人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

福島原発事故とオリンピック~五輪の後には戦争と破産がやってくる

2015-10-31 21:55:34 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が千葉県松戸市民ネットワーク発行月刊ミニコミ誌「たんぽぽ」2015年11月号向けに発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内の中で、完全にブロックされています」「健康問題については、今までも現在もそして将来も、全く問題ない」。安倍晋三首相が、まるで息を吐くように言い放った嘘で、長く続いた2020年五輪招致レースは東京に軍配が上がった。「福島は東京から250kmも離れている」という竹田恒和・東京五輪招致委員長の配慮のかけらもない発言もあった。「福島をはじめ、足手まといになる地方は切り捨て、これから先の厳しいクローバル競争の時代を東京だけで生きていく」――この国の支配層がこう決意したものと、そのときの私は受け止めた。

 五輪決定直後から、東京では、まるで昭和の時代に戻ったかのような公共事業ばらまき型箱物行政が復活、ゼネコンは空前の好決算に沸いていると報道されている。新国立競技場の建設は東京五輪をめぐる利権の象徴となった。一時は2520億円にまで膨らんだその建設費があれば、福島でどんなことができるだろうか。

 やや古いが、2011年12月の毎日新聞によれば、福島県外への「自主」避難者の引越費用は1人平均72万円だったという。2520億円は自主避難者35万人分の引越費用に当たる。福島県の子どもの数は約26万人だから、国立競技場建設をやめれば、福島の子ども全員を避難させてもお釣りが来る。飯舘村が試算した全村の除染費用見積額は3324億円。2520億円あれば飯舘村の4分の3が除染できる。

 これだけの費用をかけることが適正かどうか以前の問題として、そもそも地方在住者は新国立競技場を使うこともできないのに、費用だけはしっかり負担させられるのだ。

 事故を起こした原発が、今なお1時間あたり1000万ベクレルもの放射性セシウムを吐き続けているのに、福島では次々と避難地域の指定が解除。健康被害を恐れて帰りたくない住民の意向を無視した強引な帰還政策が展開されている。大半の地域で避難指示解除が見込まれる葛尾村では、国による帰還政策を「被災者を分断し、東京五輪に目を向けさせるためだ」とする厳しい批判が村議会議員からも出されているが、政府はどこ吹く風だ。

 原発のある浜通りを南北に縦断する常磐自動車道も国道も通行止めが解除され、JR常磐線の全線復旧に向けた動きも進む。中高生を大量動員した「放射能道路清掃ボランティア」も堂々と行われている。浜通りに聖火ランナーを走らせる計画まである。福島も東京も狂っているとしか言いようがない。

 1980年にモスクワ五輪を開催したソ連はその後、世界地図から消えた。1984年サラエボ五輪を開催したユーゴスラビアは民族同士が憎しみ合い、殺し合う凄惨な内戦の末、バラバラになった。2004年アテネ五輪を開催したギリシャも財政破たんで国家存亡の淵にある。そうした国々を私たちも笑えない。巨額の財政赤字を抱えながら戦争法を成立させる安倍政権を見ていると、「五輪の後に戦争と破産」は日本にとっても他人事ではないからだ。

 極端に商業化し巨大化した五輪は国家も社会も、人の心も狂わせる。福島原発からの汚染水同様、コントロール不能となった「カネ儲け五輪」はそろそろ根本から見直すべきだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SYRIZA、コービン、サンダース…政治の表舞台に復活する左派 日本でも「受け皿」作りを急げ!

2015-10-26 22:12:18 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2015年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●世界的な左派の上昇

 欧米諸国に再び左派の時代が到来しつつあるようだ。EU(欧州連合)から突きつけられた緊縮財政政策の是非をめぐって9月に行われたギリシャ総選挙で、チプラス首相率いる急進左派連合(SYRIZA)が得票率約35%で議席数を減らしたものの、第1党の座を維持。選挙前と同じ右派政党、独立ギリシャ人との「反緊縮左右連合」で政権も維持した。英国でも、9月に行われた労働党首選で、鉄道や電力の再国有化を唱える最左派、ジェレミー・コービン下院議員が勝利。コービン氏といえば、反戦団体・ストップ戦争連合主催のイラク反戦集会でたびたびスピーチをしたことで知られる。2004年、インド・ムンバイ(旧ボンベイ)で開催された世界社会フォーラムには英国代表として参加。英国史上最大のイラク反戦運動について報告を行った。コービン氏は、みずからも所属する労働党・ブレア政権下で英国が「有志連合」として参加することになったイラク侵略戦争を厳しく批判し、注目を浴びた。

 来年の大統領選挙目指して共和、民主両党の予備選挙が行われている米国でも、民主党で最左派のバーニー・サンダース上院議員が、本命視されていたヒラリー・クリントン国務長官をリードし優位に立っている。厳しい緊縮財政政策の押しつけに対する「反乱」としてギリシャで始まった左傾化の波は、スペイン、英国を経て、ついに米国にも押し寄せようとしている。

 在英ジャーナリストの小林恭子さんは、コービン氏が労働党首となった直後、9月12日付の自身のブログ記事で、その背景を次のように指摘する。

『コービン氏は1980年代から下院議員だが、どうみてもニュー・レイバーではない。閣僚になったこともない。いまさら、鉄道を国有化なんて、非現実的にも思える。……(中略)……しかし、2010年発足の連立政権、今年5月からの保守党政権による財政緊縮策に飽き飽きしている人が国民の中には多数存在している。福祉手当や公共予算が削減されて、困っている人々がいる。コービン氏の選出は、そんな国民の思いを反映しているようだ。

 今のところ、「コービン氏が党首では選挙に負ける」という論客がほとんどだ。私自身、「この人、首相になれそう」・・とはなんとなく、思えない。しかし、「(公共予算)削減のスピードをもっと緩慢にしてほしい」「弱い人を助けて」・・・そんな普通の生活感覚を持つ層がいて、いささか古臭いように見えても、または非現実的に見えても、昔からの「労働者擁護」を打ち出す政策を実行しようとする政治家=コービン氏=を見て、「労働党も悪くないかもしれない」と考える、若い人が結構いるのではないか。1970年代、80年代、あるいは90年代の労働党を知らない若い層、ブレア政権でさえも何をやったかを覚えていない層にとっては、コービン氏は逆に新鮮に見えるに違いない』。

