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JR北海道「レール検査データ改ざん裁判」が結審 傍聴して浮かんだ「重大疑惑」/安全問題研究会

2018-11-28 23:00:11 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR北、2月6日判決=検査データ改ざん結審―札幌簡裁(時事)

11月27日午後、休暇を取って、私は札幌地裁802号法廷の前に並んでいた。今日、この法廷で行われる被告弁護側の最終弁論をもって1つの裁判が結審を迎える。JR北海道で起きたレール検査データ改ざん事件の刑事裁判だ。

5年も前の出来事なので、もう一度、経緯を見ておこう。2013年9月19日、JR函館本線大沼駅付近を走行中の貨物列車のうち貨車4両が脱線する事故があった。この事故の1年前(2012年10月)の検査で、事故現場ではレールの幅(JRの在来線の場合、通常は1067mm)が20mmも広がっており、JRもそれを確認しながら放置していた。19mm以上のレールの広がりは15日以内に補修する社内規則がありながら、人手不足のため放置されていたのだ。

この事故では、運輸安全委員会が委員を派遣して事故調査を実施。その過程で「本物」のレール検査数値を記載した紙の台帳をこっそり破棄し、パソコン上のデータに転記する際に検査数値を「補正」した台帳を提出したとされる。JR北海道保線担当社員らのこうした行為が鉄道事業法及び運輸安全委員会設置法違反(虚偽報告)に当たるとして、北海道警が強制捜査に踏み切る。2016年2月、当時の保線担当幹部3人のほか、両法の「両罰規定」(個人と併せて犯罪行為を指示した法人の処罰を認める規定)に基づいて、法人としてのJR北海道も起訴され、刑事裁判が続いてきた。前回、9月27日の論告求刑公判で、検察側が法人としてのJR北海道に罰金100万円を、また保線幹部3人に罰金20~40万円を求刑。今回、被告弁護側の最終弁論で結審することになったのである。

今回は結審ということで、ひときわ注目されたようで、普段より大きい札幌地裁802号法廷が使われたが、事件自体は札幌簡裁に係属している(罰金額140万円以下の事件は簡裁でも取り扱うことができるとする裁判所法の規定による)。13時40分過ぎ、メディアによる法廷内の代表撮影の後、13時45分に開廷、3被告のほか島田修JR北海道社長も入廷する。2016年11月にJR北海道が「単独では維持困難」とする10路線13線区を公表して以降、ローカル線廃止問題をめぐって、安全問題研究会はJR北海道と激しいせめぎ合いを続けている。私は、入廷する島田社長を思わず睨み付けた。

裁判は闘いである。刑事、民事を問わず、どちらの陣営も自分たちに有利な証拠や事実は積極的に援用し、不利な証拠や事実は黙殺し、自分たちに有利なストーリーを作り上げる。この裁判を傍聴するのは今回が初めてであり、前回の論告求刑を傍聴していない私には、検察側が有罪へ向けどんな筋道を立てたのか知ることはできない。しかし、今日の最終弁論を傍聴した限りでは、弁護側主張には筋が通っており、ストーリーに破たんはないように思えた。

今日の法廷で明らかになった驚くべき事実がいくつかある。JR北海道では、軌道変位(線路のズレ)を計測するため、可搬式軌道変位計測装置(トラックマスター、略称トラマス)を使っているが、トラマスは万能ではないとわかったことだ。測定ピッチが0.5m単位とおおざっぱなことに加え、測定位置等のズレなどもしばしば起き得るとされる。「測定ミスで2回測ったこともある」と証言する社員もいたことも明らかにされた。民営化以降のJR各社は、現場の人減らしを機械化で補っているから安全性は低下しないとして、人員削減を正当化してきた。しかし、その機械化がこんな状態では現場力が低下するのは当然だ。「人手不足で目の前の仕事に追われ、極度の繁忙状態。軌道変位の数値をじっくり確認する余裕はなかった」と人減らし合理化による現場疲弊を訴える証言もあった。

しかし、それすらも大した問題ではないと思い知らされる重大証言が飛び出す。トラマスに入力されているデータがそもそもデタラメだったことだ。最悪の例で言えば、曲線半径が230mのところ、400mとデータ登録されている場所もあったという(この「400m」という数字に私はピンときたが、それについては後述する)。「もっと半径が小さいのではないか」「もっとあのカーブはきついはず」という会話が保線担当社員の間で交わされていたという重大証言も飛び出した。被告弁護側は保線担当社員らのこうした感覚を「保線実務家としては自然な認識」であると主張。「被告らの取った行為が改ざんであるならば、改ざん後の検査数値が客観的に見て説明できないものであることを検察側が立証できなければならないが、そうなっていない。被告らは一貫して、検査数値に正されるべき誤りがあったとの認識の下、改ざんではなく誤った数値の訂正を行ったものである」として3被告全員に無罪を求めた。

弁護側はこの他、3被告が「通り変位」数値に一貫して関心を抱かなかったとする検察側の有罪立証を崩すための主張を繰り広げた。この脱線事故の原因のひとつが、レール幅が広がる「軌間変位」であったことは運輸安全委員会の事故報告書(2015年1月公表)でも指摘されているが、弁護側は「事故現場で車輪が線路内側に落ちるなどの状況から、3被告が軌間変位脱線を疑っていた以上、保線実務家の感覚として通り変位数値に関心を失うことに不自然はない」とした。「通り変位」とは、2本のレールが同じ方向、同じ幅で揃ってずれることである(弁護側は主張していないが、カーブでの遠心力は速度の2乗に比例し、その遠心力がカントで吸収しきれなかった場合、そこから発生した横圧はカーブ外側に向かって働くから、通常「通り変位」はカーブ外側に向けて発生する)。保線がきちんと行き届き、犬釘などの「締結装置」に不具合がない限り、レールは枕木にしっかりと固定されているから、列車の遠心力による横圧があったとしても、それは2本のレールが揃って動く「通り変位」になる。逆に、軌間変位は締結装置に不具合があった場合に発生する。3被告が現場の状況から脱線原因として軌間変位を疑ったことによって、通り変位ではないと判断し、それへの関心を失ったとしても何らおかしくないとして、それを根拠に有罪とした検察側に反論したわけだ。

<参考>
運輸安全委員会事故報告書
運輸安全委員会事故報告書説明資料

この日の最終弁論はおおむねこのような内容だった。もちろん裁判ではいずれの陣営も自分たちに有利な事実や証拠のみに依拠して闘う。不利な事実や証拠をあえて採用することは通常はないであろう。運輸安全委員会の報告書とこの日の最終弁論内容を見比べて、通り変位が今回の事故原因と完全に無関係だったとまで言い切れるかどうかなど、思うところはある(運輸安全委員会報告書は通り変位も事故原因のひとつとしている)。だが刑事裁判は原則「疑わしきは被告人の利益に」であるから、弁護側は白であることを立証できなくとも、検察側が黒としたものをグレーに変えられるだけで無罪を勝ち取れる可能性は飛躍的に高まる。この日のストーリーの組み立てとしてはまずまずの出来であり、裁判官がまともな人物なら判決の行方は五分五分との印象を持った。

