人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【お知らせ】「2012年版鉄道安全・ローカル線問題カレンダー」を公開しました/本年もお世話になりました

2011-12-31 14:20:21 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

少し早いですが、大晦日になりましたので、例年同様、「鉄道安全・ローカル線問題カレンダー」2012年版を安全問題研究会サイトで公開しました。トップページからダウンロードできます。A4版に最適化しておりますので、ダウンロード後はA4に印刷の上ご利用ください。

早いもので、激動の年だった2011年も暮れます。同時に2011年は、日本が戦後初めて、本当の意味で正念場に立たされた年だったと思います。

これまでの常識を引きずり、既存の価値観・ライフスタイルを引きずったのでは立ちゆかない新しい社会に世界は突入しつつあります。こうした世界情勢の変化を捉え、どのように日本を新しい社会に導いていけるのか。そのための方法論や人材は出てくるか、来年は厳しく問われる1年になると思います。「崩壊と再生」が2012年のキーワードだと思います。

では、少し早いですが、これが2011年の最後のエントリになると思います。辛いこと、苦しいことばかりの1年でしたが、そんな中で支えていただいた皆さまに改めて今年1年の感謝を申し上げます。来年も引き続き当ブログをよろしくお願いいたします。

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【重要発表】白河市に市民放射能測定所がオープンします

2011-12-30 13:00:00 | 原発問題/一般
福島県では、原発事故以降、すでに福島市などで市民放射能測定所がオープンしていますが、このたび、1月7日から白河市にも開設される運びとなりました。名称は「しらかわ・市民放射能測定所」、通称は「ベク知る」です。設置場所は、マイタウン白河2階です。

この測定所は、先行して開所した福島市等の測定所の例も参考にしながら、白河市のアウシュヴィッツ平和博物館を中心に、当ブログも参加して開設準備を進めてきました。

測定器はベラルーシ製 ATOMTEX AT1320A(写真参照)で、正確な測定ができるよう、鉛で遮蔽した測定器の中に食品を入れ、食品から放射される放射線を測定するものですが、セシウムなどγ線核種しか測定できないこと、食材が一定量以上ないと正確な測定ができないこと、測定器が設置されている地域の空間線量が高い場合、空間からの放射線を完全に遮蔽できず正確な測定結果が得られない可能性があること等の弱点もあります。測定結果はあくまでも参考値にとどめていただきたいと思っています。

利用は完全予約制で、当面は土曜・日曜のみ(10:00~16:00)の稼働となります。予約及び問い合わせ先は、0248-31-7595(マイタウン白河)にお願いします。

<検査方法などの概要>
・測定対象となる食品は重さ1.2kg以上(これ未満では誤差が大きくなります)。
・測定時間:サンプルの容器への出し入れを含め30分とします。
・測定料金:1検体あたり500円(1人1日2検体まで)。なお、みじん切りにするかフードプロセッサー等で細かく砕いてから持ち込んでいただくようお願いします。
・測定結果はその場でプリントし、手渡しが可能です。

スムーズな運営を心がけていきたいと思いますので、ご利用いただく皆さんにもご協力をよろしくお願いします。

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本日の放射能測定値

2011-12-29 23:50:23 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
・計測年月日、時間
 2011年12月29日 午後11時00分~11時10分

・計測場所
 福島県 JR新白河駅西口(高原口)

・計測時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:快晴
 風向・風速:北北西 4m

・計測結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)新白河駅西口バス停横の土壌地
  大気中(高さ100cm)   0.73
  土壌(高さ10cm)    0.76

(2)新白河駅西口駐車場
  大気中(高さ100cm)   0.55
  舗装路面(高さ10cm)  0.56

<測定結果についてのコメント>
先週に比べ、すべての観測地点で放射線量が上昇した。とりわけ大気中(高さ100cm)では2カ所とも0.1μSv/hの大幅上昇となった。

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、2012年1月5日(木)に実施する。

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2011年 当ブログ10大ニュース(今年は20大ニュースに拡大します)

2011-12-26 22:15:14 | その他社会・時事
2011年も残すところあとわずかとなった。そこで、一昨年、昨年に引き続き今年も「当ブログ版 2011年10大ニュース」を発表する。

選定基準は、2011年中に起きた出来事であること。当ブログで取り上げていないニュースも含むものとし、できる限り「福島原発事故に伴う放射能測定値」「日記」「運営方針・お知らせ」「原稿アーカイブ」を除く全カテゴリから選定するものとする。

ただし、今年は内外ともに大事件・大ニュースが続き、とても10では枠が足りない。このため、今年に限った措置として「20大ニュース」に拡大するとともに、1位・2位以外は順位をつけず、カテゴリ別の発表とする。これは、1位と2位は別格としても、それ以外のどのニュースも今年でなければ1位になるような重要なものばかりで順位付けに意味がないということが理由である。

1位 福島原発事故、放射能汚染拡大し多数の避難者(原発問題)
2位 東日本大震災、大津波発生し1万人以上死亡(気象・地震)

