スーパーおおぞら:白煙で40人病院搬送 車輪が脱線(毎日新聞)
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北海道占冠(しむかっぷ)村のJR石勝線トンネルで釧路発札幌行き特急列車「スーパーおおぞら14号」(6両編成)が煙が出て緊急停止した事故で、後列車両の車輪が脱線していたことが28日、JR北海道の調査で分かった。トンネル入り口の手前から事故現場まで枕木に車輪がこすれたとみられる跡が残っており、同社は車輪脱線後にトンネルに入り、発煙した可能性があるとみて調べている。
富良野広域連合消防本部によると、この事故で救急搬送されたのは計40人に上った。
同社によると、煙が充満したのは後方の1~3号車で、乗客らは非常用ドアコックを開けて車外に脱出した。道警が28日未明に車内を確認したところ、逃げ遅れた人はいなかった。トンネル入り口では事故後も白煙が上がり続け、消防本部によると約9時間半後の28日午前7時半過ぎに煙は収まった。
JR北海道が車両を調べたところ、後ろから2両目の後方の車輪が脱線しているのが見つかった。現場ではトンネル入り口の約600メートル手前のポイント切り替え付近からレール中央の枕木に車輪がこすれたとみられる跡が残っていた。国土交通省運輸安全委員会は同日、鉄道事故調査官3人を現地に派遣した。
現場は占冠村役場から南西約8キロの山中。乗客のうち約200人はトンネル出口からバスで村の施設に移動した後、JRの用意した貸し切りバスで札幌や釧路などに向かった。【横田信行、伊藤直孝】
◇自ら非常用ドアコック…乗客ら
煙が迫り来る暗闇の中、手をつなぎ励まし合って辛くも大惨事を逃れた。「地獄のようだった」「生きた心地がしなかった」。乗客らは黒くすすけた顔で口々に恐怖の一夜を語り「避難誘導がなかった」とJRの対応に不満を訴えた。
乗客らによると列車は「ドンドン」などと異音がした直後にトンネル内で急停車した。「そのまま待機してください」。車内アナウンスが入ったが、後列の1~3号車内に煙が立ち込め始めた。「1~3号車の人は4~6号車に移ってください」。この指示を最後にアナウンスは途切れた。「どうなっているんだ」「避難するぞ」。乗客らは自ら非常用ドアコックを開けて車外に出たという。
釧路市からの出張の帰りだった札幌市白石区の男性会社員(62)は煙が入らないよう口を手で押さえ、少しずつ前に進んだ。「最初に飛び出した人がいなければ危なかった」。釧路市の会社員、太田敏幸さん(51)は「JRから避難誘導はなく、自分で逃げなければ死んでいた」と青ざめた表情だった。
札幌市の男性会社員(28)も「煙が立ち込めたので外に出ようとしたら乗務員に『待ってくれ』と言われたが、誰かがドアを開けて自主的に逃げ出した」と証言。煙で何も見えない中、励まし合って出口を目指した。「妻の顔が目に浮かんだ。二度とJRには乗りたくない」と語った。
せき込みながらトンネルを出ると、乗客から安堵(あんど)の声が漏れた。「生きてて良かった」。高齢者の中には涙を流す人もいたという。200人以上が近くの草地に座り込み、山を下り始めたのは約3時間後の28日午前1時ごろだった。
札幌市白石区の男性会社員(40)は「みんな冷静だった。ただJRはトンネルには誘導灯を設置するなど対策を取ってほしい」と話した。
3号車に乗っていた男性車掌(60)は緊急停止後、乗客に「出口までどのくらいかかるか見てくる」と告げて車外に出て出口まで走り、約10分後に戻って避難を呼び掛けたという。だが同じ車両に乗った男性は「車掌が外に出たので不安になった」と述べた。【片平知宏、小川祐希、金子淳】
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JR北海道でまた大事故が起きた。すでに北海道では、函館線で2009年1月にあわや追突という信号トラブルが起き、2009年2月にはブレーキ部品の脱落事故が起きている。2009年12月には、富良野駅で快速列車と除雪車が衝突する事故が起きている。函館線の信号トラブルは、保守を担当する下請け業者の配線ミスという信じがたい原因だった。
今回の脱線火災事故は、トンネル内の列車火災としては戦後最悪となった1972年の北陸トンネルにおける急行「きたぐに」列車火災(死者30名)を上回る惨事になりかねなかった。犠牲者がゼロですんだのは、車掌の制止を振り切り、機転を利かせて自主的に脱出した乗客がいたからであり、はっきり言えば奇跡に近い。
その他にも、
1.「きたぐに」の火災は13,870メートルの北陸トンネルのほぼ中央で火災が起き、乗客のトンネル外への脱出が困難であったのに対し、今回の事故が起きた第1ニニウトンネルは長さ685メートルと短く、しかも列車が停止した地点が入口から200メートルの場所だったため、乗客のトンネル外への脱出が容易であったこと
2.「きたぐに」の火災では、食堂車の燃料(木炭)が火元となって有害な一酸化炭素が発生したのに対し、今回の事故では一酸化炭素が発生しなかったか、発生してもわずかな量にとどまったと考えられること
