(この記事は、当ブログ管理人が
「レイバーネット日本」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
新型コロナウィルス報道にすっかり覆い隠されているが、東日本大震災被災者にとっては忘れ得ぬ9回目の3.11がまためぐってきた。
何もかも異例ずくめの冬だった。北海道なのに、本州に近い道南地域では雪不足でほとんど営業できないままのスキー場があった。この冬、積雪最深は道北・音威子府村で158cm(3/8現在)。200cmを超える積雪は今季まだ一度もない。このまま道内で1カ所も200cmを超える積雪がないまま終われば22年ぶりの記録になるという。私の住む札幌でもようやく2月中旬になってから雪が平年並みに降ったものの、風が吹けば顔に痛みを感じるような北海道らしい酷寒はこの冬、ついに一度もなかった。
そんな中、3月10日、原発避難者北海道訴訟の判決の日が来た。記録的暖冬を象徴するように、この日は雪ではなく雨。前日から2日続けて最高気温が10度を超えたが、これは札幌では4月中旬並みの暖かさだ。
午前10時、開廷。札幌地裁(武藤貴明裁判長)の判決は、不当判決が半分、完全勝訴が半分。「良薬と猛毒が半分ずつブレンドされた判決」との印象だ。
<参考資料>
1.
判決要旨
2.
弁護団声明
3.
原告・弁護団記者会見(音声のみ)
●賠償はほぼゼロ回答の不当判決
賠償部分については完全な「猛毒」といえる。77世帯、253人が求めた42億4千万円に対し、認められた賠償額は89名分のわずか5300万円にとどまった。請求額のわずか1%。統計学の世界なら「誤差の範囲」としてゼロにされてしまうような額でまったく話にもならない。
国による避難区域の指定範囲を妥当とし、区域外からの自主的避難についても合理性を認めながら、福島第1原発から大量の放射性物質が漏れ続けている状況を無視して、野田佳彦首相(当時)が一方的な「冷温停止宣言」をした2011年12月末までしか賠償を認めなかった。認容額は1人わずか30万円。こんな低額の賠償水準はこれまでの訴訟ではなかったことだ。損害賠償について、判決確定前でも支払いを受けることのできる「仮執行」が認められたが、大半の原告にとっては仮執行する金額もないのが実態である。
深刻なのは、避難当時の個別事情を考慮して、東京電力からこれを上回る賠償支払いを受けている原告がいることだ。このまま判決が確定した場合、東電から払いすぎた賠償の返納さえ求められかねない。民事訴訟の場合、仮執行は勝訴した側だけが持つ権利だ。「払いすぎた賠償額の返納を求める仮執行」を敗訴した東電が行うことは、さすがに民事訴訟の制度上無理だろう。しかし、このまま判決が確定すればそのようなおそれが現実になってしまう。
原告・弁護団からは口々に「不当判決」との怒りの声が上がった。原告・弁護団の記者会見は午後1時から始まったが、まだ判決から3時間しか経っていないのに、配られた弁護団声明には早くも「控訴」の文字があった。
●北海道訴訟の大きな特徴~「全員一律賠償」の考え方
福島第1原発事故に伴う避難者の賠償請求集団訴訟は、これまで全国各地で多くの判決が出されてきたが、避難とその後の生活再建に要した実害と精神的苦痛を根拠として、原告ごとに個別に賠償額を算定して積み上げる方式が採られてきた。しかし北海道訴訟では、このような原告ごとの個別事情はあるものの、1人あたり一律1650万円の損害賠償額とすることで全員が足並みを揃えたことに大きな特徴がある。
空間放射線量や土壌中の放射性物質の量、土地・家屋の広さや資産価値、避難に至る経過、避難先での生活再建に要した経費、精神的苦痛の度合いなど、事情は原告ごとに異なるにもかかわらず、なぜこのような方法としたのか。「原告には様々な避難や生活再建の形がある。避難先で使える家財道具はできる限り買い換えずにそのまま使う人も、極力買い換える人もいる。原告ごとに個別に被害額を算定する従来のやり方では、家財道具の買い換えなどを極力減らして節約努力をした人ほど被害額が減り、賠償請求額も減ってしまう。まじめに節約努力をした人が損をしてしまう従来の損害賠償請求訴訟のあり方に一石を投じたいと考えた」と、原告側の島田度(わたる)弁護士は説明する。
こうした新しい考え方についても、札幌地裁は、原告ごとに個別に被害額を算定すればすむことだとして原告側の訴えを棄却した。記者会見では、この闘い方について問う質問も出たが、島田弁護士は「原告と弁護団で話し合って決めたもので、原告側の思いも込めたもの。間違いはないと思っている」と胸を張る。
●国の「規制権限不行使」を厳しく断罪~長期評価の妥当性も認定
一方で、今回の判決は東電の責任はもちろん、国の責任も過去の判決以上に踏み込む形で全面的に認めた。政府の地震調査研究推進本部(地震本部)による三陸沖~房総沖地震に関する「長期評価」については、昨年9月の刑事訴訟(東京地裁)がまったく妥当性を認めなかったが、今回の判決では否定的見解を示す専門家が存在することも踏まえつつ、「専門家による十分な議論を経たもの」「一定の信頼性のある知見」として妥当であるとした上で、これを取り込んだ対策を採るべきであったと結論づけた。確たる根拠もないまま津波が福島第1原発の主要建屋の南側からしか襲来しないと決めつけ、南側に防潮堤を設置すれば足りるとした東電の主張を「単なるシミュレーションに過ぎない」とし、南側側面から東側全面を囲う防潮堤を設置していれば事故を回避できたとして、結果回避可能性についても完全に認めた。
判決は、こうした予見や結果回避が可能な対策を、国が原子炉等規制法に基づく技術基準適合命令を発することで東電に実施させるべきであったにもかかわらず、これを怠ったことは監督官庁としての「許容限度を逸脱」しており、違法と結論づけた。当時の監督官庁であった原子力安全・保安院の不作為、怠慢、規制権限不行使を厳しく断罪したといえる。国の責任をここまで全面的かつ明確に認めたことは、今後に向け大きな弾みになる。
●「収束していないものはしていない」「自分の世代で決着つける」
原告たちはこの判決をどのように受け止めたのか。「自分が福島にとどまることで、福島が安全な場所だと思われると困る」として福島市から避難を決意し、判決直前も「二度と戻らないという覚悟を示すために海を渡ろうと考えた」と避難先に北海道を選んだ理由を語った中手聖一原告団長は「裁判所に気持ちを受け止めてもらったと思うが、賠償水準は不当であり、控訴審で闘う」と決意を述べた。伊達市から避難し、雇用促進住宅で長く避難者の取りまとめ役も務めてきた宍戸隆子原告団事務局長も「この裁判は私たちだけのものではない。声を上げられないでいる人たちにも勇気を与えるような控訴審を闘っていきたい」と早くも今後を見据える。
「提訴から判決まで長い時間がかかった。その間に他の各地方の判決が先行し、札幌は最後に近くなったが、子どもたちが成長してこの判決、闘いの持つ意味を理解できる年齢になった。長かったが、私たちにとっては必要な時間だったと思っている」(宍戸さん)との思いは、原告に共通のものだろう。「毎年3月のこの時期になると心がふわふわする」と、いまだに続く心の傷の深さを吐露する原告の姿もあった。原告ではないが、3.11を福島県で過ごした私自身、毎年3月になると浮き足立って眠れない夜もある。「心がふわふわする」という気持ちは痛いほど理解できる。福島県外から避難者を今なお支援してくれている、心ある人たちを前にしてはとても心苦しいが、この気持ちは3.11当時福島に住み、あの独特の空気感を体験した人にしかわからないだろう。
「(事故から9年経ち、関連報道も減っているが)事故による被害は過去の出来事ではない。今も続く被害の実相が裁判所に届かなかった」と中手さんは悔しさをにじませた。「福島第1原発では今も廃炉作業が続いており、いつトラブルがあるかもしれない。政府が事故「収束」を宣言しても、収束していないものはしていないとしか言えない」と宍戸さんは政府による意図的な「事故風化作戦」に釘を刺す。事故はまだ終わっておらず、被害者救済も開始すらされていない。このことはいくら強調してもしすぎることはない。
「私にも後悔と反省がある。自分たちの世代が造り、増やし、止められなかった原発。将来世代、そして世界の人びとのために、自分たちの世代でつけられる決着はできる限りつけたい」(中手さん)、「子どもたちに『私たち、将来結婚できるのかしら』と心配させるような社会であってはならない」(宍戸さん)--2013年6月の第1次提訴から6年あまり。長く苦しい闘いを支える原動力となったのは「未来世代に対する責任」だ。
古代ローマの詩人ユウェナリスは、享楽志向を強めるローマを「パンとサーカス」の国と評した。「放射能汚染水はアンダーコントロールされている」と大嘘をついてまで誘致した「東京大サーカス」は新型コロナウィルスのため今や風前の灯火だ。聖火リレーの現地では「福島はオリンピックどころではない」と訴える行動も行われ、海外メディアの注目を集めた。日本をパンとサーカスの政治に貶めた皇帝「安倍3世」による専制政治にふさわしい罰を下し、未来世代に対する責任をきちんと負える政治に転換することこそ、私たちに課せられた喫緊の課題だ。
(文責:黒鉄好)