(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
「シーベルト 低い地域に 大豪雨」
これは、昨年の暮れ、福島県の地方紙「福島民報」に載った「2011年回顧川柳」の優秀作品である。震度6強の大地震と津波、そして原発事故に見舞われた福島県にとって2011年は回顧どころではなかったと思うが、千年に一度といわれる未曾有の大災害すら川柳のテーマにして笑い飛ばしてしまうところに庶民の知恵としたたかさを見ることができる。
ところで、この句が表しているのは2011年7月に発生した福島・新潟豪雨である。7月27日から30日にかけて、福島県南会津郡只見町では711.5 ミリという猛烈な雨が降った。これは同町の平年の7月月間降水量の2倍以上に相当する雨であり、それがわずか4日間で降ったことになる。新潟県側も含め死者3名を出す大惨事だったが、原発事故の余波で県内全域が大混乱する中、この水害は県内メディアでもきわめて限定的な形でしか報じられなかった。
あれから1年――今、この時期に本誌で福島・新潟豪雨のことを取り上げるのには理由がある。この水害の発生の仕方からその後の関係者の対応、被害者の怒りとその後の闘いに至るまで、何もかもが原発事故とそっくりの経過をたどっているからである。大震災と原発事故の陰に隠れているが、この水害もまた、福島県を襲った苦難として決して忘れてはならないと思う。今回は、福島・新潟豪雨の背景と、地元住民のその後を見ていく。
●6回目の避難
福島県内では只見川、黒谷川、伊南川が氾濫。特に被害が大きかった金山町、只見町ではJR只見線の鉄橋3本が流された結果、1年経った今も会津川口(金山町)~大白川(新潟県魚沼市)の間で不通が続く。このうち只見(只見町)~大白川は今年秋に運行再開する見込みとなったが、会津川口~只見間は工事も未着手で全線再開の見通しは立たない。
また、福島県内8市町の約7千人に避難勧告・指示が出された。その中には、原発事故のため放射線量の低い会津地方に避難してきた人もいた。計画的避難区域となった葛尾村から柳津町の旅館に滞在していた男性は、福島市や会津坂下町などの避難所を転々とし、この旅館に移って4ヶ月だった。「これで6回目の避難。町の人たちによくしてもらって、ようやく落ちついていたのに…」とこの男性はやりきれない表情だったという。
●明らかな人災、そして「想定外」
「ダムができる前は洪水はなかった。人災だ」。水害発生後、地元住民の多くからこのような声が上がった。只見線の鉄橋流出も、ダムの台船がぶつかったために起きたとして人災と考える人が多い。
福島県会津地方は、只見川を中心に豊かな川を利用した全国有数の水力発電地域として知られてきた。最大出力の合計は160万キロワットを超え、原発1~2基分に相当する。この水力発電を地元に誘致したのは第46~47代福島県知事・大竹作摩氏だ。
本誌131号(2011年9月号)で既報のとおりだが、用地買収に反対する地権者を前に、大竹知事が会津弁丸出しで「誠心誠意」説得する様子は後に小説にもなった(「ダム・サイト」小山いと子、1959年)。
今、無駄な公共事業の象徴的存在になっている八ツ場ダム(群馬県)のように、ダムは地元住民の間に分断を持ち込み、地域社会を破壊する。会津でもきっと想像を絶する確執や恩讐があったと思われるが、それでも地元の人たちはダムと共存しようと頑張ってきた。しかし、今回、ダムを管理する東北電力と電源開発の取った行動は、ダムのため多年にわたって尽くしてきた地元住民に対する裏切りとしか表現しようのないものだった。
「町や県から事前に何の連絡も受けていない状態で、いきなり川が決壊し、大量の水が押し寄せてきたので驚きました」。地元でも数少ないスーパーを経営する男性はこう語る。多くの集落で集中豪雨による停電が起き、メディアも防災無線も機能せず、情報が決定的に不足する中で、ダムを管理する両社が警報のサイレンも鳴らさないまま、大量の水を突然、下流に向けて放流した疑いが持たれているのだ。