以下、1位・2位以外の重大ニュース(順位なし、カテゴリ別)

<鉄道(趣味)>
・新幹線新時代へ、九州新幹線博多~新八代開業で全通、東北新幹線ではE5系「はやぶさ」登場
・C61 20号機、大震災乗り越え高崎線で38年ぶり復活
・名古屋市営地下鉄桜通線、野並~徳重間延長開業

<鉄道(安全問題、交通政策)>
・JR不採用問題(国鉄闘争)、国労等と国・運輸機構が和解し終了、雇用なし
・中国高速鉄道で衝突事故、信号設計ミス原因か
・揺れるJR北海道~石勝線トンネル火災事故と中島社長自殺

<気象・地震>
・7月末の「福島・新潟豪雨」で大きな被害
・台風12号による大雨、紀伊半島で大きな被害~台風被害としては平成最悪に

<原発問題>
・放射能から子どもたちを守れ!~日本でも始まった「お母さん革命」

<社会・時事>
・米占領軍、イラクから完全撤退、米国事実上「敗北」
・「アラブの春」、エジプト・リビアで相次ぎ独裁政権崩壊
・先進国でも民衆蜂起拡大~東京反原発6万人デモとウォール街占拠運動
・ヨーロッパ通貨危機表面化、ギリシャ・イタリアでは危機激化
・金正日・朝鮮労働党総書記死去 朝鮮半島情勢流動化か
・世界でも災害続く~NZ地震で日本人留学生ら多数死亡、タイでは歴史的大洪水

<芸能・スポーツ>
・全日本女子サッカー、WCで世界制覇

<IT・PC・インターネット>
・地上波テレビ全面地デジ化でアナログ時代に幕、ただし被災3県は延期

<農業・農政>
・野田首相、TPP参加表明へ~それでも反対の闘い続く


鉄道(趣味)関係では、今年は新規開業が多く、東日本大震災さえなければ近年にない明るい年になるはずだったが、その希望ははかなく崩れた。

全体を通して思うのは、今年は日本国内が震災と原発事故一色だった反面、世界では金融危機など既存の世界秩序の混乱の中から「アラブの春」「ウォール街占拠」など新しい世界秩序を求める下からの胎動も感じられたことである。総合的に見て、今年はスーダンの内戦終結~南スーダンの独立など明るいニュースも多く、この20大ニュースにも海外ニュースのランクインが目立った。

ただし、2012年は新しい世界秩序に向けた「産みの苦しみ」も始まるだろう。この動きを一過性のものに終わらせることなく、カネから命、1%の支配層から99%の民衆が主人公となる社会への確かな転換として押し出す希望の1年にしなければならない。

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名古屋市営地下鉄延長開業区間に乗る/2011年完乗まとめ

2011-12-24 23:05:04 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
所用で大阪に行く道すがら、かねてから念願だった名古屋市営地下鉄桜通線延長区間に乗りに行った。

新白河駅を7:19発の「やまびこ204号」で出発。新大阪には14時までに着けばよいので、桜通線延長区間に乗るだけであればこんなに早い時間帯の新幹線で出る必要はないが、やまびこ204号は下り「やまびこ223号」とともに、新白河に停車する1往復だけのE5系なので、乗ってみたかったのである。

正午前、新幹線を名古屋で降りる。名古屋勤務時代以来、久しぶりに降り立つ名古屋駅はなんだかとても懐かしかった。もう名古屋を離れて5年以上経つのに、いまだに桜通線まで迷わず行ける。

今年3月に延長開業となったのは、桜通線野並~徳重間、4.2kmである。1992年の運輸政策審議会答申第12号「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」によって、2008年度までに整備すべき区間として地下鉄6号線(桜通線)野並~徳重間が挙げられていたことに伴うものである。ただし、2008年度までに整備すべき区間と謳われながら、建設工事は2003年度にようやく着工している。

名古屋から今池、御器所など、かつて慣れ親しんだ駅名を聞きながら進む。野並からはいよいよ延長開業区間だ。名古屋から約35分間で終点、徳重(サムネイル写真)に到着した。

徳重駅にはバスターミナルも整備されており、徳重から名鉄有松駅を経由して鳴海団地に抜ける路線が1時間に1本運転されていることがわかった。もう少し時間があれば、これで有松に出て、名鉄急行で名古屋に戻るなどもおもしろいと思ったが、時間の関係で断念し、再び桜通線で折り返す。有松は名古屋時代に住んでいた場所だけに惜しいと思う。

<完乗達成>名古屋市営地下鉄桜通線(奪還)
奪還とは、一度全線完乗を達成した路線で延長開業等があり、全線完乗の記録を失った後、再び延長区間の全線に乗車して記録を奪還することをいう。桜通線は一度完乗を達成しているので、奪還である。また、名古屋市営地下鉄全体で見ても一度完乗を達成しているので、奪還となった。

さて、2011年中の新規完乗はこれで最後なので、ここで2011年の完乗達成状況をまとめる。

【7月】上毛電鉄
【12月】名古屋市営地下鉄桜通線(奪還)

これだけ。たったこれだけである。しかも桜通線は奪還なので、純増は上毛電鉄だけ。目標の5線にも遠く及ばなかった。だが、今年は異常事態だったので、やむを得ないと思っている。

内訳は、
【公営】名古屋市営地下鉄桜通線
【中小私鉄】上毛電鉄

現・廃・新の別は、新規開業線1、その他1である。

来年の目標をどこに置くかは、改めて新年に発表したい。

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市民を幻惑させ、抑圧して「科学」はどこに行くのか?~科学界は今、敗北を真摯に認め、謝罪せよ!

