安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【管理人よりお知らせ】6月28日、都内で開催されたJR問題学習会のレジュメを掲載しました

2014-06-30 22:18:46 | 鉄道・公共交通/安全問題
管理人よりお知らせです。

先日のエントリで予告した「尼崎事故から9年~利益優先の『分割・民営化』を問う6・28学習会」では、予定通り、安全問題研究会から当ブログ管理人が報告を行いました。

その際、使用したレジュメを安全問題研究会サイトに掲載しました。トップページから閲覧・ダウンロードできます。付属の図表は、諸事情により割愛しました。

このレジュメはPDF版のみです。携帯電話(フィーチャーフォン)でアクセスしている場合は閲覧できないと思います。PDFが閲覧できる環境にない方で、どうしてもレジュメをご希望の場合は、安全問題研究会までご連絡ください。

なお、安全問題研究会サイトに掲載していた「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.19集会」における当研究会のJR北海道安全問題に関する報告レジュメは、今回のレジュメ掲載に伴い削除しました。今回のレジュメと内容が重複しているため、掲載を続ける必要がないと判断したためです。



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2014年上半期 鉄道全線完乗達成状況まとめ

2014-06-29 22:07:46 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
さて、6月末を迎え、今月中の新たな鉄道全線完乗もないことから、ここで2014年上半期の完乗達成状況をまとめる。

【2月】札幌市交通局(札幌市電)
【5月】留萌本線

以上、2社2線となった。内訳は、JR線1、公営1。廃止(予定)線、新規開業路線の乗車はなかった。2014年の新年目標では、JR5線、その他5線の計10線区乗車を目指していたが、今年後半、よほど頑張らないと達成は厳しくなった。

引き続き、目標達成を目指して頑張っていきたい(それ以前に、上記2線の報告を早く書かなければ…)。

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STAP細胞、そして「美味しんぼ」~信じたいものだけを信じ、科学と強弁する自称科学者たちへの最後通告

2014-06-28 21:59:23 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2014年7月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 あの騒ぎはいったいなんだったのだろうか。今年1月、華々しく発表された「STAP細胞」のことだ。この細胞を酸性の液体に浸して外的刺激を与えれば「初期化」が起き、あらゆる細胞に転化しうる万能細胞となる。理化学研究所(理研)発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の小保方晴子・研究ユニットリーダーらによる一連の研究と発見は、一時は「生物細胞学の世界的常識を塗り替えるもの」「ノーベル賞級の発見」とまで言われた。「リケジョ」(理系女子)「おばあちゃんから譲り受けた割烹着」「ピンクの研究室とムーミン」などがクローズアップされ、小保方氏は一躍、時の人となった。

 しかし、翌2月になると一転、雲行きが怪しくなった。インターネット上で次々と論文の誤り、無断引用、「コピペ」(コピー&ペーストの略。いわゆる切り貼り)などが指摘され、研究の正当性は大きく揺らいだ。3月になると、根拠となった論文の取り下げが議論されるようになり、研究の正当性は完全に失墜。根拠のない研究成果を発表する形となった理研の敗戦処理に焦点が移っていった。

 通常であれば、ここで研究者ともども理研が謝罪会見を行い、論文取り下げを公表して事態の収拾を図るところだが、その後の展開は異例ずくめだった。小保方氏が論文取り下げを求める理研の勧告を拒否し、みずから弁護士をつけて反論会見を行ったのだ。小保方氏は、「STAP細胞の再現に200回以上成功した」「STAP細胞はあります」と宣言、徹底抗戦の構えを見せた。

 5か月経った現在では「後知恵」と言われるかもしれないが、いま思い返してみれば、1月、理研が「STAP細胞の再現に成功」を発表した時点で不可解な点はいくつもあった。なぜ割烹着やピンクの研究室にばかり焦点が当たり、肝心の研究成果について誰も言及、論評しないのか。弱冠30歳の若い研究者に本当にこのようなことが可能なのか。「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」とまで酷評され、いったんは論文掲載を拒否された英科学誌「ネイチャー」が一転して小保方氏の論文を受け入れるまでにどのような経緯があったのか。肝心なことには全くスポットライトが当たらず、若き「リケジョ」に関するワイドショー的な報道ばかりが先行した。