「只見川沿いに設置されているダム10基のうち、奥只見ダムと田子倉ダムは流入してくる水を一時的に貯めておくことができるのですが、急激な水量増加には耐えられないので、時間差で放水する必要があります。一方、残り8基のダムは洪水調整機能もなく、流入してきた水をそのまま下流に流すだけの発電専用ダム。もともと豪雨で水位が上がっていたところに、上流の2つのダムが水を吐き出したため、凄まじい勢いの鉄砲水となって只見川を下っていったのではないか」(金山町の会社員男性)
「ダム直下の地域の被害が激しいのは明らか。ダムの存在が被害を拡大させているとしたら、ダムを管理する電力会社は失われた財物を補償すべきです。今後は町や住民への補償対応を含め、電力会社の責任を問う考えです」(金山町の長谷川律夫町長)
とりわけ、ダムができる前の地域事情を知る高齢者を中心に、ダムが水害の直接原因とは言わないまでも、被害拡大の原因となったことは明らかだとして、責任追及を求める声があがっている。特に、ダム立地自治体でないにもかかわらず大きな被害を受けた金山町では「只見川ダム災害金山町被災者の会」が結成され、電力会社の責任を問う動きが広がる。町長を含め、金山町はほとんどが責任追及の方向で一致している。
これに対し、電力会社は「過去に例を見ない豪雨災害であり、ダムの操作は国の操作規定に則って適切に行った」との見解を示す。原発事故と同様、ここでも「想定外で責任はない」との立場だ。国土交通省阿賀川河川事務所も、被災者の会が出した公開質問状に対し「各ダムの放流は適切だった」と説明、歩み寄りは見られない。
●真相究明を求めて~地元住民の闘い
水害発生後、只見川に設置されている第2沼沢発電所(出力46万キロワット)は再稼働への住民同意が得られず停止したままになっている。長谷川町長は「補償交渉がまとまるまでは再稼働に同意しない」との姿勢であり、東北電力と電源開発もやむを得ないとの考えだ。
「被災者の会」は、電力会社への賠償請求に備え、現在、被害写真などの証拠収集や被害額の算定等の作業を行っている。ダム立地自治体である只見町でも住民に責任追及の動きがあるが、町当局は立地自治体として交付金を受けてきたこともあり、表立って責任追及には動きにくいという。
福島・新潟豪雨は2011年8月19日、国により激甚災害に指定された。これまで、激甚災害の指定は災害発生から2~3ヶ月かかることが多かったことを考えると異例の早さといえる。震災・原発事故のダブルパンチに苦しむ福島県への特別な配慮があったことは疑いないが、一方でこんな声もある。
「国から激甚災害の指定を受けた以上、自然災害と認められたことになるので、ダム災害(の責任)を追及するのは難しいかもしれません。ただ、ダムがあったことで下流に大きな被害が出たという意見があるのだから、電力会社はもっと真剣に考えるべきです。原子力損害賠償法、公害防止法のように、ダム被害補償法の制定が必要ではないでしょうか」(被災者の会メンバーの男性)。
被災者の会の斎藤勇一会長は「町は首都圏、仙台圏への電力供給に協力してきた。災害時のリスクが地域に押し付けられる構図は福島第1原発事故と同じだ」と憤る。立地地域に支払われる「口止め料」としての交付金。立地自治体と同等かそれ以上の被害を受けて苦しむ周辺自治体。「想定外」を繰り返し、決して自分の責任を認めようとしない電力会社…。被災者の声を聞いていると、原発事故とすべてが重なって見える。
●恵みと災いの非対称性
2012年5月26日(土)~27日(日)にかけて、筆者は信濃川エコツアー(主催:千曲川・信濃川復権の会)に参加した。2009年に発覚したJR東日本による信濃川からの不正取水問題を受けて、「JRに安全と人権を!市民会議」(JRウォッチ)はこの間、不正取水の被害を受けた新潟県十日町市との関係を築き、現在まで維持してきた。
