安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

9月29日19時05分頃の福島県沖の地震について

2011-09-30 23:15:03 | 気象・地震
「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第56報)(気象庁報道発表)

この地震発生時、当ブログ管理人は外出中だった。コメントが遅れたのもそのためである。

この地震は、東の本題震災の余震であり、過去の同様の地震と同じことしかコメントできないが、強い揺れを観測した割には地震の規模はM5.4と小さい。これは震源深さが9kmときわめて浅いところで発生したためである。震源の浅さを裏付けるように、揺れの伝わった範囲は比較的狭い。

報道発表で特筆すべきことがあるとすれば、4ページ記載の月別余震回数だろう。9月に入ってから地震が少なくなったような気がしていたが、それを裏付けるように震度4以上の余震は8回。9回だった6月を下回り、3.11以降では震度4以上の余震が最も少なくなった。

ただ、6月にいったん減少した余震が7月に反転して増えているように、これをもって余震が収束に向かっているとはいえない。10月にまた余震回数が増える可能性もあるので注意してほしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何度も繰り返される「帰宅難民の悲劇」から本当の危機が見えてきた

2011-09-27 22:52:21 | その他(国内)
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 3.11の悲劇からまだ半年しか経っていないのに、この醜態はなんなのか。首都圏が台風15号の直撃を受けた9月21日、大量の帰宅難民が街にあふれ、東京はまた3.11を思い起こさせる混乱の渦に巻き込まれた。鉄道が軒並みストップして帰宅が困難となった労働者たちがバスやタクシーを求めて暴風雨の中、長時間並んだり、無謀にも徒歩で帰宅しようとしたりするなど、相変わらず芸のないドタバタ劇が繰り返されたのだ。

 「非常に強い」勢力の台風が東日本に上陸したのは、統計の残る1951年以降では意外にも初めてというから、油断していた面はあるのかもしれない(ちなみに、「非常に強い」は気象庁が台風の勢力を示す表現としては「猛烈な」に次いで2番目に強い)。しかし、いつ襲来するか予想ができない地震と異なり、台風は進路予測がリアルタイムで伝えられ、到達日時もほぼ予想できるにもかかわらずのこの醜態。東京にオフィスを構える企業の意識の低さに改めて愕然とさせられた。彼らの辞書に学習という文字はどうやら本当にないようだ。

 ●非常時の災害対策に「頑張ります」と答えた企業

 3.11直後、あるインターネットのニュースサイトに興味深い記事が掲載されていた(閲覧直後、たいした記事ではないと思って保存しておかなかったのが悔やまれる)。ある調査会社が、首都圏にオフィスを構える主要企業に対し、近い将来予想される首都圏直下型地震に備えてどのような対策を講じているかのアンケート調査を実施したのだが、その結果が実に様々で興味深いというものだった。すでに来るべき大地震に備えて首都圏以外に本社機能を分散したり、西日本に素早く本社を移転したりするなど機敏に動いた企業がある反面、ほとんど対策らしい対策を講じていない企業も目に付いた。

 記事によると、最もひどい回答だったのはある都内の大企業で、首都圏直下型地震に備えた対策のはずなのに、本社機能の分散先は同じ東京23区内。地震発生時の措置も「ただちに出社できる社員を本社に招集する」となっていた。調査票を見て呆れた調査会社の担当者が「首都圏直下型地震が起きたとき、23区内なんてどこも同じです。こんな対策では分散の意味がありませんよ。交通機関も止まり、道路も渋滞で動かなくなるのにどうやって社員を集めるんですか?」と電話で尋ねると、受話器の向こうから返ってきた答えは「頑張って集めます」だったという。この企業の危機管理に対する調査会社の評価が、5段階中の最低だったことはいうまでもない。

 ●パニックを起こすのはいつもエリート

 “A PARADISE BUILT IN HELL”(直訳すれば「楽園は地獄の中で作られる」、邦題「災害ユートピア」)という本を著した米国人ノンフィクション作家、レベッカ・ソルニットさんによれば、未曾有の大災害に見舞われたとき、民衆は見ず知らずの人に水や食料そして寝場所を与え、時として命すら投げ出し助け合う。ソルニットさんは、そのような理想社会をなぜ平時に作ることができないのかという問題提起をしながら、大災害の直後、一時的に発生するそのような「疑似ユートピア」について、次のように考察している。『…もちろん、災害自体は悲劇だ。だが、それはまるで「革命」にも似ていて、人々は突然未来が大きく開けたことを感じ、何かが可能であることを、驚きやパッション、強烈な思いを持って語るのだ。それは、自分の生活、アイデンティティ、コミュニティがこれまでとはまったく異なるものになり得る、という感覚だ。怖いことでもあるが、同時に解放的なことでもある』。

 確かに災害は人々から暮らしの基盤を根こそぎ奪い去ってしまう。大半の人はそれをただ単なる悲劇としか捉えられないだろう。だが、ものの見方を180度変えてみよう。会社の建物が津波で流されたり、そこまで行かなくとも倒産したりという事態になったら、社長も社員も失業してしまう。だが、それまでは「社長-社員」として上下関係だった2人は「失業者」として平等になる。復興がうまく行き、社員だった人が下克上を実現させて社長になれるかどうかはわからない。しかし、すべてを破壊する災害は万人を平等にするまたとない機会でもあるのだ。