2011-12-23 21:26:07 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年1月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

早いもので、2011年ももう1年を振り返る時期に入った。せめて年末年始にじっくり読まれることが多い新年号くらいは、それにふさわしい明るい話題を書きたかったというのが本心だが、残念ながら3.11の大震災と福島原発事故によって、日本国内では本当にいいことがなかった。

だが世界に目を転ずると、今年はウォール街占拠やヨーロッパの通貨危機も起きた。イラクからは米軍が全面撤退に追い込まれ、イラク戦争以来の米軍支配がついに終わりを告げようとしている。世界中の自覚的な市民が「政治とは、社会とは、国家とは」を真剣に考えた。彼らの多くが非暴力で既存の支配体制に対して自然発生的に異議申し立てを行い、エジプト、リビアなどいくつかの国で体制転換が実現した(リビアは軍事介入もあったので、あまり褒められた形とはいえないが)。その意味で今年は激動の1年だった。1989年ほどではないとしても、2011年は間違いなく歴史の転換点として刻まれることになるだろう。

 国内に関していえば、2011年は既存の支配体制が不可逆的な崩壊過程に入った年として間違いないように思う。特に福島原発事故は日本国内で誰も勝者がいない全面敗北といえる事態であるが、その中でも最大の敗者となったのが「メディア」と「科学界」である。この両方を一度に取り上げるほどの筆力は筆者にはないので、今回は科学界に的を絞って、彼らに「総括」を迫りたいと思っている。

 ●「科学者」というだけで街を歩けない

 「ただちに健康に影響はない」「プルトニウムは飲んでも安全。重いので遠くには飛びません」「年間100ミリシーベルトまでなら被曝による有意なガン発生率の上昇は見られない。マスクもする必要はありません。みんなが信じてくれるのだったら、(自分の孫を飯舘村で泥遊びさせるくらいは)お安い御用だと思います」「セシウムは筋肉に蓄積するが、筋肉はガンにかからないので問題はない」…こうしたばかげた安全デマが、原発事故直後からこれでもかというほど流された。「ミスター100ミリシーベルト」と呼ばれ、今、福島県立医科大学の副学長として県民健康管理調査(という名の事実上の人体実験)に携わっている長崎出身の学者に至っては、福島県内で発言の整合性を厳しく問われ、今、原発のある浜通りでは「街を歩けない」と言われるほど住民の怒りを引き起こしている。最後の発言をした御用学者は首都大学東京の教授で、自分の過去の発言を忘れたかのように、今なお国内某大手企業が生産している線量計の「監修」をしている。

 こうした犯罪的御用学者の言説は、初めのうち御用メディアを通じて影響力を持ち得たようだが、放射線の影響に最も敏感な子どもたちを中心に実際に鼻血、下痢、紫斑など被曝に特有の症状が現れ始めるのを見て、まず母親たちから科学者への疑いが芽生え始めた。福島はじめ首都圏でも母親たちを中心に真実を知りたいという願いが強まった。そんなとき、科学界はどのように行動したのか。

 ●「俺が安全と言っているから安全」を押しつけるカルト宗教

 結果からいえば、母親たちの願いに科学界は全く応えなかった。数字やデータも示さず、無根拠に「安全だから信じろ」という傲慢な姿勢に終始したのである。

 こんな指摘をすると、「数字は出している」という反論が出るかもしれない。しかし、計画的避難区域となった飯舘村出身でみずからも避難者となり、「負けねど飯舘」プロジェクトの実行委員をしている佐藤健太さんは「放射線医学総合研究所(放医研)でホールボディーカウンター(内部被曝を検査する装置)の検査を受けたら、大丈夫といわれるだけで数値による結果は開示されなかった」と語っている。福島現地で生活していると、この手の話はごろごろ転がっている。

 原子力村を中心とした傲慢きわまりない自称「学者たち」に対し、当コラムは強く警告しなければならないが、母親たちは「お前が安全と思うかどうか」のくだらない見解など求めていない。具体的に、どの程度の被曝をすれば誰にどの程度の影響があるのか。全員に等しく影響が出るのでないとすれば、晩発障害も含めた確率的影響はどの程度なのか。そうしたことに関するデータ、判断材料を求めているのである。県民は何を食べ、何を食べるべきでないのか。子どもを避難させるべきかどうか、それを基に判断したいのだ。

