安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
月刊『住民と自治』 2022年8月号 住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

<管理人よりお知らせ>JR新幹線、リニア問題など、JRをめぐる問題に関するイベントを連続開催します!

2021-07-18 11:20:10 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

1.【2021.7.22(木・祝)】ZOOM学習会「これでいいのか新幹線 有害残土問題から見える鉄道政策の問題点」開催

→終了しました。安全問題研究会専用コーナーに使用したスライド資料及び講演動画をアップロードしています。全画面表示に拡大して動画をご覧になりたい場合は、動画に直接、飛んでください。

2.【2021.7.25(日)】「2021ZENKO in 大阪」(ZOOM配信あり)で、JR問題を扱う分科会「NO! リニア 守れ!路線と安全 民主的再国有化で公共交通再建を」

→終了しました。詳細はZENKOホームページ内の専用コーナーをご覧ください。

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農水省組織再編が映し出した日本の食卓の危機

2021-07-16 23:36:24 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●日本の「食卓」象徴する組織再編

 2021年7月1日、農林水産省で大きな組織再編が行われた。輸出・国際局新設や大臣官房に設置される環境バイオマス政策課の他、約20年ぶりに農産局、畜産局が復活することなどが大きな特徴だろう。これらはどのような意味を持つのだろうか。

 中央省庁の組織は、大きいほうから順に省-庁-官房・局-部-課・室-班-係であり、当然ながら大きな組織ほど予算も人員も大規模となる。筆者は農業・農政関係者としてこの30年近く業界の内外情勢を見つめてきたが、農水省の組織の変遷について語るとき、避けて通れないのは日本人の主食のはずだったコメの地位の著しい低下である。

 食糧管理法が廃止され「新食糧法」に移行する1995年まで、日本のコメは強い政府統制下にあった。食糧管理制度の実行部隊として食糧庁が置かれ、全国津々浦々に食糧事務所があった。1980年に廃止されるまで、都道府県食糧事務所の地方支所の管轄下に出張所があった。出張所を含めた食糧事務所の数は郵便局より多いといわれたほどだ。

 食管制度廃止と同時に食糧庁は食糧部となった。局を飛ばして庁から部へ、一気に「2階級降格」は中央省庁の組織としては戦後初といわれ、当時は農業界全体がひっくり返るほどの騒ぎとなった。それが今回の組織再編ではついに農産局穀物課となる。今後、農水省はコメ、麦、大豆などの「耕種作物」をまとめて穀物課で担当する。かつての庁から課へ「3階級降格」されたコメは、日本の主食としての面影すらない凋落ぶりだ。

 実際、最もコメ消費量の多かった戦前、日本の人口は8千万人で今の3分の2だったにもかかわらず、年に2000万トンものコメを食べていた。戦後は食の多様化、洋風化で日本人がコメを食べなくなったといわれるが、それでも1990年代初頭にはまだ1億2千万の人口で1000万トンの消費量を誇った。1993年、「100年に1度」「祖父母も経験したほどがないほどの大冷害」といわれた平成の大凶作が起こり、日本は200万トン近い外米の緊急輸入に追い込まれたが、この年ですらコメは800万トン近い生産量をあげていた。

 ところがここ数年来、日本のコメ生産量は毎年800万トン程度で推移している。驚くことに、平成の大凶作の頃と同程度の生産量しかあげられていないのである。それでも当時のような騒ぎにならないのは、この30年間で日本人のコメ離れがさらに進んだからだ。

 コメを食べなくなった日本人は今、何を食べているのか。それを解き明かす2つのデータがある。総務省「家計調査」によれば、1世帯あたり年間支出額は1985年にはコメ7万5302円に対し、パンは2万3499円で、3倍以上の差があった。それが2011年、コメ2万7777円、パン2万8371円とついに逆転する。2012~13年にはコメが一時的に上回ったが、2014年に再び逆転。以降ずっとパンがコメを上回っている。