 平等になってみると、それまでの社長の地位や役職は通用しないから、誰もが人間性だけで勝負しなければならなくなる。大災害の時に人間の本性が現れるのはこのためだ。人間性を磨く努力をせず、肩書きにモノを言わせて自分の主張や方針を押し通してきた人に限って、このような非常時に馬脚を現してしまう。永田町や霞ヶ関、丸の内界隈にはこの手のタイプが多い。

 ソルニットさんは、『日本では東日本大震災や原発事故への政府の対応が遅く、国民はひどく落胆した。そもそも政府に何かを期待し、まともになるよう求める議論自体が間違っているのだろうか』とのインタビュアーの質問にこう答えている――『いや、そうした議論自体は素晴らしい。災害が起こってはじめて、人々は政府とは何か、いったい政府に何が期待できるのかを知ることができるし、深く考えることになるからだ。アメリカでは、…(巨大ハリケーンの)カトリーナの後に市民のコミュニティがより機能するようになり、政府に要求を突きつけるようになった。民主主義における政府の質の向上は、何といっても国民の圧力の大きさいかんにかかっている』。

 ソルニットさんは、未曾有の災害に直面したときパニックを起こすのはいつも民衆ではなくパワー・エリート(支配層)なのだという。福島第1原発事故に関して、必要な情報が隠されたり、数ヶ月も経ってからこっそり後出しされたりすることに対して、政府や東京電力の幹部は決まって「パニックが起きるのを防ぐためにやむを得なかった」と愚にもつかない言い訳をするが、彼女は、災害時に一般市民のパニックが起こると想定し実際にパニックするのはエリートたちであり、むしろその“エリート・パニック”こそが社会を危険に陥れると説明する。

 支配層が民衆のパニックを恐れる理由に関して、彼女は「ハリウッドに代表される娯楽映画の影響が大きい。災害時にみなが落ち着いて整然としていては、チャールトン・ヘストンやトム・クルーズら英雄の出番がなくなってしまうからだ」と主張しているが、これは米国人特有のジョークだと思う。本当の理由は恐怖だろう。災害そのものへの恐怖ではなく「災害が万人を平等にする」ことに対しての恐怖だ。初めから失うものがない民衆には恐れるものもないから、生き生きと行動ができるようになる。

 このように考えれば、大災害に際して「大したことがないので落ち着いて行動するよう」訴えて臆病になるエリートと大胆に人助けをする民衆、その2つの対照的な行動を合理的に説明することができる。

 ●日本の「出世レース」の欺瞞

 今、欧米諸国でも政府や企業のトップが重要な決断を先送りする傾向が強まっており、そうした現象を「日本化」と呼んでいるそうだ。いち日本国民としては、そんな呼び方をする欧米人を失礼な奴らだと思うが、重要な決断ができないことに関しては、日本政府・企業トップは他の追随を許さない独走状態にある。

 なぜこんなことになってしまったのか。その理由は実は簡単である。日本の組織の出世レースにおいて極端な減点主義が採られているからだ。

 減点主義とは、平たく言えば先に失敗をした人から順に脱落させていくというシステムのことである。中小企業やベンチャー企業、外資系企業はこの限りではないが、日本の官公庁や大企業(特に独占的地位にある保守的な企業)は上位の役職への昇進者をほとんどこの方法によって決めている。1人、また1人と失敗をした人から順に脱落していき、最後に1人だけ残った人にトップの栄冠が輝くのだ。

 そのような組織でトップになりたければどのように行動すべきか。答えは簡単。何もしなければいいのである。何もしなければ失敗することもない。そして、なまじやる気を出したライバルが失敗をして脱落するのを横目で見ながら、ほくそ笑んでいればいいのである。

 政治家や官僚、電力会社やJRといった特権的な組織のトップたちはどうしてこう揃いもそろって無能で、嫉妬深くて、そのくせ自己保身能力だけには長けていて、しかもケチで厚かましいのか。賢明な本誌読者の大半はそのような憤りを抱いていると思う。筆者もまた、安全問題研究会を主宰しながら、過去、JR西日本の尼崎事故対応、JR東日本の信濃川不正取水問題への対応、そして福島在住の原発被曝者としての立場から東京電力の原発事故対応をつぶさに追いかける中で同じ疑問を抱いてきた。こうした資質のほとんどは「何もしない人間ほど昇進する」という不毛なシステムによって生み出されている。「放射能漏れを半年経っても止められない東京電力経営陣は無能の集団だ」などと今頃批判しても始まらない。日本のシステムは「クズ選抜装置」であり、それで選抜される経営陣は「粒ぞろいの無能たち」なのだから、彼らに何かができるほうがおかしいのだ。これから起業する若者たちに声を大にして訴えたいが、日本企業の幹部選抜システムを導入するくらいなら、アイドルグループ・AKB48のようにジャンケン大会で幹部を選抜するほうが何万倍も良い結果が得られると思う。