 そもそも、この時点で筆者は「外部刺激による細胞の初期化が事実としても、それは端緒であり入口であるにもかかわらず、騒ぎすぎではないか」との感想を抱いていた。酸性の液体による刺激で細胞の初期化が起き、万能細胞になるとしても、その初期化が予期せぬ状況下で起きた場合は、何かのSF映画のようにヒトがある日突然「細胞の自然崩壊」で死亡することになりかねないし、また逆にその現象を起こしたいときに起こせないようでは再生医療の現場では全く使い物にならないからだ。細胞の外部刺激による初期化は、それを「発生してはならない時には決して発生させず、発生させるべき時にはきちんと発生させる」という形で人為的なコントロール下に置くことができたとき、初めて再生医療の現場での実用化に道が開かれるという性質のものだった。理研の華々しい発表の時点で、小保方氏の研究は「何百回実験を繰り返せば、確率的に何回かの割合で細胞の初期化現象が発生する」という程度のものであり、まだ実用化可能な域には全く達していなかった。もちろん、こうしたことは基礎研究の分野では珍しいことではないし、研究成果が確実なものであれば、人類の未来と科学の発展のためにそれを公表し、その後のことは応用分野の研究者に委ねるのもひとつの選択肢だろう。しかしそうだとしても、研究成果そのものより研究者個人の人物像ばかりがクローズアップされるような方向へと報道陣を巧みに誘導したことに対しては、理研にも大きな責任があるというべきだ。

 ●再現実験なき「空中戦」

 とりわけ奇妙だったのは理研と小保方氏による「STAP細胞」発表後の科学界の動きである。2月に入り、研究の正当性に疑問符がつき始めると、それまで様子見だった科学界は一斉に「小保方バッシング」に転じた。上昌広・東大特任教授など「学界の権威」がメディアに出演しては、根拠なく「STAP否定論」を振りまき始めたのだ。

 この時点では、両者の論争は小保方氏に分があった。再現実験もせず、頭ごなしに「STAPはない」と決めつけた否定派学者に対し、少なくとも小保方氏は「再現実験を行った結果だ」と主張していたからである。科学界の内外から、小保方氏以外の研究者も加わる形での再現実験を求める声が強まったが、なぜか科学界の多数派は「必要なし」として再現実験に否定的だった。

 3月に入り、論文の誤り、無断引用、切り貼りの指摘はさらに増え、小保方氏はいよいよ追い詰められたかに見えたが、4月の「反論会見」は世間の空気を大きく変えた。小保方氏は自説を曲げないどころか「STAP細胞の再現に200回以上成功した」と言い放った。本来なら、「何回再現実験をしての200回なのか」(何回分の200なのか)と質問する記者がいなければならなかったが、メディアの科学リテラシーも相当低いらしく、こうした実のある質問のできる記者は見あたらなかった。

 小泉政権あたりから日本社会を覆っている「たとえ間違ったことを主張していても、ぶれないほうがカッコいい」というムードに、小保方氏の反論会見がうまく乗ったように筆者には見えた。自費で会場を借り、弁護士以外には誰の助けも借りず、理研からは孤立無援のままひとりで3時間近くにわたる記者の集中砲火を乗り切った小保方氏に対し、研究所のカネで会場を借り、複数で会見する理研の男性幹部――そのあまりに対照的な姿は、日本を長い混迷に陥れてきた「責任・謝罪なき男性社会」の病巣そのもののように筆者には思えた。もともと判官びいき的な日本社会の体質もあいまって、この時期、小保方シンパは一時的に急増したようだった。

 小保方氏も参加して、理研による再現実験が始まったのはようやく最近になってからである。「小保方劇場」はあともう少し続きそうだ。

 ●「現実がおかしい」と言い放った原陪審委員

 不完全な再現実験のまま「STAP細胞はある」「200回見た」と豪語する小保方氏、そして同じく再現実験もしないままSTAP否定論を振りまき続けた学会多数派の学者たち――科学者の本分である「真理の探究」などそっちのけで自分の信じたいものだけを信じ、根拠もなく信じたものだけを「科学」としている点では同じ穴のムジナだ。

 こうした不毛な空中戦を見ていて、筆者がこのところ抱いていた疑問は確信に変わった。彼らは科学で争っているように表面を取り繕いながら、実際には政府の審議会やちっぽけな大学のポストを巡って政治的に闘っている。真理を探究した者が勝つのでもなければ、正しい者が勝つわけでもない。本質はむしろ逆であり「勝った者が正しい」とされているだけだ。昔からよく言われる「勝てば官軍、負ければ賊軍」で科学界もただ、動いているに過ぎない。

 同時にこの騒動を見て、筆者は「ある光景」を思い出していた。あの「美味しんぼ」騒動だ。多くの福島の住民が鼻血を訴えているのに根拠なく否定する傲慢な原子力御用学者たちの姿がSTAP否定派に重なって仕方ないのだ。