 もっともこれは金額ベースの比較なので、最近の「高級食パン」ブームなども考えると、単純にパン消費量の拡大ではない可能性もある。だが若い世代ばかりではなく、GHQ(連合国軍総司令部)が敗戦直後に普及させたパン食中心の学校給食で育ってきた高齢世代にもパン派が多いとの指摘もある。パンと同様、右肩上がりで消費量が増えている品目としては、ラーメンやパスタなどの麺類がある。

 もうひとつのデータは農業生産額だ。9兆円あまりの日本の農業総生産額のうち、コメは1兆7千億円。食管制時代には米価審議会を通じて政府がコメ価格を統制してきたという事情はあるとしても、茶碗1杯のご飯がわずか数十円では農家は収入どころか作れば作るほど赤字になってしまう。

 これに対し、今、稼ぎ頭になっているのが畜産で、2018年のデータでは総生産額はなんと3兆2千億円に上る。コメのほぼ2倍であり、畜産だけで農業総生産額の3分の1を叩き出している。畜産が「局」になる一方、コメが麦や大豆とまとめて「課」扱いになった事情が理解できる。今や日本人の主食はコメではなくパン・麺・肉。マクドナルドのハンバーガーこそ日本の食卓の象徴なのだ。

 ●あるべき食卓の姿とは

 「そんな状況になっているとは知らなかった。でもウチはお金がなくて、牛肉なんて年に数回も食べられればいいほうなのに」と思っている読者がいるとしたら、おそらくその「肌感覚」は正しい。今、日本の畜産は極端な高級路線にシフトしているからだ。日本の牛肉は、おいしさなどの品質を基準にA1からA5まで5等級に区分されているが、農畜産業振興機構の調査によると、2018年にはついに最高級のA5区分が生産量全体の4割を占めるに至っている。こうした実態はメディアでも報道されず隠されてきたが、新型コロナ感染拡大という思わぬ事態でその一端が露呈した。多くの高級料亭が閉店や営業時間短縮要請の対象となり、売れ残った大量の高級牛肉がスーパーなどで安く買えるとして話題になったからである。日本の庶民には手が出ない高級肉ばかりが大量生産される歪な畜産業の構造が明るみに出たことは数少ないコロナの「功績」かもしれない。

 捌ききれないほどに大量生産されたA5等級の高級牛肉は、その大半が金に糸目を付けず「爆買い」を繰り返す外国人観光客の胃袋に入っていた。こうした外国人富裕層の需要に応えるため、国は食料輸出を基本方針に掲げるようになった。この役割を担うのが「輸出・国際局」なのだというのが、筆者の現在の見立てである。こうした農業・農政が日本の市民・労働者を幸せにする方向と正反対のものであることは改めて述べるまでもなかろう。この先、日本の農業・農政が向かう先を思うと、深い憂いを抱かざるを得ない。

(2021年7月1日)

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【管理人よりお知らせ】再生エネルギーに関する資料を「原発問題資料集」に掲載しました

2021-07-03 22:11:28 | 原発問題/一般
管理人よりお知らせです。

今後のエネルギー政策の議論の一助として、「今後の再エネ政策について」を原発問題資料集に掲載しました。PDF版のみです。

「脱成長/省エネ」か「経済成長/再エネ」かをめぐっては、脱原発派の間でも大きく意見が分かれています。6月14日付記事でご紹介した資料「今後の脱原発、脱炭素に向けて」では、当サイト管理人は脱成長論者であることから、先進国ではこれ以上の経済成長は必要ないと考え、省エネルギーを中心とした内容としました。しかし、脱原発派の中には経済成長を必要だと考える人々も多く、それらの人々は脱炭素が原発再稼働の口実に使われるのではないかと危惧しています。当サイト管理人の元に「脱炭素を口実とした原発再稼働論を打ち破るために、対案として再生エネルギーの議論はどうしても必要」との声が寄せられたため、第2弾として作成しました。

「今後の脱原発、脱炭素に向けて」とは補完し合う関係であり、どちらかがどちらかに優先するという性質のものでもありません。「日本に経済成長は必要ない。省エネルギーでいい」とお考えの方は「今後の脱原発、脱炭素に向けて」が、「経済成長は必要。再生エネルギーへの転換を訴え、脱炭素を口実とした原発再稼働論を封じ込めたい」とお考えの方は「今後の再エネ政策について」が参考になります。