さて、ここで重大な疑問がいくつか私の頭の中に浮かんだ。その中でも最も重大なのは、曲線半径が230mのところ、台帳に400mと入力データ登録されている場所もあったとの証言である。カーブの半径は前述した「通り変位」発生によって変わることがある。だがこれほど大きな曲線半径の相違は軌道変位による変化をはるかに超えているし、そもそも通り変位はカーブ外側に向かって発生するものだから曲線半径が小さくなる方向に作用することはあっても逆はあり得ないからである。保線担当社員の間でもそのおかしさは認識されていたという。もしこの証言が事実なら、JR北海道は会社ぐるみで本当は曲線半径230mのところを、400mと偽ったデータを基に保線作業をさせていたことになる。そして、保線担当社員たちもとっくにそのことを知っていて、むしろ400mという偽りの曲線半径に基づいた検査データを記録すれば事故が起きかねないから、それをこっそり本来の数値――230mの曲線半径に基づいた数値に「訂正」「補正」していたのではないかと考えられる。つまり、実際起きていた事態は巷間伝えられている「現場社員によるレール検査データ改ざん」とは真逆であり、むしろ「会社にウソの検査データを記載するよう強要されていた現場社員が、事故防止のためこっそり数値を正しいものに「補正」していたのではないかということなのだ。だとすれば、3被告はスケープゴートであり、処罰されるべきは法人としてのJR北海道だけでいいということになる。

2つ目の疑問は、そもそもこれらの証言が事実であるとして、なぜJR北海道がそのような偽り(それも、保線担当社員なら誰でも気付くような見え透いた偽り)に手を染めなければならなかったのかということである。この答えを見つけることはそれほど困難ではない。JR北海道の経営危機の深刻化を受けて社内に設置された「JR北海道再生推進会議」の第2回会議(2014年7月3日開催)で、JR北海道がこのように告白しているからである。「……高速道路網の道内整備計画に対抗するため、限られた財源を都市間高速事業に重点配分したこと等により、結果的に今日の老朽設備の更新不足を招くこととなった」。安全投資を犠牲にして、列車高速化を優先したとJR北海道みずから認めているのだ。

<参考>
JR北海道再生推進会議議事概要
うち第2回

2011年に石勝線トンネル内での特急列車火災事故が起きるまでの間、JR北海道が高速バスや飛行機に対抗するため、ひたすらスピードアップを目指していた時期があった。だからといってJR北海道が列車の大幅スピードアップを可能にするような大規模な線形改良工事を行った形跡はない。第一、半径230mのカーブを400mにするような大規模な線形改良工事であれば新たな用地取得などが必要になり施工は容易ではない。それに、本当に線形改良工事をしていたのであれば、保線担当社員から「もっと半径が小さいのではないか」「もっとあのカーブはきついはず」などという声が上がることなどあり得ないはずである。

あり得ない可能性を1つ1つ、消していくと、最後まで消えずに残るものがある。それは考え得る限りで最悪の選択肢である。今では廃止されてしまったが、脱線事故の起きた函館本線の線路建設当時には生きていた「普通鉄道構造規則」では、曲線半径400mでの制限速度は90~110km/hであるのに対し、曲線半径250mでは70~90km/h。曲線半径160mでは最高速度は70km/h以下に制限される。「230mのカーブなら最高速度を70km/hに抑えなければならないが、400mと偽れば速度制限を90km/hにまで緩和できる」――JR北海道上層部がスピードアップ実現のためそう考えたのではないかという、背筋も凍るような最悪の選択肢が、消えずに最後まで残ったのである。

2013年頃から、JR北海道各線で貨物列車を中心に脱線事故が相次いだ。私はなぜJR北海道でだけ次々と脱線事故が続くのか、理由が全くわからなかった。だが、本当は半径230mのカーブに対し、半径400mのカーブに対する速度制限が適用されていたと考えれば、脱線事故が続くのも当然で、辻褄が合う。まず初めに会社側が「金をかけずにスピードアップ」を実現するため、手っ取り早い方法として曲線半径を「改ざん」。それに合わせる形で故意に誤った検査基準値、軌道変位数値を台帳に記載することが日常化、それを知りつつ会社に逆らえなかった現場が事故防止のため必死で本来のレール検査数値に「補正」を続けてきたが、ついにそれが破たん。人手不足で多忙を極め、追い詰められた現場状況も重なって破局に至った――今回の裁判傍聴を通じて私の頭の中に浮かび上がった恐るべきストーリーである。このストーリーがウソであると、今後の裁判の中で明らかにされることを願っている。

「今回の事故を厳粛、重大に受け止めるとともに、利用者のみなさまにご迷惑とご心配をおかけしたことに対し深くお詫びいたします。JR北海道として、処罰を受けることに異存ありません。安全に必要な経費を削ったマネジメントに問題があったと認識しており、今後は事業再建に取り組みたいと思います」

「これにて結審としますが、裁判所に対して何か言いたいことはありますか」との結城真一郎裁判官の問いかけに、島田社長はこう謝罪した。3被告から発言はなかった。注目の判決は、2019年2月6日(水)午前10時から、札幌地裁805号法廷で言い渡される。

(文責:黒鉄好)

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「風評」を生み出した福島県の努力不足

2018-11-20 21:35:06 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が脱原発福島ネットワーク会報「アサツユ」2018年11月10日号に寄稿した原稿をそのまま掲載しています。)

 福島県内では、今なお地元メディアを中心に福島県産農産物が安く買い叩かれている、風評被害を払拭しなければならない、という報道が行われています。正確に定義もされないまま独り歩きし、生産者と消費者、また県民同士でも分断の原因となってきた「風評」問題ですが、そろそろ真剣に検証すべき時期でしょう。

 2018年3月、農林水産省が公表した「平成29年度福島県産農産物等流通実態調査」はこの問題にある程度答える内容になっています。消費者に対する、福島県産農産物のイメージに関する質問では「特にイメージはない」が3~4割を占める一方「安全性に不安がある」は2割弱との結果です。首都圏での消費者アンケートで福島産を「避ける」と答えた人は15~20%で、今回の調査結果とおおむね一致しています。

 流通業者に対する調査では、福島産を取り扱わない理由として「他産地のもので間に合っている」「他産地を撤去してまで福島産に変える理由がない」が大勢を占めました。産地表示の不要な外食・給食に限れば、原発事故以降も福島産の販売量は減っておらず、産地表示の不要なところ、食材を自分で選択できない人のところに福島産が回っている、という事故直後の「町の噂」を裏付ける結果が示されました。価格に関しては、震災前の水準へは依然として回復していないものの、2014年を境に急速に回復に向かっている様子がわかります。やはり震災後「3年」がひとつの転換点のようです。他産地のもので間に合っているのに、わざわざそれを撤去して、売れなくなるリスクのある福島産に変える積極的な動機がない、というのが流通・販売業者の偽らざる本音でしょう。

 むしろ、売ってほしいのに売ってもらえないのは福島県の努力不足にあることを示す別のデータもあります。やや古いですが、原発事故前、2005年の農業センサス(農水省)によれば、人口200万人の福島県には約8万戸の販売農家があり、その農業生産額は2500億円です。お隣の山形県が5万戸の農家で2千億円の生産をあげているのと比べると、農家1戸当たりの生産額は明らかに少ないといえます。愛知県に至っては、農家戸数は5万1千戸と福島の6割なのに、福島を上回る3200億円もの農業生産をあげています。

 福島では農産物のブランド化が遅れ、他地域に比べて農業構造も小規模零細経営が多く不安定という事実を、これらのデータは示しています。要するに、原発事故前から福島県は農家の創意工夫に任せるだけで、農業経営の改善を援助し安定化させる努力を怠ってきたのです。こうした事実を隠したまま、福島県や県内メディアが「福島産を取り扱わない流通・販売業者、買わない消費者が悪い」と風評被害のせいにするのは根本的に間違っています。そして、県がこの現実を直視せず、いつまでも他の誰かのせいにしている限り、真の意味での福島「復興」はあり得ないと断言したいと思います。

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【福島原発事故刑事裁判第34回公判】「母は東電に殺された」被害者が法廷で意見陳述、これが先進国の姿か!