 本来なら、そうしたデータは住民に言われなくても政府・自治体・東京電力がみずから開示すべきであるが、彼らにそれを期待できない以上、学者が住民の側に立ち、政府・自治体・東電との橋渡しを担わなければならなかった。だが、原子力マネーに買収された科学界はその役割に応える意思すら全く見せなかった。

 根拠も示さず「俺たち専門家が安全と言っているのだから、何も知らない愚民は黙って言うことを聞け」というのが「科学」だというなら、それはカルト宗教と同じである。筆者はそのようなカルトまがいの自称「科学」を断固として拒否する。将来を担う子どもたちのためにも、日本の総力を挙げて彼らを解体すべきだ。

 ●市民科学への胎動

 2011年11月4日、NHK「特報首都圏」は「“科学不信”動き出した市民たち」と題する特集番組を放送した。政府、電力会社、科学者をすべて信じられなくなった女性たちを中心に、高木学校への講演依頼が急増しているというのである。

 高木学校は、市民のための科学を唱え、1990年代からプルトニウムの危険性を訴えるなど一貫して反原発の立場で活動を続けた学者、高木仁三郎(故人)の業績を残し、伝えるため設立された団体である。高木仁三郎はこのような言葉を私たちに遺している――「科学者が科学者たりうるのは、本来社会がその時代時代で科学という営みに託した期待に応えようとする努力によってであろう。高度に制度化された研究システムの下ではみえにくくなっているが、社会と科学者の間には本来このような暗黙の契約関係が成り立っているとみるべきだ。としたら、科学者達は、まず市民の不安を共有するところから始めるべきだ。そうでなくては、たとえいかに理科教育に工夫を施してみても若者達の“理科離れ”はいっそう進み、社会(市民)の支持を失った科学は活力を失うであろう」

 まるで今日の事態を正確に予言していたかのようである。あまりに閉鎖的で、批判も多様な意見も受け入れず、ハリネズミのように凝り固まって狭い共同体の維持に汲々とする原子力村。そこからいずれ取り返しのつかない事故が起きるであろうことが、高木にははっきり見えていたのだ。

 今、高木学校への講演依頼がとりわけ女性から急増しているという事実は、「御用科学」の全面敗北を意味している。自覚的な市民の多くは、すでにそのことに気付いているが、困ったことに当の科学界だけがいまなお自分たちの敗北に全く気付いていない。多くの国民が敗北を覚悟し始めてもなお、軍部だけが敗北を認めようとしなかったあの戦争の時と同じである。彼らに敗北の事実を認識させ、科学界全体として日本と世界の市民に対する謝罪と賠償を要求していくことが必要であろう。

 責任は私たち市民の側にもある。御用科学に対抗できる文化としての市民科学を作り、育成する努力を怠ってきたことだ。高木学校のように、いつも市民や社会的弱者の目線で事実を見ながら、彼らと寄り添い対話を続ける。そのような新しい時代の科学を確立し、育てていくことが今後の課題であることは間違いない。

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【当ブログ管理人よりお知らせ】

この記事の中で取り上げているNHK「特報首都圏~“科学不信”動き出した市民たち」が2011年12月26日(月)15時15分から再放送されます。番組名に「首都圏」とついていますが全国放送です。見逃してしまった方はこの機会にぜひご覧ください。首都圏以外では初めての放送となりますので、興味のある方はぜひご覧ください。

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本日の放射能測定値

2011-12-22 22:34:50 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
・計測年月日、時間
 2011年12月22日 午後9時15分~9時25分

・計測場所
 福島県 JR新白河駅西口(高原口)

・計測時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:雪
 風向・風速:北西 2m

・計測結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)新白河駅西口バス停横の土壌地
  大気中(高さ100cm)   0.63
  土壌(高さ10cm)    0.72

(2)新白河駅西口駐車場
  大気中(高さ100cm)   0.43
  舗装路面(高さ10cm)  0.42

<測定結果についてのコメント>
白河地方は先週末から一気に真冬に突入し、17日(土)にはわずかながら積雪も記録した。今回の測定は、原発事故後、積雪を経験してから初めての測定となるだけに結果が注目されたが、舗装路面については高さ10cmで減少したものの、100cmではわずかに増加。土壌については10cm、100cmとも0.01~0.03μSv/hの微増となった。

この結果が測定器の誤差の範囲か、雪の影響かについてはさらに今後の推移を見極めたいが、できる限り雪には濡れないようにするのが望ましいことはいうまでもない。

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、12月29日(木)に実施する。

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<緊急寄稿>金正日総書記の死去報道を読み解く

2011-12-20 22:13:47 | その他社会・時事
(本エントリは、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」用に執筆した原稿をそのまま掲載しています。)

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 金正日・朝鮮労働党総書記の死去の報が流れた。だが私はこのニュースを聞いても全く驚かなかった。

 12月13日に朝鮮中央テレビ女性アナウンサー、リ・チュンヒ(李春姫)氏が50日以上ニュース番組に出演していない、という報道が日本のバラエティ番組で面白おかしく取り上げられているのをご記憶の方も多いと思う。民族衣装を身にまとい、激しい抑揚で北朝鮮政府の公式見解を内外に向けて発表するあの女性アナウンサーである。いつの頃からか、日本のテレビでもすっかりおなじみになった。