 筆者は、この小林さんの指摘におおむね同意するとともに(鉄道や電力の再国有化が非現実的とは思わないので、その点は同意できない)、ついに時代の時計の針がぐるりと1周したのだと実感する。東西冷戦とベルリンの壁崩壊、そしてソ連解体と続く激動によって「社会主義が敗北した」との資本主義陣営の大宣伝が行われる中、じっと息を潜めてきた左派・左翼が、世界を吹き荒れ続けてきた強欲資本主義とグローバリズムの結果、普通の生活すら営めない貧困層の大量登場、多国籍大企業のために流された大量の血という事態を受けて、再び国際政治の表舞台に登場してきたと見るべきだろう。

 とはいえ、こうした時代の変化を、世界の市民・労働者はただで手に入れたのではない。ウォール街を占拠したあのオキュパイ運動をはじめとする市民・労働者の闘いがこの時代の変化をもたらしたことはもちろんである。この流れを確かなものにし、世界中に広げることができるならば、21世紀はこれまで私たちが描いていたほど悲観的ではないのではないか。

 ●日本でも受け皿作りを

 ギリシャにおけるSYRIZAの台頭、英国労働党におけるニューレイバー(第3極、反左翼的「中道路線」)の否定と左派躍進は、市民・労働者の闘いを通じて下から沸き上がってきた貧困層、社会的弱者のための政治的受け皿作りの要求に応える政治サイドのひとつの動きである。それがSYRIZAのような新勢力として現れるか、英国労働党や米国民主党のような旧勢力復活の形を取るかは、新勢力が登場しやすい選挙制度、政治体制になっているかに大きく左右される。二大政党制という新勢力の登場しにくい選挙制度が採用されている米英両国では、旧勢力の復活という形にならざるを得なかったのだと考えられる(もっとも、最近では英国を二大政党制に含めない見解が、政治学者の間では主流になりつつあることも指摘しておく)。

 翻って日本ではどうか。1960年安保闘争、1970年安保闘争と比較する形で「2015年安保」闘争と形容されるほどに成長した戦争法(安保法制)反対、安倍政権打倒の闘いが、やはり欧米諸国と同様、政治サイドに対する受け皿作りに向けた圧力に発展しつつある。日本共産党が「戦争法廃止のための国民連合政府」樹立を呼びかけた背景には、こうした事情があることを指摘する必要がある。

 ワイマール期のドイツでは、国民が中道勢力を見殺しにした結果、ナチスか共産党かの二者択一を迫られ、ナチスの政権奪取から第二次世界大戦につながっていった。その経過については、筆者がすでに本誌第174号(2015年4月号)で指摘しているのでここでは繰り返さないが、日本が安倍政権の下で同じ道を歩まないためには「どこに投票したらいいかわからない」として、もう何十年もの間、投票所から遠ざかっているリベラル勢力を投票所に呼び戻すための受け皿作りが急務である。

 さしあたり、日本でどのような受け皿が可能であろうか。筆者にも明快な答えは見いだせない(というより、簡単に明快な答えが出せるようなら、ここまでの少数野党乱立状態には陥っていないであろう)が、この間の戦争法反対運動を組織してきた「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」や、反原発運動の軸となった「さようなら原発1000万人アクション」を軸に、民主党内の旧社会党系勢力を結集した「平和・人権・民主主義・リベラル・競争より協働と再分配」の新しい政党を結成、これを自民党への対抗軸に育てていく必要があるだろう。

 欧米諸国から吹いてきた新しい風を日本でも100年に一度の政治変革の好機と捉え、大胆に行動することが、今求められている。

<参考資料>
英労働党党首選 左派コービン氏の勝利で新たな政治勢力が生まれるか?(在英ジャーナリスト、小林恭子さんのブログ)

(黒鉄好・2015年10月25日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「土建国家」復活を象徴する新国立競技場問題 不透明な契約方式から新たな利権の闇が見えてきた

2015-10-25 21:11:46 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2015年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 心ある一部の人々の反対をよそに、大方の人々からはそれなりに熱狂をもって迎えられた2020年東京五輪の招致決定。早いものであれから2年が経つが、あの頃の熱狂もどこへやら、イラク人建築家ザハ・ハディド氏の設計をもとに、巨大なキールアーチ構造となるはずだった新国立競技場整備計画が白紙撤回され、振り出しに戻ったのも束の間、今度はアートディレクター佐野研二郎氏のデザインした公式エンブレムに模倣疑惑が噴出、東京五輪組織委員会がこのエンブレムの使用中止に追い込まれた。世界最強といわれるほどの製造業を支えたかつての日本人の几帳面さも職人気質もすっかり影を潜め、今やこの国は手抜きと密室談合がはびこる三流国家の様相を呈している。

 まだ十分使えるはずの旧国立競技場をわざわざ取り壊し、退路が断たれたところで新国立競技場の壮大な無駄遣いに批判が殺到、関係者が右往左往する様子を見ていると、この国の指導層もいよいよ落日の感を強くする。そもそもなぜこんな事態が発生してしまったのか。新国立競技場計画の白紙撤回と公式エンブレム使用中止という2つの事件に通底する言いしれない不透明感、モヤモヤ感はどこから来ているのか。

 本来、この問題はまだ始まったばかりであり、全体像も見えない今の段階で批判に転じるのは早すぎると、つい最近まで筆者は思っていた。だが、事態の背後に潜んでいる全体像がおぼろげながら見え始めるにつれ、筆者は、今ここで警鐘を鳴らさなければ取り返しのつかないことになると考えるようになった。かねてより筆者が土建国家、ハコモノ・トンカチ行政、政・官・財の「鉄のトライアングル」などと呼んで批判してきたすべての悪弊、解体はされないまでも、今世紀に入って弱体化に一定程度成功した巨大な金食いシステムのすべてが、このままでは東京五輪の暴風に乗って一挙に復活してしまいかねない。

 ●プロポーザル方式とは何か

 事業を担当する文科省所管の独立行政法人、日本スポーツ振興センター(JSC)は、振り出しに戻った新たな国立競技場整備事業について、9月1日、プロポーザル方式による参加事業者の公募を開始した。

 プロポーザル方式とは、参加を希望する事業者から、技術力や経験、プロジェクトにのぞむ体制などを含めたプロポーザル(技術提案)の提出を求め、「公正な評価」(多くは建築や設計に関し専門的知見を有する審査員による採点)によって設計者を選ぶ調達方式とされる。1991年3月、「官公庁施設は国民共有の資産として質の高さが求められることから、その設計業務を委託しようとする場合には、設計料の多寡による選定方式によってのみ設計者を選定するのではなく、設計者の創造性、技術力、経験等を適正に審査の上、その設計業務の内容に最も適した設計者を選定することが極めて重要」(注1)とされたことを契機に、それまでの総合評価落札方式(注2)に代わる新たな調達方式として導入された。設計「書」を選定対象とするコンペ方式に対し、プロポーザル方式は設計「者」を選定するという点が大きく異なる。公共施設整備事業に参加したいと考える事業者にとって、設計書が審査対象となるコンペ方式では受注できるかどうかわからない段階で精緻な設計まで行わなければならず、その負担の大きさから参加に尻込みしてしまうことも多かった。プロポーザル方式は、簡略化した技術提案をすれば公募に参加できるという点で負担が大きく軽減された。