2018-11-18 22:13:07 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。11月14日(水)の第34回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。11月16日(金)の公判は取り消しとなり、次回、第35回公判は12月26日(水)~27日(木)に開かれる。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。写真(サムネイル表示となっている場合はクリックで拡大)は、福島第1原発事故で避難途中に死亡し、起訴容疑である業務上過失致死傷罪に関する「直接被害者」となった患者が入院していた双葉病院の正門である。

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●「母は東電に殺された」被害者遺族の陳述

 11月14日の第34回公判では、大熊町の病院や介護施設から避難する時に亡くなった被害者の遺族が意見陳述した。2人が法廷で被告人に対して直に意見を述べ、さらに3人分の意見は弁護士によって代読された。

 自衛隊さえあわてて撤収する高い放射線量のもと、中心静脈栄養の点滴を引き抜かれ、バスに押し込められて10時間近くも身動きできないまま運ばれ息絶える。あるいは、病院に置き去りにされたまま、骨と皮のミイラのようになって死ぬ。

 原発事故が起きると、21世紀の先進国とは思えない異常な死に方を強いられる状況が、あらためて示された。そして、穏やかに看取ってあげられなかった遺族の無念の思いが法廷で述べられた。

 そのような悲惨な事態を誰が引き起こしたのか。

 「現場に任せていた」という被告人ら説明では、遺族たちは納得していないことも、「東電に殺された」という強い言葉とともに訴えられた。

 以下に、意見陳述の概要を紹介する。

●「想定外で片付けられると悔しい」介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に入所していた両親を亡くした女性=法廷で意見陳述

 「想定外で片付けられると悔しくてなりません。太平洋岸には他にも原発があるのに、なぜ福島第一原発だけが爆発したのか。何かしらの対策を取っていれば、女川や東海第二のように事故は防げたのではないかと思うと許せません。わかっていて対策をせず、みすみす爆発させたのなら未必の故意ではないのか。誰一人責任者が責任を取っていないのは悔しい」

●「責任者を明らかにするのが大切」ドーヴィル双葉に入所していた祖父母を亡くした男性=法廷で意見陳述

 「(2002年の)東電のトラブル隠しのあとに起きているのがとても残念です。高度な注意義務を負う経営者に、刑事責任をとってもらわないと今後の教訓にならない。もう二度と同じ思いをする人が出ないように」

●原発を不安に思っていた父~双葉病院に入院していた父(97歳)を亡くした女性=弁護士が代読

 「父は寝たきりで2時間ごとの体位交換が必要でした。経口摂取も困難で中心静脈カテーテルで栄養や薬剤の投与を受けていましたが、避難の際に抜かれ、水分や栄養分を摂取できなくなりました。このような酷い状況に10時間近くも置かれ、父は無くなったそうです。父は寒がりでしたし、水分や栄養を摂取できず、身動きもできない状況で、どれほど辛く、苦しかったことでしょう。私が結婚するにあたって、夫が実家に挨拶に訪れた際に、父は「ここは原発があるからな」と不安を口にしました。原発のことを不安に思っていた父が、原発事故で無くなるとは全く想像もしていませんでした」

●「慢心があったとしかいいようがありません」双葉病院に入院していた兄を亡くした人=弁護士が代読

 「(事故の)直前の数年間、大きな災害が続いた。国会でも原発の津波対策について質疑があった。東電の経営者は、あくまで他人事のように見ていたのではないか。もし切迫した緊張感を持って経営していれば事故は避けられただろう。東電は自らが安全神話にとりつかれ、慢心があったとしかいいようがありません」

●「トップの責任を認めて欲しい」双葉病院に入院していた母を亡くした女性=弁護士が代読

 「遺体を確認したとき、骨と皮のミイラのようだった。被告人の方、この時の気持ちが分かりますか。この裁判であなた方は「部下にまかせていた。私の知り得ることではない」と言い続けている。経営破たんした別の会社の社長は「すべて私の責任。社員を責めないで」と言っていた。あなた方もトップの責任として、なぜこのくらいのことを言えないのですか。母の死因は急性心不全だが、東電に殺されたと思っている」

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算315回目)でのスピーチ/東海第2原発のこれまでとこれから

2018-11-17 00:19:36 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 原子力規制委員会は、11月7日、運転開始から40年経過した老朽原発、東海第2について、20年の運転延長を認めました。東海第2は福島第1と同じ沸騰水型原発で、東日本大震災で津波被害を受けた原発である点も福島第1と同じです。こんな原発の再稼働だけでなく運転延長まで認めるとは、規制委も完全に地に墜ちました。11月7日を「原子力規制委員会が死んだ日」と評した人がいますが私もそう思います。規制委は恥を知れと言いたいですし、このまま何でもかんでも再稼働も運転期間延長も容認するなら、原子力大復活委員会と名前を変えるべきです。今日は、東海第2について私の知っていることをお話しします。

 そもそも東海第2は東京電力の原発ではありません。東電の保有する原発――福島第1、第2、柏崎刈羽原発はすべて東北電力の営業区域にあります。東電は自分の会社の営業区域内には原発を1基も置かず、すべて他社の営業区域に押しつけている大変厚かましくとんでもない会社です。関西電力でさえ、原発を置いている福井県は自分の会社の営業区域です。こんな酷いことをしている東電が事故を起こすのは当然と言えますが、そんな中、首都圏で唯一の原発がこの東海第2で、運営しているのは日本原子力発電という原発専門会社です。

 この日本原子力発電は、東海第2の他に敦賀原発も保有していますが、こちらは再稼働どころか廃炉がほぼ決定的になっています。2015年、敦賀原発直下を走る「D-1」断層、2~300mの深さにある「浦底断層」がいずれも活断層であるとの規制委の評価書が正式決定しているからです。福島事故後の新規制基準では活断層の上に原発の重要施設を置いてはならないことになっており、活断層の真上にある敦賀原発は動かせないのです。

 原発専門会社であり、原発以外の発電所を持たない日本原電にとって、敦賀ばかりか東海第2まで動かせないとなると、この会社には動かせるものがなくなり、倒産するしかなくなります。日本原電が必死の悪あがきを続けているのにはこうした背景があるのです。

 日本原電の株式の28%は東電が保有していて筆頭株主です。関西電力も日本原電の株式の18%を保有しています。日本原電が倒産すれば東電、関電を初め電力業界に大きな影響が及びます。だからこそ電力業界総がかりで再稼働を狙っているのです。しかし、関電はともかく、東電は福島事故後、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(賠償金を貸し付ける組織)が約半分の株式を保有する事実上の国営企業です。保有するすべての原発が止まっているためまったく仕事をしていない日本原電というゾンビ会社のために、事実上の国営企業である東電を通じて税金が垂れ流されているという構図になります。これに納税者はもっと怒らなければなりません。