・・・などの点できわめて幸運が重なったといえる。もし今回の火災が、北陸トンネル並みの長大トンネルで発生していたら、犠牲者の発生は避けられなかったと思われる。ちなみに、「きたぐに」列車火災の後、国鉄は運転規則を改正し、トンネル内で火災が発生した場合には停車せず、そのまま走り抜けるよう取扱いを変更したが、今回の事故は、火災前に脱線が発生していたため、このとおりの取扱いを行うのは事実上できなかった。
別の新聞記事によれば、運転席には火災を知らせるモニターが点灯しており、車内まで煙が充満しているにもかかわらず、車掌は火災と認識できなかったという。非常時で動転していたという事情はあるにしても、あまりにお粗末だ。
車掌が車内の煙をディーゼル車両の排気ガスと誤認したのではないかとの報道もあるが、私はそれはあり得ないと思う。日本の鉄道車両(ディーゼル車)のほとんどは排気筒が天井の上にあり、排気ガスは上空に向かって吹き上げられる。正常な状態であれば、車内から排気ガスが見えることはほとんどないから、床下から煙が入ってきた時点で火災と認識できなければならなかった。JR乗務員であれば、排気筒が天井にあることくらい知っていて当然だが、この車掌の対応ぶりを見ると、それすら認識できていないように思える。そもそもJR北海道の社員教育体制はどうなっているのかと思わざるを得ない。
今回の事故は推進軸の破損から始まったとみられている。推進軸とはエンジンやモーターなどの動力を車輪に伝えるきわめて重要な部品であり、細長い形状をしている。自動車でいえばシャフトに当たるものだが、鉄道車両の中でも常に強い力がかかり続ける部品であるため、高い強度を持つように設計されている。それでも、鉄道車両の中で最も酷使される部品であるため、現在でも時々、破損事故が起きている。
脱線・火災と推進軸破損との関係は今後の解明を待たねばならないが、現時点、報道の範囲内で推定できる脱線の原因としては、推進軸が破損した後、その一部が車輪とレールの間に入り込み、その上を通った車輪がレールから外れて脱線、または推進軸が折れた後、枕木の間に入って引っかかり、車両が持ち上がって脱線・・・などがある。通常の部品であれば、折れて枕木に引っかかったとしても、車両の重量に耐えきれずに壊れてしまうことが多いが、推進軸の場合、前述のようにきわめて強度が高いため、いわばこれが「つっかい棒」のような形になって車両が浮き上がり脱線する、という可能性は十分に考えられる。火災に関しては、破損した部品の一部がエンジンか燃料タンクを傷つけて発生したと考えるのが最も合理的だろう。
ところで、重要な点として指摘しておかなければならないことがある。今回事故を起こした車両は、マニア的にいえばキハ283系と呼ばれ、民営化後の1996年から登場したものである。登場から今年で15年目だが、物持ちの良い鉄道業界では新しい部類に入る。ところがこの車両がよく事故を起こしている。冒頭にご紹介した2009年2月のブレーキ部品脱落事故もこの形式の車両である。
どうしてこの形式でばかり事故が起きるのか不思議に思われる方もいるかもしれないが、この背景には北海道特有の事情がある。新幹線がなく、札幌都市圏を除けばほとんどの路線が非電化区間(=ディーゼル運転)である北海道では、気動車特急が都市間輸送の重要な役目を果たしている。つまり、北海道の特急気動車は、新幹線と同じように1回あたりの走行距離が長く、しかも高速運転が多いという特徴がある。物持ちの良い鉄道業界では、在来線の車両で20年は若いほうで、車両によっては40~50年も現役で活躍するものもあるが、こと北海道に関する限り、在来線車両なのだから本州と同じように40~50年の使用に耐えるという考え方をしてはならない。前述したとおり、1回あたりの走行距離が長く、しかも高速運転が多い北海道の在来線特急気動車の走行形態は新幹線に近く、そのため、車両の劣化も新幹線車両並みのスピードで進行していくのである。1985年に登場した東海道新幹線100系が2005年には東海道区間から引退したことを考えると、北海道の特急用気動車も、概ね20年程度が限界であり、そろそろ更新を考えなければならない時期に来ている。
最後に、私はJR北海道によって公表された全焼後の車両内部の写真を見たとき大きな衝撃を受けた。座席などの車内設備が跡形もなく燃え尽きていたからである。冒頭でご紹介した急行「きたぐに」火災を受けて、国鉄は車両の難燃構造化を進めるため、廃車予定だった車両をわざと燃やして、どのような材質が最も鉄道車両として燃えにくいかを確かめる実験まで行った。その結果を基にして国鉄が車両の難燃化工事を進めたことが、その後の車両火災の減少に大きく寄与した。こうした安全向上の背景に、現場からの声と闘いがあったことは想像に難くない。
しかし、今回、この車両の燃え方を見て「国鉄の先達が苦闘しながら作り上げてきた安全はどこへ行ってしまったのだろう」と思わざるを得なかった。廃車予定の車両を燃やす実験をしてまで作り上げてきた安全はJRによって投げ捨てられた。機転の利く乗客の判断による自主的な避難が行われていなかったらどうなっていたか考えると、私は心底、ぞっとする。
JR北海道に再度私は警告する。JR西日本のようになりたくなければ、直ちに特急気動車をはじめとする全車両・設備の点検を行うべきである。そうしないと次の事故では必ず犠牲者が出るであろう。奇跡は何度も続かない。