(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2020年2月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
新しい年が明けた。本誌が読者のみなさんのお手元に届く頃には正月気分などとうに失せているであろう。東京オリンピックの年を手放しの礼賛で迎える人はおらず、本誌読者の多くは憂鬱な年の始まりだと思っているかもしれない。
しかし、今年は単なる新しい年の始まりではなく、2020年代という新しい10年代の始まりでもある。一寸先は闇とはいえ、来たるべき10年間がどのようなものになるかを予測しておくことは無駄な作業ではないと思う。
「人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)とあるように、未来は現在、そして過去からの連続の上にしか存在し得ない。現在の日本と世界の姿を正しく分析できれば、未来を予測するのはそれほど困難な作業ではない。
●内外政治~分断克服への模索続く、国内は変化なし
まず政治について、2020年代は内外ともに国民国家内部でも、国家間関係でも分断の動きが強まった10年間だった。英国のEU離脱の確定と、米国のトランプ政権登場はその最も象徴的な動きである。選挙という民主主義を保障するはずの手段が分断を加速させたことも2010年代の大きな特徴だ。しかし、こうした分断は広範な市民的合意が必要な問題の解決を不可能にする。少数の支配層、既得権益層が喜ぶだけで市民が分断から得るものがないとわかれば、2020年代は分断克服への動きが顕在化する可能性がある。
国内では、野党共闘に向けた努力が続くものの、1993年の細川連立政権、2009年の民主党政権がいずれも内部対立で瓦解したこと、各級選挙における自公の基礎票の手堅さを踏まえると、野党による政権奪取は2020年代も困難であろう。自民党に代わって政権獲得が可能な位置にいる党がないという55年体制当時と同じ状況が生まれている。
現在の政治状況が55年体制の事実上の復活であることをデータで示しておきたい。以下の表は、1983年6月の参院選と2019年7月の参院選における各党の得票率を比較したものである。1980年、それまでの参院全国区を比例区に変更する公選法改正が行われた後、初めて実施されたのが1983年参院選だ。若干の総定数の変更はあるものの、これ以降今日に至るまで、参院の選挙制度の変更は小幅なものにとどまっており、中選挙区制が小選挙区制に置き換えられた衆院のようなドラスティックな変更がないため、このような比較に向いているのである。
結果は驚くべきものであった。自民、公明の得票率はほぼ同じ。共産党に至っては小数点以下までまったく同じである。その他の政党では2019年の立憲民主党が1980年の日本社会党に、国民民主党が民社党にほぼ対応している。1983年当時、社会民主連合(社民連)は議席が衆院だけであったためこの表に登場していないが、参院に議席を有していれば2019年の社民党に対応していたと推測できる。当時と今で異なるのは、公明党が野党から与党になったことくらいで、公明党を野党に割り戻して再計算すると与党陣営、野党陣営全体での得票も当時と今でほぼ変わらないことになる。
※1983年参院選の得票率は「データ戦後政治史」(石川真澄/著、1984年、岩波新書)より抜粋
55年体制崩壊後、「政権交代可能な保守2大政党制」への試みが続けられ、数え切れないほどの政党が離合集散を繰り返し、浮かんでは消えた。その変動の歴史が終わった後、見えている風景は1980年代とほぼ同じものだ。
自民党の最大の強みは公共事業を通じた利権誘導体制にある。選挙ポスターに自民党公認の文字さえあれば、候補者が人間でなくても当選してしまいかねないほど自民の集票基盤は大きく、疲弊したといわれながらもそれほど崩れていないことは1980年総選挙との比較を見ても明らかである。この「自民党ブランド」が1強体制を支えているのだ。
今後、自民党が1993年当時のような中途半端な割れ方ではなく真っ二つに割れるようなことになれば、保守2大政党制が成立したと「錯覚」するような状況が出現することは一時的にはあり得る。だがその場合でも、自民党を割って出た勢力はこの強力な「自民党ブランド」を失うから、民主党~民進党がそうであったように徐々に衰退過程に入り、その後は現在と同じ状況に戻るだけであろう。日本には2大政党制が成立する基盤はなく、今後もその試みが成功する見通しはないと断言してよい。基本的には次の10年間も日本の政権は自公中心に展開するというのが筆者の予測である。
