(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年1月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
師走の声を聞いてから、自民党各派閥によるパーティー券収入問題が燎原の火のように拡大し続けている。11月に「しんぶん赤旗」日曜版が報じ、政治資金問題に詳しい上脇博之神戸学院大教授による告発に端を発している。清和政策研究会(安倍派)を中心に、政治資金集めのためのパーティー券収入の大半が政治資金収支報告書に不記載のまま処理され、その額は最も多い議員で1000万円、派閥全体では過去5年間で5億円近くに達するとの報道もある。
清和研の場合、派閥が課した集金ノルマは閣僚・党役員・一般議員など立場によって異なるが、一般議員の場合、100万円。各議員がノルマ分だけ派閥に金を「上納」する。各議員が個々に政治資金パーティーを開催し、上納金を上回る金を集められればそれが収入になる。逆にノルマに満たなかった場合は各議員の「持ち出し」となる。平たく言えばそんなシステムといえよう。衆参両院で99人の議員を擁するとはいえ、自民党の一派閥に過ぎない清和研が毎年1億もの政治資金を集めるとは驚きのひとことだ。
事件は清和研のほか、宏池会(岸田派)、志帥会(二階派)にも広がる気配を見せている。政治資金収支報告書への不記載は政治資金規正法違反に当たるため、現在、東京地検特捜部が捜査に乗り出している。本稿執筆時点(2023年12月16日現在)では議員秘書などに対する任意の事情聴取が行われており、臨時国会が閉幕(12月13日)した今後は議員本人への聴取や強制捜査が行われる模様だ。
国会開会中の議員には不逮捕特権がある。議員本人の容疑が固まり立件するとしても、1月の通常国会招集後にずれ込めば、検察当局は議員の所属する院に対し、逮捕許諾請求を行うか、在宅のまま起訴するかの判断を迫られることになる。1月の通常国会開会までが立件に向けた勝負となる。東京地検特捜部は現在、全国から応援検事を集め、50人態勢で捜査に臨んでいる。本気で立件するつもりなら、事実上正月返上となるであろう。
●「リクルート事件に似てきた」
政治記者の間では、今回の政治資金問題がリクルート事件に似てきたという声が上がっている。田中角栄という1人の政治家が巨額の賄賂を受け取ったロッキード事件と異なり、リクルート事件では多くの自民党議員が江副浩正リクルート社長から、関連会社リクルートコスモスの未公開株を受け取っていた。検察は、国会に「手の内」を晒さなければならない逮捕許諾請求を避け、国会議員側を在宅起訴で立件。藤波孝生元官房長官、池田克也元衆院議員に対し、受託収賄罪による有罪判決が確定している。
ジャーナリスト青木理さんは、今回の政治資金問題を「巨悪はおらず、小悪が群れている感じ」だと評する。「ひとりひとりが手にした金額は多くないが、対象が広範囲」という点、また派閥政治への批判が集まっていることがリクルート事件と似ており、「令和のリクルート事件」との評価は間違っていないと思う。
今後の焦点は、この事件がどこまで広がり、どのように展開するかだ。リクルート事件では、あれだけ広範囲に未公開株がばらまかれたにもかかわらず、政治家の立件は2名にとどまり、国民には肩すかしの印象が残った。政治不信は高まったが、それでも何となく世間が収束ムードに向かったのは、折からのバブル景気で国民生活も経済もそれなりにうまくいっていたという背景事情を見逃すことができない。
今回の政治資金問題による市民の怒りは現時点ですでに当時に近づきつつある。長い日本経済の低迷で市民生活が苦しくなっている局面での問題発覚だという点が当時と大きく異なっており、今後の展開次第では当時を上回ることになるかもしれない。
経済低迷の背景には、コロナ禍、ウクライナ戦争によるエネルギーや食品価格の高騰というここ数年のトレンドがある。生活必需品ほど値上げ率が大きく、30数年ぶりといわれる賃上げ幅も物価上昇率にはまったく届かず、特に中間層以下を直撃している。こうした問題は、支持率低下という形で歴代政権の基礎体力を奪い、少しずつ蝕んできた。そこに安倍元首相暗殺事件が起き、日本政界でのパワーバランスが大きく変わったことで、この十数年間、覆い隠されてきた諸問題が噴出してきているというのが筆者の情勢認識である。
●1993年型政権交代の可能性も
インターネット世論では、政権交代を求める声が日増しに強まっている。ネットに書き込んでいるのは「特定の層」が多く、現実世論との乖離も大きいため、これが本当の市民の声かは慎重に見極める必要がある。それでも、岸田政権の支持率17%(時事通信、12月実施)という数字は驚きをもって迎えられた。自民党支持率が2割を切るのも、2012年、自民の政権復帰以降では初めてであり、2009年、民主党に政権交代する直前の麻生政権以来見たことがないような低いものだ。
