人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【訃報】原発事故「予言者」詩人・若松丈太郎さん死去

2021-05-26 23:10:50 | 原発問題/一般
詩人の若松丈太郎さん死去(朝日)

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 原発に厳しい目を向け続けた福島県南相馬市在住の詩人で、県現代詩人会の元会長、若松丈太郎(わかまつ・じょうたろう)さんが21日、腹膜播種(はしゅ)で死去した。85歳だった。

 近親者で密葬をする。告別式は5月2日午前11時から、同市原町区高見町2の137の1のフローラメモリアルホール原町で。喪主は妻蓉子(ようこ)さん。自宅は同市原町区栄町1の109の1。

 1935年、岩手県奥州市生まれ。61年、詩集「夜の森」で県文学賞を受賞。87~91年には県文学賞審査委員を、2005~08年には県現代詩人会長を務めた。1994年にチェルノブイリ原発事故の地を訪れ、帰国後すぐ、原発事故をテーマにした詩「神隠しされた街」を発表した。

 2014年には、東京電力福島第一原発事故を扱った詩集「わが大地よ、ああ」(土曜美術社出版販売)を出版。今年3月に出した詩集「夷俘(いふ)の叛逆」(コールサック社)が最後の著作となった。(佐々木達也)
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恥ずかしながら、詩人・若松丈太郎さんのお名前を、このたび、北海道新聞で追悼記事を見て初めて知った。原発事故を挟んで6年も福島生活をしていながら存じ上げなかったのは痛恨の極みである。死去からずいぶん経った今頃になってようやく追悼記事を書いている当ブログのこの体たらくをお許しいただきたい。

お名前を存命中に存じ上げなかったことへのせめてもの罪滅ぼしとして、若松さんの詩「神隠しされた街」を検索してみたら、全文を載せているサイトがあったので、この際、ご紹介しておきたいと思う。この詩が書かれたのは1994年。チェルノブイリ原発事故(1986年)の現地を見た体験を基に、事故8年後にこの詩を書いた。

この間、「平成の大合併」によって都路村が田村市(都路地区)に、小高町が南相馬市小高区に、原町市が南相馬市原町区に変わっているが、福島原発事故で避難区域となった場所を17年も前の段階でほぼ完璧に言い当てている(予測を外しているのは飯舘村が避難区域になったこと、逆に都路村(現・田村市)、原町市(現・南相馬市原町区)、いわき市北部が避難指示区域とならなかった程度)。お見事と言うしかない。

若松さんに対して大変失礼な言い方になるが、こんな「一介の詩人」ですら、事故が起きればどこからどこまでが地図から消えるか正確に予想できていたのに、専門知識を持つ国や東京電力が避難区域の発生を「予想できなかった」などと言うことはあり得ないのである。

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神隠しされた街/若松丈太郎(1994年)

45,000の人びとが2時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「3日分の食料を準備してください」
多くの人は3日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけをだいた老婆も
入院加療中の病人も
1,100台のパスに乗って
45,000の人びとが2時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいか
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生40時間後のことである
1,100台のバスに乗って
プリピャチ市民が2時間のあいだにちりぢりに
近隣3村をあわせて49,000人が消えた
49,000人といえば
私の住む原町市の人囗にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径30kmゾーンは危険地帯とされ
11日目の5月6日から3日のあいだに92,000人が
あわせて約15万人
人ぴとは100kmや150km先の農村にちりぢりに消えた
半径30kmゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町 富岡町
楢葉町 浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部

そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約15万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故6年のちに避難命令が山た村さえもある
事故8年のちの旧プリピャチ市に私たちは入った
亀裂がはいったペーブメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
45,000の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は搜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム90 半減期 29年
セシウム137 半減期 30年
プルトニウム239 半減期 24,000年
セシウムの放射線量が8分の1に減るまでに90年
致死量8倍のセシウムは
90年後も生きものを殺しつづける
人は100年後のことに自分の手を下せない
ということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちかいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす

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【管理人よりお知らせ】浦河町で行われた「日高線の今とこれからを考える」トークイベントの資料をホームページに掲載しました

2021-05-23 21:37:43 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

少し前になりますが、5月8日、北海道浦河町で「日高線の今とこれからを考える」トークイベントが行われました。北海道内に緊急事態宣言が出される直前のギリギリのタイミングで、町内からを中心に、ソーシャルディスタンスを確保しつつ60人ほどが集まりました。このイベントで、当ブログ管理人もパネラーとして、廃線跡の今後の活用法について意見を述べました。