 日本の組織に宿命のように寄生するこの病を切開しなければ、日本はいずれ地震でも津波でも原発事故でもなく、「何もできない病」によって滅亡するだろう。ウォッカの瓶を空ける本数で党幹部の昇進を決めていたソ連が、ある日突然解体したように。

 ●ウォルフレンの「予言」

 日本を苦しめるこの「難病」に対して、もう20年近くも前に的確な診断を下していた外国人がいる。「人間を幸福にしない日本というシステム」の著者でオランダ人のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏である。彼は同書の中で、日本を自動操縦装置で水平飛行することしかできない飛行機になぞらえた。離陸も着陸もできないこの不思議な飛行機には1億人の乗客が乗っているが、その誰もが根拠のない無邪気さによって、自分たちの飛行機はこの先何十年、いや何百年も水平飛行をし続けられると信じている。いくら日本製の自動操縦装置が世界一優秀といっても、燃料が切れれば飛行機は墜落せざるを得ないが、乗客・乗員の誰も燃料切れの可能性に気付かず、静かに破局の瞬間を待っているのだという。そういえば最近もどこかでそんな話があった。根拠もなく安全と言い続け、地震への備えなどまるでなく、いざ事が起きてから情報隠しに明け暮れているどこかの企業の話である。

 彼は、日本が早くこの危機に気付いて被害を最小限に食い止めてほしいと願いながらも、その可能性は残念ながら低く、手痛い打撃をこうむると予想していた。彼の予言が現実のものとなったいま、私たちは何をすべきなのか。ウォルフレン氏はすでにその回答も用意している――官僚独裁の実態を見抜き、民主主義を骨抜きにした官僚と闘うこと、記者クラブを廃止させマスコミを正常化すること、政治家を官僚に対する監視装置として育成していくこと。そして、そのひとつひとつが国民の直接行動によってのみ達成されうることを、彼はもう20年近くも前に明らかにしている。

 9月19日、東京・明治公園には6万人を超える市民が集まり、反原発を訴えた。私には、台風ごときで慌てふためいている東京都民と、明治公園で「経団連の実力者たちに抵抗する意思があることを思い知らせ」た(大江健三郎さん)東京都民が同じ人たちだとは思えない。今はまだその両方が東京都民の偽らざる姿だとしても、いずれ東京都民、そして日本国民は官僚と経団連と対決する「民主主義の鬼」とならなければならない。行動せず文句ばかり言っている民衆と、国民のための決断をせず、自分の周囲の小さな利益ばかりを追い求めている支配層の中にこそ、日本の真の危機があるのだから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR北海道・中島社長自殺の背景にあるもの

2011-09-24 23:16:11 | 鉄道・公共交通/安全問題
失踪のJR北海道社長、遺体を確認…小樽沖(読売)

JR北海道の中島尚俊社長が9月12日から行方不明になっていた問題は、発生から1週間後の18日、小樽沖で中島社長の遺体が発見されるという、衝撃的で最悪の結末を迎えた。

私は、政府・与党が2010年2月に示した国労組合員ら不採用者の再雇用問題に関する和解案に関し、中島社長が被解雇者らの再雇用拒否を6社の中で最初に表明したこと、また「ぎりぎりの経営をやっており、要員も効率化している」「(国鉄改革当時)多くの人が、鉄道を捨てるか北海道を捨てるかしてきた経緯をお考えいただきたい」などと述べたことに対し、当ブログなどを通じて厳しく批判してきた。私は中島社長に対して、政府と一体となり被解雇者らの再雇用を拒み続けた頑迷な経営者とのイメージしか持っていなかったが、一方で、どのような立場にある人物であろうと自殺はあってはならないことだし、中島社長を自殺に追い込んだ背景に何があるのかを追求することも当ブログと安全問題研究会に課せられた使命であると思うのである。しかもそれは、犠牲者が出なかったことが奇跡とも言うべきJR北海道の深刻な安全問題と直接、密接に関係しているからだ。

中島社長が安全問題で悩んでいたことは報道からも、またJR北海道の安全問題を長年ウォッチしてきた当ブログと安全問題研究会の立場からも間違いないと思われる。この点に関しては、9月17日に放送されたTBS系「報道特集」がうまくまとめている。その中では、--当ブログと安全問題研究会はすでに何度も指摘してきたことだが--JR北海道が会社発足時点より社員数を半分(民営化時14000人を現在、7100人)に削減したこと、それにもかかわらず特急列車の運転本数は2倍(民営化時78本から現在、140本)に増やした上、スピードアップ(札幌~釧路間で45分短縮)も行ったことなどの事実を明らかにしている。民営化前後の極端な採用抑制と首切りの結果、会社の中核を担うべき40歳代の社員が全体の1割しかいないという、歪な年齢構成も明らかにされている。

これらのすべてが中島社長の責任とは言わないとしても、民営化以降の歴代経営陣の責任であることは論を待たない。打ち続く事故やトラブル、列車火災などの重大インシデントの発生は、こうした合理化、人員削減、強引なスピードアップの明らかな帰結である。