自民党の政権追放の可能性がきわめて薄いとなれば、現在の「自民党的価値観」が受け入れられず、そこからの転換を願う市民は今後どのようにすればいいのか。戦後イタリア政治史は重要な示唆を与えてくれている。イタリアで戦後、単独では常に過半数に達しないものの、30~40%の議席を獲得、第2党以下を大きく引き離して長く第1党の座にあったキリスト教民主党(DC)は、総選挙で議席構成が変わるたび、多数派工作のため連立相手を組み替えて巧みに政権を維持した。自公政権の枠組みは変えられないとしても、自公両党の力が弱まって過半数を割り込んだ場合、私たちに比較的近い思想、政治的位置を取る「よりましな政党」を自公が不本意ながらも連立相手に迎えなければならないという事態は起こり得る。イタリアの政治学者ジョバンニ・サルトーリは、母国で頻繁に起きるこうしたDC中心政権下での連立組み換えを「周辺型政権交代」と呼んだ。
日本で2020年代、現実的に起こり得るのはむしろこうした周辺型政権交代であろう。そのときのため、自民党と明確に異なった政治的立ち位置と一定の議席数を持つ政党を私たちと政治をつなぐ「パイプ」として育てることは、これからの10年間の検討課題である。
●経済~日本の位置はさらに低下し「衰退途上国」の呼称が一般化する
経済に関しては楽観的な見通しはない。人口高齢化は労働力人口そのものに加え、1人あたりの労働時間数をも制限する方向に働く。何をするにも「労働者の健康に配慮することが最優先」となり、労働効率は大幅低下を余儀なくされる。労働集約型産業は大幅な合理化を迫られ、対応ができない企業は経済から退出させられるであろう。
運輸・交通、医療・福祉・介護など公共的性格を持ち、企業的運営によっては持続不可能であっても容易な退出が許されない部門をどうするかは、すでに現在でも大きな問題として浮上している。自公政権にこの問題を解決する意思も能力もないことは明らかであり、2020年代のどこかの段階で、この分野を得意とする小政党が自公から与党に迎えられることがあるかもしれない。さしあたり、その候補となりそうな政党も現時点で出てきているが、具体名を挙げることは控えておきたい。
2020年代、日本に対しては「衰退途上国」とする評価が一般的となり、この呼称もある程度定着するであろう。人口高齢化、少子化が加速的に進行する以上、形態はどうあれ衰退は避けられないが、そうである以上、よりましな衰退を追求する責任が政治・行政にはある。筆者が見る限り、日本が参考にできそうなのは英国だ。ともに君主制で島国、完全な二大政党制ではなく野党陣営が分裂傾向を強めている点でも両国は酷似しており、英国はある意味では日本にとって理想的な衰退モデルといえる。EU離脱によって独自政策を進めやすくなる英国の動向を、日本は注視すべきであろう。
●法の支配と正義~罰せられるべき者は罰せられず、必要ない者が罰せられる司法に国民の不満が爆発する
日本国民にはあまり実感がないかもしれないが、2020年代、日本の国際的信用と地位を最も決定的に傷つけるのは、実はこの分野になる。あれほど巨大な艱難辛苦を国民に強いた原発事故の責任者や、白昼公然とレイプ事件を起こした「自称ジャーナリスト」が、国策企業である、または安倍首相の取り巻きであるというだけで刑事責任を問われず、裁判に持ち込んでも無罪となる。その一方で(大量解雇を伴う日産の業績回復を筆者は実績とは思わないが)、カルロス・ゴーン被告に対する検察の人質司法は、同じ日産経営者の立場にあった日本人に対する対応と比べてあまりに不公平すぎる。これでは日本の検察が「皮膚や目、毛髪の色」を理由に対応に差をつけていると疑われても仕方がないであろう。新年早々、自家用ジェット機で日本から脱出、レバノンに到着したゴーン被告が行った会見では、日本人が期待していた政府高官の名や脱出方法については語られなかったが、少なくとも日本の司法のアンフェアさを国際世論に印象づけることができたという意味で成功と評することができよう。
日本政府にとって目障りとなれば、他の同様の立場にある人物との公平性も考慮されず一方的に拘留され、弁護士の立ち会いも許されない環境で自白を強いられた挙げ句、起訴されれば99%有罪となる。一方で国策企業や首相の取り巻きであれば99%無罪があらかじめ決まっている。こうした事実はすでに海外メディアを通じて世界中に発信されており、日本の国際的地位、信用に回復不能な打撃となりつつある。この国には法の支配も正義もなく、今後の復活の見込みもない――多くの日本の市民がそう思うようになったとき、どんなことが起きるだろうか。
「私の人生をめちゃくちゃにしたあの人に、どんな手を使っても復讐してほしいんです。成功したら報酬を払います。金額はそちらのご希望通りでかまいません」と言いながら、依頼者が札束の入ったスーツケースを開け、中を見せる。「わかりました。そのご依頼、お引き受けしましょう」と「闇の仕事人」が請け負う――テレビドラマや映画、小説ではおなじみのワンシーンであり、ひとつのジャンルを確立している分野でもあるが、国家が罰すべき者をきちんと罰していない、法と正義が実行されていないと多くの市民が感じれば、2020年代の遠くない時期、これがフィクションではなく現実となるおそれがある。不倫や薬物などの騒ぎを起こした有名人に対する最近のネットでの異常なまでのバッシング、「私刑制裁」の横行はその明らかな予兆である。