経済低迷、安倍~菅政権を支えてきた「岩盤保守」層の離反、統一協会問題など支持率低下には複合的要因があり、「これをすれば劇的に支持率が回復する」という特効薬もなさそうだ。岸田政権の瓦解が視野に入る最終局面に来たといえるだろう。
政権交代が今後、起きるかどうかの予測は筆者にも難しい。自民支持率の低下が野党の支持率上昇にほとんど結びついていないからだ。あらゆる世論調査が、離反した自民支持層のほとんどが「支持政党なし」に移行したことを示している。「支持政党なし」が3分の2に迫る世論調査の結果は与野党を超えた「政党全体に対する不信拡大」と見るべきである。
しかし、それでも希望を捨ててはならないと筆者は考える。1989年のリクルート事件発覚から、4年後の1993年に起きた細川非自民連立政権発足までの流れに現在が非常によく似ているからである(この意味でも、今回の政治資金問題に対し、令和のリクルート事件とする評価には首肯できる)。リクルート事件発覚当時も、自民党は許せないが、野党第一党・日本社会党に政権を託せると考える日本人はほとんどいなかった。1989年、政府・自民党にとって最悪のタイミングでめぐってきた参院選では、政権選択選挙ではない参院選独特の「気楽さ」もあってか、社会党が地滑り的に大勝し、参院は自民党が過半数を割る与野党逆転状態となった。竹下内閣によってこの年4月、3%の税率で導入されたばかりだった消費税を廃止する法案(野党提出)が参院で可決されるという事態も生んだ。結局、この廃止法案は自民党が多数の衆院を通過せず、消費税廃止は幻に終わった。だが、このときの与野党逆転状態が、1993年の政権交代を準備することになる。
1991年には、バブル崩壊が次第に市民の目にも明らかになり、日本経済は下り坂に入った(日本経済がこの後「失われた30年」に突入するとは、この時点では誰も思っていなかった)。そこに、1992年、タレント桜田淳子さんの「合同結婚式」参加がスクープされる。統一協会問題をめぐって報道合戦状態となり、日本社会は大揺れに揺れた。
1993年、小沢一郎議員らが自民党を割り、新生党を結成。宮沢喜一内閣不信任決議案が提出され、新生党も賛成して可決されると、宮沢首相(宏池会出身)は衆院を解散。総選挙で自民党は過半数を大幅に割り込んだ。
日本共産党を除く全野党の議席数を足してみると、自民党を上回ることが判明。細川護煕(もりひろ)日本新党代表を首相とする非自民政権が成立。1955年に結党した自民党は初めて下野した。自民党が半永久的に単独政権を担う55年体制の終わりと評されたことは、一定年齢以上の読者ならご記憶の方もいるだろう。
ここで紹介した図は、日本の経済成長率と政権交代の関係を示したものである。インターネット上に公開されていた経済成長率の推移を示す折れ線グラフに、筆者が政権交代の起きた年を入れてみると、一定の傾向が見えてきた。93年の政権交代はバブル崩壊直後、2009年の民主党への政権交代はリーマン・ショックの直後であり、いずれも日本経済が大きく傾いた直後に起きている。
「自民党以外に政権が渡ると経済が悪くなる」として自民党を擁護する保守系評論家、文化人は多いが、こうした議論は原因と結果を取り違えている。実際には経済が悪くなり、利益配分にあずかれなくなった自民党支持層による反乱が過去2回の政権交代につながったとみるべきなのだ。当然、非自民政権はいつも、最悪の経済状態を自民党政権から引き継ぐ形で発足するのだから、そのような批判はそもそも的外れである。
2009年の政権交代時には、受け皿となるべき民主党の支持率が20%を超えていた。そのため小選挙区制下で民主党が自民党を圧倒した。野党第1党でも支持率が10%に満たない現在、2009年のような政権交代劇はそもそも起こりえない。
だが、1993年のような形での政権交代であれば、筆者は起きる可能性はそれなりにあると考えている。折しも、当時以来30年ぶりに統一協会問題がくすぶり続けており、解散命令請求を出された統一協会が自由自在に自民党の選挙運動に動き回れる状況にはない。加えて、11月には創価学会も池田大作名誉会長を失っている。自公政権のバックにいた二大宗教勢力がこれまでのような集票力を発揮できるかわからない。2009年当時もなかったような日本の政治的地殻変動が足下で大きく進んでいる。物価高に怒れる保守層、無党派層が大挙して「自民党への制裁」に出れば、事態は大きく動く可能性がある。
野党各党は、とりあえず政権交代に備え、候補者数だけは確保すべきだと思う。候補者の質はそれほど高くなくていい。少なくとも「同じ選挙区の自民党候補よりまし」程度で十分である。今こそ有権者に自民党以外の選択肢を示すときだ。