ここで少し補足しておきたい。人員削減は他のJR各社も実施しており、JR西日本では尼崎事故、東日本では羽越線事故という「合理化にふさわしい悲劇的結末」ももたらされた。しかし、JR北海道の場合、人員削減がもたらす負の効果は大都市部を抱える本州3社とは比較にならないほど大きいのである。これは(九州、四国も同じことだが)路線数が少ない割に営業キロが長いという三島会社の特性が背景にある。たとえば首都圏の場合、1人の運転士が1日の勤務時間の中で京浜東北線に乗り、そのまま武蔵野線に乗務するような複数路線の掛け持ちは不可能ではない。しかし、北海道で1人の運転士が1日の勤務時間の中で根室本線に乗務し、そのまま宗谷本線にも乗務するようなことは絶対に不可能である。路線が首都圏のような面的な形ではなく線的に存在し、しかもそのひとつひとつの路線の営業距離が長く、ほとんどが盲腸線(行き止まり路線)である北海道の場合、「東日本も国鉄時代から4割人員を減らしたのだから自分たちもできる」などと考えてはならないのである。こうした人員削減を、JR北海道経営陣が「他社だってできたのだから」という理由だけで推進してきたとすれば、それはひとえに経営陣が鉄道の現場業務の実際と北海道特有の地理的状況、そして自社の路線配置が首都圏や関西と異なるという状況に対する理解を欠いているからである(もちろん当ブログと安全問題研究会は、JR他社の人員削減にも反対の立場である)。人員削減率が本州3社並みであったとしても、JR北海道ではこの結果、本州3社以上の激しい労働強化となってJR社員が追い詰められていることは容易に想像できる。中島社長の苦悩がこうした経営政策の結果であるとすれば、残念ながら中島社長に同情することは全くできない。

しかし、中島社長を追い詰めた問題が、安全崩壊以外にもうひとつあるという。例によって大手メディアは全く報じていないが、タブロイド夕刊紙「夕刊フジ」(9月13日付)がこの問題を追っている。同記事によれば、中島社長は北海道新幹線の建設に強いこだわりがあったという。しかし、新函館駅建設問題や、並行在来線を第三セクター分離するJR北海道の方針に対し、JRによる経営継続を要求する函館市が激しく反発していたという。

並行在来線の経営分離(と言う名の切り捨て)に関しては、すでに何度も指摘してきたとおり、自民党政権時代に作成された政府・与党合意が根拠である。当ブログと安全問題研究会はこの合意文書の破棄を再三にわたって要求し、国土交通省にも申し入れを行ってきた。この合意文書では、「並行在来線の経営分離についての沿線地方公共団体の同意の取付け」を着工の要件としており、沿線地方公共団体とは「関係するすべての沿線地方公共団体」と解されている。この解釈を根拠に、九州新幹線長崎ルート問題では、並行在来線「分離」のみを押しつけられ、新幹線が自分たちの区域内を通過しないため新幹線のメリットが全くない佐賀県鹿島市など2市町が、並行在来線分離に「不同意」を表明して5年間闘い続けた結果、「新幹線開業後も20年間、JR九州が並行在来線を既存路線と一体運営する」という大幅な譲歩を勝ち取っている。

さて、中島社長を追い詰めた問題がこの整備新幹線問題であるならば、当ブログと安全問題研究会はもう一度、政府・与党合意文書の破棄を求めるとともに、「意思決定は政府、運営主体はJR」という新幹線の「国策民営」方式の是非を問わなければならない。JRは新幹線の運営主体であるにもかかわらず、建設可否の決定権を与えられないまま、政治の意思で建設された新幹線を一方的に押しつけられる--こんな図式を最近もどこかで見たような気がする。そう、原発と全く同じ構図だ。

このように考えると、並行在来線分離を認める政府・与党合意の本当の狙いがますますはっきりする。東海道新幹線が開業したとたん、全国の特定地方交通線の赤字額合計より東海道本線1線の赤字額のほうが大きくなったように、新幹線はそれ自体が並行在来線を食いつぶし、破綻に導く巨大な「麻薬」である。政府・与党合意とは「麻薬」を強制注射されるJRに対し、壊死した細胞の切り捨てを認める国からの「アメ玉」だったのだ!

しかし、JRにとっては食いつぶされた並行在来線が壊死した細胞に過ぎないとしても、地域住民にとっては生命線であり貴重な地元の足である。公共交通を守る地域の闘いは、並行在来線切り捨てを打ち破る闘いとしてJRを直接大きく揺さぶっている。政治からは新幹線の押しつけ、地域自治体・住民からは生活路線切り捨てに対する明確な拒否回答…。こうした動揺の中で起きた中島社長の不可解な死は、いよいよJR本体が「国策民営体制」の矛盾に耐えきれず、引き裂かれ始めたことを示している。その意味では、中島社長もまた「国策民営」体制の犠牲者といえよう。