 私は、このニュースを見た直後、半分冗談、半分本気で連れ合いにこう言った。「こんな恐いことを憶測でネットなんかに書けないけど、金総書記死去なんてニュースがそのうち年内か年明けくらいに流れるかもしれないよ」と。

 ●明らかな「予兆」

 予兆はあった。11月末頃、なんとなくネット動画投稿サイト「ユーチューブ」を見ていた私は、あるひとつの動画にたどり着いた。それを見た私は衝撃を禁じ得なかった。今年秋、平壌で行われた北朝鮮のある公式行事で、壇上にいる金総書記の衰弱ぶりが尋常ではなかったからだ(何の行事か覚えていない上、そのネット動画も今うまく探せないが、時期から判断して9月9日の建国記念日か、10月10日の朝鮮労働党創建記念日のどちらかだと思う)。

 その際の金総書記は、お年寄りが階段を上るときのように手すりにつかまりながら登壇し、虚ろな表情で拍手をしながら、終了後も手すりにつかまりながら退場した。金総書記が倒れないよう、すぐ後ろに立ち、不安な表情で見守る朝鮮人民軍幹部の姿も映し出されていた。金総書記が手すりにつかまりながらでなければ通常歩行すらできないという事実は、私に「これはもう長くないかもしれない」と思わせるに充分だった。

 その上、冒頭で紹介したリ・チュンヒ氏の50日以上にわたる不在。これが私の「直感」を増幅させた。

 ●リ・チュンヒ氏の不在が意味するもの

 リ・チュンヒ氏が10月中旬から50日以上にわたって北朝鮮のニュース番組に登場していない――この事実に日本で最初に気付いて国内メディア向けに配信したのは財団法人「ラヂオプレス」だ。この団体は、もともと1941年に外務省が設置した「ラヂオ室」が前身で、戦後は財団法人として外務省から切り離された。主として情報統制の厳しかった共産圏のラジオ放送を傍受し、その記事を翻訳・解説して日本国内のメディアに流す通信社である。若い人にとっては初めて聞く名称かもしれないが、ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊するまで、閉ざされた共産圏の情報を日本に配信できるほとんど唯一の通信社として独特の存在感を発揮していた。

 国内メディアはせっかくこんな貴重な情報の提供を受けたのに、日本の女子アナのスキャンダルを報じるような感覚の下にバラエティ番組で面白おかしく取り上げるだけに終わった。東西冷戦が激しかった1960~80年代には、「ソ連のラジオでニュース番組が突然放送されなくなり、代わりにクラシック音楽が流され始めた」という情報から「党書記長死去」を読み解くなど、ラヂオプレスが流す情報から言外に含めたメッセージを理解していた日本のメディアも、すっかり情報分析力が退化し、今回、ラヂオプレスが言外に含めたメッセージの解読すらできなかったようだ。

 北朝鮮のアナウンサーは「放送員」と呼ばれ、役職が上のほうから順に「人民放送員」「功労放送員」「放送員」の3種がある。「放送員」は事実上のヒラ放送員である。政府の重要方針、最高指導者の動静、重要な国家的行事の生中継といったトップクラスの放送は人民放送員が担当する。人民放送員の多くは朝鮮労働党員である。これに次いで重要な放送は功労放送員が担当し、それ以外の一般ニュースは放送員の担当である。1994年に金日成主席が死去したとき、その放送を行ったリ・サンビョク氏も人民放送員だった。リ・サンビョク氏はその後死去しており、現在はリ・チュンヒ氏が事実上トップ放送員だというのが北朝鮮ウォッチャーの間での一致した観測だった。今回、金総書記の死去をリ・チュンヒ氏が担当したことは、この観測を裏付けるものだ。

 極端な言い方をすれば、北朝鮮では「ニュースの重要度は内容ではなく、誰がそれを読むかによって決まる」といえる。メディアは単なる政府の宣伝機関に過ぎないのだから、こうなることは当然の帰結である。人民放送員が担当する放送は、北朝鮮国民ならよくそれを聞いて政府の方針を理解しなさい、ということである。

 その意味で北朝鮮のメディアは「いつものニュースキャスターが休暇を取っていれば代わりに別のキャスターが読めばいい」という日本のメディアとは根本的に違う。日本のメディアがこうしたスタイルを取るのは、「ニュースの重要度は内容にあり、誰がそれを読むかによって決まるのではない」ということが社会的合意となっているからである。

 こうした状況の中で、リ・チュンヒ氏が10月中旬以降、50日以上も朝鮮中央テレビに登場しなかったという事実は重要な意味を持つ。人民放送員が担当すべき重要な放送が50日以上にわたって行われないということは、すなわち50日以上にわたって北朝鮮では重要な国家的決定が行われず、最高指導者の動静もなかったということを意味する。金総書記の身に何かが起きているのではないか――ネット動画で見た金総書記のボロボロの健康状態とあいまって、そうした直感がふと私の頭をよぎった。連れ合いに向かって発した私の冒頭のひとことは、こうしたことを根拠にしていた。

 「一葉落ちて天下の秋を知る」という中国の故事成語がある。わずかな兆候をキャッチし、それを正確に分析できれば事の本質に迫れるという意味だ。情報を統制し、真実を明らかにしようとしない相手を知るには、こうしたわずかな兆候を捉えることが必要である。残念なことだが、こうした技能は今後、既存メディアが壊死しつつある日本でも確実に必要になるだろう。情報隠しに明け暮れる東電対策にもこの方法はある程度有効である。

 ●北朝鮮は今後どこへ?