 そもそもこの間、メディアに繰り返し出演し、先頭に立ってSTAP否定発言を繰り返してきた上昌広・東大特任教授もまた福島における「放射能被曝安全神話」作りに一役買っている。彼は、東大医科研究所で後輩に当たる坪倉正治氏を南相馬市立病院に送り込んだ。坪倉氏が現地でやったことといえば、ホールボディーカウンター(WBC)でひたすら地元住民の内部被曝を測定、「安全・安心」と触れ回ることだった。WBCは、人体内部から外部に向かって放射されるガンマ線を測定し、そこから人体内部にある放射性物質を推定する道具に過ぎない。環境中のガンマ線線量に影響されて正確な測定は不可能であるのみならず、ガンマ線を発する核種以外(ストロンチウム、プルトニウムなど)は測定できない、いま現在体内にあるガンマ線核種の量を推定できるだけで、すでに体外に排出されてしまった核種やその量の推定はできないなど多くの欠陥がある。せいぜい「野生食物の食べ過ぎで、いま体内に放射性物質が多いので、しばらく食事に気をつけてください」ということがわかる程度の代物だ。それを福島で錦の御旗のように振りかざし、安全・安心を宣伝して回ったのが上昌広特任教授、坪倉正治医師ら東大医科研グループである。

 真理の探究はおろか、いま目の前で起きている事実すら否定する頑迷な原子力御用学者のエピソードはいくらでも挙げることができる。例えば、福島第1原発事故後の賠償について審議し、指針を策定する文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(原陪審)で2011年12月、福島県民の精神的苦痛に対する賠償が審議されていたときのこと。原陪審委員、草間朋子氏(大分県立看護科学大学長=当時)は、傍聴に来ていた福島の住民が健康被害を訴えると、その住民に向かって、文科省の廊下でこう言い放ったのだ。「私の研究データではそんなことがあるはずがない。現実がおかしい」。

 ●本稿は科学への最後通告である~カルト科学界、滅亡せよ

 いやはや、本当に恐れ入る。自分の研究データと目の前の現実が食い違うと「現実がおかしい」とは…。「尊師」の予言通りに世界の終末が訪れそうにないからと、自分たちでサリンをまいて人為的に世界の終末を作り出そうとしたどこぞのカルト宗教と、これではまるっきり同じではないか。

 STAP細胞問題が起きたことで、筆者にとって良かったと思えることがひとつだけある。3.11「原発震災」に続き、日本の科学界を取り巻く暗部がまたも明らかにされたことだ。めまいがするほどあまたの堕落、腐敗、利権、打算と野望にまみれた師弟関係、そして何より真理も事実も否定して、自分の信じたいものだけを信じ「科学」と強弁する「ムラ」住人たち――筆者はあえて言おう。もう日本の科学に未来はないと。すでに確定した過去の業績によってノーベル賞を受賞する人はこれからももう少しいるかもしれない。しかし今後、科学分野で新たに業績を確定させノーベル賞を受ける科学者は、日本からはもう二度と生まれないような気がする。

 科学ムラ住人たちよ。本コラムを読んでいるなら、今年いっぱい時間を与えるから自己批判せよ。傲慢な態度で市民を上から見下してきた過去を謝罪せよ。

 もし、当コラムからのこの公開質問に対し、真摯な回答が得られなければ、筆者は来たる2015年正月、日本の科学界「打倒」を宣言する。

(2014.6.21 黒鉄好)

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【コミック】からかい上手の高木さん 1巻【一部ネタバレあり】

2014-06-26 21:36:24 | 書評・本の紹介
からかい上手の高木さん 1巻(ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル)

当ブログの「書評・本の紹介」カテゴリでは、いつも重い本、お堅い本の紹介がほとんどなので、たまには肩の力を抜いてマンガの紹介でもしてみよう。少年サンデー誌上で読み切りとして連載された同名の作品を単行本化したもので、作者は山本崇一朗。コミックは6月に発売されたばかりだが、ネットで早くも話題の作品。「自分もこんな甘酸っぱい青春を過ごしたかった」と多くの男性諸氏が悶絶、憤死…しているとかいないとか。

ストーリーは至って単純だ。小学校高学年~中学生くらいの頃、女子への恋愛感情をうまく処理できない未熟な男子が、好きな女子にわざと意地悪をしたり、甚だしい場合はわざといじめたりといったことを身近に見聞きした方がいると思う。本作は、ひとことで言えばこれの男女逆バージョン。隣の席の男子、西片を好きになった女子、高木さんが、西片をひたすらからかい、意地悪をしまくる。

とにかく、高木さんのいたずらの徹底していること。授業中でもお構いなく、1日何十回も西片をいたぶっては「ぷくく」とドヤ顔で笑い、「いい反応するわ」「これだから西片からかうのやめらんない」とのたまう。西片はそれが悔しくて、今日こそは高木さんに恥をかかせてやろうと復讐を誓い、反撃に出ようとするが、いつも高木さんに「返り討ち」にあってしまい、やられっぱなしの毎日…。