●IT技術~ネットの「フェイク」化が進行、アナログへの揺り戻しの動きも
インターネット、とりわけツイッターやフェイスブックのようなSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)に関しても、予測は悲観的にならざるを得ない。現時点でもSNSがフェイクニュースの発信・拡散源になっているという世界的傾向があるからだ。
欧米諸国を中心に、書き込みがきちんと事実に基づいているかを調査する「ファクトチェック」の動きも始まっているが、効果は限定的なものにとどまるだろう。飲料のビンに中身が半分入っているのを見て「もう半分に減っている。直ちに不足対策をしなければ」と考える人と、「まだ半分も残っている。こんな状態で政府が不足対策をするなんて税金の無駄だ」と考える人が激しく論争を始めても、どちらも「飲料が半分残っている」という正確な事実に基づいているためウソだという決めつけはできない。どちらも自分が正義だと信じているため譲歩するつもりもない。自分の立場に近い人々が紹介され、表示されることが多いSNSの性質上、「不足対策」派も「税金の無駄」派も自分の味方ばかり集め、ますます同類で団結を強め、コスモ(小宇宙)化する。SNSが社会分断を加速させる役目を果たしたことは、2010年代を総括すれば明らかだ。
筆者は時折、北海道庁前で毎週金曜夕方に行われる反原発定例行動に参加することがあるが、そこで「もうネットはやめました。でもあなたのスピーチ原稿は勉強になるので、郵送かFAXでください」という人にこの間、何回か出会った。SNSでの不毛な「闘争」や情報の真偽の見極めに疲れ、ネットから「降りる」動きが出始めている。
この傾向は2020年代を通じて加速する。「ネット上の情報を自由に操作して支持を集めることができるごく一部の強者」と、ネットに展望がないと見て、みずからの意思で能動的に「降りる」決意をした人――この両極端の行動を取れる人が2020年代の勝者となる。どちらにも立てず、ウソとも真実とも判定できない巨大な情報の海でもがく大多数の「ネット中間層」は敗者になるというのが筆者の予測である。
●原発、公共交通はどうなるか
最後に、本稿筆者のライフワークである原発、鉄道を中心とする公共交通の今後について触れておきたい。
原発は、政府・電力産業の巨大な下支えにもかかわらず、2020年代を通じて地位を回復させることはない。即時原発ゼロは政治的に困難で実現しないものの、電力会社にとっては安くても社会的にコスト高となった原発は徐々に衰退する。受け入れ地の決まらない核のゴミ(高レベル廃棄物、大量に発生する除染廃棄物)の処分をめぐって逆風がさらに強まり、2020年代後半には「ポスト原発」の姿がかなりはっきり見えるだろう。安倍政権退陣後は自民党内で現実路線が台頭し、自公政権の下で原発撤退の政治決断が行われる可能性はある。少なくともそれは政権交代の可能性よりは高いであろう。
公共交通の分野では「災害復旧」と「貨物輸送」が鍵を握る。特に鉄道はその高い輸送力に注目した保守・右派勢力によって戦争遂行のために整備された歴史的経緯がある。大量・高速・安定輸送に強いという特徴を持つ鉄道は、不安定で担い手(トラック運転手)が減る一方の道路輸送に代わり、2020年代、貨物輸送部門から復権が始まるだろう。それは政策的に政府が望んだ結果ではなく、トラック輸送が困難になることによる「強いられた政策転換」として実現する。しかし、一度その効用が発揮され、国民にそれが可視化されると、一気に鉄道貨物復権が進む可能性がある。旅客・貨物を別会社に分割した国鉄改革が問われ、JRグループ再統合の気運が高まるだろう。リニア新幹線、九州新幹線長崎ルートなど国民不在の大型鉄道プロジェクトのいくつかは頓挫することになる。
災害が多発する中で、寸断された地方路線の復旧をどうするかもすでに課題として見えている。地方路線の多くはすでに公共交通機関としての地位を降りているが、観光資源としての役割が再評価される。さしあたり、地方路線の維持が公共交通としてではなく観光面から始まることは、過去の経緯や日本の特殊性から見ればやむを得ないであろう。一時的な需要が中心で浮沈も大きい観光輸送中心から、安定した需要が見込まれる貨物輸送や地元利用中心へと地方路線の役割を変化させるため、どのような手法があり得るかを検討することが2020年代の公共交通政策の鍵を握ることになろう。
(2020年1月25日)