鉄道再評価 日本の総合力が問われている(2008/7/22 毎日新聞社説)
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鉄道が世界的に見直されている。ガソリンや航空機燃料の価格が急騰する中で、少ないエネルギーで大量の輸送を可能にする鉄道の再評価が進んでいる。鉄道大国の日本だが、それに備えた対応が十分かというと、心もとないのが実情だ。
国鉄の分割・民営化から約20年が経過した。JRの本州3社は完全民営化を果たし、JR東海が、リニア中央新幹線の独自整備を打ち出すまでになっている。
個々の鉄道事業者は、利便性の改善や新規事業の開拓などに取り組んでいる。しかし、将来の鉄道のあり方をどうするのかという点を含め、鉄道が抱えている諸課題について国としても十分検討が必要だ。
交通政策審議会の鉄道部会が「鉄道の未来像」という提言をまとめた背景には、こうした事情がある。
死者が100人を超した福知山線脱線事故の惨事を繰り返さないため、安全対策を徹底することが必要だが、それ以外にも鉄道は解決すべき問題が数多い。
ICカード乗車券が拡大している一方で、複雑な運賃体系に合わせるためには巨大なプログラムが必要となる。安定的な運用を確保するため、運賃や料金のあり方についても検討すべきだと提言は指摘している。
ライバル路線に対抗するため、相互直通運転が拡大しているが、トラブルが起こると運転休止が全区間に及ぶ。また、整備主体が異なる区間をまたがって列車が運行される際に、初乗り運賃がかさんで負担感が増すといったことについても改善策を訴えている。
利用者が減っている地方鉄道や、貨物鉄道の位置づけなどの課題もある。
また、人口減少の中で、車両や信号なども含め、鉄道関連技術の継承と、新技術開発のための体制整備も必要だろう。
一方、海外でも鉄道に対する期待が増している。人口増加と経済成長に伴いアジアの主要都市は、道路の渋滞が深刻化し、鉄道の建設計画が相次いでいる。
新幹線など高速鉄道も、都市間交通の有効な手段として、導入をめざす動きが世界中で起こっている。
ところが、鉄道に関する技術では、フランスやドイツなどが国際標準化に積極的に取り組み、省エネなど技術的に優れているにもかかわらず、標準化では日本が立ち遅れている。
分割によって司令塔がなくなり、JR各社が技術開発を独自に行わざるを得ないという事情も働いているのだろう。
いずれにしても、鉄道が世界的に再評価されているにもかかわらず、日本の鉄道産業が総合力を発揮できるような体制ができていないことは問題だ。
国内の鉄道が抱える諸課題に対応しつつ、国際的にも日本の鉄道産業が実力を発揮できるよう、官民が協力した具体的な対応を期待したい。
毎日新聞 2008年7月22日 東京朝刊
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毎日新聞がこの時期に鉄道再評価の動きを取り上げたこと自体は評価できる。ヨーロッパでは1990年代から鉄道再評価の動きが顕著になっており、とりわけ機動性がありバリアフリー化が容易なLRT増設などの形でそれが表れてきている。日本でも、JR富山港線の路面電車化のような新たな動きも生まれている。
ただ一方で、首をかしげざるを得ない論調も多い。「国鉄分割民営化で鉄道は民営化で安全になった」と宣伝されてきたが、福知山線事故や羽越線事故などでこの「常識」を覆す事態が進行しているときに、『JRの本州3社は完全民営化を果たし、JR東海が、リニア中央新幹線の独自整備を打ち出すまでになっている』という、相変わらずの国鉄「改革」万歳論は滑稽だし、新幹線などの高速鉄道も建設効果は認められるが、一方で地方の衰退という看過できない副作用をもたらしているからだ。
『鉄道に関する技術では、フランスやドイツなどが国際標準化に積極的に取り組み、省エネなど技術的に優れているにもかかわらず、標準化では日本が立ち遅れている』のくだりも、一見正しそうに見えるが、ヨーロッパの例を機械的に日本に当てはめる誤りを犯していると思う。
フランスやドイツが鉄道技術の標準化に熱心な背景には、外国と陸続きのため鉄道が国際間を結んでいるヨーロッパ固有の事情がある。各国がバラバラの技術を導入し、標準化が進まなければかえって高コスト構造になりかねないからだ。この点は、島国である日本とは事情が根本的に異なる。鉄道を外国と連結できない日本は、こと鉄道に関しては独自規格でよいのである(そもそも、在来線の軌間ひとつとっても、標準軌より狭い1067mm軌間を用いて実害を生じていないのだから、線路以外についても外国との互換性は考慮しなくて良いということくらい、気付いてほしいものだ)。むしろ、ヨーロッパでは他国との関係から実用化が難しい先進技術を独自に開発し、実用化できるメリットもある。要は日本国内で運用しやすく、安全で環境によいシステムを構築できることが必要なのである。
『相互直通運転が拡大しているが、トラブルが起こると運転休止が全区間に及ぶ。また、整備主体が異なる区間をまたがって列車が運行される際に、初乗り運賃がかさんで負担感が増す』『利用者が減っている地方鉄道や、貨物鉄道の位置づけなどの課題』『人口減少の中で、車両や信号なども含め、鉄道関連技術の継承と、新技術開発のための体制整備』といった指摘については、その通りであり、特にコメントすることはないと思う。これらはいずれもひとつの鉄道事業者の手には余る難題ばかりであり、最終的には国や自治体が音頭をとるべきものである。
『分割によって司令塔がなくなり、JR各社が技術開発を独自に行わざるを得ないという事情も働いているのだろう。いずれにしても、鉄道が世界的に再評価されているにもかかわらず、日本の鉄道産業が総合力を発揮できるような体制ができていないことは問題だ』の部分は、何を今さらという感じである。
そもそもこの「国鉄分割による技術開発の弱体化」は、国鉄「改革」のころから専門家を中心に危惧していた関係者は多数いて、いわば「こうなることは20年前からわかっていた」という類の問題である。ただ、「国鉄を分割すること」それ自体が目的となっていた当時の政府が聞く耳を持たなかっただけのことだ。
私は、国鉄時代がJRと比べて技術開発で劣っていたとは全く思わない。新幹線を開発し、蒸気機関車を全廃して電化・ディーゼル化する「動力近代化計画」も予定通りに実現させるなど、現場は掛け値なしに優秀だった(不祥事を起こす職員もいたが、全体から見ればほんの一部である)。
ただ、国鉄時代とJR時代では技術開発に関する思想が微妙に異なっていると私は思う。国鉄時代は大規模な資金とマンパワーを投入して新技術の研究開発を行ったが、社会的によほど強い要請がない限り新技術の即時投入には慎重で、技術の安定化がある程度確認されてから全国一斉に導入するというスタイルが多かった(キハ82系「はつかり」の初期故障などは、社会からの強い近代化圧力で十分な試験を行わないまま新車の投入を余儀なくされた悲劇的な例外といえる)。このため、新技術導入後のトラブルは少ない反面、対外的には国鉄の技術開発が停滞しているような印象を与えることが多かった。
これに対し、JR時代は新技術を開発し、ある程度の試験を行ったらともかくすぐ導入してみようという傾向が強いように感じる。この手法だと、技術開発が日進月歩で進んでいるような印象を与えることができる反面、本線での営業運転が技術試験の延長のような色彩を帯びるため、安定性に欠けることが欠点である。
話が横道に逸れてしまったが、国鉄時代のように、巨大な資金とマンパワーを投入して技術開発を行うことができる体制作りは必要であり、極めて適切な指摘であると言えるだろう。