高木さんのいたずらが悪意のない、遊びレベルのものであるために、読者は読後に嫌悪感を抱かずにすむ。山本先生の作品を私は初めて読んだので、他の作品は知らないが、主人公・西片、ヒロイン・高木さんには名字だけで名前も設定されていないようだ。2人は彼氏彼女の関係ではなく、名前で呼び合う関係にはほど遠い状況なので、これでも問題ないのだろう。

巻末の「おまけ」では、西片とじゃれ合う高木さんを見て、2人の関係を疑った女子のクラスメートが、トイレで高木さんに「西片くんと付き合ってるの?」と聞く。これに対し、高木さんは「付き合ってない」と答える。問いただした女子のクラスメート(ユカリ・サナエと呼ばれていた)はそれを聞いて、それ以上の追及はしないで終わらせているが、「三度のメシより恋バナ好き」のこの年代の少女たちが、そんなんで納得するもんなんだろうかと、私はふと疑問を抱いた(もっとも、この作品はそんなよけいな詮索をするよりも、高木さんにいじられまくる主人公・西片に感情移入して楽しむものだろう。読み進んでいくうちに、西片に感情移入した男性読者の多くは、自分が高木さんにいじられ、遊ばれている感覚になってくる)。

私も多くの読者同様、「こんな甘酸っぱい青春、してみたかった」という感想を抱いた。とはいえ、今、そんなふうに思えるのは、とりもなおさず自分が「大人だから」。もし自分が中学生で西片と同じ立場だったら、恐らくは毎日、高木さんの「攻撃」をどう回避するかで精一杯で、そんな状況を楽しむ余裕なんてまったくなかっただろうな、とも思う。

読者によって、本作は合う/合わないが大きく分かれる作品であるように思う。子どもの頃、西片のようなヘタレ人生を送っていた男性読者にとっては、この作品に甘酸っぱさと同時にほろ苦さも感じるかもしれない。

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【管理人よりお知らせ】利益優先の『分割・民営化』を問う6・28学習会

2014-06-25 23:50:02 | 鉄道・公共交通/安全問題
管理人よりお知らせです。

表題の学習会が、6月28日、東京都内で開催されます。

107名が死亡しながら誰も責任を問われない福知山線脱線事故、相次ぐ脱線事故やトラブルで安全が崩壊したJR北海道、大雨で不通となった名松線の復旧費を自前で負担せず地元自治体に押しつけながら、リニアのためには9兆円を「自前負担」して建設を強行するJR東海…国鉄分割民営化から27年、あらゆる意味で限界を迎えたJR体制の現在、そして未来を考える学習会です。講師は、安全問題研究会を代表して当ブログ管理人が務めます。

リニアは、この秋から建設が始まるといわれています。建設を止めるなら今が最後のチャンスであり、JR北海道の安全問題も今が最も重要な勝負どころです。是非ともこの問題に関心のある多くの皆さまのご参加をお待ちしています。

なお、日時、場所は以下の通りです。詳細は、チラシをご覧ください(サムネイル画像をクリックすると拡大します)。

日時:6月28日(土)14:00~16:30
場所:大田区民センター(JR京浜東北線蒲田駅西口下車徒歩15分)第4教室

※会場地図もチラシにあります。

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石原環境相だけじゃない~「最後は金目」は原子力ムラの「伝統文化」

2014-06-17 21:15:54 | 原発問題/一般
金目発言、福島県議会が撤回求め抗議文 石原氏は陳謝(朝日)

<石原環境相>金目発言に福島県議会抗議 波紋広がる(毎日)

中間貯蔵施設の受け入れを拒む福島の住民に対する石原環境相の「最後は金目でしょ」発言は、当然のごとく怒りを呼び起こした。福島県議会や自民党福島県連までが抗議するなどの動きが広がっている。

しかし、こう言ってはなんだが、札ビラで顔を叩いて解決するというのは今に始まったことではなく、原子力ムラの「伝統文化」と言ってもいいと思う。原発は誘致の時もカネ、維持するにもカネ、最後のゴミの始末にもカネ、とカネカネカネで地元を懐柔しながらなんとか今まで回してきた。3.11はその構造を露わにし、破綻に追い込む出来事だった。

原子力ムラが3.11以前から、いかにカネで地元を懐柔してきたか、よくわかる動画がアップされている。福島原発事故当時の原子力安全委員会委員長・斑目春樹氏による2005年頃の発言だ。