 東海第2の再稼働や運転延長は、このことだけでも十分犯罪的と言えますが、もっと重要な事実をお伝えしておきたいと思います。東日本大震災の時に、東海第2原発も福島第1原発と同じように津波に襲われ、外部電源はすべて失われました。非常用ディーゼル発電機が津波を免れたため辛うじて福島第1のような全電源喪失にはなりませんでした。このとき東海第2原発に押し寄せた津波は5.4mですが、東海第2原発の防潮堤はもともと4.9mしかありませんでした。その防潮堤を6.1mにかさ上げする工事が完了したのは2011年3月9日、東日本大震災のわずか2日前のことです。「津波があと70センチ高かったら、あるいは来るのがあと2日早かったら、東海第2も終わっていた」。当時、東海村の村長だった村上達也さんは2012年9月、日本外国特派員協会での講演でこう語っています。東海第2も紙一重であり、福島第1原発を笑える立場ではないのです。

 この「あわや」の状況を見て、村上さんは「日本には原発を動かす資格がない」と確信し再稼働への同意を拒否し続けました。「原発立地地域ではあらゆる産業が原発依存型になり努力しなくなる。衣料品店は原発作業員用のものを仕入れて売る。旅館も原発作業員向けの雑魚寝で風呂も共同。個室化などを提案しても、作業員が来るからいいと言ってやらない」と村上さんは言います。原発という「毒」を一度飲んでしまうと地域経済全体が自立心を失い、腐敗し、疲弊する――立地地域を長年見てきた村上さんの言葉は当事者のものだけに重みがあります。

 しかし、村上さんや茨城県民の闘いは、確実に地域を変え前進させてきました。周辺6自治体(水戸市、那珂市、常陸太田市、ひたちなか市、日立市、東海村)、5市1村が原発運転に当たって事前了解権を含む安全協定を日本原電との間で結んだことはその大きな成果といえるでしょう。

 日本の原発の地元にはこれまで2種類の自治体しかありませんでした。原発の運転に当たって事前了解権が与えられる代わりに「旧電源三法交付金」の支給対象になっている自治体か、その交付金がない代わりに事前了解権もない自治体のいずれかです。平たく言えば「事前了解権があっても住民生活を人質に取られ、その権限を行使できない自治体」か「住民生活を人質にされない代わりに原発の運転に口出しもできない自治体」のいずれかしかなかったのです。原発を動かす電力会社に対し、自治体はいずれにしても拒否権を持てない。このシステムの行き着いた先が福島第1原発事故でした。その悲劇を経験して、日本が初めて変わるかもしれないチャンスが生まれています。事前了解権を含む安全協定を結んだ5市1村には、これまでの常識では原発立地自治体に該当しなかったところも含まれているからです。「住民生活を人質に取られる心配をする必要がなく、原発の危険性や住民の意向だけで拒否権を行使するか否かの判断ができる自治体」が初めて生まれたのです。

 水戸市議会は今年6月、国や県に東海第2原発の再稼働を認めないよう求める意見書を可決しました。規制委が死んでしまった今、安全協定を結んだ6自治体とその住民の闘いこそが東海第2原発の行方を決めることになるでしょう。福島の事実を伝え、再稼働反対を貫くよう、全国から6自治体に支援の声を届けましょう。

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算314回目)でのスピーチ/福島への帰還拒否を呼びかけた国連特別報告者

2018-11-11 21:33:31 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 去る10月25日、国連人権高等弁務官事務所が指名した特別報告者が、国連総会で日本政府の避難者帰還政策を批判する報告を行いました。バスクト・トゥンジャク国連報告者は日本政府が適切な住民保護政策を採っておらず、避難者、特に「女性と子どもは年間被曝量が1mSvを超える地域への帰還を見合わせるべき」であると述べ、日本政府の福島への帰還政策を批判しました。これに対し、日本政府原子力被災者生活支援チームは、「ICRPの勧告では避難などの対策が必要な緊急時の目安として、年間の被ばく量で20mSvより大きく100mSvまでとしていて、政府は、そのうちもっとも低い20mSv以下になることを避難指示解除の基準に用いている。また、除染などによって、長期的には、年間1mSvを目指すという方針も示している」「子どもたちに限らず、避難指示が解除されても帰還が強制されることはなく、特別報告者の指摘は誤解に基づいていると言わざるをえない」とでたらめな反論をしています。今回は少し難しい話も含んでいますが、大変重要なことですので、日本政府のウソと欺瞞を暴く意味からも、きちんと見ておきたいと思います。

 日本政府は、トゥンジャク国連特別報告者への反論の根拠としてICRP2007年勧告を持ち出していますが、そもそもICRPの一連の勧告は、長期にわたって20mSvを一般市民への被曝基準に採用することなど認めておらず、7年半も20mSvを帰還の基準にしている日本政府の政策は異常極まりないものです。

 ICRPが2007年に採択した勧告は、原発事故が起きていない通常の状態を「現存被ばく状況」、原発事故など不測の事態が起きて住民を放射能から防護するための特別な措置が必要な状況を「緊急時被ばく状況」に分け、別の基準を設けています。この他「計画被ばく状況」という区分もありますが、これは原発労働者など職業上被曝する人のことですので今日の話では取り上げません。

 一般市民の被曝基準について、ICRP2007年勧告は「現存被ばく状況」つまり原発事故が起きていない通常の状況で「1~20mSv」とする一方、「緊急時被ばく状況」つまり原発事故が起きて通常の基準が守れないような緊急事態の時は「20~100mSv」と定め、できる限りこの中の「下限値」を採るよう勧告しています。下限値なので「通常被ばく状況」では1mSv、「緊急時被ばく状況」でも20mSvを採用すべきなのは明らかです。

 このように指摘すると、帰還の基準として20mSvを採用している日本政府のやり方は、一見、適切なように感じられます。ICRPの勧告は難解で誤解が生じやすいのです。しかし「緊急時被ばく状況における人々の防護のための委員会勧告の適用」と題されたICRPの別の勧告第109号(113)項では明確にこのように定めています――『委員会は、緊急事態に起因する長期被ばくの管理は、現存被ばく状況として扱うべきであると勧告する』。またこの勧告(114)項は明確にこう指摘しています――『緊急事態に起因する現存被ばく状況は、ある集団が既知のまたは評価可能なレベルの被ばくを伴う地域に引き続き居住する必要性によって特徴づけられる』。

 要約すると、「原発事故を起こした国の政府が、汚染された地域の住民を避難させず、そのまま汚染地に居住させる」と決めた時点で「現存被ばく状況」へと移行すべき、というのがこの勧告の内容と考えられます。日本政府が福島の住民を避難させないと決めた時点で住民の被曝基準を「現存被ばく状況」における下限値、つまり年1mSvとしなければならないのです。しかもこの勧告(115)項は『緊急時被ばく状況から現存被ばく状況への移行の計画策定は、・・・関連するすべてのステークホルダー《利害関係者》が関与すべきであると委員会は勧告する』と明確に述べています。つまり汚染地に居住させられる住民が参加の上、その意見を聴くことを原則にしています。1mSv基準が適用されないなら避難したい、また帰還したくないと訴えてきた市民の声を残酷に踏みつぶしてきた日本政府は糾弾されるべきであり、原発推進勢力の国際組織であるICRPの勧告さえ守る気のない日本政府に原発を動かす資格などありません。

 トゥンジャク国連特別報告者は、日本政府に対し、特別なことを求めているわけではなく、ICRP勧告が定める内容に基づいて原則論を述べているに過ぎません。彼はICRP勧告の内容を良く理解しており、日本政府こそそれを理解する意思も能力もないと断定せざるを得ません。そのような無能な政府が下手にICRP勧告を持ち出して反論したつもりが勝手に破たんしているだけであり、国際社会では一切通用せず失笑を買って終わりになるでしょう。

 このような無能な政府を私たちは変えなければなりません。どのようにしたら変えられるかは難しく厳しい課題ですが、できることは何でもやる、自分の力でできることを精いっぱいやりきる以外にないと思います。私は先週ここでお約束した、再エネではなく原発を止めるよう要求する九州電力への要請書を送りました。どんな小さなことでもいい。みんなが動くことがこの社会を変える力となるでしょう。自分自身の力を信じましょう。

注)「緊急時被ばく状況における人々の防護のための委員会勧告の適用」(ICRP勧告109号) ここのPDFページ数で67ページに、(113)~(115)項の記載がある。

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福島県知事選に思う/「内堀知事得票率91.2%」の絶望

2018-11-04 21:45:02 | 原発問題/一般
福島県知事選開票結果(2018.10.28投開票)


 10月28に投開票された福島県知事選挙は、現職・内堀雅雄候補が91%の得票で再選された。民主主義国家のいわゆる「自由選挙」で特定候補への票の集中が9割以上というのは異常であり、現在の福島県内のファシズム的言論抑圧状況の反映であることはいうまでもない。

 知事選がこんな「凄惨」な結果になった原因は言うまでもなく、そして中央政界レベルでの課題と同じだが「まともな野党がいない」ことに尽きる(念のため申し上げておきたいが、当ブログにとっての「まともな野党」とは、自民党に代わって今すぐ政権を担当できる政党という意味ではない。自民党、またはその系列の地方自治体首長に対し、厳しくチェック・批判・監視し、自民党に緊張感を持たせられる健全な批判政党という意味である。自民党政権に対し、きちんと対峙できる野党なら、別に政権など目指さなくてもかまわないというのが当ブログの基本的立場である)。

 自民党と一緒に内堀県政与党として相乗り支援した立憲・社民に関してはコメントする価値もない。55年体制が壊れたとき、自民党はそれほど退潮せず、社会党だけが勢力を大幅に減らして退潮したのは、中央段階で自民党と対決する振りをしながら、地方で「オール与党」として自民党と相乗りしていく「欺瞞」を有権者に見透かされたからである。立憲が最近になって大幅に支持率を落としているのも同じ理由で、地方で自民と相乗りを繰り返す立憲が自民党政権に対する健全な批判勢力となり得るどうか、有権者に迷いが生まれているからである。

 共産党は、町田候補がわずか4.9%しか得票できず、供託金没収の惨敗に終わった。こちらも内堀県政の対抗軸になるのに失敗したが、当ブログの見る限り、これは当然の結果といえる。「年間100mSvの被曝でも健康に影響はない」と、御用学者と同じ主張(注)をしている福島医療生協・わたり病院の斎藤紀(おさむ)医師らを積極的に容認し、同じ共産党系医師からの内部批判(2015年)にも答えず、逆に被曝の健康被害や避難を主張する人々を「福島差別主義者」と決めつける「しあわせになるための福島差別論」(かもがわ出版)を自称「社会学者」開沼博氏らと一緒に出した。この本の共著者でもあり、共産党系と目される福島大・S教授に至っては、県民健康調査検討委員会委員として原発事故の甲状腺がんとの因果関係否定を続けるばかりでなく、毎年3月に開催される福島県民集会の実行委員としても「健康被害、被曝や避難を口にする登壇者は直ちに発言を中止させ、県民集会から締め出す」などと裏で恫喝し続けてきたとする証言さえある。

 メディアには共産党惨敗の原因を「県委員会による町田候補の擁立作業の遅れ」に求める論調があるが、当ブログは決してそうは思わない。このような行動を繰り返す連中を積極的に容認し、泳がせ続けてきた共産党福島県委員会はどう見ても「ニコニコしている人に放射線(による健康被害)は来ません」と言い放った「ミスター100ミリシーベルト」山下俊一・長崎大教授と同列だ。これらの言動は明らかに、被曝の恐怖から解放されたいと願っている心ある福島県民への明確な敵対であり、「左からの言論抑圧」を権力と一体となって作り上げる犯罪行為と言うべきである。安倍政権と内堀県政の「復興」批判で悪政の対抗軸になれるとの県委員会の判断があるとすれば重大な政治的誤りであり、福島県民は健康被害もみ消し政策との対決を避け、むしろ加担した共産党にも厳しい審判を下したのである。この面だけに関して言えば、「ふくしま共同診療所」をつくって福島県民の健康不安に一定程度、応えようと試みた某新左翼政治党派のほうがずっとマシである(みずからの政治的主張を暴力主義的に実現しようとする方針は容認しないが)。福島県民の健康被害、健康不安ときちんと向き合おうとする姿勢が共産党に少しでもあればここまでの大惨敗にはならなかったに違いない。

 今回の選挙結果は、内堀「独裁体制」下で徹底的に抑圧されているが、福島県民の要求が「健康不安への対処」であることを逆説的に示すものとなった。福島県民の健康被害、健康不安に寄り添うことを訴える候補が2人もいた4年前と異なり、健康被害との対決を訴える候補が誰ひとりいなかった今回の知事選は、その意味では真の悲劇である。全政党、全候補者が敗者であり政治的勝者がいないことは、45.04%の低い投票率に余すところなく示されている。私がもし独裁国家の「選挙」を取材している欧米メディアの記者だったら迷わずこう書くだろう。「フクシマ王国では、内堀国王の独裁体制に抗議の意思を示すため、国民の半数以上が投票をボイコットした」と。

(注)科学の目でリスク見つめ、被災者全体の連帯めざす・・福島の医師として今伝えたいこと 福島医療生協・わたり病院医師 齋藤紀さんに聞く(「赤旗」2015.3.22付け)に詳しい。このような内容が赤旗に掲載されたこと、この記事を誇らしげに掲載しているリンク先のページが共産党嶺南地区委員会(福井県)であることも付記しておく。10基の原発がある福島県と並んで、14基の原発と「もんじゅ」を容認し、原発に毒されてきた福井県でこうした誤った記事が共産党から積極的に配信されていることを、当ブログは偶然とは思わない。

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【福島原発事故刑事裁判第33回公判】そして勝俣元会長まで……全員が「自分には権限がなかった」と主張 これでは東京裁判(極東国際軍事裁判)と同じだ

2018-11-03 21:38:46 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。10月30日(火)の第33回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。10月31日(水)及び11月2日(金)の公判は取り消しとなり、次回、第34回公判は11月14日(水)に開かれることになった。なお、3経営陣に対する被告人質問は第33回公判で終了となった。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

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 10月30日の第33回公判では、勝俣恒久・東電元会長の被告人質問が行われた。勝俣氏は2002年10月から代表取締役社長、2008年6月からは代表取締役会長を務めていた。敷地を超える最大15.7mの津波計算結果は原子力・立地本部長の武黒一郎氏まであがっていたが、それについて勝俣氏は「知りませんでした」と述べた。「原子力安全を担うのは原子力・立地本部。責任も一義的にそこにある」と、自らの無罪を主張した。一方で、福島第一原発の津波のバックチェックが遅れていたことは認識していたと述べた。

 勝俣氏への質問に先立ち、公判の最初の約1時間は、武黒氏の被告人質問が10月19日に引き続いて行われた。

 また公判の最後で、永渕健一裁判長は、検察官役の指定弁護士が請求した事故現場周辺の検証を「必要性がない」と却下した。

●「責任は原子力・立地本部にある」

 勝俣氏は、現場に任せていたから自分に責任は無いと一貫した姿勢で繰り返した。

 「社長の権限は本部に付与していた。全部私が見るのは不可能に近い」

 「そういう説明が無かったんじゃないかと思います」

 「私まで上げるような問題ではないと原子力本部で考えていたのではないか」

 「いやあ、そこまで思いが至らなかったですねえ」

 勝俣氏の説明によれば、東電の社員は38000人、本店だけで3000人いる。原発を担当する原子力・立地本部を含めて本部が4つ、部が30程度ある。

 勝俣氏の弁護人の説明では、福島第一の耐震バックチェックについて議論された月1回の「御前会議」に出されてくる資料は、多いときは60ページ以上あり、それぞれのページにパワーポイントが4画面印刷されていた。大量の情報が詰め込まれていて、細かく見ることは出来なかったという。

 勝俣氏は「1枚1枚説明されてはいませんでした」と、技術的な詳細については理解していなかったと述べた。

●「津波は少し遅れてもやむを得ない」

 津波対策のため防潮堤建設に着手すれば、数年間の運転停止を地元から迫られる経営上のリスクがあった(注1)。原発を止めれば、その間に代替火力の燃料代が数千億円オーダーで余計にかかる(注2)。津波対策工事に数年かかるならば、津波対策費用は兆円オーダーに達する可能性もあった。

 その重大なテーマに、勝俣氏が関心を持っていなかったとはとても考えにくい。御前会議の議事録によると、一つの変電所の活断層の対応について勝俣氏が細かな指示をしていた。そのくらい、細かなことも見ていたのだ。

 しかし、御前会議の配布資料にあった津波高さなど細部については、勝俣氏は「聞いていない」と繰り返した。一方で東電の津波対応が遅れているという認識はあったことを認め、以下のように述べていた。

 「東電は日本最大の17基の原発を持つ。バックチェックで津波は少し遅れても、やむを得ないと考えていた」

 「よくわかりませんけれど、(バックチェックのスケジュールが)後ろに延びていった気がします」

 福島第一は安全なのか、最新の科学的知見に照らし合わせて点検する作業がバックチェックだ。それを完了しないまま、漫然と運転していることを知っていたのだ。

 東電には原発が17基ある。だから、数基しかない他の電力会社より安全確認が遅れても「やむを得ない」という勝俣氏。トラックをたくさん持っている運送業者は、数台しか保有しない業者より車検が遅れても「やむを得ない」と言っているのと同じだろう。なぜ「やむを得ない」のか、理解できない。

 もし、コストカットに関わる問題で、部下が他の電力より作業を何年も遅らせたら、勝俣氏は烈火のごとく怒鳴りつけていたのではないだろうか。一方、安全に関しては当初期限より7年も遅れ、他社よりも数年遅れとなっても「やむを得ない」と許していたのだ。


「他電力より2年程度の遅れ」と書かれた御前会議資料


●「長期評価で企業活動をとることはありえません」

 この公判の勝俣氏の発言でもっとも驚いたのは、政府の地震本部がまとめた津波予測について「そういうものをベースに企業行動を取ることはありえません」と強い口調で切り捨てたことだ(注3)。

 「長期評価に絶対的なものとして証言したのは島崎(邦彦)先生だけ。信頼性のおけるものではないと思う」とも述べた。

 日本海溝沿いで津波地震が起きる確率は、地震本部によれば30年で20%程度。福島沖に限定すれば6%程度と考えられていた。

 今後30年で6%の発生確率、しかも確実さについては研究者間で意見が必ずしも一致していない災害。それに備えようとすれば兆円単位の損失が生じる可能性がある。そんなものに企業が備えられるわけがない、というのが経営者としての勝俣氏の考えなのだろう。

●経営リスクは減らし、住民のリスクを残す

 もし東電が沿岸部に持っているのが火力発電所だけなら、勝俣氏の判断はありえるだろう。被害は限定的なものに収まるからだ。

 しかし原発が大津波に襲来されると、その被害が甚大なものになるのは、2006年の溢水勉強会の報告、2008年の15.7m予測、そしてチェルノブイリ原発事故の被害様相などから見当はついていた。東日本壊滅の事態さえありえたことは、原子力委員会委員長だった近藤駿介氏のレポート(注4)で明らかになっている。

津波によるリスク=発生確率✕引き起こす被害の大きさ

というリスクの考え方によれば、たとえ発生確率が低くても、引き起こす被害が甚大ならば、そのリスクはとてつもなく大きいことになる。

 東電経営陣は、発生確率は低いだろうという憶測のもと、リスクの大きさには目をつぶり、津波対応を先延ばししていたと見られている(注5)。

 「先延ばし」は、会社の短期的な経営的視点にもとづけば、もっとも選びやすい選択肢だったのだろう。しかし、社会に及ぼすリスクという観点からは、とても危険な選択だった。

 東電は、2002年には原子力安全・保安院から長期評価の津波を検討するよう要請されていた。その対応を事故時点まで何も対策をしないまま、先送りした。それによって運転停止という経営リスクが現実化するのを先延ばしすることは出来たが、一方で住民への津波リスクは9年の間、まったく軽減できず(注6)、結局大事故を起こしたことになる。

●吉田部長「保安院に明確に指示してもらおう」

 「最大15.7m」の津波予測を事故の4日前まで東電は保安院にさえ明かさず、対策に生かされなかった経緯について被害者の代理人である海渡雄一弁護士が「(計算結果を)隠し持っていた」と追及すると、勝俣氏は「隠し持ってたわけじゃなくて、試算値ですよ。試算値で騒ぐのはおかしいんじゃないですか。15.7mに、どの程度の信頼性があるのかに尽きる」と強い口調で反論した。

 原発における津波リスクのような低頻度巨大災害リスクを、予測が確実となる前に公表して、公開の場で議論し、必要な対策を取る。そんな手続きはあり得ないというのが勝俣氏の考えなのだろう。いくら時間をかけても、予測が確実になることは永遠にあり得ないのだが。

 また、勝俣氏は、副社長当時の2001年4月、電力自由化を巡る記事(注7)でこうコメントしている。

 「これまでの発電所建設では効率化より信頼度に比重が多少よっていたことは確かだが、信頼度が多少危うくなっても値下げを追及するよう発想を変えた」

 勝俣氏は、2007年9月の社内報(注8)では以下のように述べていた。

 「グループの総力を挙げ、これまでとは次元の異なるコストカットに取り組むことが不可欠です。設備安全・社会安全上どうしても必要な工事などは行いつつも、それ以外は厳選し、場合によっては中止するなど、修繕費をはじめ費用全般にわたる削減について、それぞれの職場で非常時の対応をお願いします」

 この公判で海渡弁護士が読み上げたメールの中に、興味深い記述があった。津波想定を担当する土木グループの酒井俊郎氏が2008年3月20日に関係者に送ったメール「御前会議の状況」(注9)の最後の部分だ。

 「吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもありました」

 現場担当者は、地震本部の長期評価(推本モデル)にもとづく15.7mの津波対策が必要と考えていた。しかし、運転停止で兆円オーダーの費用がかかる経営上のリスクがあり、経営陣を説得できそうにない。そこで、NISA(保安院)から推本モデルを考慮するよう明確に指示してもらうことで、勝俣氏ら経営陣を動かそうと考えていたのではないだろうか。

●もっと賢い、金のかからない代替案もあったのに

 防潮堤を作る以外に、もっと賢い方法もあった。原発がたとえ水に浸っても電源さえ確保出来れば炉心損傷しないことはわかっていた(注10)。中央制御室で原子炉の状態をモニターしたり、非常用冷却設備の制御をしたりするための最低限の直流電源と、外部から炉心に注水する消防車の運用方法などを準備しておけば、周辺環境に放射性物質を撒き散らすような事故は防げたのだ。

 日本原電の東海第二原発は、2007年の中越沖地震の後、高い場所に空冷の非常用発電機を増設し、原子炉につないでいた。海岸沿いの非常用海水ポンプが津波にやられてしまっても、電源を確保するためだったと見られる。

 「数百億円ぐらいの安全投資ではたじろぐものではない」と被告人の一人、武藤栄・元副社長は公判で述べたが、こんな対策ならば、それほどもかからなかっただろう。

 本当に賢い経営者は、経営と住民の両得となる、そんな案を選ぶ人なのだと私は思う。勝俣氏は「カミソリ」と呼ばれていたらしいが、単に目先の経営リスクを削って、津波のリスクを住民に押し付けただけだったように見える。

●繰り返される「東電が考えた安全」の失敗

 2002年12月11日、当時社長だった勝俣氏は「社会の皆様にご迷惑をおかけし深くおわびしたい」と記者会見で頭を下げていた。

 福島第一原発の定期検査不正問題に関しての会見だったが、その時、東電はこんな文書をまとめていた(注11)。

 「『(自分たちが考える)安全性さえ確保していればいい』といった意識が存在し、これが不正行為を実行する際の心理的な言い訳になったものと考えられます。「安全」というものは、自分たちだけで決めるものではなく、広く社会に受け入れられるものでなくてはならないということを、改めて全社に徹底する必要があると考えております」

 「長期評価を取り入れるかどうか、土木学会に審議してもらう。そのために数年かかっても、やむを得ない。現状でも土木学会手法で確認しているから、先延ばししても安全だ」というのは、東電が考えた安全でしかなかった。

 実際は、土木学会手法で福島第一原発は安全なのか、規制当局が確かめたことはなかった(注12)。土木学会手法を取りまとめた首藤伸夫・東北大名誉教授も、福島第一に土木学会手法を超える津波が襲来したことについて「まったく驚かなかった」と述べているぐらいだ(注13)。

 福島第一が津波に対して安全なのか確かめるバックチェックは、2009年6月までに終える約束だった。東電はそれをずるずると延ばした。遅れは勝俣氏も認識していた。他社より何年も遅れることは、広く社会に受け入れられる「安全」とは相容れないものだった。

 結局、2002年と同じ失敗を繰り返したのである。その自覚のない東電は、また繰り返すことだろう。

●中間報告の津波外し、残ったナゾ

 この公判でスクリーンに映し出された2009年2月の御前会議に提出された資料「福島サイト耐震安全性評価に関する状況」には、よくわからない記述があった。


御前会議の資料「「中間報告」に係る福島県からの要望」


 「「中間報告」にかかる福島県からの要望」として、「最終報告が遅れる理由(床の柔性)の影響を受けない事項は、出来る限り提示してほしい」と書かれていた。その福島県の要望に対し、最大報告可能範囲が列挙され、津波は「全評価対象(土木学会手法による津波など)」とされていた。報告しようと思えば、報告できる段階にあったと見られる。

 一方、次のページには「地震随伴事象(津波)」の横に、手書きで「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれていた。


津波について「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれた資料


 東電は2009年6月に、福島第一1号機から4号機及び6号機の耐震バックチェック中間報告書を提出している。これには津波の報告は含まれていなかった。

 2009年2月の段階で、福島県は東電に対し、バックチェック中間報告の項目について、どんなふうに要望していたのだろうか。東電はそれに対し、津波についても報告可能範囲としながら、実際の中間報告には記載しなかった。それを誰が決めたのか。「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれた議論は、どのようなものだったのか。

 そして福島県は、「出来る限り提示してほしい」と要望していながら、なぜ津波抜きの中間報告で了承してしまったのか。

 わからないことが数多く残されている。
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(注1)「10m盤を超える対策は沖に防潮堤を造ることだが、平成21年6月までに工事を完了することは到底不可能であった。工事期間は4年かかる。最悪、バックチェック最終報告書の提出期限を守れなかったとして、「工事が終わるまで原発を止めろ」と言われる」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。

(注2) 勝俣氏の説明によると、柏崎刈羽の7基約800万kWが止まると、火力で代替するために、ざっと年5000億円、燃料費が増えるという。津波対策で福島第一(6基、470万kW)、福島第二(4基、440万kW)が止まると、費用は同程度と見られる。ただし使用済み燃料の後始末などを正確には反映していない電力会社の短期的視点にもとづく費用だ。

(注3)勝俣氏は、長期評価については事故前は知らなかったと述べていたので、これは裁判で長期評価について聞いて考えた結果という意味なのだろう。

(注4)近藤駿介「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」2011年3月25日

(注5)「福島沖海溝沿いでは過去に起きていないから従来の3倍や2倍(10m)など来ないと思っていた。根拠は特にない」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。

(注6)「津波対応、引き延ばした」東電、事故3年前に他電力に説明

(注7)AERA 2001年4月9日号 p.28「電力業界脅かす異端児」

(注8)とうでん 2007年9月 p.5

(注9)甲A184号証のうちの一つ。これまで要旨告知はされていたが、さらに詳しく海渡弁護士が法廷で読み上げた。内容は以下の通り。

 3月20日の御前会議の状況
 関係者が多い福島バックチェックから記載し、その後に中越関係を書きます。

 福島バックチェック関係要対応津波関係 機微の情報を含むため転送不可

 大出所長から推本モデルは福島県の防災モデルにも取り込まれており8m程度の数字はすでに公開されている。最終報告で示しますでは至近の対応ができないとのコメントあり。今回Ssで評価するプレート沿いの推本断層モデルを評価することとなったことについて

(1)土木学会では評価不要としていたこと
(2)推本評価を踏まえて今回評価せざるを得なくなったこと

の事実関係をまず整理。

 ここで吉田部長から推本の当該モデルの取り扱いについては現在も土木学会で議論が継続している、土木学会で結論は出ていないとのニュアンスで聞いているとあったので、小生からは土木学会の結論は平成14年断面それ以降、推本の扱いを学会で議論きているわけではない。旨回答し、事実関係を整理するとなりました。

 その上で、大出所長懸念を踏まえたQAの充実、たとえば福島県の津波防災では推本のモデルを評価しているがこれについて検討はするのかしていないのか。(2)平成14年の津波評価では当該のモデルを評価しているのか。していないのは検討が不十分だったのか、などを含めた関連QAを明日中程度に作成したいと思います。

 津波に関しては推本モデルの適用ということで、当社福島地点のみの問題ではないため、太平洋岸各社で連携してアクションプラン(改造表明がバラバラにならないよう)などを明確にしていつのタイミングでどう打ち出すかを確定する。結果がわかった段階で改造に取り組むが、結果のアナウンスなしに改造を表明できない。

 吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもありました。

(注10)溢水勉強会や、JNESの報告書などによる

(注11)「原子炉格納容器漏洩率検査に係る問題について(最終報告)」の提出について
この中の「本件に関する当社の認識及び今後の対応について」

(注12)2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。
 「本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう」
 東電・酒井氏が2002年2月4日に他の電力会社に送ったメールから

(注13)『原発と大津波』p.43

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算313回目)でのスピーチ/九電本社前行動の報告と九州の情勢