ツアー初日の26日午後、津南文化センター(新潟県津南町)で開催された記念講演「3・11以後の地域づくりの課題―自然との包括的な関係を築くために ―」では、鬼頭秀一・東京大学大学院教授(社会文化環境学)が「河川から受ける恵みは広域に及び、災いは狭い地域の住民だけに押しつけられる“非対称性”」を今日の技術・開発に関する問題として鋭く提起した。鬼頭教授はさらに、自然の徹底的な管理を前提とした20世紀型科学技術の終焉を指摘。災害時、コミュニティの力による助け合いと「競争より相互扶助」を基礎にする新しい社会のあり方を「3.11以後の新しい価値観」として提起する。災害や不確実性をむしろ受け入れ、共生していく精神的価値観の復権こそが必要である、とした。
災いと恵みの“非対称性”は表現こそ違うものの、高橋哲哉さんが指摘した福島・沖縄の「犠牲のシステム」と同じ問題意識と言っていい。そして、恵みだけはきっちりと自分が取り、災いは他の誰かに押しつけたいと思っている勢力が社会を支配し規定する地位にいる、というところに問題の根源がある。私たちはこの根源にこそ、恐れることなく大胆に踏み込まなければならない。
その後のパネルディスカッションでは、内山緑さん(名水百選「竜ヶ窪池」を守る会会長)、庚(かのえ)敏久さん(パワードライブR117代表)、桑原悠(はるか)さん(津南町町議会議員)、橘由紀夫さん(環境カウンセラー、千曲川・信濃川復権の会正会員)が討論した。4人のパネラーは、いずれも饒舌ではないが、科学技術中心から人間中心の新しい社会のあり方について強い思いを持った人ばかりだった。内山さんは、「最も大切な権利である水、そして水利権が利潤のために行動する(JRや電力会社のような)私企業の所有という今のあり方でよいのか」と重要な問題を提起した。
地球上最初の生命は海(水)で誕生し、進化とともに陸に上がり、そして人間に行き着いた。人間の身体の7割は水でできている。だから私は「水とはわたし自身・あなた自身」であると思っている。水利権が私企業に売り飛ばされるとは、つまり「わたし自身・あなた自身」が私企業に売り飛ばされるということと同じである。そのようなことは決してあってはならない。そして、災いと恵みの“非対称性”がその構造ゆえに避けられないとしても、それをできる限り縮減し、恵みを受ける者が責任も引き受ける新たな公正の実現を目指して、変革に踏み出さなければならない。
そのことをはっきりと教えてくれたのが福島・新潟豪雨であり、そして信濃川エコツアーだった。
●「すべてそのまま」でいいのか
「只見川の復旧作業は国が進めることになると思うが、原形復旧では再発防止策として不十分。しっかり安全対策を講じていただきたい」。長谷川町長は、ともすれば何でも「元どおり復旧」という安易な道に流れがちな国にもこう注文をつける。災害は確かに不幸な出来事だったが、それをもバネにして災害に強い新たな町作りをしていこうという積極的姿勢は評価されるべきだろう。
今回の水害で被害を受けた地域は、全国的傾向を先取りして急速に高齢化が進んできた過疎地でもある。人口に占める65歳以上の比率(老年人口比率)は金山町が55.6%、只見町も41.6%だ。福島県全体の老年人口比率(24.9%)と比べても著しい高齢化である。厳しい言い方になるが、こうした極端な高齢化地域は、若者が移住・定住できる町作りを大胆に進めなければ、災害があろうとなかろうといずれ消えゆくことになる。
今、原発事故で警戒区域、計画的避難区域となり住民が避難に追い込まれた市町村では、原発事故への恨み節とともに「早く住民が帰還しなければ町(村)が地図から消えてしまう」という声が聞こえてくる。多くの首長が、将来住民に発生するかもしれない健康被害への不安から目を背け、帰還だけを急ごうとしている。だが本当にそれでいいのか。将来への戦略も構想もない単なる「元どおり帰還」では結局、地域消滅の日を少し先送りするだけの延命治療にしかならない。この際、地域住民とじっくり対話し、その意見を汲み取りながら、今までとはまったく違う新たな町作りに向けた構想を練り上げるべきだ。帰還は、それからでも決して遅くないと思う。