なお「原発問題資料集」は、これまで、「汽車旅と温泉を愛する会」内の「非鉄道系コンテンツ」として取り扱ってきましたが、更新頻度が上がってきたこと、脱炭素が世界的課題となる中で、環境問題の一環として公共交通問題と関連づけて議論される場面が今後は増えると予測されることから、安全問題研究会のコンテンツとして閲覧できるように取り扱いを変更することとしました。今後は、安全問題研究会トップページから直接飛ぶこともできます。引き続きよろしくお願いします。

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【転載記事】〔週刊 本の発見〕『地域における鉄道の復権~持続可能な社会への展望』/すべては「国鉄分割民営化」から始まった~「公共」壊した「改革」を超えて

2021-07-02 22:09:55 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

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〔週刊 本の発見〕『地域における鉄道の復権~持続可能な社会への展望』(宮田和保・桜井徹・武田泉 編著、緑風出版、3,200円+税、2021年3月)/すべては「国鉄分割民営化」から始まった~「公共」壊した「改革」を超えて

 2021年は、奇しくもJR発足後最初の惨劇となった信楽高原鉄道正面衝突事故(1991年)から30年、石勝線特急列車火災事故(2011年)から10年の節目の年である。信楽事故を起こしたJR西日本はその後、さらなる悲劇・尼崎事故を起こし、コロナ危機のなかで中国山地の不採算ローカル線切り捨てに乗り出している。JR北海道に至っては、路線全体の半分を「自社単独では維持困難」な路線に指定し、鉄道事業からの全面撤退すら現実のものになろうとしている。JR東海は南アルプストンネル工事によって大井川からの流量が毎秒2トンも減少するとの試算があるにもかかわらず、静岡県にまともな説明もしないまま国土破壊のリニア開業へ向け暴走する。「大雨が降っても道路はすぐ復旧するのに、鉄道は復旧されずに消えていくのはおかしい」という疑問も市民の間に広がっている。

 このような惨状を生み出したのは国鉄分割民営化であり、本書はその全体像を改めて捉え直し批判を加える。鉄道をめぐっては、北海道のローカル線問題を中心としながらも、安全問題、経営問題、「改革」反対派組合員の不採用などの労働問題、リニア、整備新幹線と並行在来線などあらゆることを取り上げている。

 「改革」の背景にある新自由主義はいかにして生まれてきたのか。どのように社会の隅々にまで浸透し世界を持続不可能に追い込んできたかについても分析、批判を加えている。国鉄分割民営化の総決算と新自由主義批判。一方だけでもじゅうぶん1冊の本になり得るほどの重い2つのテーマのどちらとも手を抜かずに格闘した労作である。

 日本でも世界でも、既存の支配構造への批判は多く聞かれるようになったが、今や重要なのは「世界を解釈することではなく変革することである」。持続可能な社会への展望という副題が示すように、本書は持続不可能な新自由主義社会を清算した後に来るべき新しい社会像についても対案を示す。JRグループを中心とした鉄道改革の方向として、持株会社制による旅客6社間の格差是正策のほか、上下分離や、あらゆる公共交通機関を連携させ一体的に運用するドイツの「運輸連合」など、1980年代の改革で壊されたものの単なる修復にとどまらない新しい制度の提案も試みている。そこには、執筆陣が実際に欧州を訪問し、公共交通を実地調査した際の知見も取り入れられている。自動車中心の従来型のまちづくりから脱し、公共交通中心のまちづくりへ転換していく必要性も述べられている。

 13人もの共著者が30回以上も討議を繰り返す中から本書は生まれた。SDGs(国連「持続可能な開発目標」)の評価をめぐっては共著者間で激しい議論もあった。北海道ローカル線と住民の関係、鉄道再建策を論じた節のほか、尼崎事故遺族・藤崎光子さんを取り上げたコラムの担当として私自身も共著者に加わった。公共交通問題をライフワークとしてきた私にとってもこれまでの活動の集大成になったと思っている。

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