今回のイベントでは、2021年3月31日限りで廃止となった日高線を、観光鉄道(特定目的鉄道)または遊覧鉄道として残す道を探るためのヒントを提供する方針でトークをしました。特に、2020年10月に提案した馬車鉄道運行案について、馬車運行実績のある北海道開拓の村への聴き取りなどを行い、具体的な費用などの見通しを示したことが大きな特徴です。

当日使用したレジュメを安全問題研究会ホームページに掲載しました。馬車鉄道運行には、初期費用として客車製造費100万円の他、運行経費には自前で馬を持たずにレンタルで済ませられれば年間70万円(馬のレンタル費除く)で可能です。これなら持続的に運行できると思います。

静岡県御殿場市で、大正期まで運行されていた馬車鉄道を復元させるためのクラウドファンディングが実施され、目標額の集金に成功しました(参考ページ:「御殿場馬車鉄道の車両復元プロジェクト」御殿場馬車鉄道研究会、参考記事:「馬車鉄道、車両復元へ 御殿場の研究会、観光資源化を模索」(2021年3月2日付静岡新聞))。当研究会は、鉄道事業開設を計画している事業者に事業収支見積書を提出させ、採算見通しが立たなければ鉄道免許を与えない、と規定している「鉄道事業法」を形骸化させるため、全国のローカル鉄道はすべて廃止届を出し、新たに特定目的鉄道(観光専用鉄道)として事業免許を取り直すよう呼びかけることも今後、検討したいと考えています。

特定目的鉄道には事業収支見積書の提出が不要で、採算性は求められていません。「観光鉄道など遊ぶ目的のものは、ある日突然運行不能になっても、公共交通でないため問題が大きくない」としてこのような仕組みになっていると考えられますが、公共交通機関としての鉄道が採算を求められ、遊ぶための観光鉄道が採算性を要求されないというのは、本来は逆であるべきで、日本の鉄道政策が抱える最大の矛盾です。この矛盾を突く形で、当研究会は、日本のローカル鉄道はすべて鉄道事業を「廃止」して特定目的鉄道に切り替えた上で、名目上観光鉄道の形を取りながら、定期運行を行って「事実上の公共交通」にしていったらどうかと考えています。

浦河町でも、日高線の線路さえ残しておけば、いずれ特定目的鉄道として観光鉄道事業を設立後、定期運行して「事実上の公共交通」として復活させるという遠大な計画を練っています。馬車鉄道はそのための第一歩となるものであり、安全問題研究会としては必ず実現させたいと考えています。

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<安全問題研究会コメント>日本社会に衝撃与えた信楽高原鉄道事故から30年 崩壊の最終章に入った民営JRに別れを告げ、直ちに再国有化で再建を

2021-05-20 20:49:59 | 鉄道・公共交通/安全問題
遺族の決意が国を動かし、事故調組織を実現させる 信楽高原鉄道事故30年(産経)

信楽事故から30年 次世代へ教訓つなぎ風化させるな(産経)

1991年5月14日、乗客42名が死亡した信楽高原鉄道事故から30年となった(当時のニュース報道)。30年間の歩み、遺族・被害者の闘いがもたらした成果については、上記の産経の2つの記事が良く取材しまとめている。他紙の報道も見たが、特にこの産経の2記事が優れていると判断したのでご紹介する。

なお、これを受け、安全問題研究会が以下のとおりコメントを発表した。

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<安全問題研究会コメント>日本社会に衝撃与えた信楽高原鉄道事故から30年 崩壊の最終章に入った民営JRに別れを告げ、直ちに再国有化で再建を

1.42名もの大量の犠牲者を出し、日本社会に大きな衝撃を与えた信楽高原鉄道列車正面衝突事故から30年を迎えた。安全問題研究会は、42名の犠牲者及びその関係者に対し、謹んで哀悼の意を表する。

2.事故の起きた1991年は、国鉄分割民営化によりJR7社が発足してから5年目であった。国鉄からJR各社に不採用となり、国鉄清算事業団に送られた職員1047名が最終的に解雇されたのはこの前年、1990年のことである。民営化からまだ5年経過しておらず、日本の市民に旧国鉄と特定地方交通線廃止・整理の苦い記憶が強く残っている時期のことであった。