当ブログと安全問題研究会は、このような悲劇的な結末を迎え、あたらめて中島社長に哀悼の意を表する。同時にJR北海道の安全問題に対しては、乗務員を初めとする安全部門への大幅な増員を求めていく。そして、新幹線問題に関しては、再度、政府・与党合意の破棄を要求するとともに、地域公共交通を守る闘いにしっかり連帯していきたいと思っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【管理人よりお知らせ】放射線量測定を再開します

2011-09-23 17:05:44 | 運営方針・お知らせ
7月18日付記事にてお知らせしていた通り、当ブログでは線量計故障に伴い、放射線量測定を中止していましたが、新たに線量計を入手できたことから、放射線量測定を再開することにします。

再開後の新たな測定方法をお知らせします。

1.測定場所
福島県 西郷村転作促進技術研修センター(場所はこちら

7月まで測定を行っていた「八雲神社」と事実上同じ場所ですが、公共施設名で表示したほうが理解しやすいと思いますので、今後はこのように表示します。

2.測定方法
(1)使用する線量計 RADEX RD1503

(2)測定地点
7月までは、西郷村転作促進技術研修センターと同じ敷地内にある「八雲神社」の本殿前の土壌と、隣接する公園遊具下の土壌を測定していましたが、土壌・アスファルト舗装の両方で線量の変化を見る必要があること、公園の遊具が当初の想定ほど子どもたちに利用されていないことから、公園遊具下の土壌の測定は止め、今後は西郷村転作促進技術研修センター正門前のアスファルト舗装の上を新たに測定します。

この結果、測定地点は「八雲神社本殿前の土壌」と「西郷村転作促進技術研修センター正門前のアスファルト舗装」の2カ所になります。

(3)測定する高さ
以前と同様、高さ10cmと1m地点で測定します。

(4)測定方法
RADEX RD1503は、40秒ごとに線量を測定し、それまでの計測値との間の平均値を自動表示する仕様になっています。このため、同一測定地点の同一の高さで3回測定し、その平均値をその測定地点、高さにおける測定値とします。

(5)気象データの発表方法
7月までの測定では、気象データの発表は気象庁サイト掲載のデータを発表していました。しかし、気象庁サイトでは、当日中は最大風速のみの発表であり、1時間ごとの風速データの発表は翌日以降となります。こうした事情を考慮して、今後、風向・風速データは、yahoo!気象情報サイトに掲載のデータを使用することとします。

(6)測定値をご覧いただくに当たっての注意事項
7月までの測定では、線量計の数値を1分間見定めた後、その間の最高値を測定値として発表していました。今後の測定では、測定値の決定方法を(4)の通り改めます。このため、7月までの測定値と今後発表する測定値との単純比較はできませんのでご了承下さい。

また、この測定はあくまで民間測定であり、線量の正確さを保証するものではありません。当ブログで発表する測定値は参考程度の認識にとどめてください。ただ、同一の場所で、同一の測定器を用いた「定点観測」となりますので、時間の経過による線量の変化を見る上でひとつの材料を提供できるものと思います。

(7)その他
7月18日付の記事では、線量測定再開の際には測定場所を変えるかもしれないとお知らせしましたが結局、同一場所での計測再開としました。福島県内は、会津地方の一部を除けば、ほとんどの地域が放射線管理区域以上の状況にあります。公的機関や民間有志による測定の結果、早い時期に住民避難を要するような危険地域もほぼ特定されています。計測結果をどのように評価すべきかをめぐって激しい対立も生まれており、当ブログ管理人も住民防護を最大限重視すべきとの立場から活動していますが、新たな危険地域を探すという意味での計測を行う必要性はすでに薄れています。当ブログとしても、今後は、おおよその測定値と、その経時変化を見ることができれば十分だと考えています。

なお、当初は国産の線量計を購入する予定でしたが、注文から4ヶ月経っても入荷の見通しが立たないとの連絡を受けたため、外国製の購入に切り替え、最も流通している機種のひとつであるRD1503を購入することにしました。この線量計の測定範囲は0.05~9.99μSv/hですが、0.05μSv/h以下であれば安全なので測定の必要はなく、9.99μSv/hを越えるようであれば即時避難すべきであり、やはり測定は不要と考えています。そうした事情を考慮すれば、この程度の性能で十分だと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9.19明治公園集会 写真報告

2011-09-21 00:43:13 | 原発問題/一般

挨拶する大江健三郎さん


挨拶する山本太郎さん


会場を埋め尽くした参加者


子どもたちも「原発いらない」をアピール


続々と進むデモ隊


先頭に立つ著名人


交差点をデモ隊が進む

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9.19 反原発集会(明治公園)著名人の発言要旨

2011-09-20 23:25:07 | 原発問題/一般
9.19明治公園集会での各著名人の発言などが続々と報告されている。ぜひ記録に残しておくべきだと思うので、紹介する。

-----------------------------------------------------------------

国家公務員一般労働組合による報告

●「さようなら原発」への“結節点”と“出発点”となる今集会

――鎌田慧さん(ルポライター)