 プロポーザル方式は、発注者である官公庁側では仕様書の作成ができないような高度に専門性の高い建築物や、特殊な技術が必要な建物の整備事業のために導入された制度だというのが筆者の基本的理解である。だが、どのような技術提案が提出されるかもわからない段階で提案書の審査基準を作成しなければならないことに加え、面倒な競争入札の手続きも踏まなければならなかった総合評価落札方式と比べて使い勝手があまりにも良いためか、最近では、気象庁庁舎の外壁改修工事や警察学校の体育館新築工事のように、どう考えても高度な技術提案など不要と思われる一般的な工事にまで使われるようになってきている。

 ●不透明な契約方式は新たな利権の温床か?

 ところで、本稿読者諸氏の中には、こんな疑問を持つ人もいるだろう。「それでも、新国立競技場のような数千億円規模の巨大公共事業の参加事業者は、競争入札で選ばれているのではないのか?」と。

 国の契約、調達について定めた会計法やこれに基づく政令「予算決算及び会計令」(予決令)によれば、国が発注する工事では予定価格が250万円を超えると競争入札としなければならない(予定価格が500万円を超えると指名競争入札ではなく一般競争入札でなければならない)。JSCは独立行政法人であり、国の機関ではないため会計法や予決令は適用されないが、JSCの契約、調達手続きについて定めた「日本スポーツ振興センター会計規則」「契約事務取扱規程」(注3)でも会計法、予決令とまったく同じ基準で契約、調達手続きを行うよう定めている。このことからすれば、当初計画より規模が大幅に縮小されてなお2000億円規模になる国立競技場整備事業は競争入札とするのが当然だし、JSCに巨額の税金(2015年度の運営費交付金だけで約260億円)が投入されていることから考えてもそれが素朴な市民感情というものだろう(注4)。

 だが実態はまったく違う。プロポーザル方式は競争入札ではなく、入札によらない調達方式つまり随意契約に当たるとされる。事業参加希望者が技術提案を行い、発注予定者(官公庁)がその審査を終え採否を決めた時点で、採用された技術提案に基づいて設計施工ができるのはその事業者しかいないことはわかりきっていることを理由に、プロポーザル方式による調達先の選定は会計法29条の3第4項(JSC発注工事の場合は日本スポーツ振興センター会計規則18条第4項)の規定(契約の性質又は目的が競争を許さない場合)に該当するものとして随意契約によることが認められているのだ。

 制度設計に関わった国土交通省などは、随意契約であったとしても、プロポーザル方式で事業者選定を行った発注者側は、契約交渉を通じて最大限、有利な契約条件とすることができる(すなわち税金が無駄遣いされるような事態は起きない)と主張する。しかし、そもそも発注者側が自分で仕様書の作成さえできないからこそ事業者側に技術提案を求めているのだ。その時点で発注者側が有利に契約交渉を進めることができると考えるのはあまりに無根拠でナイーブすぎる。契約成立後、受注業者が示した設計書に対し「こうした機能は無駄」と言える担当者が発注者側にどれほどいるだろうか。結果として、交渉が受注業者主導で進み、価格も高止まりするであろうことははっきりしている。

 もちろん、本稿筆者はプロポーザル方式が登場する以前のような、設計書の作成業務を価格だけの競争入札で決めていた時代に戻れと主張したいわけではない。公共施設の建設で「安かろう悪かろう」の業者選定が行われた結果、竣工式の翌日に屋根が落ちたというのでは話にならない。技術力、過去の施工経験、専門技術者の人数や過去の工事におけるその配置状況、過去の労災発生件数など価格以外の要素も加味した総合的な評価によって業者選定が行われること自体には異論がない。

 問題は、ほとんどの発注者が審査基準も審査結果も公表していないことだ。国の機関ごとに、あるいは地方自治体ごとに審査基準がバラバラであっては不都合も起きることから、国交省がプロポーザル方式の運用ガイドラインを作成し、要件設定と審査、落札者の決定方法などについて一応の基準を示してはいる(注5)。しかし、うがった見方をすれば、発注者側が受注させる事業者をあらかじめ「内定」させておき、その事業者が有利になるような審査基準を作成することも可能なシステム、それがプロポーザル方式なのである。

 プロポーザル方式に対するこの懸念が本稿筆者の思い込みなどではなく、多くの人に共有されているものであることを示すひとつの事例がある。群馬県邑楽(おうら)町の新庁舎建設工事をめぐり、前町長時代に行った契約を新町長就任後、一方的に破棄され損害を被ったとして、建築設計事務所関係者らが賠償を求めて邑楽町を提訴した、いわゆる「邑楽町コンペ訴訟」(注6)だ。2007年9月6日、東京地裁で行われた意見陳述で、原告のひとりである建築設計事務所代表の伊東豊雄氏が次のように述べている。

 『日本の公共建築における設計者選定は、プロポーザル方式と呼ばれている方法に拠るケースが圧倒的に多いと思われます。この方式は対象施設の設計案を求めるのではなく、設計者の実績、施設のイメージやコンセプト、設計に取り組む姿勢等を審査して設計者を選定するものです。……(中略)……しかし、設計者にとってこの方式は必ずしも納得のいく選定方法ではありません。……(中略)……この方式では設計者の実績や設計体制等も審査の評価対象となるので、選定は公正と言いながらも発注者側の主観的な意向を盛り込みやすいと考えられます』

 まったく驚きの実態と言うほかない。これほど巨大なプロジェクトが競争入札も、情報公開も(事後公表すら)ほとんど行われず、事実上、密室談合で決められているのだ。せめて、どの事業者がどのような技術提案をもって参加したのか、どのような審査基準に基づいて、審査員の誰が技術提案のどの項目に何点を付けたのか程度の情報は、事後でよいから公表すべきだ。税金の使われ方を主権者である国民が事後検証できるようにするために、最低限必要なことではないだろうか。

 ●納税者の怒りが組織委と安倍政権へ?