大失言!【原発儲かる】原子力安全委員長 【最後は金】2005年班目


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<以下、書き下ろし>

(1分30秒頃から)

インタビュアー「放射性廃棄物の最終処分も、技術的に問題がなくても、受け入れる場所がなければ…」

斑目「困っちゃいますもの」

インタビュアー「(受け入れ場所は)ないですよね。フランスでもイギリスでも、まだ決まってない…」

斑目「ないですよ」

インタビュアー「それは、大きな問題じゃないですか」

斑目「それは、だから、あの、えーと、…基本的に、それはなんていうのかな、今の路線が本当に正しいかどうかは別として、今の路線かなんかで解があるだろうと思ってるんですよ。というのは、最後の処分地の話は、最後は結局、お金でしょ? どうしてもみんなが受け入れてくれないというんだったら、おたくには、その、今まではこれこれと言っていたけどその2倍払いましょう、それでも手を挙げないんだったら5倍払いましょう、10倍払いましょう、どっかで国民が納得することが出てきますよ」

インタビュアー「それは経済的インセンティブと、…」

斑目「それは、処理費なんてたかが知れてるから、多分齟齬(そご)は来さないですよ」

インタビュアー「今、最終処分場を受け入れてくれる、ボーリング調査をさせてくれるだけで…」

斑目「凄いおカネを流してますね」

インタビュアー「20億円ですよ」

斑目「あれが、たかが知れてるらしいですよ」

インタビュアー「そうなんですか」

斑目「だから原子力発電ってのはもの凄く儲かってるんですね、きっとね」

(以下略)
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これ以外にも「原子力発電に安心はないけど信頼してほしい」などの放言・失言が雨あられのように続く。見ていてめまいがしてくる動画だ。

20億円を「はした金」と言うほど原子力ムラにはカネが埋まっているのだ。福島の子どもたちを避難させる費用くらい、彼らにとってはもちろん「はした金」だろう。ならば、そのカネを今すぐ吐き出し、子どもたちの未来を守るために使って欲しいものだ。

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『閣議決定で「戦争する国」にするな! 6.17大集会』にご参加ください!

2014-06-16 23:29:50 | その他社会・時事
管理人よりお知らせです。

直前になってしまいましたが、明日(6月17日)、東京・日比谷野外音楽堂で『閣議決定で「戦争する国」にするな! 6.17大集会』が開催されます。

安倍政権は、国家の最高法規であるとともに、「人類普遍の原理」に基づき、主権者たる国民から「権力への命令」として制定されている日本国憲法の諸原理(国民主権・平和主義・立憲主義)をすべて破壊し、時の政権の決定事項に過ぎない閣議決定によって、戦争をする国への道を開こうとしています。

こうした安倍政権の「戦争国家路線」に反対するため、表題の集会が開催されます。ひとりでも多くの市民がこの集会に参加するよう、当ブログは呼びかけます。詳細は「閣議決定で「戦争する国」にするな! 6・17大集会」公式サイトでご確認ください。

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北海道新幹線新駅名「新函館北斗」に思う

2014-06-13 21:53:32 | 鉄道・公共交通/交通政策
北海道新幹線「新函館北斗」決定 JR、新駅名発表(北海道新聞)

駅名決定、北海道新幹線PRに弾み 「新函館北斗」の浸透には不安も(北海道新聞)

紆余曲折を経た北海道新幹線(2016年開業、新青森~函館)の駅名がようやく決着した。開業区間の3駅の名称は「奥津軽いまべつ」「木古内」「新函館北斗」となる。

特に新函館北斗を巡っては、リンク先記事にあるように、函館市が「新函館」、北斗市が「北斗」を主張して譲らず、調整は北海道に委ねられたが、最後はJR北海道が両者の顔を立てる形で決着した。

当ブログのこの問題に対する考えは、ベストの案が「新函館」で、北斗市がどうしても収まらなければ第2案として「新函館北斗」とすべき、というものだった。その意味では当ブログの望む、ベストではなくともベターの決着を迎えられたとは思っている。沿線地域が唖然とするような奇をてらった駅名とならなかったのは幸いだった。

駅とは、そもそも地元と地域を結ぶ玄関口である。その意味では、住宅の玄関先に掲げられる表札と同様、「ここが誰の家なのか」が明確でなければならない。道南地域では圧倒的な知名度を持ち、全国有数の観光地である函館の名を冠しないということはあってはならず、今後も観光を主要産業として生きていかなければならない北海道にとって、函館を訪れる「内地」からの客がどこで降りればよいのかわからないようでは論外だからだ。