2018-11-02 22:12:20 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 先週はこの道庁前行動をお休みさせていただく代わり、福岡で、九州電力本社前行動に参加してきました。その報告を兼ねて、今日は少し九州の情勢をお話しします。

 九州電力の本社は、福岡市の中心部・天神から少し離れた渡辺通という場所にあります。九州の主要企業の本社・支社が集まっており、札幌で言えば大通のような場所といえばいいでしょうか。福岡市営地下鉄の渡辺通という駅を降りてすぐ、九電の本社はあります。「電気ビル」と呼ばれる本社ビルの前で、市民団体がテント広場を作っています。かつては毎日テントを張っていましたが、今は週2回、朝10時頃に来てテントを張り、夕方3時頃テントを畳んで撤収するという形で行動を続けています。かつて東京・経産省前にあったテント広場は撤去されてしまったため、今、実際にテントを張って行動している場所はここだけかもしれません。

 先週金曜日は10月26日で、偶然にも「原子力の日」でした。1963年、茨城県東海村で日本最初の原子力発電が行われたのがこの日だったために定められた記念日ですが、福島原発事故後は原子力の火を消すための決意を新たにする日として各地の行動が取り組まれています。小雨の降るあいにくの天気の中、10人ほどが集まり、元気に脱原発を訴えました。宣伝カーは脱原発の団体ではなく地域労働組合が出しており、地域労働組合の人が元気に組合式シュプレヒコールをしていきました。最近はあまり聞かれなくなりましたが、昔ながらのシュプレヒコールもたまにはいいと思いました。

 九州では、今、北海道と真逆で、電気が余りすぎて大停電が起きかねないため、九電が太陽光発電事業者に発電をやめるよう要請せざるを得ないという事態になっています。福島第1原発事故後に自然エネルギーを普及させようと、FIT(固定価格買取制度)が導入され、その買い取り価格も高めに設定されました。温暖な気候で日照時間も長い九州では太陽光発電が急速に普及し、冷暖房の要らない春秋の晴れた日の昼間には、電力使用量の8割まで太陽光でまかなえるようになったのです。ところが、福島原発事故前に決められた古いルールで、電気が余りそうになった場合は原発より先に自然エネルギーの電気を止めることになっており、そのために原発を動かしたまま太陽光発電が止められるという本末転倒な事態が進行しています。人類が10万年かけて管理しなければならず、膨大な管理コストを生み、処理方法も決まらない核のごみを生み出す原発を優先し、再生不可能なごみを出さず燃料費も要らない自然エネルギーが止められる。こんな愚かな電力政策を採っている国は地球規模で見渡してもそうそうないでしょう。「こんなばかげた政策ばかり採っているから原発事故を起こすんだ」と途上国からも笑われていると思います。

 そもそも、この狭い日本で電力不足のため節電を強いられる地域と、電力が余りすぎて自然エネルギー事業者が発電をやめなければならない地域が同時発生していること自体、日本の電力政策の最終的破たんを意味しています。電力が余っている九州から、不足している北海道へ送電しようにも送電線が貧弱すぎてできない。およそ先進国の電力政策とはとても思えませんが、九州と本州との間、関門海峡を通る連系線は550万kwもの送電ができる能力があるのだそうです。北電管内の年間の電力ピーク時でも510万kwといわれていますから、北海道と本州の間、津軽海峡にも関門海峡並みの送電能力を持つ連系線があれば、北電の発電能力がゼロになっても他の地域が頑張れば停電を起こさずにすむことになります。それを怠ってきたのは国であり、私はむしろ国の責任が大きいと思っています。

 九電本社前の行動に話を戻しましょう。被災地から遠い九州では、福島の生の話を聞く機会が少ないため、反原発運動もどうしても理屈から入ることが多くなります。私はむしろ、九州の人たちにも福島の空気を肌感覚で体験してほしいと思い、福島の話をしてきました。帰還困難区域の人たちが一時帰宅さえ許されていないこと、賠償金をもらえるかどうかで地域や住民が分断され、深い爪痕を残したことを報告しました。玄海原発は佐賀県なので福岡からは遠いイメージがありますが、実は50km程度しか離れていません。そして50kmといえば、福島第1原発から郡山市までの距離とほとんど変わりません。その郡山市が、チェルノブイリでは強制避難地域に匹敵する汚染に見舞われたことを話し、福岡市が同じ目に遭うのが嫌ならみんなで原発を止めようと訴えました。

 残念なことがひとつあります。実は、九州電力本社への申し入れ行動をやろうと心に決めていて、「再エネ止めるな、原発止めろ」という内容の申し入れ書まで作っていたのですが、九電の営業時間中に九州入りすることができずに申し入れは幻に終わりました。しかし、せっかく作った申し入れ書がもったいないので、九電本社に送ることで私たちの気持ちを伝えることにしたいと思います。最後にその申し入れ書の内容を読み上げ、今日の発言を終えたいと思います。

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2018年10月26日

九州電力株式会社
代表取締役会長 瓜生 道明 殿

   太陽光発電の接続制限を直ちに中止し、脱原発を求める要請書

 私たちは、関西地方を中心として、主に北陸地方や四国地方の原子力発電所の即時停止・廃炉を求めて活動を続ける団体です。これまで、福井県内や愛媛県内での原発現地行動、自治体要請・交渉、国に放射能健康診断の実施を求める署名、福島からの避難者支援、原発関連の裁判傍聴・支援などの活動を行ってきました。

 福島第1原発事故による避難者は今も5万7千人に上り、そのうち関西地方には約2500人、九州・沖縄にも約2000人が生活しています(9月11日現在、復興庁調べ)。帰還困難区域の人々はこの7年半、一時帰宅も許されず、逆にこれ以外の区域からの避難者は避難先で満足な住宅支援も得られないまま、健康不安のある福島への望まない帰還か避難継続による生活困窮かの厳しい二者択一を迫られてきました。子どもの甲状腺がんは200人に上ります。

 福島とその周辺地域の罪のない人々にこのような過酷な運命を強いたのが2011年の福島第1原発事故であることは論を待ちません。多くの人々から「ふるさと」と健康で文化的な生活を奪い去り、人類に解決不能な核のごみと被曝労働を日々生み出し、自然環境を破壊するばかりか、高いコストによって経済的にも不合理な原発の運転をこれ以上継続することは、すべての生命と地球環境に対する重大な犯罪であり断じて許されません。福島の惨禍を経験した日本こそ即時脱原発を実現すべきであり、私たちは今後も世界中のあらゆる原子力施設を即時撤去するよう求め続けていきます。

 温暖な気候と豊富な日照に恵まれた九州で、急速に普及した太陽光発電は、好天時には全九州の8割の電力をまかなえるまでに成長しました。ところが九州電力は、燃料コストがかからず生命にも地球環境にも優しい太陽光発電の電力の送電線接続を制限し、圧倒的多数の国民の反対の中で再稼働を強行した原発の電気を優先的に供給しています。このような暴挙は直ちにやめるべきです。私たちは九州電力に対し、下記のことを求めます。



1.電力の送電線への接続に当たっては、太陽光発電はじめ、自然エネルギー、再生可能エネルギーを優先し、必要のない原発の運転は直ちにやめること。
2.九州電力として、直ちに脱原発を表明すること。
3.福島原発事故以前に作られた「原発優先、再エネ後回し」の送電線接続ルールを再エネ優先に改めるよう国に要請を行うこと。

以 上

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