きょうここに5万人集会を成功させることができました。きょうの集会は“これまでの結節点”であり、原発をなくしていくための“これからの出発点”でもあります。野田首相は国連に出席して原発の安全性を高めていくと演説するとしています。しかし、原発の安全性と信頼性はすでに破綻しています。それでも原発を再開することは国民に敵対する行為です。国民の8割が原発のない社会で生きたいと言っています。この声を無視して政治をできるわけはありません。

これまでどれだけの被爆者が発生しているのか?どれだけの原発労働者が被曝しているのか?これから分かってきます。その恐ろしい結果を私たちはきちんと認識し、その救済を少しでも早く始めていかなければいけません。そういう意味でもきょうの集会を力強く成功させ、救済運動も進めていきましょう。

脱原発運動は多くの人々の意識を変えていく運動でもあります。みなさん、核に依存して生きることは人類は絶対にできないのです。核と人類が共存できないということは、ヒロシマ、ナガサキそして今度のフクシマの原発事故でも証明されています。どうしてこれ以上の犠牲者をつくることができるでしょうか。私たちは原発に「さようなら」を言いましょう。この原発への「さようなら」はまた会いましょうなど再会を期することを含んだものではありません。もう絶対に会いたくないという意味での「さようなら」が原発に対する私たちのメッセージです。もう原発のある社会はいらない。そして、これから子どもたちに平和で幸せな社会を残すためにこそ頑張って行こうではありませんか。これからも様々な集会やデモに取り組み、1千万署名をひろげましょう。そして来年3月24日に日比谷野外音楽堂で1千万署名の集約集会を開きましょう。

●原発は必ず荒廃と犠牲を伴う

――大江健三郎さん(作家)

二つの文章を紹介します。一つは渡辺一夫さんの文章です。

狂気なしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。それはウソであります。狂気によってなされた事業は必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は狂気にとらえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって誠実に地道になされるものです。

この渡辺一夫さんの文章はいま次のように読み直されうるでしょう。

原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあります。これはウソであります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。

二つめの文章は、新聞に載っていたものです。原子力計画をやめていたイタリアがそれを再開するかどうか国民投票を行い、そして反対が9割を占めました。それに対して日本の自民党の幹事長が、「あれだけ大きな事故があったので集団ヒステリー状態になるのは信条としてわかる」と語ったそうです。もともとイタリアで原子力計画が一端停止したのは25年前のことです。チェルノブイリの事故がきっかけでした。それから長く考え続けられた上で、再開するかどうかを国民投票で決めることになった。その段階で福島原発事故が起こったのです。自民党の幹事長は「反原発というのは簡単だが生活をどうするのかということに立ち返ったとき国民投票で6割が原発反対だからやめましょうという簡単な問題ではない」と締めくくりました。原発の事故が簡単な問題であるはずはありません。福島原発事故による放射性物質で汚染された広大な面積の土地をどのように剥ぎ取るか?どう始末するのか?すでに内部被曝している多くの子どもたちの健康をどう守っていくのか?

いままさにはっきりしていることはこうです。イタリアではもう決して人間の命が原発によって脅かされることはない。しかし、私たち日本はこれからさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちはそれに抵抗するという意思を持っているということを想像力を持たない政党の幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そのために私たちに何ができるのか。原発を推進する勢力に対抗するには集会やデモしかありません。しっかりやっていきましょう。

●「新しい原発安全神話」は許さない

――内橋克人さん(経済評論家)

注意しなければならないことがあります。それは「新しい原発安全神話」、「原発安全神話の改訂版」、「新版」、これが台頭しつつあるということです。つまり、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意をしなければなりません。

たとえば、地下深く原発を埋め込んで洞窟の中で原発を続けるというような計画などが企まれているということであります。地下の洞窟の穴に原発エネルギーをつくる装置を埋めてなおかつ原発を持ち続けたいというこの意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの国が「核武装」、「核兵器で再武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたいとする政治的意図だと思います。合意なき国策がここまで進んできました。幾度も幾度も打ちひしがれた経験を私たちは生かさなければいけません。原発エネルギーではなくて命のエネルギーが輝く国にしようではありませんか。きょうその一歩が踏み出されます。「さようなら原発」、「こんにちは命輝く国」。世界を変える一歩一歩を歩き続けましょう。

●放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪

――落合恵子さん(作家)

私はビートルズ世代で、ジョン・レノンのイマジンもよく聴いています。

想像してください。子どもはどの国のどの社会に生まれか選ぶことはできないのです。そして生まれてきた国に原発があってこの暴走があったことがいまの私たちの社会です。

想像してください。フクシマのそれぞれの子どもたちの今を。そしてこの国のそれぞれの子どもたちの今を想像してください。

スリーマイル島、チェルノブイリ、そしてフクシマ。あの原発大国フランスでもついこの間核施設の事故があり、ほとんどの情報を私たちが手に入れられない現実を生きています。今度はどこで、次は誰が犠牲になるのかとそのストレスを絶え間なく抱いて生きていくのはもういやだ。私たちはそれぞれ叫んでいきたいと思っています。