 不確実な東アジア情勢の中で、北朝鮮が今後どこに向かうかを予測することは難しい。総書記の三男・金正恩氏がその後継者だというのが北朝鮮政府の「公式見解」であろうが、公式発表されている正恩氏の経歴によれば彼は1983年生まれである。まだ20代の正恩氏に歴史上最も困難な状態の北朝鮮の舵取りが務まるとはとても思えない。しばらくの間は集団指導体制となるであろう。

 党、軍、政府各機関を掌握していた金総書記の死去によってこれらが全くバラバラに活動し始めることがないとはいえない。特に朝鮮人民軍は「党の私兵」という位置づけのまま半世紀以上にわたって活動してきた。金日成主席~金総書記時代には「党」とは事実上主席や総書記個人を意味しており、「党」を失った朝鮮人民軍が何者にも統制されない暴力装置として他の全階層の上に君臨するという事態は避けなければならない。

 日本が取るべき道は決まっている。冷静に東アジア情勢を見る必要がある。軍事挑発に挑発で応えてはならない。困難な情勢にある北朝鮮は、瀬戸際外交を繰り返しつつも、最後は対話に応じる以外に道はないと悟るであろう。その時のために対話の窓口を開けておくべきである。国交回復を目指すべきことは言うまでもないが、国交のない相手でも非公式の対話チャンネルならいくらでも設置できる。感情に走らず粘り強い対話を呼びかけ続けることが大切である。

 現状では北朝鮮の核開発はそれほど大きな問題ではない。日本の支配層の代弁機関である商業メディアの空騒ぎに付き合っていたずらに敵対姿勢を取ることは慎むべきである。もとより核開発・保有は人類道徳に挑戦する野蛮な冒険であり非難されなければならないが、原発からの放射能汚染水を海に投棄した日本が北朝鮮に核放棄を迫っても笑いものになるだけだ。残念ながら日本には現在その資格はなく、野田政権は福島原発事故を収束させるほうが先だ。北朝鮮に核放棄を迫る役割は韓国が果たせばよい(中国・米国はみずからも核兵器保有国であり、自分が先に核軍縮の姿勢を見せない限り北朝鮮を説得するのは無理だ。北朝鮮に核放棄を要求する資格を持っているのは、みずからは核兵器を保有せず、同じ民族・同じ言語・同じ文化を持つ韓国のみであろう)。

 過去の侵略戦争と植民地支配の謝罪をしない国を相手が信頼などするわけがない。北朝鮮に対しても、戦争責任を日本がきちんと取ることを忘れてはならない。

<参考文献>
 本稿執筆に当たっては、「北朝鮮アナウンサーの話術の秘密を『放送員話術』から分析する」(「アジア放送研究会」レポート)を参考とした。

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経産省前テント日誌(番外編) 98~99日目

2011-12-18 23:36:40 | 原発問題/一般
テント日誌(番外編) 98~99日目

 2011年12月17日(土) 快晴(最高気温10度/最低気温3度)

 早いもので、経産省前のテントも98日目。いつの間にかパリ・コミューン(72日間)よりもずっと長くなり、100日が見えてきた。

 多田謡子反権力人権賞授賞式のため、福島から上京する。テントに立ち寄りあいさつを交わす。テント前に座り込んでいるのは国労組合員でJR退職者のSさん。年明けに予定されている中野勇人さんのマラソンや、佐久間忠夫さんのハンストについて少し話す。

 あいかわらず、経産省からは「テント内でガスストーブを使うな」などといろいろなことを言ってくるそうだ。原発を推進し、国民には東電の電気を押しつけながら自分は東電からの電気を買わず、PPSの電気を使っているご都合主義の経産省ごときにとやかく言われる筋合いはない。

 正午頃、経産省の腕章を付け、作業服を着た職員とおぼしき男性が1人、テントを疎ましそうな目つきで見ながら通り過ぎた。誰のせいで福島がこんな事態になっていると思っているのか! 本当は胸ぐらをつかんでやりたかったが、経産省廃止法案を自分で作って各政党に提示した私はいわば経産省に退場宣告をした人間だ。こんなクズ官庁にもう用はないし、時代の役割を終えた経産省は「新自由主義歴史博物館」でも作って、経団連と一緒にそこにぶち込んでやればいいと思っている。

