこの「カツオ大不漁」は何を意味するのだろうか?

当ブログのこの心配は杞憂ではない。過去1000件分の地震データが保存されているYahoo!地震情報を見ると、これまで地震がほとんど起きていなかった「和歌山県北部」で、5月5日以降だけで8回も有感地震が発生している。東北各地と比べればたいした頻度ではないといえるが、過去、この地域が全く静かだったことからすれば、不気味な変化といえる。

2~3ヶ月から半年後に紀伊半島付近を震源とする大地震が起き、「あの時の微弱地震とカツオの大不漁は、今思えばこの地震の前兆だったんだね」などと振り返られる日が来なければいいのだが…。

いずれにしても、紀伊半島周辺の人たちは、ここ数ヶ月から半年程度は念のため注意してほしいと思う。

ちなみに、中国に古くから伝わる「地震予知の歌」がある。ご紹介しよう。

『地震の前、動物には予兆がある みんなで観察し、被害を防ごう
 ウシ、ヒツジ、ラバは囲いに入らない
 ブタは餌を食べず、犬がやたら吠え回る
 アヒルは水に入らずに岸で騒ぎ
 ニワトリは木の上に飛び上がって声高く鳴く

 氷がはり、雪が降るころヘビがねぐらを這い出し
 親ネコは小ネコをくわえて走る
 ウサギは耳を立てて跳ね、ものにぶつかる
 魚は水面でバチャバチャ跳ねる
 ミツバチの群れがぶんぶん飛び回り
 ハトは怯えて飛び、巣に戻らない

 家ごとみんなで観察し 異常をまとめて報告しよう』

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大震災から2ヶ月~被害を最小限に抑える地震対策とは?

2011-05-10 22:35:54 | 気象・地震
東日本大震災から、早いもので2ヶ月が経過した。

この間、当ブログ管理人は精神面で危機的状態にあり、誰からどのような反応があるかわからないネット媒体での執筆活動は全面的に休止していた(メーリングリストにすら全く投稿しなかった)。当ブログの更新も、鉄道ネタ、紙媒体へ投稿した記事の転載、地震の解説を除いて休ませていただくことにした。

しかし、体調も(精神面を含め)一時よりはかなり復調してきた。地震や原発の問題については、後世のためにもここで発信しておかなければならないことがたくさんある。今日は、更新再開の宣言とともに、我が家で取り組んできた地震対策をご紹介する。今日取り上げる地震対策は、自信を持って皆さまにお勧めできるものばかりである。今後のためにぜひ実行してほしいし、そうすることが人的・物的被害を防ぐ大きな力になるに違いない。

●震度6強の揺れでも我が家の食器棚は倒れなかった

3月11日、我が家のある地域でも震度6強の激しい揺れに見舞われた。激しい横揺れは3分近くは続き、非常に長く感じられた。地震発生時は私は職場で仕事中、妻は近くのスーパーに買い物に行っている最中で、2人とも自宅にはいなかった。我が家は鉄筋コンクリートの集合住宅なので、倒壊や火災の心配はあまりしていなかった。最も心配したのは食器棚が倒れているのではないかということだったが、帰宅してみると倒れておらず、中の食器類はただの1枚も割れていなかった。本棚からは本が大量に飛び出し床に散乱していたが、被害はせいぜいその程度のものだった。

震度6強の激しい揺れにもかかわらず、どうして食器棚の倒壊を食い止めることができたのか。それをご紹介すると、下の写真のとおりである。



食器棚と天井を2本の器具で固定している。この写真は地震後のものだ。地震前はまっすぐだったものが地震後、2本ともずれて角度が変わっているものの、折れる、外れる等の現象は起こらず、食器棚を守ってくれた。

当ブログ管理人がこの家具固定を実施しようと思い立ったのは、過去ログでご紹介した地震シンポジウム(2002年)に参加した経験からだ。このとき、パネリストとして参加していた鈴木計夫・福井工業大教授(工学博士)に、当ブログ管理人が「阪神大震災後、集中的に実施された家具等への耐震工事(タンス等を壁面等にボルト等で固定する工事)は家具の倒壊による家庭内での圧死を防ぐための手法として効果はどの程度あるのか」と質問したところ、鈴木教授から「犬釘程度の固定ではさしたる効果は認められないが、強固なボルト等による固定になると相当の効果がある。一般に、大地震の際の家具倒壊は、ほとんどが地震の揺れに対して家具が反対向きに揺れようとして起こるものであり、地震と同じ方向への揺れであれば、家具が倒壊する確率は非常に小さくなる。壁面等への家具の固定は、ボルト等の強度が十分であれば非常に効果がある」との回答が得られたからである。

このことを踏まえ、我が家では、福島県沖のプレート境界付近で相次いで中規模の地震が起きた2008年に、プレート境界型地震(特に1978年以来発生していない宮城県沖地震)の到来は近いと判断し、この家具固定を実施した。鈴木教授の回答にあるように、家具の倒壊はほとんどの場合、地震の揺れに対して家具が逆方向に揺れたときに起きる。こうして家具を天井に固定しておけば、地震の揺れに対して家具が逆方向に揺れるのを防止でき、倒壊も防げることが今回の震災で証明された。

この家具固定用器具は、例えばネット通販だと2本1組5千円程度で入手できる。この価格をどう見るかは個人の価値観だと思うが、当ブログ管理人はこれなら安いと思う。高齢者や子どものいる家庭、家が狭く、タンスや食器棚のある部屋で就寝せざるを得ない家庭などは、ぜひ実行をお勧めする(ただし、家具が建物と一体化したいわゆる「作り付け」の場合、家具が地震の揺れと逆方向に揺れるという事態は考えにくいので、この固定策は不要だと思う)。

ただ、食器棚については、器具による天井との固定を行ったとしてもそれだけでは十分ではない。扉を固定しておかないと、地震の揺れで扉が開き、中の食器類が大量に飛び出して結局は割れてしまうからだ。そこで、我が家では下の写真のように食器棚の扉も、太い輪ゴムで固定するようにしていた。



結果として、このときの対策が、私たち夫婦の生命と財産を守るために大きな役割を果たしたと思っている。本来ならタンスも固定した方がよいことは言うまでもないが、我が家では、タンスのある部屋を寝室として使用していないため、就寝中の地震でタンスの下敷きになる事態は起こりようがない。このため、タンスについては割り切って固定をしない方針とした。もちろん、タンスのある部屋を家族が寝室として使っているという場合はぜひタンスもこのように固定してほしい。あなたの大切な家族を家具倒壊による圧死から守ることができる可能性は、飛躍的に高まるだろう。

この他、我が家では地震対策として、

1.非常持ち出し品の取りまとめ
2.非常食の整備、懐中電灯・携帯ラジオの電池残量の確認と電池の備蓄
3.原発破壊による放射能飛散に備えた「とろろ昆布」の備蓄

も実施した。(過去ログとしてこちらこちらも参照)

3のとろろ昆布の備蓄は、原発事故によって放射性ヨウ素が大気中に大量放出された場合、放射性ヨウ素の摂取による甲状腺ガンを防ぐための対策であるが、まさかこの対策が本当に役に立つ事態が来るとは夢にも思っていなかった。準備を始めた2008年当時は、準備をしながらも、そんな事態が来るはずがないとどこかで信じていた。しかし今、福島第1原発の事故が現実のものとなり、改めて危機管理の大切さを痛感している。

原発事故については、また改めて書きたい。

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