北斗市が主張するように、仮に新駅名が「北斗」で決着していた場合、「内地」からの客はもちろん、下手をすると道内からの客でさえ、駅がどこにあるのかわからず「北斗市ってどこですか?」「函館に行くには結局、どこで降りるのですか」という客と駅員とのやりとりが繰り返されることになりかねなかった。

確かに駅名には「所在する地域を正確に表すものでなければならない」という要請もある。だが、千葉県浦安市なのに「東京ディズニーランド」とか、兵庫県伊丹市なのに「大阪国際空港」など、実際の所在地と名称が異なる公共施設の例はいくらでもある。駅が所在する地域には、駅名が冠せられなくても、そこに駅が存在することによって地元商店街が活性化したり、駅からの固定資産税が地元自治体に落ちるなどのメリットもあるのだから、北斗市にはもう少し「大人の対応」を期待したかったところだ。

とはいえ、北斗市側の事情にも当ブログには理解できる点があるだけに悩ましい。国鉄時代、駅名板には駅名の下にカッコ書きで所在市町村名が記載されていた。例えば「青森(青森県青森市)」「博多(福岡市博多区)」などというふうに。今でも、国鉄時代の慣習が残っている駅では、所在地表示付きの駅名板を見ることができる(豊原駅の例)。JRグループを代表する東日本、西日本の両社が所在地表示を原則としてやめてしまい、北海道でも所在地表示はなくなった。今も駅名板への所在地表示を続けているのは東海、四国、九州の3社くらいだろうか。


艫作駅(JR東日本・五能線) 所在地表示はない


江差駅(JR北海道・江差線) ※2014年5月限り廃止 やはり所在地表示はない

かつて、JR東日本の対面型券売機(もしもし券売機・kaeruくん)問題を追うため、JRへの再雇用を求めて闘っていた国労闘争団・支援者が吾妻線の万座・鹿沢口駅を訪れたことがある(ちなみにこの駅は、JR駅としては唯一「・」が入る駅名として知られる)。この際、町長(当時)の計らいで闘争団・支援者グループと地元住民との対話の場が設けられ、当ブログ管理人も参加したが、ここで地元住民のひとりから「昔(国鉄時代)みたいに、駅名の下にカッコ書きでいいから(群馬県嬬恋村)とさえ書いてくれれば、私たちは別に駅名が「嬬恋」でなくてもいいんですよ」という声が上がったのを私は聞き逃さなかった。

それを聞いて私は、なるほど、駅名で揉めたときにはそういう「妥協案」もあるのだな、と妙に感心したことを覚えている。所在地表示があれば、「万座・鹿沢口(群馬県嬬恋村)」とすることで、そこが万座温泉の最寄駅であることを示すと同時に、駅に降り立った利用客に所在地が示されることで地元のメンツも立つ。観光客も地元住民も両方が幸せになる、こうした解決方法もあるのだ。

今回も、もしJR北海道が所在地表示を残していれば、「新函館(北海道北斗市)」とすることで双方のメンツが立ち、もっと早い段階で円満な解決ができた可能性もある。JR各社が所在地表示をなくすきっかけになったのは平成の大合併であり、いちいち合併で市町村名が変わるたびに駅名板を書き換えていられないというのがその理由だったと記憶する。だが、大合併も落ち着き、市町村の新たな枠組みが確定して大変動もなくなった今、国鉄時代のように所在地表示を復活させてはどうか。函館市と北斗市との不毛な争いを見るにつけ、当ブログはふと、そんなことを思うのである。

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JAL解雇訴訟不当判決(東京高裁)に関する声明/安全問題研究会

2014-06-08 22:31:38 | 鉄道・公共交通/交通政策
日航の整理解雇、二審も「有効」 東京高裁(朝日)

パイロットも二審敗訴=日航整理解雇訴訟―東京高裁(時事)

<安全問題研究会声明>
「再建会社」を労働法治外法権下に置く不当判決に強く抗議する
上告の意思示したJAL労働者にさらなる運動の高揚で答えよう

 2010年末の「整理解雇」により日本航空を追われた165名の労働者が解雇撤回を求めて提訴したJAL被解雇者をめぐる訴訟で、東京高裁は、6月3日客室乗務員、6月5日乗員の判決で、いずれも労働者らの控訴を棄却、会社側の整理解雇を容認する判決を出した。5月21日、大飯原発運転差し止めを認めた福井地裁判決によってよみがえるかに見えた司法は、再びその腐敗ぶりをさらけ出した。安全問題研究会は、評価すべき点など全くない、暗黒判決と言うべき不当きわまる今回の判決に強く抗議するとともに、直ちに上告の意思を示した原告団を支持し、さらなる支援を呼びかける。