 正午過ぎ、いったんテントを辞する。今年、「多田謡子反権力人権賞」に福島原発との闘いからは2個人・団体が選ばれた。双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎さんと、脱原発福島ネットワークである。この他、女性のための医療実現に尽力した佐々木静子さん、「非正規」滞在外国人の権利のために活動してきた“ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY”が受賞者である。

 この賞は、華々しく闘い、勝利した人に輝かしく贈られるものではない。最も困難な情勢の中で、時には倒れながら底辺で最も苦しい闘いをしてきた人たちに光を当て、彼らを鼓舞するための賞である。それ故に、この賞の受賞は闘いの終わりを告げるものではない。それでも、この賞を受賞できる人たちはまだいい。この影には表彰されることもなく、光さえ当たることのない困難な闘いが10倍、100倍はあるのだ。

 受賞4個人・団体からの発言はいずれも強い印象に残った。要点だけ示しておくと、“ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY”の弱冠29歳の若き理事からは、この国のお寒い入管行政の影で見えない存在だった「不法」滞在外国人の権利獲得の手段として、法務省入国管理局への外国人「集団出頭」の闘いが紹介された。年越し派遣村と同じ社会的弱者の「見える化」「可視化」がその後の在留特別許可につながっていった。日本には、単純労働のための在留資格がないため、多くの外国人が「技能実習生」と称して送り込まれ、企業の勝手な都合で在留許可が切れて以降も劣悪な条件で働いている。そうした「不法」滞在外国人から生まれた子どもには国籍すらない。日本が出生地主義でなく血統主義を取っているためこのような問題が起こるのだという。

 最近は何でも「法に触れているか、否か」だけでしか物事を見ようとしない日本国民が増えたが、我々と同じように彼らにも生活がある。政府の究極の仕事は国民を食べさせることだ。文革当時の中国で、「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕るのがよい猫だ」と発言した政治家が「修正主義分子」として失脚したことがあったが、どんな崇高な理想を掲げようとも、国民を食べさせられない政府がよい政府であるわけがない。

 佐々木さんからは、子宮筋腫でない女性に子宮筋腫と診断し、子宮と卵巣まで摘出するという1980年の「富士見病院事件」を受け、女性のための医療実現に尽力した様子が報告された。被告だけでなく女性全体の闘いにすること、そのために病院内で開いた勉強会には医療職だけでなく、女性なら事務員でも清掃員でもみんなに参加してもらったという。「みんなが参加」「身分による区別をしない」「女性全員の闘いにする」は、いずれも今日の闘いにも通用する重要な示唆、教訓である。

 石丸さんからは、放射能に鈍感で頼りにならない中高年男性と敏感で頼りになる女性との対比が鮮やかに語られた。最近の闘いを見ていると、原発に限らずあらゆる運動が「金権鈍感オヤジ」をどうするかの話題になる。1%の支配側にいるこの「金権鈍感オヤジ」を若者と女性でどうやって包囲し倒すかがすべての運動分野で問われている。ちなみに、余計なお世話と思われるかもしれないが、「鈍感オヤジ」は運動陣営内部にもいる。思い当たることのある方は猛省していただきたい(もっとも、自分で気付く人はたいした問題ではない。根拠もなく「俺だけは違う」と思っている者こそ真の鈍感オヤジなのだ)。

 脱原発福島ネットワークの佐藤和良・いわき市議からは、原発被爆者援護法制定運動の意義が語られた。戦争責任を曖昧にしてきたことが今日の結果を招いたという問題意識は私たちと同じだ。原発事故は、私たちの住んでいるのが「人類史上まれに見る犯罪国家」だということを明らかにした。どんな運動分野からでもいい。庶民を痛めつけると高くつくという前例を作り、この犯罪国家に屈辱を強制しなければならない。

 交流会の司会者から、石丸さんを推薦した人間として、何かあいさつしてくれと私にマイクが回ってきたので、概略、次のように話した。

 「4人の話に大変な感銘を受けました。ここに来る前に、経産省前のテントに寄ってきたのですが、このテントの良いところはリーダーや偉い人がいないことです。みんなが対等の当事者として生き生きとやっている。女性であれば事務員や清掃員の人にも勉強会に入ってもらったという佐々木さんのお話を聞いて、差別をしないところがテントと同じだと思いました。11月に私の地元、白河で「白河・水俣展」がありました。親身になって水俣病患者の相談に乗り、治療にも当たってきた原田正純先生という方が、「公害が発生したから差別が生まれるのではない。差別があるところに公害が持ち込まれるのだ」と仰っていると聞いて、福島と同じだと思いました。

 この会場にいらっしゃる方々は、皆さんどんな小さな差別もゆるがせにせず闘い続けてきた人ばかりだと思います。私たちの闘いをもっともっと多くの人に広げていきましょう。原田先生の仰るように、差別のあるところに公害も原発も基地も持ち込まれるのだとすれば、みんなが差別をなくすことで公害も原発も基地もなくせると思います。ですからもう一度原点から考え、みんなで自分の周りにある一番小さな差別からなくしていく。そういう闘いを私はこれからしたいと思っています」