放射性廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪深さを私たちは叫んでいきましょう。それは、命への、それぞれの自分自身を生きて行こうという人への国家の犯罪なのです。容易に核兵器に変わるものを持つことを、恒久の平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

想像してください。まだひらがなしか知らない小さな子どもが夜中に突然起きて「放射能来ないで」って泣き叫ぶような社会をこれ以上続けさせてはいけないはずです。私たちはこの犯罪に加担せず、暴力に対して私たちは非暴力を貫き、世界から原発と核が消える私たちのゴールに向かって歩みましょう。私たちは、あきらめません。慣れません。忘れません。歩き続けます。

●市民団体「ハイロアクション!福島原発40年」武藤類子さんの発言(同団体のサイトから)

みなさんこんにちは。福島から参りました。

今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。
はじめに申し上げたい事があります。

3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。

それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。



皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。

大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。

すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。

そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

・真実は隠されるのだ

・国は国民を守らないのだ

・事故はいまだに終わらないのだ

・福島県民は核の実験材料にされるのだ

・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ

・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ

・私たちは棄てられたのだ

私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。

・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・

・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・

・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、  労働者たちが・・・

・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・

・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・

・ひとりひとりの市民が・・・

国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。

私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。

もうひとつ、お話したいことがあります。

それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。

私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。

たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京・明治公園での反原発集会に6万人~福島デモ隊、都民の拍手で迎えられる

2011-09-19 22:55:14 | 原発問題/一般
今日、東京・明治公園で「さようなら原発1000万人アクション」が開催され、主催者発表で6万人が集まった。航空写真を見る限り、主催者発表の数字は決して誇張ではない。沖縄で基地反対10万人集会が開かれてもてんで無関心だった東京でこれだけの人数が集まったことはまさに驚天動地だ。少なくとも70年安保以来、東京でこれだけの人が集まった集会・デモを私は知らない。

集会では、鎌田慧さん、大江健三郎さん、内橋克人さん、落合恵子さん、澤地久枝さん、フーベルト・ヴァイガーさん(FoEドイツ代表)、山本太郎さんが挨拶した。とりわけ最も若い山本さんの訴えが印象に残った。「メディアからもはや真実が伝わることはない。彼らは今なお命よりカネが大切なのだ」「デモにどんなに人が集まっても、どんなに多くの署名が集まっても効果は限定的。政治家にとって最も効果があるのは、それぞれの事務所に出向き、直接彼らの立ち位置、そして彼らがどうあるべきかを問うことだ」。その呼びかけは、事務所退社という形でみずから退路を断ってまで反原発の意思を貫くことを誓った者だけが持ちうる凄まじい気迫に満ちている。

3コースに分かれてデモ隊が出発する。私は福島県関係者として、デモ隊の先頭を切ることになった。ふと後ろを振り返ると、どこが終わりなのか見当もつかないほどの長い長い列。そして、デモ隊が道路に出ると信じられないことが起きた。歩道を歩いていた市民から、デモ隊に拍手が送られたのだ。

私は、そうした都民の拍手を少なくとも4~5カ所で確認した。「頑張れよー」という男性の声も聞いた。歩道橋の上からも、手を振る都民がいる。観光バスの中から手を振る観光客もいた。

私がデモというものに初めて参加したのは、もう10年以上前。所属労働組合の小さな賃上げ要求デモだった。気勢の上がらないデモ隊に冷淡な市民。規制する警察の声だけがやたらうるさい。名古屋時代、自衛隊のイラク派兵反対デモでは、「バカ野郎!自衛隊は復興支援に行っているんだ!」と酔っぱらいから罵声を浴びせられたこともある。日本人のデモに対する意識なんてその程度のものだと思っていたし、「今度もせいぜい集まって2~3万人だろう」とどこか醒めている自分がいた。

都民のこの拍手は何を意味しているのか。同情? 連帯? もし同情なら、そんなものは要らない。それよりも支援がほしい。子どもたちを、今なお1μSv/hもの被曝にさらされている福島から避難させてほしいのだ。

都民から送られる拍手を聞きながら、ぜいたくな消費生活を謳歌したい東京の欲望こそがこの事態を引き起こしたのだと、東京を恨んだ自分の狭量さを反省した。「原発を止めれば停電が起きる」という政府・電力資本・マスコミ一体のキャンペーンは無残にも崩壊したが、その影には東京都民の涙ぐましい節電への努力があった。薄暗い駅、蒸し暑いオフィス、止まった自動販売機…そうした不便に耐えながら、今回、東京都民はよく頑張ってくれたと思う。ありもしない電力不足キャンペーンを打ち破るために、東京都民が福島の苦しみを思いながら懸命に闘ってくれていたことを知った。都民から送られる暖かい拍手の前に、私の東京へのわだかまりは氷解した。

戦後66年。放射能とともに負けた日本は、今度は自分自身の放射能で自分自身を汚すという、66年前に勝るとも劣らない愚行を起こした。しかし同時に、何かが変わりつつある胎動も今日、確かに感じ取った。66年を経ても閉ざされ続けた民主主義への扉。過去何度か開きかけては閉じ、また開きかけては閉じるを繰り返してきた、厚くて重い、錆び付いた扉。その扉が今日、ほんの少しだけ、開いた。