3.事故現場となった信楽高原鉄道は、国鉄再建法に基づく第1次特定地方交通線・信楽線を継承した第三セクター鉄道であり、信楽町で開催中の「世界陶芸祭」に合わせて信楽線に臨時に乗り入れてきたJR西日本の急行列車と、信楽高原鉄道の列車が単線上で正面衝突したものである。JR西日本は厳しい批判にさらされたが、赤字線として信楽線を一度は見捨てておきながら、儲かるイベント時だけ見捨てたはずの路線を徹底的に利用し尽くし、42名の命を奪い去ったJR西日本の利益優先、安全軽視の姿勢を見れば、それらの批判は受けて当然のものである。

4.発足直後のJR西日本が、JR東日本・東海と比べて中国山地などの条件不利地域を多く抱える一方、運賃・料金は本州3社同条件でスタートするなど無理を重ねながらの厳しい経営を強いられていることが明らかになっていった。当時、当研究会は発足しておらず、インターネットもない時代だったが、「民営JR7社体制は西日本の安全問題と、やがて訪れる北海道のローカル線問題を“両輪”として破滅へのレールをひた走るであろう」と警告した。バブル経済を背景としてJR7社がいずれも好決算を続け、民営化は大成功と宣伝されていた時期だけに、ほとんどの人から一笑に付されたが、この恐るべき惨事こそ「新自由主義JR」に忍び寄る破滅への最初の予兆だった。

5.30年後の今日、当研究会の警告は最も厳しい形で現実となった。JR西日本は福知山線脱線事故、新幹線のぞみ台車亀裂事故を相次いで起こした。信楽高原鉄道事故に関しても、信楽高原鉄道と折半していた被害者への賠償について「主な責任は信楽高原鉄道側にある」と主張し、訴訟まで起こして賠償負担割合を少なくしようと策動を続けた。この事故でJR西日本がきちんと襟を正していれば、福知山線事故など後続の事故を防ぐきっかけにもなり得ただけに、ここでJR西日本を監視する運動の社会化を図れず、次の事故につながってしまったことは当研究会としても非力を詫びなければならない。

6.しかし、この事故は、貴い犠牲と引き替えにその後の鉄道事故の調査や遺族・被害者のケアといった面で多くの前進が勝ち取られるきっかけとなった。それまで日本に常設されている公共交通機関の事故調査組織は海難審判庁、航空事故調査委員会のみであり、陸上交通機関の事故調査組織は常設されていなかった。信楽高原鉄道事故をきっかけとして、遺族・吉崎俊三さん(2018年死去)の呼びかけでTASK(鉄道安全推進会議)が結成され、鉄道事故に関しても事故調査機関の常設を求める活発な活動が展開された結果、航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の設置が実現した。

7.国土交通省に対する粘り強い働きかけの結果「公共交通事故被害者支援室」の設置が実現したのもTASKを中心とした運動によるものである。日航機墜落事故遺族会「8・12連絡会」との協力の下に、被害者が横につながり合い、社会を動かす力を具体化した画期的事例であった。後に発生した福知山線脱線事故(死者107人)でも、具体的な成果が速度照査型ATS(自動列車停止装置)の義務化、JR西日本歴代3社長への強制起訴程度にとどまっていることを考えると、信楽高原鉄道事故において得た成果は福知山線事故をもしのぐ大規模なものであるといえよう。

8.公共交通機関の安全を求める当研究会の活動に終わりはなく、30年は単なる通過点である。幸い、日航機事故を最後に営業中の旅客機事故で乗客が死亡した例はないが、高速ツアーバス・スキーバスなどの事故は断続的に起きている。これらはいずれも、公共財である交通機関を最安値に向かって際限なく競争させ、乗務員の労働条件も乗客の生命も無慈悲に叩き売りする新自由主義の最も残酷な帰結であった。

9.北海道のローカル線問題も「全路線消滅」すら視野に入れざるを得ない重大局面を迎えた。この事態もまた、公共財を市場原理に委ねる新自由主義がもたらした残酷な結末である。信楽高原事故42名、福知山線事故107名の生命、国労組合員ら1047名の雇用、北海道の半分にも及ぶローカル線――これらのすべてを奪い尽くす新自由主義に対して、当研究会は怯むことなく宣戦を布告し、全国各地を新自由主義の墓標で埋め尽くすまで徹底的な闘争を続ける。

10.今日の新型コロナ感染拡大も、病院や保健所の統廃合などを通じて新自由主義がもたらした危機である。感染の恐怖や必要のない死の危険に直面した多くの市民が新自由主義への敵意を抱き始めている。新自由主義を葬り去る過去半世紀で最大のチャンスが到来している。

11.当研究会は今年1月、利益優先、安全軽視のJR民営7社体制を最終的に清算し、再国有化をめざすため「日本鉄道公団法案」を決定した。JR再国有化の実現に向け全力を尽くし、信楽高原鉄道事故犠牲者42名の無念に応えたいと考える。

 2021年5月14日
 安全問題研究会

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厚労省は今回のコロナ禍を予見していた! 無為無策のまま私たちを「タケヤリで戦わされる帝国臣民」にした政府の罪を問う

2021-05-16 22:01:02 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)

 ●日本の本質「刺す」意見広告

 「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか」

 5月11日、朝日、日経、読売3紙の紙面を飾った全面意見広告の刺激的な内容は瞬く間に話題になった。出稿したのは宝島社だ。

 広告出稿のタイミングが絶妙だと思う。新型コロナの感染拡大に対し、市民に「お願い」ばかりで何ひとつ実効ある対策を打てない政府、自己保身に走りバラバラの市民、破滅を招く無謀な作戦であると誰もが知りながら止められず「昔本土決戦/今東京五輪」に突き進む政府の姿を見て、大戦末期に似てきたという声を聞くことがこのところ多くなってきたからだ。ウソだと思うならテレビはともかく、新聞、雑誌、ネットを見てみるといい。この意見広告掲載当日の日経7面には「80年間、なぜ変われないのか」と題した秋田浩之・同社コメンテーターの意見が掲載されている。「戦略の優先順位をはっきりさせない泥縄式対応」「縦割り組織の弊害」「何とかなるという根拠なき楽観思考」……そこで指摘されている日本の欠点も80年前と変わらない。

 壊れたスピーカーのように菅首相が繰り返す「明日はワクチンが来る来る」という大本営発表にもそろそろ飽きてきた。「明日は神風が吹く吹く」と煽り続けた帝国陸海軍のようで滑稽きわまりない。そんな感覚が市民各界各層の間で強まり始めた矢先、早くもなく遅くもない絶妙のタイミングで意見広告を打った宝島社はさすがだ。

 この意見広告を快く思わない勢力(おそらく自民党支持者)からは「意見広告に使われている女子の持っている武器はタケヤリではなく薙刀だ」というどうでもいい批判が続いているが、そのようなつまらない批判に対しては「事態の本質を見極めず枝葉末節にばかりこだわる大局観の欠如」を、当時と今に共通する日本の4つ目の欠点として付け加えておくだけで十分だ。

 ここを見ているかもしれない若い読者に向けては若干、説明が必要だろう。太平洋戦争の戦局が悪化し、誰の目にも敗色濃厚となってきた1944年2月23日付け「毎日新聞」は、竹槍で米軍戦闘機B29を突き刺すという無謀きわまる作戦に対し「竹槍では間に合はぬ。飛行機だ、海洋航空機だ」と批判する社説を掲載した。執筆したのは同社の新名丈夫記者。ストレートな批判を受け激怒した陸軍は「報復」として新名を召集するという暴挙に出たが、海軍航空力増強を望んでいた海軍の計らいで除隊され、フィリピンに匿われた。

 この「竹槍事件」は、日本勝利のためなら軍部批判もある程度許されていた大戦初期から、「日本勝利のためであっても軍部批判はタブー」となる方向への政府の方針転換を決定づけ、戦争と言論をめぐる日本の歴史的転回点ともなった。今回の宝島社の意見広告が「竹槍では間に合はぬ」のパロディーであることを、特に若い読者のみなさんには知っていただきたいと思う。

 近代化し、民主主義化したように見えても、危機になるたびに顕在化し、繰り返される同じ失敗パターン。日本の本質は根底では変わっていないように思える。本当に政府はこの事態を予見不可能だったのか。

 ●政府・厚労省はこの事態を予見していた! 公文書が明かす事実

 筆者の手元に1つの公文書がある。「ワクチン・血液製剤産業タスクフォース顧問からの提言について」と題するもので、厚労省が2016年10月18日付で報道発表したものである。取材源は明かせないが、「本当は翌19日に公表予定だったところ、公表前に一部メディアに漏れたため厚労省が報道発表を1日早めた」との情報とともに、筆者も公表直後に入手していた。重要な公文書に違いないが、当時はパンデミックが差し迫った課題でなかったことから、筆者も忘れていた。大型連休中にふと、思い出し検索してみたところ、公表当時のまま掲載されている。

 『この提言の内容は、厚生労働省内に設置された本タスクフォースにおける議論の内容を整理し、反映させた唯一の文書である。したがって、この内容を広く国民や関係業界に共有する必要があるとともに、具体的な施策へ結実させるべく、さらに具体化に向けた検討を進めるための前提となるものである』と述べられており、一般市民への公表を前提として作成されたものだ。今も厚労省ホームページに掲載されているので、興味のある方はご覧いただきたい。

 「ワクチンに関する中長期的なビジョンおよび国家戦略が不明確である」「定期接種化の決定プロセスの独立性および透明性が不十分である」「施策決定に必要な疫学データの収集及び分析を行う基盤が脆弱である」「予防接種及びワクチンの有効性・必要性や副反応の可能性などについての国民的理解を得る取り組みが不足している」「世界的には、メガファーマ4社でワクチン市場の約7割を占めるなど、製薬企業の統廃合等により規模の拡大と寡占化が進んでいる一方、国内市場では統廃合が進まず極めて小規模のままであることから、研究開発費能力や海外展開および国際競争力に乏しい」「ワクチン等の安定供給確保、・・(中略)・・について、国による取り組みが不十分である」「パンデミックワクチンや不採算となりやすい分野について、国内での製造体制確保等が道半ばである」……。

 「ワクチン産業・行政の現状(課題)」としてこの公文書が指摘している問題点を抜き出し列挙してみた。どれも今まさに問題とされている点ばかりである。今回のコロナ危機をまるで正確に予見していたかのようだ。

 これらの問題点を指摘した人物は一体誰なのか。公文書をさらに読み進む。厚労省にこの提言を行った「ワクチン・血液製剤産業タスクフォース顧問」として4名の専門家の氏名が記載されている。筆頭に記載されているのは「尾身茂・独立行政法人地域医療機能推進機構理事長」。

 今やテレビでその顔を見ない日はない政府「新型コロナウイルス感染症対策分科会」会長である。尾身会長は新型コロナウィルス感染拡大が始まる4年も前に、今日の事態を予見し、政府にその対策を訴えていたのだ。

 尾身氏を初め、政府に提言を行った4名の専門家はワクチン・血液製剤産業タスクフォースの「顧問」すなわちアドバイザー的立場だ。彼らの提言を受け対策を実行する責任は当時も今も厚労省にある。だが厚労省は提言を無視し実行しなかった。尾身会長にしてみれば「あのとき厚労省が自分たちの提言したとおりの対策をしておけばこうはならなかっただろう」という忸怩たる思いがあるのではないか。後の時代になって政府に「パンデミックは予見できなかった」「想定外だった」という言い訳をさせないためにも、この事実をひとりでも多くの国民に知ってほしい。

 ●「提言」の背景となったある事件

 ここまでで、多くの読者のみなさんは「そもそもなぜこんな提言がこの時期に行われることになったのか」という当然の疑問を抱いたことだろう。提言は「はじめに」でその経緯についても触れている。『今回の一般財団法人化学及血清療法研究所(以下「化血研」)の事案をきっかけに、我が国のワクチン・血液製剤産業・行政について、そのビジョン及び国家戦略が不明確であること、企業のガバナンスの問題や特定企業・団体等に過度に依存している脆弱な供給体制などの諸問題が浮かび上がった。・・(中略)・・その結果として、国際的競争力の低下を招き、日本国民への質の高い薬剤を安定供給するという本来の目的が損なわれかねないといった、問題も明らかとなった』との危機感が背景にあった。

 5年半以上前の事件であり、もう大半の方は思い出すことも困難と思われるので、振り返っておこう。熊本市に本部を置いている化血研が、1970年代から40年以上にわたり、厚生省(当時)から承認されたのとは異なる方法で血液製剤の製造を続けていたことが明らかとなったのは、2015年12月のことだった。化血研は、自分たちの製造法が不正であることを知っており、40年近くも証拠隠ぺいを続けてきた。90年頃からは、幹部の指示で血液を固まりにくくする「ヘパリン」という物質を、これも厚生省の承認に反する形で不正に混入させ製造を続けていた。医療現場がこれを知らずに患者に投与すれば最悪の場合、死亡にすらつながりかねない重大な不正だった。

 厚労省もこの不正を見抜けなかった。化血研が厚労省に対し「承認書通りの方法で製造している」というウソの報告を続けてきたからだ。発覚したきっかけは、現場で実際に行われている製造方法を詳細に記載した資料を添え、厚労省に送られてきた文書だ。組織内部にいる者しか知り得ない情報。内部告発だった。

 不正製造に手を染めた化血研は、1990年代に発覚し大きな社会問題となった薬害エイズ事件における加害企業5社のひとつでもある。薬害エイズ事件の被害者からも「裏切り」だと強い批判を受け、化血研は、宮本誠二理事長が2015年12月2日付で辞任。理事ら他の役員も全員が辞任、降格など何らかの処分を受けた。厚労省も化血研に行政処分を下し「化血研の組織のままの製造再開は認めない」との姿勢を示した。

 厚労省の姿勢を受け、化血研は、それまで手がけてきたワクチン・血液製剤事業の新たな引き受け手を探したが、事業譲渡交渉は難航した。そんな矢先の化血研に、思いがけない災害が追い打ちをかける。2016年4月に発生した熊本地震だ。化血研の製造設備は大打撃を受け、製造再開のめどが立たない事態に陥った(化血研は2018年になり、明治グループと熊本県内の複数の企業、及び熊本県の出資する新会社「KMバイオロジクス」に事業譲渡することで合意。化血研はワクチン・血液製剤製造事業から手を引いた)。

 薬害エイズ事件という戦後最大級の薬害に加害企業として手を染めた化血研だが、利潤を追求せずにすむ一般財団法人という組織形態は、ワクチンや血液製剤の研究開発に専念するのにふさわしく、ウソと隠ぺいにまみれた組織体質を改革できれば、尾身会長らが「提言」で指摘したワクチンや血液製剤研究開発の引き受け手になれる可能性もあった。だがその可能性は、四半世紀の時を経て再び発覚した不正製造に加え、熊本地震という予期せぬ不運も重なって絶たれた。新型コロナ感染拡大から1年以上経つのに、政府は壊れたスピーカーのように1年前と同じ「お願い」を繰り返すだけで、市民はいまだ竹槍と精神主義での闘いを余儀なくされている背景に、戦後半世紀近くにわたって積み重なってきた製薬業界の闇があることは、もっと多くの市民に知られるべき事実であると筆者は考える。

 今、起きている新型コロナの惨劇がこうした歴史の延長線上にある以上、こうすればパンデミックを短期に収束できるという特効薬的解決策は筆者にも思い当たらない。日本での新型コロナ収束には最短でも3年程度はかかると筆者は予測している。竹槍での闘いはあと2年くらいは続くだろう。この記事を読んでいるみなさんも覚悟を持ち、何とかこの危機を生き抜くとともに、ステイホームを機会に新しい時代に向けた構想力を磨いてほしい。収束後の日本がどんな時代になるかはまだ見通せないが、少なくとも「いま」を生き延びられなければ明日がないことだけははっきりしているからだ。

(取材・文責:黒鉄好/安全問題研究会)

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読者のひろば/4・25北海道2区補選 野党共闘勝利を次期衆院選へ

2021-05-05 23:05:59 | その他社会・時事
 (この記事は、当ブログ管理人が某メディア向けに寄稿したものですが、諸事情により非掲載となりました。このまま埋もれさせるのももったいないので、ここに掲載することにします。)

 衆院道2区補選告示を前に、野党共闘候補・松木謙公さんの事務所を訪ねた。自分が起草したJR再国有化法案を直接手渡し、公約化を依頼するためだ。

 2017年2月、衆院予算委で「学校秀才が机の上で考えるからこうなる。国鉄を7分割してうまくいくと誰も思っていなかった」との答弁を松木さんは麻生財務相から引き出した。あいにく本人は不在だったが「松木に読んでもらい勉強させます」との力強い返事をいただく。

 選挙戦では、電力総連の支援を受ける国民民主党との関係で脱原発の主張をしないことに不満もくすぶった。だが福島県大熊町にある夫人の実家は強制避難となり、義母は避難所で死去。悲劇を経験した松木さんの「原発はやめるべき」との思いは一貫していた(※)。

 PCR検査拡充を訴え、性的少数者の声にも松木さんは耳を傾けた。市民の要求をすくい上げ、勝利した野党共闘を次期衆院選につなげたい。

(※)畠山和也・前衆院議員(共産党)のブログ「はたろぐ」2021年4月12日付け記事「海洋放出も地層処分も強行するな」に「松木さんとは衆院農林水産委員会で隣同士の席で、いろんな話をさせていただきました。お連れ合いさんが福島県大熊町出身で、福島第一原発事故のため義父母は避難生活に。数か月後に義母は避難所で倒れて亡くなります。「僕は、原発はやめたほうがいいと思うよ」との話を聞いたことがありました。偽りない気持ちだと思います。」と記載されている。

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