 今回の判決は、事実上、管財人の手に渡った「再建会社」には労働法は全く適用されず、管財人・会社は何をしても許される、と宣言するものであり、「再建会社」を労働法の治外法権下に置くことを公然と認めるものであった。このような事態を放置すれば、ますます労働者を整理するための「偽装倒産解雇」戦術がまかり通るばかりとなる。また、司法がこのような治外法権を認め、法の支配を破壊するならば、それは必ず市民の司法不信として司法自身に跳ね返るであろう。

 5日の乗員判決は、航空機乗務員について職務従事経験が「航空機運行の安全」に寄与するとし、また「運行従事経験の多い者が減少することは、運行の安全性確保の点において一定の影響を及ぼさないとはいえない」として、ベテラン乗務員の安全運行への貢献を認めながら整理解雇を容認した。これは、会社の「効率的経営」のためなら乗客は事実上死んでもかまわないと宣言しているに等しく、司法による犯罪だ。

 3日の客室乗務員訴訟を担当した大竹たかし裁判官は、いわゆる判検交流で任官した人物であり、法務官僚時代は大臣官房訟務総括審議官を務めた。訟務総括審議官とは、法律の規定により、国が当事者(原告または被告)となる訴訟で国側代理人として訴訟事務を担当する官僚であり、時には国側代理人として法廷に立つこともある。いわば、3日の客乗裁判は「国側代理人が法衣を着て判決を書いた」ものであり、一片の正当性もない。三権分立の否定であり、行政による司法乗っ取りを意味する判検交流の中止も含めた抜本的な司法制度改革を行うときに来ている。

 今年2月、首都圏を襲った記録的な大雪は、JAL123便墜落現場である御巣鷹の尾根にも大きな被害をもたらした。犠牲者の氏名が記された多数の銘標が折れ、山小屋は半壊した。被害の修復に当たったのは多くの日航労働者だった。御巣鷹の山開きが、例年より1か月遅れながらも実現できたのは、事故の風化と闘い、自社の負の歴史と真摯に向き合いながら後世に語り継ぐことを決意した多くの労働者たちがいるからである。政府・司法・経営が一体となった効率化、安全切り捨てから乗客を守り抜こうとする労働者たちの闘いが、現場の安全を辛うじて支えているのだ。

 来年、2015年は御巣鷹から30年だ。安全のために発言し、行動し続けた経験豊かな労働者を守り、職場に還すこと。そして利益第一、安全軽視の「効率的経営」を進める政府・司法・経営に対し、安全を求める国民各層の声を突きつけていくことが私たちの課題であり、520名の貴い犠牲に応える唯一の道である。当研究会は、引き続き、そのための行動を続けていくことを表明する。

 2014年 6月 8日
 安全問題研究会

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「政経東北」誌、またも大胆な論説掲載~タイトルは「福島県に先はあるか」

2014-06-05 22:50:53 | 原発問題/一般
福島県に先はあるか(月刊「政経東北」誌6月号論説)

当ブログで何度か紹介してきた福島県の地方雑誌「政経東北」が、6月号の論説に当たる「巻頭言」で、またも刺激的な見出しを掲げた。すばり「福島県に先はあるか」だ。

同誌の名誉のために付け加えておくと、同誌は3.11後に「豹変」して福島県政批判をするようになったわけではない。バックナンバーをご覧いただければわかるが、福島県の児童生徒の学力の低下などを捉え、「県の教育政策の失敗」を批判する論調などは震災以前からあった。

当ブログ管理人は、3.11を挟んで福島県には2007年4月から2013年3月まで丸6年滞在した。その間、全国転勤であちこちの県に住みながら各地の地元行政を見、また付き合いもしてきた。福島県に今なお住んでいる人たちには大変申し訳ないが、やはり福島県政は、当ブログ管理人が見てきた歴代県政の中でも「最低ランク」に位置すると思う。

致命的なのは、とにかく県職員の「頭が固い」こと。ある問題の解決が迫られているとき、問題へアプローチする方法は1つではなく複数のルートがある。登山に例えるなら、山頂に至るルートは無数にあって、どのルートから登ろうとも山頂に到達できれば登頂は成功であり、それを疑う人はいない。だが、当ブログ管理人が仕事上付き合いのあった福島県職員は、問題へアプローチする際、1つのルート(しかも困難で決して得策とはいえないルート)しか想定せず、そこで解決に失敗すると「できません」「後はそちらで解決してください」などといわれるケースがままあった。他の都道府県職員なら、せめて「他の解決方法を模索してみます」程度のことは言うだろう。

そうした馬鹿げたことを多数経験させられた当ブログ管理人にとって、『教育以外でもスポーツ、芸術、文化、芸能など「県内にいたのでは先がない」と県外に出ていった人は数知れずいる』という「政権東北」6月号「巻頭言」には大いに同意できる。私の知る限りでも、国鉄が分割民営化されJRとなった際に不採用となった国労組合員らの裁判闘争を指導し、被解雇者1人500万円の和解金という勝利解決に導いた「国鉄闘争共闘会議」の二瓶久勝議長は福島県出身だし、保守・右翼陣営でも、鈴木邦男さん(右翼団体「一水会」顧問)、田母神俊雄・元航空幕僚長は福島県出身である。文化芸術に目を転じても、講談師の神田香織さん、TBS「サンデーモーニング」のキャスターとしておなじみの唐橋ユミさんなど、福島県出身で中央で活躍する人は数多い。6年間の短い滞在だったが、優秀な人ほど地元で活躍の場がないため、優秀な人から順に県外に流出していくという福島県の深刻な構造的課題が当ブログには見えてきたのだ。

そんな中、今年秋に福島県知事選が迫っている。同時期に行われる沖縄県知事選と並び、全国的に最も注目される自治体首長選のひとつになることは間違いない。原発事故を抱えた福島県は今「準非常事態」にあるが、現職の佐藤雄平知事は能力、識見、人望のどれをとっても「平時の県庁中間管理職」がやっとのレベルであり、器でないことは確かだ。さりとて県民が一致して推せる候補も見あたらず、候補者選びは難航を極めている。

『原発事故の影響が大きい福島県においては「県民が『先がある』と実感できるかどうか」が重要だ』と政経東北6月号「巻頭言」は指摘する。同感だ。福島県民の全員が福島県を脱出したいわけではないことは、先の「美味しんぼ」騒動の経過からも明らかだが、そうした福島県民にとっての最重要課題は「将来、健康被害が生じるかもしれない恐れがあってなお、周辺他県と比較して住み続けたいと思えるような県の将来展望が示されるかどうか」であり、それこそが県知事選の最大の焦点だろう。原発政策は、過去の選挙と同様全く焦点化しないと思う。

それでも福島県に残って復興のために頑張りたいと思う県民のためにも、除染などの公共事業のあり方は県知事選の争点として、県民みんなで考え直すべきではないか。効果も限定的で、県民の雇用対策のための一時しのぎとしての性格しか持たず、新たな産業を興すわけでもなければ産業構造の転換を促進するわけでもない除染に数兆円も投ずることは、おそらく、考えられる血税の使い方の中でも最悪の部類に属する(厳しい言い方をすれば税金を「ドブに捨てている」に近い)。こんなことに使う血税があるなら、土壌汚染に悩まされずに福島農業の再生につながる「野菜工場の整備拡充」や、民間研究者に任せきりになっている「家畜の放射線被曝の研究」などにカネを使う方がよほど効果的というものだろう。原発事故を「福島県にしかやれないことをやるチャンス」と捉えるくらいのバイタリティーがなければ、何事も立ちゆかないのではないだろうか。

福島県政からは、凝り固まった頭を解きほぐすような先進的な事業やアイデアは依然として全く聞こえてこない。「美味しんぼ」騒動が明らかにしたのは、ますます「ひとつの解」だけを正解として、それ以外はまるで邪教だとでも言わんばかりの硬直化した県政の姿である。福島県職員のどれだけがこのブログを見ているかわからないが、「若者や子どもを持つ母親が県を捨てて避難したのはいわれなき風評被害のせいだ」と泣き言を言う暇があったら、自分たちが「全国でも最低レベルの県政」だと自覚した方がいい。なにもかも原発のせい、風評のせい、東電のせいと「他の誰かのせい」にしているうちに、県の地盤沈下はこの3年間さらに進んだ。避難した母親の名誉のためにも当ブログは主張しなければならないが、彼女たちは何も好きこのんで避難したわけではなく、原発事故後の初動段階で県が彼女たちを適切にサポートできていたら、その何割かは県にとどまったかもしれない。鼻血などの健康被害もさることながら、その後の県や医師たちの冷たい姿勢に絶望して避難を決意した人たちも多くいたことを当ブログは知っている。

当ブログの見る限り、普通の福島県民はこの3年間、本当によく頑張ってきたと思うが、誤解を恐れず言えば、福島県民にとってこの3年間の最大の不幸は地震でも津波でも原発事故でもなく「この程度の県政しか持てなかったこと」にこそあるのではないだろうか。「美味しんぼ」を非難し、ナントカのひとつ覚えのように風評風評という前に、無能な福島県政にはやることがあるはずだ。「政経東北」誌の批判を、そのための貴重な提言と受け止められる度量がなければ、今度もまた、県政への信頼回復は難しいだろう。

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