 午後7時半過ぎ、テントを再訪する。98日目と書かれた日めくりを見ながら、この数字はどこまで伸びるのだろうとふと思う。放射能漏れも止まらないうちから再稼働だ、冷温停止だ、原発輸出だと野田は寝言を言っている。この策動と、それに対する広範な怒りが存在する限り、この数字はいつまでも伸び続けるだろう。

 98日前、突如として現れた「解放区」。女性テントの中では、老若男女が集い「反基地と反原発、未来の想像力」と題したイベントの最中だった。「犯す前に犯すと言いますか」と言い放った防衛局長の暴言に抗議して、沖縄でも女性の闘いが繰り広げられ、このテントにも持ち込まれている。その国の文化度は、女性や子どもがどのように扱われているかを見ればわかる。福島でも沖縄でも、女性の扱われ方は野蛮な未開文明国並みだ。最低だな、この国。

 普段、この時間の女性テントは男子禁制だが、イベント時は入れるという。「秘密の花園」に足を踏み入れると、こたつでお菓子を食べながら楽しそうだった。

 10月、女たちの100人座り込みを支えた「ひまわり」さんに出会った。連れ合いから話は聞いていたが、ひまわりのように周囲を明るくできる、その名に違わない人だ。生活用品など「何でも揃ってるね」と私が驚きの声を上げると「そうでしょう? 今、ないのはキッチンくらいですよ」と笑っている。

 夜9時半頃、イベントも終了して引き上げようという頃、椎名さんが戻られた。田中龍作ジャーナルでの凛とした姿に惹かれて、是非「謁見」願いたいと「ひまわり」さんに事前にお願いしたら快諾してくれた。ようやく実現した「謁見」である。和服に身を固めたそのお姿はやはり凛としている。この人がテントにいるだけで、困難なことがあっても「何とかなるさ」と思えてしまう。カリスマ性とまでは言わないにしても、不思議な魅力を持つ女性だと思った。

 福島原発事故以降、高濃度汚染された福島での困難な闘いに私は何度も絶望し挫折しかけた。そんなとき、励ましてくれたのは連れ合いの他、こうしたすてきな女性たちとの出会いだった。彼女たちがいなければ、この困難に立ち向かうことはできなかっただろう。連れ合いには感謝しているし、すてきな女性たちにはいくら感謝しても足りないくらいだ。日本社会の「一方」にはこうしたすてきな女性たちがいる。彼女たちが水を得た魚のように生き生きと活動し続ける限り、まだ希望を棄ててはいけない。女性テントは今や希望の光なのだ。

 日本社会全体をこのテントのようにしなければならない。それが自分に課せられた使命だということを、佐々木静子さん、そしてテントの女性たちから学んだ有意義な1日だった。もし日本社会全体がこのテントのようになれば、そのときこのテントは不要になる。日めくりの数字が止まる日が1日も早く来ればいい。

 夜も更けてきた。第1テントに戻った私は福島の現状をいろいろ聞かれた。夜11時半過ぎ、床に入った。毛布1枚を床に敷き、寝袋に入って身体の上にも毛布を2枚掛ける。「寒いぞ」とさんざん周りの人に言われたが、福島では寝室に暖房を入れないと室内でもこのくらいの寒さになることがよくある。それに慣れているせいか、寒くは感じなかった。

 99日目 2011年12月18日(日) 快晴

 7時起床。外務省前はまだイチョウの木が金色に染まっている。その木から落ちてきた金色が歩道に散らばっている。

 経産省の向かい側は財務省だ。来年度の予算査定が大詰めを迎えている頃だろう。財務省の関係者から以前聞いたことがあるが、財務省の建物の中にはコンビニがあり、24時間営業している。24時間需要があるから営業しているわけで、「国のため」といえば聞こえはいいが、官僚たちがそんな働き方をしているようでは、ブラック企業がはびこる世の中もなくならないと思う。

 テントのメンバーがテント前の歩道を掃除していたので手伝う。箒を手にイチョウの木から落ちてきたらしい金色を掃き清める。最近の情勢を見ていると、資本主義は自分の目の黒いうちに滅びるかもしれないという気がする。義務としてではなく喜びとして働くことが、来るべき新しい社会に向けた予行演習のような気がしたのだ。

箒を片付け、コーヒーを1杯いただいた後、メンバーに丁重にあいさつして、午前8時半前、テントを辞した。空は今日も快晴。

明日はいよいよ100日目、記念日のお祝いだ。

 ふと、川柳を思いついた。最後に1句。

 「寒風を 越えてひまわり 100日目」

 (文責:黒鉄好)

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【お知らせ】明日、多田謡子反権力人権賞授賞式が開催されます

2011-12-16 21:32:08 | 原発問題/一般
直前のお知らせになり、申し訳ありませんが、明日17日、東京にて多田謡子反権力人権賞の授賞式が開催されます。詳細は多田謡子反権力人権基金運営委員会サイトをご覧ください。

明日、当ブログ管理人はこの授賞式に出席予定です。

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