その際、細かな政策まで野党各党間で詰めすぎると選挙協力が難しく、かといっておおざっぱな政策での合意にとどまるならば、政権獲得後に不一致が表面化し、過去2回の非自民政権のように瓦解するおそれがある。各党が政権をともに運営する上での基本政策、基本理念について合意の下、選挙協力するとともに、連立政権となった場合には「連立を維持するために、他党と妥協する可能性があるライン」まであらかじめ示した上で選挙に臨むのが、過去2回の失敗を踏まえると適切なのではないだろうか(この意味では、日本共産党が過去何度か公表してきた「民主連合政権構想」はもっと評価されていい)。
●清和研の時代の終わり
話を戻そう。今回の清和研を中心とした裏金問題から「長く続いた清和研時代の終わり」を予測する政治記者が多い。筆者もこの見解におおむね同意する。リクルート事件によって、長く我が世の春を謳歌してきた旧経世会(竹下派)支配が終わりを告げた過去の歴史があるからだ。その後、自民党の中では傍流に過ぎなかった清和会が、小泉純一郎首相(当時)の個人的人気による「小泉旋風」に乗り一躍、主流派に躍り出た。それ以降、今日までのほぼ20年にわたる自民党政権の歴史は、そのまま「清和会支配」の歴史だった。
清和会は、自民党の中でも最も右派的、新自由主義的な一派で、この20年間、自民党を右へ右へと牽引する役割を果たしてきた。国家主義と新自由主義が車の両輪となり、当時、就職適齢期だった「氷河期世代」は徹底的に切り捨てられた。今に続く日本経済の「失われた30年」が、この世代の切り捨てと関係していることを疑う日本人は、今ではいないであろう。それほどまでに、20年の清和会支配が日本に残した傷跡は大きい。今回の裏金問題を契機に「清和会政治の総決算」を行うべきである。
清和会にとって想定外だったのは、安倍元首相が後継者を育てないまま凶弾に倒れ世を去ったことであろう。清和会にとっての安倍元首相は、2009年の下野によって、民間企業でいえば倒産状態にあった自民党を政権復帰で再建した「オーナー経営者」的立場にあったというのが筆者の評価である。民間企業のオーナー経営者には強烈な個性を持つ人物が多い。たとえば柳井正社長が不在のユニクロや、孫正義会長が不在のソフトバンクグループの姿を想像するのは経営の専門家でも難しいであろう。創業者である父親を引退に追い込み、娘が経営権を奪取したものの、あっという間に傾き、他社の子会社として吸収された大塚家具を見るまでもなく、オーナー経営者の存在が大きすぎると、後継者選びは得てしてうまくいかないというのが、大組織の人事を長年見つめてきた筆者の感想である。
一方で、清和会は民間企業と異なり、戦後日本のほとんどを与党として支配してきた巨大政党内部に結成された政治集団である。衆参で99人もの議員を擁する大所帯でありながら、安倍首相殺害後の清和会は、後継会長すら決められず、今回の裏金問題で失脚した「5人衆」を中心とする集団指導体制という異例の形での運営が続いてきた。
本誌読者の中には、過去さまざまな形で左翼政治党派に関わってきた人、現在も関わっている人もいるであろう。そのような人々にとって、自民党の派閥は「どれも大同小異で興味もない」という人も一定程度いるかもしれない。だが、政策や人間関係の微妙な違いによって左翼政党内部にもしばしば存在する「フラクション」(政党内部の「政党」)と同じ性質、機能を持つと説明すれば、少しは興味を持ってもらえるのではないだろうか。自分たち以外の人たちが多数派を形成して自分の所属する政党の執行部を握っており、自分たちのフラクションがそれに対抗していかなければならないときに、トップも決められないというのでは、それが今後どのような末路をたどるかは想像に難くないであろう。今回、清和会が内閣・党役員からの一掃という事態に追い込まれたことは確実に今後、遠心力として働くことになる。
20年もの長きにわたって続いた清和会支配が解体後、どのような政治風景がこの国に現れるか予測するのは難しい。自民党内部から新たな勢力が台頭するのか。清和会以外の現有勢力が合従連衡するのか。自民党は分裂するのか否か。野党との間での政権交代は起こりうるのか。筆者にはどれも同程度の可能性があるように読める。
とりあえず私たち市民にとって重要なことは、停滞、閉塞状況が長く続いてきた国内政治を、2024年は久しぶりに大きく動かすことができるかもしれないということを意識して行動することである。特に、自民党に阻まれて長く日の目を見ないでいる政策(たとえば選択的夫婦別姓、同性婚)などを実現するにはこの先5年間程度が勝負とみるべきだろう。
(2023年12月16日)