失踪のJR北海道社長、遺体を確認…小樽沖(読売)
JR北海道の中島尚俊社長が9月12日から行方不明になっていた問題は、発生から1週間後の18日、小樽沖で中島社長の遺体が発見されるという、衝撃的で最悪の結末を迎えた。
私は、政府・与党が2010年2月に示した国労組合員ら不採用者の再雇用問題に関する和解案に関し、中島社長が被解雇者らの再雇用拒否を6社の中で最初に表明したこと、また「ぎりぎりの経営をやっており、要員も効率化している」「(国鉄改革当時)多くの人が、鉄道を捨てるか北海道を捨てるかしてきた経緯をお考えいただきたい」などと述べたことに対し、当ブログなどを通じて厳しく批判してきた。私は中島社長に対して、政府と一体となり被解雇者らの再雇用を拒み続けた頑迷な経営者とのイメージしか持っていなかったが、一方で、どのような立場にある人物であろうと自殺はあってはならないことだし、中島社長を自殺に追い込んだ背景に何があるのかを追求することも当ブログと安全問題研究会に課せられた使命であると思うのである。しかもそれは、犠牲者が出なかったことが奇跡とも言うべきJR北海道の深刻な安全問題と直接、密接に関係しているからだ。
中島社長が安全問題で悩んでいたことは報道からも、またJR北海道の安全問題を長年ウォッチしてきた当ブログと安全問題研究会の立場からも間違いないと思われる。この点に関しては、9月17日に放送されたTBS系「報道特集」がうまくまとめている。その中では、--当ブログと安全問題研究会はすでに何度も指摘してきたことだが--JR北海道が会社発足時点より社員数を半分(民営化時14000人を現在、7100人)に削減したこと、それにもかかわらず特急列車の運転本数は2倍(民営化時78本から現在、140本)に増やした上、スピードアップ(札幌~釧路間で45分短縮)も行ったことなどの事実を明らかにしている。民営化前後の極端な採用抑制と首切りの結果、会社の中核を担うべき40歳代の社員が全体の1割しかいないという、歪な年齢構成も明らかにされている。
これらのすべてが中島社長の責任とは言わないとしても、民営化以降の歴代経営陣の責任であることは論を待たない。打ち続く事故やトラブル、列車火災などの重大インシデントの発生は、こうした合理化、人員削減、強引なスピードアップの明らかな帰結である。
ここで少し補足しておきたい。人員削減は他のJR各社も実施しており、JR西日本では尼崎事故、東日本では羽越線事故という「合理化にふさわしい悲劇的結末」ももたらされた。しかし、JR北海道の場合、人員削減がもたらす負の効果は大都市部を抱える本州3社とは比較にならないほど大きいのである。これは(九州、四国も同じことだが)路線数が少ない割に営業キロが長いという三島会社の特性が背景にある。たとえば首都圏の場合、1人の運転士が1日の勤務時間の中で京浜東北線に乗り、そのまま武蔵野線に乗務するような複数路線の掛け持ちは不可能ではない。しかし、北海道で1人の運転士が1日の勤務時間の中で根室本線に乗務し、そのまま宗谷本線にも乗務するようなことは絶対に不可能である。路線が首都圏のような面的な形ではなく線的に存在し、しかもそのひとつひとつの路線の営業距離が長く、ほとんどが盲腸線(行き止まり路線)である北海道の場合、「東日本も国鉄時代から4割人員を減らしたのだから自分たちもできる」などと考えてはならないのである。こうした人員削減を、JR北海道経営陣が「他社だってできたのだから」という理由だけで推進してきたとすれば、それはひとえに経営陣が鉄道の現場業務の実際と北海道特有の地理的状況、そして自社の路線配置が首都圏や関西と異なるという状況に対する理解を欠いているからである(もちろん当ブログと安全問題研究会は、JR他社の人員削減にも反対の立場である)。人員削減率が本州3社並みであったとしても、JR北海道ではこの結果、本州3社以上の激しい労働強化となってJR社員が追い詰められていることは容易に想像できる。中島社長の苦悩がこうした経営政策の結果であるとすれば、残念ながら中島社長に同情することは全くできない。
しかし、中島社長を追い詰めた問題が、安全崩壊以外にもうひとつあるという。例によって大手メディアは全く報じていないが、
タブロイド夕刊紙「夕刊フジ」(9月13日付)がこの問題を追っている。同記事によれば、中島社長は北海道新幹線の建設に強いこだわりがあったという。しかし、新函館駅建設問題や、並行在来線を第三セクター分離するJR北海道の方針に対し、JRによる経営継続を要求する函館市が激しく反発していたという。
並行在来線の経営分離(と言う名の切り捨て)に関しては、すでに何度も指摘してきたとおり、
自民党政権時代に作成された政府・与党合意が根拠である。当ブログと安全問題研究会はこの合意文書の破棄を再三にわたって要求し、国土交通省にも申し入れを行ってきた。この合意文書では、「並行在来線の経営分離についての沿線地方公共団体の同意の取付け」を着工の要件としており、沿線地方公共団体とは「関係するすべての沿線地方公共団体」と解されている。この解釈を根拠に、九州新幹線長崎ルート問題では、並行在来線「分離」のみを押しつけられ、新幹線が自分たちの区域内を通過しないため新幹線のメリットが全くない佐賀県鹿島市など2市町が、並行在来線分離に「不同意」を表明して5年間闘い続けた結果、「新幹線開業後も20年間、JR九州が並行在来線を既存路線と一体運営する」という大幅な譲歩を勝ち取っている。
さて、中島社長を追い詰めた問題がこの整備新幹線問題であるならば、当ブログと安全問題研究会はもう一度、政府・与党合意文書の破棄を求めるとともに、「意思決定は政府、運営主体はJR」という新幹線の「国策民営」方式の是非を問わなければならない。JRは新幹線の運営主体であるにもかかわらず、建設可否の決定権を与えられないまま、政治の意思で建設された新幹線を一方的に押しつけられる--こんな図式を最近もどこかで見たような気がする。そう、原発と全く同じ構図だ。
このように考えると、並行在来線分離を認める政府・与党合意の本当の狙いがますますはっきりする。東海道新幹線が開業したとたん、全国の特定地方交通線の赤字額合計より東海道本線1線の赤字額のほうが大きくなったように、新幹線はそれ自体が並行在来線を食いつぶし、破綻に導く巨大な「麻薬」である。政府・与党合意とは「麻薬」を強制注射されるJRに対し、壊死した細胞の切り捨てを認める国からの「アメ玉」だったのだ!
しかし、JRにとっては食いつぶされた並行在来線が壊死した細胞に過ぎないとしても、地域住民にとっては生命線であり貴重な地元の足である。公共交通を守る地域の闘いは、並行在来線切り捨てを打ち破る闘いとしてJRを直接大きく揺さぶっている。政治からは新幹線の押しつけ、地域自治体・住民からは生活路線切り捨てに対する明確な拒否回答…。こうした動揺の中で起きた中島社長の不可解な死は、いよいよJR本体が「国策民営体制」の矛盾に耐えきれず、引き裂かれ始めたことを示している。その意味では、中島社長もまた「国策民営」体制の犠牲者といえよう。
当ブログと安全問題研究会は、このような悲劇的な結末を迎え、あたらめて中島社長に哀悼の意を表する。同時にJR北海道の安全問題に対しては、乗務員を初めとする安全部門への大幅な増員を求めていく。そして、新幹線問題に関しては、再度、政府・与党合意の破棄を要求するとともに、地域公共交通を守る闘いにしっかり連帯していきたいと思っている。