「まだ希望はある」。そう思わせてくれるに十分な6万人の人波だった。もう一度、東京と福島が力を合わせて、今度はこの扉を力いっぱい開きたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【別冊宝島 食品の放射能汚染完全対策マニュアル】発売されました! ぜひご覧ください

2011-09-16 22:12:18 | 書評・本の紹介
宣伝になってしまいますが、別冊宝島1807 食品の放射能汚染完全対策マニュアル~「0ベクレル」の食卓を目指すためのバイブル(水口憲哉・明石昇二郎 編著)が9月16日に発売されました。

「本邦初! 一般家庭の献立と外食メニューを実際に測ってみました」コーナーに、我が家の食材を提供しました。結果は、このコーナーに記載されているとおり、放射性物質は検出されず、いずれも0ベクレルとの結果が得られました。

検査を依頼してみて思うのは、産地にこだわりさえすれば内部被曝をゼロに近づけることは可能だということです。ただし、2011年産食材が出回り始めるこの秋以降は、いつまで持つかという不安もありますが…。実際、汚染地域産しか売られていないため、我が家の食卓から消えた食材もあります(ほうれん草・牛乳はその最たる例)。重要なのは、3.11以降の日本はそれまでと違うという認識を持てるかどうかだと思います。食べたいものを我慢してでも内部被曝は減らすべきだと考えます。米に関しても、あってもなくても同じような「暫定基準値」以下でございますとの証明しかないものを主食として毎日食べるのはやめた方がいいと思います。

いずれにせよ、私のやり方が間違っていなかったとの証明が得られた意味は大きいものがあります。食品からの内部被曝を避けたいと思っていらっしゃる皆さま、内部被曝をゼロに近づけられる食材・産地選びの参考に是非ご覧いただきたいと思います。

「風評被害」のほとんどは実害です。生産者と消費者の闘いに持ち込み、反原発運動の分断を図る政府の策動に与せず、今後も当ブログは生産者・消費者双方が納得できる食品測定を要求していきます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道・日高地方中部での地震について(続報)

2011-09-14 23:19:22 | 気象・地震
この1週間あまり、本当に忙しかった。宮城・福島の被害調査をしたいという調査団の受け入れや、福島現地と結んだskype中継への出演等々。白河に住むようになってから平和な日々を送っていたのに、原発事故が縁で新たな人間関係が生まれたりするのだから皮肉なものだ。

さて、9月8日付記事にて紹介した日高地方中部での地震だが、この地域での地震が歴史的に少ないこともあり、評価が難しい。いろいろ検討した結果、現時点では十勝沖地震に直ちに結びつくものではなく、むしろ東日本大震災の影響の「最北限」だというのが私の見解である。

もう一度、気象庁プレスをご覧いただきたい。この記事の5ページ地図に周辺地域での過去の地震の震央が落とし込まれているが、このうち、プレート境界での地震と呼んでいいのは1968年と2003年の地震である。1962年と1982年の地震は、震央が内陸部に寄りすぎていて、プレート境界型地震という判定は下しがたいように思われる。むしろ北米プレート内部における活断層型地震とすべきだろう。その意味では、北米プレートが太平洋プレートに押される形で発生した歪みが地震につながったものと考えられる。

気になるのは、2003年に発生した十勝沖地震の規模がM7.1と、プレート境界型地震にしては小さすぎると思われることだ。プレート境界型地震ならM7台後半~M8程度の規模になるのが通常である。2003年の地震でプレート境界の地震のエネルギーが完全に放出されていない可能性がある。1962年の地震の6年後にやや震源を南に変えて地震が発生しており、2003年の地震で放出されなかったエネルギーが新たな地震をもたらすおそれもありそうだ。

いずれにしても、東日本大震災の影響は北海道にも確実に及んでいる。東日本全体が北米プレートの上なのだから当然である。北海道には東日本からの被災者の移住も多いと聞いているが、自分たちには無縁だと安穏としないで怠りなく警戒をしてほしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道・日高地方中部で震度5強の地震

2011-09-08 01:02:33 | 気象・地震
平成23年9月7日22時29分頃の日高地方中部の地震について(気象庁報道発表)

もう夜も遅いので詳細は明日以降、書くことにしますが、プレスを見て気になることが1点あります。それは、発震機構(地震のメカニズム)が北東-南西方向への逆断層型であるという点。地震そのものは北米プレート内部で起きたものですが、北東-南西といえば、北海道沖で北米プレートと太平洋プレートが接しているプレート境界の方向と同じです。

根拠はありませんが、これまで長年地震を観察してきた者として嫌な予感がします。地殻のずれた方向がプレート境界と平行だからです。数日後、北海道沖を震源とする巨大地震が来て、「9月7日の地震はやっぱり前兆だったね」なんてことにならなければよいのですが・・・。

最近、北米プレート内部が異常に活発化しているという事情もあり、しばらくは厳重な警戒が必要だと思います。沿岸部に用もなく近づくことは避けた方が賢明でしょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする