(この記事は、当ブログ管理人が
「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)
●日本の本質「刺す」意見広告
「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか」
5月11日、朝日、日経、読売3紙の紙面を飾った全面意見広告の刺激的な内容は瞬く間に話題になった。出稿したのは宝島社だ。
広告出稿のタイミングが絶妙だと思う。新型コロナの感染拡大に対し、市民に「お願い」ばかりで何ひとつ実効ある対策を打てない政府、自己保身に走りバラバラの市民、破滅を招く無謀な作戦であると誰もが知りながら止められず「昔本土決戦/今東京五輪」に突き進む政府の姿を見て、大戦末期に似てきたという声を聞くことがこのところ多くなってきたからだ。ウソだと思うならテレビはともかく、新聞、雑誌、ネットを見てみるといい。この意見広告掲載当日の日経7面には「80年間、なぜ変われないのか」と題した秋田浩之・同社コメンテーターの意見が掲載されている。「戦略の優先順位をはっきりさせない泥縄式対応」「縦割り組織の弊害」「何とかなるという根拠なき楽観思考」……そこで指摘されている日本の欠点も80年前と変わらない。
壊れたスピーカーのように菅首相が繰り返す「明日はワクチンが来る来る」という大本営発表にもそろそろ飽きてきた。「明日は神風が吹く吹く」と煽り続けた帝国陸海軍のようで滑稽きわまりない。そんな感覚が市民各界各層の間で強まり始めた矢先、早くもなく遅くもない絶妙のタイミングで意見広告を打った宝島社はさすがだ。
この意見広告を快く思わない勢力(おそらく自民党支持者)からは「意見広告に使われている女子の持っている武器はタケヤリではなく薙刀だ」というどうでもいい批判が続いているが、そのようなつまらない批判に対しては「事態の本質を見極めず枝葉末節にばかりこだわる大局観の欠如」を、当時と今に共通する日本の4つ目の欠点として付け加えておくだけで十分だ。
ここを見ているかもしれない若い読者に向けては若干、説明が必要だろう。太平洋戦争の戦局が悪化し、誰の目にも敗色濃厚となってきた1944年2月23日付け「毎日新聞」は、竹槍で米軍戦闘機B29を突き刺すという無謀きわまる作戦に対し「竹槍では間に合はぬ。飛行機だ、海洋航空機だ」と批判する社説を掲載した。執筆したのは同社の新名丈夫記者。ストレートな批判を受け激怒した陸軍は「報復」として新名を召集するという暴挙に出たが、海軍航空力増強を望んでいた海軍の計らいで除隊され、フィリピンに匿われた。
この「竹槍事件」は、日本勝利のためなら軍部批判もある程度許されていた大戦初期から、「日本勝利のためであっても軍部批判はタブー」となる方向への政府の方針転換を決定づけ、戦争と言論をめぐる日本の歴史的転回点ともなった。今回の宝島社の意見広告が「竹槍では間に合はぬ」のパロディーであることを、特に若い読者のみなさんには知っていただきたいと思う。
近代化し、民主主義化したように見えても、危機になるたびに顕在化し、繰り返される同じ失敗パターン。日本の本質は根底では変わっていないように思える。本当に政府はこの事態を予見不可能だったのか。
●政府・厚労省はこの事態を予見していた! 公文書が明かす事実
筆者の手元に1つの公文書がある。「
ワクチン・血液製剤産業タスクフォース顧問からの提言について」と題するもので、厚労省が2016年10月18日付で報道発表したものである。取材源は明かせないが、「本当は翌19日に公表予定だったところ、公表前に一部メディアに漏れたため厚労省が報道発表を1日早めた」との情報とともに、筆者も公表直後に入手していた。重要な公文書に違いないが、当時はパンデミックが差し迫った課題でなかったことから、筆者も忘れていた。大型連休中にふと、思い出し検索してみたところ、公表当時のまま掲載されている。
『この提言の内容は、厚生労働省内に設置された本タスクフォースにおける議論の内容を整理し、反映させた唯一の文書である。したがって、この内容を広く国民や関係業界に共有する必要があるとともに、具体的な施策へ結実させるべく、さらに具体化に向けた検討を進めるための前提となるものである』と述べられており、一般市民への公表を前提として作成されたものだ。今も厚労省ホームページに掲載されているので、興味のある方はご覧いただきたい。
「ワクチンに関する中長期的なビジョンおよび国家戦略が不明確である」「定期接種化の決定プロセスの独立性および透明性が不十分である」「施策決定に必要な疫学データの収集及び分析を行う基盤が脆弱である」「予防接種及びワクチンの有効性・必要性や副反応の可能性などについての国民的理解を得る取り組みが不足している」「世界的には、メガファーマ4社でワクチン市場の約7割を占めるなど、製薬企業の統廃合等により規模の拡大と寡占化が進んでいる一方、国内市場では統廃合が進まず極めて小規模のままであることから、研究開発費能力や海外展開および国際競争力に乏しい」「ワクチン等の安定供給確保、・・(中略)・・について、国による取り組みが不十分である」「パンデミックワクチンや不採算となりやすい分野について、国内での製造体制確保等が道半ばである」……。
「ワクチン産業・行政の現状(課題)」としてこの公文書が指摘している問題点を抜き出し列挙してみた。どれも今まさに問題とされている点ばかりである。今回のコロナ危機をまるで正確に予見していたかのようだ。
これらの問題点を指摘した人物は一体誰なのか。公文書をさらに読み進む。厚労省にこの提言を行った「ワクチン・血液製剤産業タスクフォース顧問」として4名の専門家の氏名が記載されている。筆頭に記載されているのは「尾身茂・独立行政法人地域医療機能推進機構理事長」。
今やテレビでその顔を見ない日はない政府「新型コロナウイルス感染症対策分科会」会長である。尾身会長は新型コロナウィルス感染拡大が始まる4年も前に、今日の事態を予見し、政府にその対策を訴えていたのだ。
尾身氏を初め、政府に提言を行った4名の専門家はワクチン・血液製剤産業タスクフォースの「顧問」すなわちアドバイザー的立場だ。彼らの提言を受け対策を実行する責任は当時も今も厚労省にある。だが厚労省は提言を無視し実行しなかった。尾身会長にしてみれば「あのとき厚労省が自分たちの提言したとおりの対策をしておけばこうはならなかっただろう」という忸怩たる思いがあるのではないか。後の時代になって政府に「パンデミックは予見できなかった」「想定外だった」という言い訳をさせないためにも、この事実をひとりでも多くの国民に知ってほしい。
●「提言」の背景となったある事件
ここまでで、多くの読者のみなさんは「そもそもなぜこんな提言がこの時期に行われることになったのか」という当然の疑問を抱いたことだろう。提言は「はじめに」でその経緯についても触れている。『今回の一般財団法人化学及血清療法研究所(以下「化血研」)の事案をきっかけに、我が国のワクチン・血液製剤産業・行政について、そのビジョン及び国家戦略が不明確であること、企業のガバナンスの問題や特定企業・団体等に過度に依存している脆弱な供給体制などの諸問題が浮かび上がった。・・(中略)・・その結果として、国際的競争力の低下を招き、日本国民への質の高い薬剤を安定供給するという本来の目的が損なわれかねないといった、問題も明らかとなった』との危機感が背景にあった。
5年半以上前の事件であり、もう大半の方は思い出すことも困難と思われるので、振り返っておこう。熊本市に本部を置いている化血研が、1970年代から40年以上にわたり、厚生省(当時)から承認されたのとは異なる方法で血液製剤の製造を続けていたことが明らかとなったのは、2015年12月のことだった。化血研は、自分たちの製造法が不正であることを知っており、40年近くも証拠隠ぺいを続けてきた。90年頃からは、幹部の指示で血液を固まりにくくする「ヘパリン」という物質を、これも厚生省の承認に反する形で不正に混入させ製造を続けていた。医療現場がこれを知らずに患者に投与すれば最悪の場合、死亡にすらつながりかねない重大な不正だった。
厚労省もこの不正を見抜けなかった。化血研が厚労省に対し「承認書通りの方法で製造している」というウソの報告を続けてきたからだ。発覚したきっかけは、現場で実際に行われている製造方法を詳細に記載した資料を添え、厚労省に送られてきた文書だ。組織内部にいる者しか知り得ない情報。内部告発だった。
不正製造に手を染めた化血研は、1990年代に発覚し大きな社会問題となった薬害エイズ事件における加害企業5社のひとつでもある。薬害エイズ事件の被害者からも「裏切り」だと強い批判を受け、化血研は、宮本誠二理事長が2015年12月2日付で辞任。理事ら他の役員も全員が辞任、降格など何らかの処分を受けた。厚労省も化血研に行政処分を下し「化血研の組織のままの製造再開は認めない」との姿勢を示した。
厚労省の姿勢を受け、化血研は、それまで手がけてきたワクチン・血液製剤事業の新たな引き受け手を探したが、事業譲渡交渉は難航した。そんな矢先の化血研に、思いがけない災害が追い打ちをかける。2016年4月に発生した熊本地震だ。化血研の製造設備は大打撃を受け、製造再開のめどが立たない事態に陥った(化血研は2018年になり、明治グループと熊本県内の複数の企業、及び熊本県の出資する新会社「KMバイオロジクス」に事業譲渡することで合意。化血研はワクチン・血液製剤製造事業から手を引いた)。
薬害エイズ事件という戦後最大級の薬害に加害企業として手を染めた化血研だが、利潤を追求せずにすむ一般財団法人という組織形態は、ワクチンや血液製剤の研究開発に専念するのにふさわしく、ウソと隠ぺいにまみれた組織体質を改革できれば、尾身会長らが「提言」で指摘したワクチンや血液製剤研究開発の引き受け手になれる可能性もあった。だがその可能性は、四半世紀の時を経て再び発覚した不正製造に加え、熊本地震という予期せぬ不運も重なって絶たれた。新型コロナ感染拡大から1年以上経つのに、政府は壊れたスピーカーのように1年前と同じ「お願い」を繰り返すだけで、市民はいまだ竹槍と精神主義での闘いを余儀なくされている背景に、戦後半世紀近くにわたって積み重なってきた製薬業界の闇があることは、もっと多くの市民に知られるべき事実であると筆者は考える。
今、起きている新型コロナの惨劇がこうした歴史の延長線上にある以上、こうすればパンデミックを短期に収束できるという特効薬的解決策は筆者にも思い当たらない。日本での新型コロナ収束には最短でも3年程度はかかると筆者は予測している。竹槍での闘いはあと2年くらいは続くだろう。この記事を読んでいるみなさんも覚悟を持ち、何とかこの危機を生き抜くとともに、ステイホームを機会に新しい時代に向けた構想力を磨いてほしい。収束後の日本がどんな時代になるかはまだ見通せないが、少なくとも「いま」を生き延びられなければ明日がないことだけははっきりしているからだ。
(取材・文責:黒鉄好/安全問題研究会)