 国立競技場をめぐる一連の問題、続いて起きたエンブレム模倣問題で、市民の怒りはすさまじかった。特にエンブレム問題では、佐野氏が反論できない立場にあるのをいいことに、インターネット上で次々と模倣の告発や糾弾が行われた。社会の重要な意思決定の場に市民の声がまったく届かず、国民の血税を勝手気ままに浪費する決定が、正体不明の利権屋たちによって密室で行われている――佐野氏や東京五輪組織委に対する異常なまでの「ネット私刑」の背景にこうした鬱屈した心理や沈殿した怒りがあることは間違いない。もちろん筆者はこうした「私刑」を容認しないが、およそ先進国とは思えない、前世紀の腐敗した軍事独裁政権のような政治システムに対する市民の怒りに対し、あまりに鈍感すぎたことが、佐野氏、そして東京五輪組織委の「敗戦」を決定づけたといえよう。

 ワールドカップ大会の招致が決まった際、ブラジルでは生活苦にあえぐ市民の大きな反対デモが起きた。ソチ冬季五輪の際はウクライナ問題でヤヌコビッチ政権が崩壊するほどの政治的変動もあった。資本主義にまみれたスポーツの巨大な祭典は、しばしば貧困層などの社会的弱者を置き去りにして進み、沈殿していた彼らの怒りを呼び覚ます。手抜き、密室談合、そしてここでもまた誰も責任を取らない日本的無責任体質――こんな状態を放置したまま開催すれば、2020年東京五輪も市民の怒りの「発散」の場となるかもしれない。そうなれば、沈みゆく日本にとって文字通り「最後の饗宴」となるだろう。

 最後に、読者の皆さんにお願いがある。このような不透明極まりないやり方で強引に進められようとしている東京五輪関係の様々な「公共事業」を徹底的に監視してほしいと思う。当コラムは今後も引き続きこの問題を追っていく。

 消費税は引き上げ、生活保護は切り下げる。福島からの原発避難者に対する住宅支援も打ち切る。そんな非人道的決定をしておきながら、一方で20世紀に戻ったかのようなばかげた無駄遣いを続ける安倍政権を当コラムは絶対に許さない。


注1)「官公庁施設の設計業務委託方式の在り方」(建築審議会答申)

注2)価格のみの競争とする一般競争入札に対し、発注者である官公庁側が示した基準に基づいて、事業者が提出した提案書の各項目を審査して得点を付与、その合計点の最も高い者を落札者とする方式。

注3)日本スポーツ振興センターの会計規則及び契約事務取扱規程

注4)日本スポーツ振興センター平成27年度予算

注5)建設コンサルタント業務等におけるプロポーザル方式及び総合評価落札方式等の運用

注6)邑楽町コンペ訴訟、建築家の山本理顕氏と伊東豊雄氏が証人台に

(黒鉄好・2015年10月25日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

急速に変貌するTOKYOに思うこと

2015-10-24 22:23:28 | その他社会・時事
所用があってこの2日間、東京に来ている。明日25日、東京の「団結まつり」でJR北海道問題の報告を行うためだ。

ホテルにチェックインする傍ら、明日の報告用レジュメ(資料)をコピーするため、近くのコンビニに出向く。夜9時過ぎ、夕食を食べていなかったため空腹を覚えた私は、電車で新橋まで行き、駅近くの比較的空いているラーメン屋に入った。すぐに、東南アジア系とみられる女性従業員2人が注文を取りに来た。私が念のため、メニューを指さして注文すると、厨房に注文を伝えに行く。

注文を伝え終わると、2人の従業員は母国語で私語を始めた。何を言っているのはまったくわからないが、少なくとも中国語でなかったことは確かだ。タガログ語(フィリピンの公用語)か、それともインドネシア語か、タイ語か。

注文していたラーメンが出てきて、食べ始めた頃、私が入店したのと反対側の自動ドアが開き、男性4人組が入ってきた。私のすぐ左のカウンター席にちょうど4人分の空席があり、彼らは間違いなくそこに座るだろうと思われた。4人横並びで座れないと気の毒だと思った私が、すぐ左隣の椅子の上に置いていた自分の鞄を移動させると、彼らのひとりに「謝謝」と中国語で礼を言われた。

私は、「どういたしまして」を中国語では何と言うのだろうと思ったが、そんなこととっさにわかるはずもない。軽い会釈をすると、伝わったようだった。

再び、東南アジア系の女性従業員2人が出てきて、注文を取り始める。私に礼を言った中国人の労働者風の男性がメニューをやはり指さすと、言葉の通じない女性従業員が厨房に注文を伝えに行く。

その風景を見ながら、私は一瞬、ここはどこの国なのだろう、と軽い衝撃を受けた。実は今年8月にも東京に出かけているが、そのときは夜の宴会もずっと仲間と一緒で、こうしてひとりでふらりと飲食店に出向いたのはずいぶん久しぶりだ。とはいえ、ブランクはわずか1年足らず。わずかの期間に、東京、いやTOKYOの夜の風景は急激に変貌したような気がする。

東京都民として、毎日、少しずつ移り変わる風景を「定点観測」している人々にとっては、急激な変化とは感じられないだろう。多くの国籍、人種の人々が交わることを私は悪いことだとは思わない。日本に今、一番必要とされながら最も欠けているのは多様性で、彼らはそれを満たしてくれるからだ。だが、これまでに比べあまりに変化のスピードが急すぎる。

これは「少子化なのに移民反対」姿勢を続けるまま、手遅れを迎えてしまった日本にとって、受け入れがたくとも受け入れざるを得ない現実的変化のひとつだろう。どんなにネトウヨ諸君が拒んだとしても、単純労働、低賃金労働の分野からじわじわと外国人労働者が進出してきている。ここ最近の円安・ドル高は円建て給与を母国に送金した際、以前より目減りすることを意味しているから、外国人労働者の大量洪水という流れには為替によって一定の歯止めがかかるかもしれない。だが、家族ともども日本に移住して働く外国籍労働者にもはや為替は関係ないし、円建て給与が目減りしたとしても、例えば母国の失業率が70~80%でろくな就職先もないような外国籍労働者にとって、出稼ぎ先としての日本はまだまだ有力な選択肢となり得るからだ。

急激に進む少子化、高齢化、抗うことのできない必然としての外国籍労働者の進出。そう遠くない将来、病院のベッドのそばで最期の私を看取るのは日本人ではないかもしれない――急激に変貌を遂げるTOKYOを見て、私はふと、そんなことを思った。別に私はそれでもかまわない。「朝鮮人を叩き出せ」などとヘイトスピーチを繰り返す偏狭な日本人に看取られるより幸せであることは間違いないからだ。

むしろ、当ブログの危惧はそれとはまったく別のところにある。資料コピーで利用したコンビニで翌日の昼食用の弁当を買った際、「温めますか」と尋ねられた私は、明日の昼食用ということもあって「温めなくていい」と答えた。だが、日本人店員は条件反射のように弁当をレンジに入れていた。「温めますか」と尋ねることもマニュアル通りなら、「弁当を買う客は温めるに決まっている」という思い込みもまたマニュアル通りなのだろう。

仕事中の私語が悪いとは私は思わない。労働者にとって私語こそ仲間意識を芽生えさせ、コミュニケーションを高めるからだ。マニュアル通りも別に悪いとは思わない。定型的な仕事ではそれも重要なことだからだ。だが、言葉の壁の中、メニューを指さす客の注文を正確に厨房に伝えるアジア人のラーメン店員と、言葉の壁などないはずなのに客の言っていることも理解できていない日本人コンビニ店員との対照的な落差が私の印象に残った。日本人とりわけ若者にとっての真の苦難は案外、こんなところから始まるのかもしれないという気がした。こんな状況で「お・も・て・な・し」なんて、筋の悪いジョークとしか思えない。

コミュニケーション不全に陥った若者の中から、外国人への憎悪を募らせる者が現れ、移民排斥を煽る右翼への熱狂的な支持に結びつく――少し前、ヨーロッパで起きたような出来事が、日本で繰り返されることのないようにしなければならない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懸念しているとおりの事態に~除染土仮置場、相次ぎ契約延長

2015-10-12 09:31:42 | 原発問題/一般
汚染土仮置場相次いで延長 福島県内 中間貯蔵施設建設遅れ 3年期限守れず(産経)

報道にあるとおり、福島県内の除染に伴い発生する中間貯蔵施設の建設が遅れているため、住宅地にある除染廃棄物の仮置場の借地契約を相次いで延長せざるを得ない状況に追い込まれている。

ついでに補足しておくと、福島県内では、このような住宅地の除染廃棄物仮置場を「仮仮置場」と呼んでいる。国は、「中間貯蔵施設」を最終処分場にはしないと福島県に約束しており(約束だけでなく、実際に法律に規定されている)、中間貯蔵施設がいわば「仮置場」。産経の記事が仮置場と呼んでいるものは、除染廃棄物が仮置場に運ばれるまでの仮置場、つまり仮仮置場なのだ。

------------------------------------------------------------------
<参考>中間貯蔵施設を最終処分場にしないとの「約束」は以下の通り法律に明記されている。

中間貯蔵・環境安全事業株式会社法

(国の責務)
第三条 国は、中間貯蔵及びポリ塩化ビフェニル廃棄物の処理の確実かつ適正な実施の確保を図るため、万全の措置を講ずるものとする。
2 国は、前項の措置として、特に、中間貯蔵を行うために必要な施設を整備し、及びその安全を確保するとともに、当該施設の周辺の地域の住民その他の関係者の理解と協力を得るために必要な措置を講ずるほか、中間貯蔵開始後三十年以内に、福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずるものとする。

注)この法律は、もともとPCBの処理事業のため旧環境事業団を民営化した特殊会社、日本環境安全事業株式会社(JESCO)に関することを定めた法律である。その後の福島原発事故により、中間貯蔵施設の運営もこの会社が行うことになったため、社名が「中間貯蔵・環境安全事業株式会社」に変更になった。これと同時に、法律の題名も「日本環境安全事業株式会社法」から「中間貯蔵・環境安全事業株式会社法」に変更されている。
------------------------------------------------------------------

仮仮置場を巡って、いずれこのような事態になるだろうという声は、原発事故当初から福島県内で根強かった。これは、政治的な理由というよりは、福島県内で登記簿の記載がアテにならないという、まさに産経が記事に書いている理由によるものだ。

もともと、農業県の福島では、東京などの都市部のようには土地の流動性が高くない。先祖代代の土地を継承して、子へ孫へと農業を継いでいくケースが多かったから、もともと土地所有者が固定している。登記簿などという制度ができる近代以前からの土地を、ろくに測量もしないまま適当に区分けして所有者を決め、登記簿の制度ができる際にも、適当に土地境界を記載したというケースがある。これは福島に限らず、東北の農業県はおしなべて同じ傾向があり、宮城や岩手でも、東日本大震災にともなう津波で家屋が流されて、初めて登記簿上と実際の自分の土地が違っていることに気づいた、という話を結構あちこちで聞いたものだ。

東京など土地の流動性が高い都市部では、土地が転売などされるたびに、不動産業者が測量を行って登記簿の記載が間違っていないか確認するが、土地がめったに転売されない農村部にはそんな機会もない。かくして、多くの家屋が根こそぎ失われるような大災害の際、どこが誰の土地かわからず、わかっても本人と連絡がつかないため、再建も移転もできない、などという事態が起きるのである。

とはいえ、福島県内の状況を考えるとこのままにしておいてよいはずがない。行政が土地所有者を確定できないのであれば、あまり好ましくはないが、土地所有権を強制移転できるような何らかの措置が必要になる事態が、いずれ来ると思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸新幹線談合、7社に10億円超の課徴金

2015-10-11 16:54:59 | 鉄道・公共交通/交通政策
7社に10億円超の課徴金 北陸新幹線談合、公取委(中日)

北陸新幹線をめぐる談合事件で、公正取引委員会が高砂熱学工業など7社に10億円超の課徴金を課したことが明らかになった。この事件は、すでに工期の遅れなどで予定通りの新幹線の開業を危ぶんだ(独)鉄道・運輸機構側が主導する官製談合であったことが明らかになっている。

2014年2月の段階で共同通信などが報じているとおり(参考記事:高砂熱学、機構OB雇い営業活動 発注担当と接触の疑い)、談合を「幹事社」として主導した高砂熱学工業は「発注側」である鉄道・運輸機構OBを顧問として雇い入れ、営業活動に当たらせている。鉄道・運輸機構側にしてみれば「先輩」から売り込みをかけられるわけで、こうした癒着の構造が、発注側・受注側双方を巻き込む官製談合に発展していったことは疑いがない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

核のごみ地層処分問題シンポジウムに参加、原子力ムラを答弁不能に追い込む

2015-10-10 14:22:04 | 原発問題/一般
核のごみ地層処分反対 札幌でシンポ 会場の5人、国を批判(北海道新聞)

-------------------------------------------------------------------
 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の処分地選定に向けて、国と原子力発電環境整備機構(NUMO)は9日、シンポジウム「いま改めて考えよう地層処分」を札幌市内で開いた。地下300メートルより深くに核のごみを埋める「地層処分」への理解を深める狙いだったが、参加者からは処分の安全性への疑問や原発再稼働を進める国への批判の声が相次いだ。

 前半は地層処分を推進する立場の4人がパネル討論を行った。原子力安全研究協会処分システム安全研究所の杤山修(とちやまおさむ)技術顧問は「火山や活断層などは限られた場所にしかなく、地層処分に適した場所は国内に十分存在する」と強調。NUMOの梅木博之理事は「処分地は慎重な調査を経て選定するので、安全性は確保できる」と説明した。

 後半は会場から道民5人が発言。「原発も『安全性を確かめた』と言いながら失敗した」「これ以上核のごみを増やさないために再稼働をやめてほしい」などと全員が地層処分や原発再稼働に反対の立場で意見を述べた。これに対し、資源エネルギー庁は「地層処分は現時点で最適の方法」「再稼働は必要」と答え、議論は平行線をたどった。

 国とNUMOによる札幌でのシンポは6月に続いての開催。約180人が参加した。
-------------------------------------------------------------------

このシンポジウムに当ブログ管理人も参加、質疑応答でエネ庁・NUMOを厳しく追及した。北海道新聞の記事にある「道民5人」のうちのひとりが当ブログ管理人だ。

このシンポは、経産省・資源エネ庁・NUMOが全国9都市で連続開催しているものだ。今年6月にも全国各地で連続開催したが、この際、市民からの強い批判を受けている。このため国は、10月を「国民対話月間」に定め、地層処分の方針について、市民に「理解を求める」ことを目的としてこのシンポを開催しているが、実際には国が一方的に「説明」するだけのものだ。

原発から出る高レベル放射性廃棄物について、国(経産省・エネ庁・NUMO)は青森県六ヶ所村で実験を行っている「再処理」(使用済み核燃料からウラン・プルトニウムだけを取り出して燃料として再利用)を行った後、残る放射性ごみだけを深さ300mの深地層に埋設して投棄する「地層処分」を方針としており、北海道幌延町にそのための研究施設「深地層研究所」がある。NUMOは地層処分の適地選定のため2000年に設立された特殊法人で、3.11以前から、適地選定のためのボーリング調査に立候補するだけで地元に20億円の交付金が下りることから、「税金の無駄遣い」として強い批判にさらされてきた。

「20億なんてたかが知れてる」斑目春樹・原子力安全委員長(事故当時)の2005年の発言


地層処分のための候補地としては、2007年1月に、全国で唯一、高知県東洋町が立候補したものの、住民などの強い反対運動で同年4月には撤回されており、現在、候補地となっている場所はない。こうした処分地選定の行き詰まりを受けて、福島原発事故前の2010年9月、内閣府原子力委員会が高レベル放射性廃棄物の処分方法や処分地選定のあり方について日本学術会議に諮問している。

日本学術会議は、これに対し、福島原発事故後の2012年9月に「高レベル放射性廃棄物の処分について」と題する回答を発表。地震国・火山国である日本の現状から、数万年~10万年単位で安定した深地層を見つけることは難しく、埋設後の廃棄物の取り出し~埋め戻しができない地層処分は不適当であるとして、(1)地上に暫定保管施設を建設し、高レベル放射性廃棄物の無害化技術が確立するまでの間、暫定的にその管理を行う「暫定保管」への処分方法見直し(地層処分計画の中止)、(2)高レベル放射性廃棄物が現在以上に増えないようにし、その総量を確定した上で処分方法の議論を始めること(「総量管理」の導入)――を原子力委員会に要求している。原発は、通常運転時であっても運転すれば高レベル放射性廃棄物を生み出し続けることから、(2)は事実上、原発再稼働をやめるよう求めるものであり、福島原発事故後の原発廃炉を求める民意に沿う、思い切った提言として話題を集めた。

福島原発事故直後、民主党政権下で内閣官房参与に任命された田坂広志氏(現・多摩大学大学院教授)はもともと原発推進派であったが、(1)高レベル放射性廃棄物の処分方法が確立せず、処分地の選定も進んでいないこと、(2)六ヶ所村での再処理が事実上行き詰まっていること(当初計画では1997年に再処理が始まることになっていたが、すでに20回延期され、現在は「2016年3月開始予定」。21回目の延期となることは確実な情勢)、(3)全国の原発の使用済み核燃料プールが未処分の核燃料で一杯になりつつあること――を理由に、再稼働が実現したとしても「日本の原発は平均で6年後には停止に追い込まれる」として再稼働に反対している(「安倍新政権に立ちはだかる「核廃棄物」の壁」田坂広志、「日経ビジネス」2013年1月18日付記事)。このように、核のごみ問題は、推進派の学者も破たんを認めざるを得ない状況に追い込まれている。今回のシンポジウムが開催された背景には、こうした国、推進派の焦りがある。

シンポジウムでは、原発推進派3名が登壇、3.11前から変わらない初めに結論ありきの無内容な討議を繰り返したあと、質疑応答に移った。15時終了予定を反対派の力で30分延長に追い込み、会場から挙手した参加者の中から、当ブログ管理人含む5名が指名された。3.11前から「初めに結論ありき」「対話という名の洗脳」「困ったら最後はカネ」で解決してきた原子力ムラとの間で、初めからまともな議論ができるとは期待していない。「技術論、各論には立ち入らず、彼らの原子力行政の推進手法そのものを問う」「原子力ムラに打撃を与え、必ず叩き潰す」という強い決意で質疑応答に臨んだ。

当ブログは、「2012年9月の日本学術会議の提言にある暫定保管について、配付資料では簡単に触れている程度だが、NUMO内部できちんと議論、検討したのか」「当時、学術会議の回答を受け取った近藤駿介内閣府原子力委員長(当時)が現在、NUMO理事長に就任している。初めに地層処分ありきで事業を進めているNUMO理事長に近藤氏が就任しているのを見ると、関係者がこの問題にまじめに取り組む気があるようには全く見えない。なぜこのような人事をしたのか」と追及した。

他の4人の反対派市民との間で、技術論では様々な屁理屈を繰り返し、よどみない答弁を繰り返していたパネリストの顔色が変わった。

近藤理事長の人事に関する質問は、当ブログとして「(このような人事を行うことは)NUMOとして、学術会議の提言を無視するという意思表示と理解してよいか」という意味を含んでのものだった。パネリストのひとり、梅木博之NUMO理事は、この意図を正しく読み取ったらしく、何かゴニョゴニョと繰り返していたが、全く聞き取れない小さな声になった。会場から「声が小さくて聞こえないんだよ!」とヤジが飛ぶと、梅木理事は絞り出すような声で「学術会議の提言については・・・検討は致しました。この提言は、地層処分をやめよという意味ではありませんし、拙速に地層処分ありきで(処分方法の決定を)進めることのないように、という私たちに対する戒めであると理解しております」と回答するのが精一杯。事実上「答弁不能」に追い込んだ。

この人事については、司会の松本真由美氏(東大教養学部客員准教授)も「多田さんに答えられるかどうかわかりませんが・・・お願いします」と、明らかに動揺を隠せなかった。指名を受け、苦虫を噛みつぶしたような表情の多田明弘資源エネルギー庁電力・ガス事業部長が「近藤氏は能力に加え、原子力問題の高い識見も有し、放射性廃棄物の地層処理に道筋をつけるのに最適な人物と考えており、ご批判は当たらないと考えます」という、木で鼻をくくったような「官僚式答弁」で答えた。国会審議での政府答弁によくある官僚原稿棒読み型の回答だった。

短い時間だったが当ブログ管理人の質疑は成功に終わったといえる。日本学術会議からの提言を「地層処分推進派」がかなり気にしていること、この提言が「核のごみ」問題を扱う彼らにとってのアキレス腱になっていることを確認できた。

そればかりでなく、原子力ムラが、国が公式に認めた科学者団体である学術会議の提言さえも無視して、安全性に疑問のある地層処分を強引に推進しようとしている事実を、テレビカメラの入る中で明らかにした。近藤理事長の人事に関しても、多田部長の「官僚答弁」によって、会場参加者に「福島事故後も無反省で傲慢な原子力ムラ」を印象づけ、彼らに打撃を与えることができた。

この模様は、後日、地層処分シンポジウムのホームページで動画配信される。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「チェルノブイリの祈り」原作者のベラルーシ女性作家にノーベル文学賞

2015-10-09 20:50:25 | 原発問題/一般
ノーベル文学賞にベラルーシ人作家 フクシマを積極発言(朝日)

----------------------------------------------------------------------------------------
 スウェーデン・アカデミーは8日、2015年のノーベル文学賞をベラルーシ人の作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏(67)に授与すると発表した。授賞理由を、「私たちの時代における苦難と勇気の記念碑といえる、多様な声からなる彼女の作品に対して」とした。長年、期待されてきた同氏の受賞に、発表会場に詰めかけた報道陣らから拍手と歓声が起きた。女性の文学賞受賞は14人目。

 AFP通信によると、ベラルーシの首都ミンスクで会見したアレクシエービッチ氏は、「私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできたこの小さな国への受賞だ」と語った。

 アカデミーのダニウス事務局長は「彼女は40年にわたり新しい文学のジャンルを築いてきた。チェルノブイリ原発事故やアフガン戦争を単なる歴史的出来事ではなく人々の内面の歴史ととらえ、何千ものインタビューをまるで音楽を作曲するように構成して、我々に人間の感情と魂の歴史を認識させた」とたたえた。

 賞金は800万クローナ(約1億1600万円)。授賞式は12月10日にストックホルムで行われる。(ストックホルム=渡辺志帆)

■「黒沢明監督の『夢』はまさに予言」

 アレクシエービッチ氏は、東京電力福島第一原発事故についても積極的に発言し、高度に発達した技術に依存する現代社会への警告を発している。

 事故直後、仏紙リベラシオンのインタビューに対して「(チェルノブイリ原発事故に続く)2回目の原子力の教訓が、技術が発展した国で今起きています。これは日本にとってだけでなく、人類全体にとっての悲劇です。私たちはもう、ソビエト体制にも全体主義にも、誰に対しても罪を負わせることができないのです」と指摘。「原発の爆発が描かれた黒沢明監督の『夢』はまさに予言でした」と述べた。(モスクワ=駒木明義)

     ◇

 〈スベトラーナ・アレクシエービッチ〉 48年ウクライナ生まれ。ベラルーシ在住。ベラルーシ大学を卒業後、ジャーナリストとして活動を始める。ソ連末期以降、国家の圧力の中、民衆の声を記録する取材を続けてきた。第2次世界大戦の従軍女性たちの証言を掘り起こした「戦争は女の顔をしていない」はベストセラーとなり、映像化もされた。

 97年には、チェルノブイリ事故に遭遇した人々の聞き書き「チェルノブイリの祈り」を発表。日本、スウェーデン、ドイツ、フランスなどで翻訳出版された。ただ、ベラルーシ大統領の非難を受け、国内では出版中止となった。

 96年、「文学における勇気と威厳」がたたえられ、スウェーデン・ペンクラブから賞を受けるなど、国際的な受賞も多い。

 数度来日し、ドキュメンタリー番組の収録や各地で講演をしている。邦訳された主著は5冊ほどある。
----------------------------------------------------------------------------------------

チェルノブイリ原発事故に遭遇した人たちの声を聴き取り、まとめた証言集「チェルノブイリの祈り」を出版したベラルーシ女性作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんに、今年度のノーベル文学賞が贈られた。朝日の記事ではアレクシエービッチさんの肩書きを「作家」としているが、どちらかといえばジャーナリストに近い。日本人で彼女の作風・立場に近い人を挙げよと言われれば、立花隆さんなどがむしろ該当するだろう。

「チェルノブイリの祈り」は1997年に刊行され、98年には邦訳され日本でも刊行された。その中に衝撃的な一節がある。

 『最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい』

 『ここでは過去の経験はまったく役に立たない。チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。このことについて一度も深く考えてみたことがないからです』

原発事故の発生は、多くの人々の価値観をしばしば「転覆」と言っていいほど大きく変える。福島を経験した私たちにも、アレクシエービッチさんの言葉が突き刺さる。「あの日」以降、私たちはそれまでとはまったく違う新しい世界に生きている。食べる物、訪れる場所、なにげない行動、我が子と一緒に織りなすありふれた日常・・・それらすべてにおびえ、不信を抱かなければならない、新しい世界。どんなドラマよりも小説よりも壮絶かつ残酷な現実の中で、どうすれば人は希望を持ち続けられるか、自問自答しなければならないパラレルワールド。もしあの事故がなかったらどんな時代を生きていたかは今や想像の中にしか存在しない。

そして最も恐ろしいのは、事故の後遺症でも健康被害でも放射能汚染でもなく、自分たちが新しい世界に生きなければならないという現実を「自覚している人」と「いない人」との間の絶望的な隔絶と対立だ――3.11後の5年を見ていて私はそう思う。

欧州最後の独裁者といわれたルカシェンコ大統領による強権政治の下で、アレクシエービッチさんの著書は何度も発禁処分を受け、自身も国外での生活を余儀なくされた時期もあった。それでも彼女がノーベル文学賞を受賞した背景に、チェルノブイリに対する長年の、たゆみない洞察があることは間違いない。

そして同時に、ノーベル賞の中でも平和賞と文学賞は、科学分野での賞と違って客観的な「業績」の評価が難しく、しばしば選考は政治的になる。チェルノブイリ原発事故の被害に遭遇したアレクシエービッチさんにノーベル文学賞が贈られたことは、福島原発事故を経験した日本の文壇に対し、「もっと事故の現実と向き合い、闘え」というノーベル財団からのメッセージだと見るべきだろう。当ブログのような弱小ブログが「文壇」の一角を名乗れば、おこがましいとお叱りを受けるだろう。しかし、当ブログでさえ、この面でもっともっと頑張らなければならないと思う。

 『なぜわが国の作家はチェルノブイリについて沈黙し、ほとんど書かないのだろうか。戦争や強制収容所のことは書きつづけているのに、なぜだんまりを決め込んでいるのだろうか? 偶然だとお考えですか?』

「チェルノブイリの祈り」でのアレクシエービッチさんの呼びかけは、チェルノブイリを福島に置き換えればそっくり日本にも当てはまる。私たちには、政府・東電・原子力ムラなどの原発推進派の他に、もうひとつやっかいな敵がいる――「沈黙」という敵が。

福島県いわき市出身の講談師・神田香織さんは、「チェルノブイリの祈り」を元にして、同名の講談で原発事故の恐ろしさを伝える活動を続けてきた。当ブログも原発問題の発信を続けていかなければならないと決意を新たにする。たとえ弱小であっても、このやっかいな敵と戦う一助になれるなら、まだ、当ブログの役割は終わりそうにない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【怒りの告発2】安倍改造内閣の高木毅・新復興大臣の父親は、絶対許せない暴言を吐いた元敦賀市長だ!

2015-10-08 21:31:49 | 原発問題/一般
10月7日に発足した第3次安倍改造内閣で、新たに復興大臣になった高木毅衆院議員(福井2区)。この高木新復興相の父親は、1979年から4期16年間にわたって福井県敦賀市長を務めた高木孝一氏だ。2012年6月、93歳で死去している。

その高木孝一氏が、敦賀市長在任中の1983年1月26日、石川県羽咋市で行った原発講演会での講演内容が、「原発への警鐘」(内橋克人・著、講談社文庫)からの引用の形でインターネット上に出回っている。そのあまりにすさまじい暴言は、原発推進とか反対とかいう以前に、もはや人間として許されないレベルのものだ。息子・毅氏が復興相となったのを機会に、この事実を広く社会に知らせておかなければならない。

-------------------------------------------------------------------------------------
以下、高木孝一敦賀市長(当時)の原発講演会における講演内容(1983年1月26日、石川県羽咋市)
「原発と地域振興」サイトより転載

 只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、今日は皆さん方、広域商工会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。…ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、ということで、引き受けた訳でございます。

 ……一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60がその前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたした訳でございます。私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、20日の日にフランスへ行った。いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへ参りました。事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそうな勢いでこの一件が報じられる。止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”こういうふうに明くる日の新聞でございまして、実はビックリ。ところが 敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなという顔をしておりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。あるいは北海道で採れた昆布までが…。

 敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう…。そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円貰うことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんでが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場爆笑、そして大拍手?!)。

 100円損して500円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、100円損した者には150円出してやってほしいけど、もう面倒臭いから500円あげるというんでは、到底これは慎んでもらいたい。まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。

 いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。

 …(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金! まあ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、その他にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの地域である訳でございます。それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、あそこはこれだけ貰った、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはお互いにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなことでございまして、例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会場感嘆の声と溜息がもれる)。

 …で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、6000万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場ドッと笑い)。あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億で修復したいと、市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、6億の修復をやろうと。今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ(ドッと笑い)。これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、こういうふうに思っとる(再び笑い)。まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、50億円で運動公園は出来るわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!

……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こういうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)
-------------------------------------------------------------------------------------

「50年後、100年後に生まれてくる子どもが全員障害児になってもいい。カネのために原発をやれ」……身の毛もよだつような原発推進派の本音があけすけに語られている。なるほど、ご本人が仰るとおり「正しく原子力発電所というものを理解」するには最適の発言だ。

ちなみに、今回の内閣改造で就任した息子の毅復興相は、自民党内で清和政策研究会(細田派)に属している。その会長の細田博之衆院議員が、自民党の原発推進派議員連盟「電力安定供給推進議員連盟」の会長であること、そして2013年7月、「原子力発電を推進しようって、みんな世界中が言っている」「福島の不幸で原発をやめるのは耐えがたい」と発言している(参考記事:2013年7月24日付け「しんぶん赤旗」)ことを、まだご記憶の方も多いだろう。

「50年後の子どもが全員、障害児になってもカネのために原発推進」と唱える人物を父に持ち、「福島の不幸ごときで原発をやめられるか」と叫ぶ原発推進派議連会長を政治上の師と仰ぐ――このような人物が、原発事故の被害を受けた福島の「復興」を担当するのだ。これを悪夢と呼ばずしていったい何と呼べばいいのか。

自分で言うのもおかしいが、当ブログ管理人は記憶力には自信がある。30年前の政治家の発言だって忘れていない。インターネット時代には、当の本人でさえ忘れていたはるか昔の政治的暴言を発掘し、社会を揺るがすこともできる。「(戦争法案の強行採決など、国民は)半年もすれば忘れる」などとうそぶく与党議員には、いずれそれにふさわしい末路が待っているに違いない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【怒りの告発1】ふざけるな! アリさんマークの引越社 労働組合員に経営者「誰にいうてんねん」

2015-10-07 22:09:15 | その他社会・時事
アリさんマークの引越社「追い出し部屋」事件 社前抗議行動 2015年10月1日 懲戒解雇撤回されるも「罪状ペーパー」が増えていた!


インターネットで話題になっている動画。非正規労働者を中心とする労働組合「プレカリアートユニオン」に加盟した事を理由に、解雇された労働者の支援として、会社への抗議活動を行っていた労働組合員らに向かって、経営者が街宣行動をやめるよう要求。「誰にいうてんねん」などと関西弁で凄む経営者が映されている。これがいわゆる「フロント企業」ではない、一般企業というのだから「アリさんマークの引越社」は完全に終わっている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする