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【訃報】経済評論家・森永卓郎さん 舌鋒鋭く「財務省批判」最後まで貫く

2025-01-31 22:02:34 | その他社会・時事

経済アナリストの森永卓郎さん死去 67歳 がん公表後も活動(朝日)

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 経済アナリストとして格差社会を鋭く批判し、テレビやラジオでも活躍した独協大学教授の森永卓郎(もりなが・たくろう)さんが28日、原発不明がんで死去した。67歳だった。家族葬を執り行う予定。

 東大卒業後、1980年に日本専売公社(現JT)に入り、経済企画庁(現内閣府)出向などを経て、91年に三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に。2001年に就任した自民党の小泉純一郎首相による構造改革に異を唱え、非正規雇用の拡大などを批判した。「年収300万円時代を生き抜く経済学」はベストセラーになった。

 デフレ脱却に向けて、早くから金融緩和と財政出動が重要だと主張。自民党の安倍政権による「アベノミクス」でそうした政策が推し進められたが、実質賃金が減ったことなどを問題視し、内部留保をため込む大企業や、消費税の増税を進めた財務省への批判を強めた。

 富裕層がさらに豊かになって貧困層がふくらむ経済のあり方に、警鐘を鳴らし続けた。多数の著作やテレビでの軽妙な語り口を通して、「モリタク」の愛称でお茶の間にも親しまれた。

 ミニカーなどの収集家や牛丼研究家としても知られた。23年末にがんを公表後も精力的に活動を続けていた。

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森永卓郎さんが死去した。最近は経済アナリストと呼ばれることも多く、引用した「朝日」も森永さんの職業をそのように表現しているが、私は、適切な日本語があるものについては、日本のメディアはいたずらに横文字に流されるのではなく、きちんと日本語で表現すべきだと考えている。よってここでは経済評論家とお呼びする。

ステージ4のがんが全身に転移しており、「来年(2024年)の桜は見られないかもしれない」と医師に告げられたのが2023年秋だったという。それが、2024年のお花見どころか、2025年のお正月も迎えることができたのだから、医師の宣告よりはずいぶん長く生きたことになる。

森永さん最大の功績は、なんと言っても「ザイム真理教」(私が執筆を担当したレイバーネット日本の書評コーナー「週刊 本の発見」でも紹介)を世に送り出し、財務省批判に対するタブーを日本から取り払ったことだと思う。私は、財務省批判がタブーだったとは必ずしも思っていないが、「失われた30年」の背後に緊縮財政と増税政策があるという見解に一定の納得感を与えた。

リンク先の書評でも記したとおり、私は「ザイム真理教」に書いてあることを全面的に盲信しているわけではない。むしろ「通貨発行権を持つ政府が、紙切れに1万円と書いて印刷すれば、それが1万円として通用し、引き替えに1万円相当の財物が転がり込んでくる。それが通貨発行益である」と堂々と述べている第3章~第4章に関しては批判もしている。通貨と財・サービスの交換価値を表現したものが物価だというのは経済学のイロハのイであり、経済的に立ち遅れた途上国でも、通貨をジャンジャン刷って流通させれば豊かになれるというのはさすがに飛躍しすぎである。経済が発展するためには、実際には生産力が発展することが必要であり、生産力の伴わない通貨発行量の増大は貨幣価値の低下を招くだけである(参考:「よくわかる社会主義のおはなし」レッドモール党ホームページより)。

もちろん、一流の経済評論家としての名声をほしいままにした森永さんが、その程度の基本を理解していないとは考えられないから、これは積極財政政策に対する読者からの支持を取り付けるための彼なりの表現技法だろう。森永さんが信奉し、某政党が一時は基本政策にも掲げていたMMT(現代貨幣理論;国債のほとんどが国内で消化されている限り、いくら発行しても経済財政は破綻しないという説)が成立するには、国債発行で調達された財源が、国民生活に関係の深い部門で有効に使われることなど、いくつかの前提条件がある。

それでも、「緊縮財政や増税よりは国債発行の方がマシ」「それを許さない財務省こそ『失われた30年』の戦犯である」というムードを日本社会に一定程度、作り出すことに成功した功績は評価されていい。当ブログ読者のみなさんにも「借金してでも、どうしても今、この瞬間に手に入れたいもの」があるだろう。同様に政府にも、社会を維持し、崩壊させないために、借金してでも実行しなければならない政策というものがある。子どもの教育や医療・福祉、農業や公共交通への投資などはその最たるものだろう。

森永さんは、日本専売公社の主計課で働いていたと、みずからの生い立ちを告白している。40代以下の若い読者の方には、そもそも日本専売公社についての説明からしなければならないが、ひとことで言えば、現在のJT(日本たばこ産業)の前身に当たる公共企業体である。戦時中からの統制経済の名残で、たばこや塩の流通は国家管理されており、日本専売公社はその統制管理を担うため、全額政府出資で職員は国家公務員の身分を与えられていた。同様に、全額政府出資で職員が国家公務員だった国鉄(JRの前身)や電電公社(NTTの前身)とともに「三公社」と呼ばれていた時代がある。

その中でも、日本専売公社の「主計課」は、財務省で各省庁の予算査定を行う主計局を、公共企業体向けにひとまわり小さくした組織で、日本専売公社の各部署から上がってくる予算要求を「査定」し、縮小・削減するための部署である。当然、他の部署からは嫌われる。森永さんは、主計課時代のご自身を「今よりずっと嫌な奴だった」と自虐も込めて述懐していた。ご自身が「財務省主計局の専売公社版」組織である主計課にいただけに、財務省の手の内もわかる。この専売公社主計課時代の経験が、財務省批判のベースにあったことは間違いない。

経済評論家に転身してからは多忙を極める毎日だった。雑誌の記事だったか、インターネットの記事だったか定かでないが「起きているときは講演しているか、原稿執筆しているか、新幹線や飛行機などで移動しているか」のどれかだったという。がんの告知を受けてからも、大好きな煙草も続け、いわゆる健康上の節制はほとんどしなかった。むしろがん告知を受けてから「ザイム真理教」「書いてはいけない」などタブーに挑戦する著書を猛烈な勢いで出版した。

いかなる権力にも忖度せず、気骨ある言論活動を最後まで貫いた。その評論内容には賛否両論があると思う。だが、単なる金融評論や「相場読み」的な薄っぺらな言論活動しかしていない人たちと「経済アナリスト」として同列に扱われることは私には我慢ができない。この記事の冒頭で、森永さんをアナリストと呼ぶ風潮に与せず、経済評論家と呼ぶことにしたのにはそのような理由もある。テレビに出ている経済・金融専門家の中で、私がアナリストではなく「経済評論家」と呼ぶに値すると思う人は、森永さん亡き今、荻原博子さんくらいだろうか。

67歳での訃報は、人生80年時代の現在、もちろん早世ではある。それでもこれだけやりたいことをやりきっての人生なら、周りが思っているほど本人に悔いはないのではないか。「太く短く」を絵に描いたような、ある意味では理想とも言える見事な生き様だった。

実は、森永さんに関し、当ブログ・安全問題研究会にはひとつの計画があった。私が運営委員を務めている「レイバーネット日本」には独自のインターネットテレビ(レイバーネットTV)がある。そこで、1985年のJAL123便墜落事故から40年の節目となる今年、国の航空機事故調査委員会(当時。現在の運輸安全委員会)が出した「後部圧力隔壁崩壊説」を覆す番組を作る予定で企画を進めていた。「事件」の可能性が高いこの事故を取り扱う特別番組に、ゲストとして森永さんをお迎えする。困難を承知の上で、私自身が出演交渉にも当たるつもりでいた。しかし、今回のご逝去で、永遠に叶わぬ幻となった。


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第7次エネルギー基本計画 原発ありきの電力需要想定 福島事故の反省すべて投げ捨て

2025-01-25 23:10:09 | 原発問題/一般

(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2025年1月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 経産省が昨年12月17日に案を公表した第7次エネルギー基本計画(以下「基本計画」)は、福島原発事故の反省を完全に投げ捨て、3・11前に戻ったかのように原発「最大限活用」をうたう最悪のものとなった。

 福島原発事故を受けて盛り込まれていた「原発依存度を可能な限り低減する」の表現は、安倍・菅政権でさえ福島県民・被害者「配慮」を意識せざるをえず、これまでの基本計画では残してきた。それが今回、事故以降、初めて削除された。

 基本計画は、2040年度の電源構成目標を再生可能エネルギー4~5割程度、原子力2割程度、火力3~4割程度とした。福島原発事故直前の2010年における原発比率は25%。3・11前への完全回帰だ。

 ●"反省"すら再稼働理由に

 許しがたいのは福島原発事故に関する記述である。全文84ページの基本計画に「反省」の文字はたった8か所。しかもその「反省」が「今後も原子力を活用し続ける上では、…反省を一時たりとも忘れてはならない」(総論)「(事故の)反省に立って信頼関係を構築するためにも、(原発に関し)幅広い層を対象として理解醸成に向けた取組を強化していく」(「原子力発電・今後の課題と対応」)など、すべて再稼働に強引に結びつけられている。

 「被害者」の文言はわずか2回、「被災者」に至っては1回しか登場しない。ここまで露骨な被害者切り捨て、原発推進の方針表明は3・11以降では初めてだ。

 「福島の事故がなかったかのようにしている。県民の苦しみを何ら顧みないものだ」。福島原発事故被害者5団体が基本計画撤回を求め内堀雅雄福島県知事に提出した要望書だ。この声に応え、原発即時全面廃止を目指さなければならない。

 ●デタラメな想定

 基本計画は、「データセンター需要、平均気温上昇、EV(電気自動車)需要」などにより、今後、電力需要が飛躍的に増大することを原発最大限活用の理由に挙げる。「将来の電力需要については増加する可能性が高い」とするが、「現時点において、将来の電力需要を精緻に予想することは困難」とみずから認める。

 「十分な脱炭素電源が確保できなかったが故に、国内においてデータセンターや半導体工場などの投資機会が失われ、我が国の経済成長や産業競争力強化の機会が失われることは、決してあってはならない」(11ページ)。大企業本位、「命よりカネ」優先の基本計画であることを隠そうともせず、市民を脅して原発への同意を狙う。

 そもそも経産省が主張する電力需要の増加はどこまで本当なのか。原子力市民委員会の明日香寿川(あすかじゅせん)東北大学大学院環境科学研究科教授は「2010年から18年の間に、クラウドを介したコンピューターの仕事量は550%増加したが、世界全体のデータセンターのエネルギー消費量は6%しか増加していない」「AI(人工知能)関連処理を高効率で実行する半導体の開発が進んでおり、演算能力の向上と消費電力の削減に大きな効果を期待できる」と疑問を投げかける。

 第2次ベビーブームのピークだった1973年には、1年間に200万人もの新生児が産まれた。それがここ数年を見ると、1年間の新生児の数は80万人すら割り込んでいる。人口問題研究所が公表している日本の将来推計人口予測は、上位・中位・下位の3パターンに分けて将来の人口推計をしているが、2030年代の到来を待たずに新生児が年間80万人を割り込むのは、下位推計をも下回るペースとなっている。人口問題研究所は、エネルギー基本計画が目標としている2040年の推計人口を1億1000万人程度と見込むが、今の調子で新生児の減少が続くなら、将来人口も当然、この推計を下回ることになろう。1億人を維持できれば御の字というのが実態ではないだろうか。

 加えて、この間、順調に進んできた省エネの実績も経産省は意図的に無視している。福島第1原発事故からの10年間で、日本全体では2割近く電力需要が減っている。特に減少幅が大きいのは産業部門であり、企業の省エネ化が大幅に進んだことが示されている。

 企業の省エネの取り組みは、環境意識の高まりというよりは、最も分かりやすいコスト削減策として実行されてきたという面が大きいが、ここ数年来の電力料金の高止まりが今後も続くなら、産業部門の省エネの取り組みは加速することはあっても停滞・後退することはない。

 予想を超えるハイペースで進む人口減少や、省エネの実績を無視し、現状では実態も明らかでないAI(人工知能)にすがる経産省の「電力需要激増」論は、「電力需要が増えてほしい、いや増えてくれなければ困るのできっと増えるはずだ」という空想に過ぎない。

 ●現実無視の「原発2割」~廃棄物の処分方法は依然決まらず

 基本計画の「原発2割」を達成するには「既存の原発(33基)をすべて再稼働させ、運転期間も60年に延長する必要がある」(原子力資料情報室・松久保肇事務局長)。「2割」自体、非現実的な想定であり、新増設を前提とした数字というのは一致した見方だ。

 新増設もハードルが高い。米国では2023~24年に稼働したジョージア州ボーグル原発3・4号機が1基当たり2兆円の建設費を要した。着工から営業開始までの期間も20年と長い。20年後のために2兆円の巨費を投じるなど大企業でも通常なら考えられない。新増設は、初めから税金や電気料金値上げが前提の計画なのだ。市民生活へのしわ寄せとなり、日本の国家財政も原子力のために破綻することになりかねない。

 高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)最終処分場建設に向けた文献調査に史上初めて応募した北海道寿都町、神恵内村の2自治体で、2020年からNUMO(原子力発電環境整備機構)によって行われていた調査報告書が昨年11月に公表された。結論から言えば、資源エネルギー庁が2017年に公表した「核ごみ特性マップ」の内容を外れるものではなく、寿都町の大部分が適地、神恵内村については山岳地帯の一部が適地、村中心部の居住地帯を不適地とするものだった。

 私は、資源エネルギー庁とNUMOが共催し、昨年12月14日に札幌市で開催された報告書説明会に参加したが、説明会を「高レベル放射性廃棄物地層処分事業に対する理解醸成の場」と位置付けながら、会場からの挙手による質問も、一問一答型の対話もせず、質問票に記載する形で提出された疑問のうち、主催者側が抽出したものだけに回答するという非民主的運営だった。

 私ほか10名が提出した「北海道の核ごみ持ち込み禁止条例をどう認識しているのか。守る気があるのか」という質問に対するエネ庁・NUMOの回答は「コメントする立場にない」だった。法治国家を標榜するなら、地方自治体が定めた条例とはいえ、核ごみを拒否する規定がある場所で、処分事業の準備段階に当たる文献調査をすること自体がそもそもおかしい。

 この傲慢なエネ庁・NUMOの態度からは、彼らの希薄な法規範意識が垣間見えた。すなわち、彼ら中央省庁の官僚たちは「自分たちが立案して国会で成立したものだけが守るべき“法律”であり、自分たちがあずかり知らないところで誰かが勝手に作った『法』は、たとえそれが正式な手続を踏んで作られたものであっても守らなくてよい」と考えているらしいことが見えたのである。

 実際、この間、原子力ムラの住人たちは、議員立法で制定された「原発事故子ども・被災者支援法」も、国連特別報告者による勧告などもすべて無視して超法規的に振る舞ってきた。司法もそうした法規範破壊に積極的に手を貸してきた。そうした原子力ムラの法規範無視に、過去さんざん痛めつけられてきた私が「コメントする立場にない」というエネ庁・NUMOの回答を聞いて「条例無視の意思表示」と受け止めたことはいうまでもない。

 ●核燃料サイクル推進に転換の兆し?

 気になったのは、エネ庁・NUMOが口を揃えて「核燃料サイクルから撤退した場合に使用済み核燃料がどうなるか」に言及したことである。過去、エネ庁・NUMOは地層処分に対する「理解醸成」のためとして、手法や場所を変え、説明会を連続開催してきた。私はそのうちのいくつかに出席したが、過去の説明会では、参加者が核燃料サイクルの破綻を指摘し、使用済み核燃料の将来を問うても「法律で定められた地層処分への理解醸成に努める」以外の答弁をしてこなかった。それが今回、初めて「仮に国が核燃料サイクルから撤退することになった場合には、使用済み核燃料は全量が高レベル放射性廃棄物として地層処分の対象になる」と明言したのである。

 国会答弁を見ても、基本的に官僚は仮定の質問には答えない。この姿勢は徹底しており、国会議員からの質問主意書で「仮に○○であった場合、政府はどう対応するのか」と言った類の質問があっても、政府は一貫して「仮定の質問にはお答えできない」と答弁してきた。そうした官僚の習性を知っているだけに、私は一歩踏み込んだとも言えるこのエネ庁・NUMOの回答には重大な関心を抱いた。

 青森県六ヶ所村で、当初計画では20世紀のうちに操業開始しているはずだった使用済み核燃料再処理施設は、もう21世紀も4分の1が終わろうとしているのに操業開始できる気配すらない。明らかな核燃料サイクルの破綻を頑なに認めようとしない国の姿勢に疑問を持ち、核燃料サイクルからの撤退を求める勢力が、無視できない形で政府内部に存在し、影響力を増している――根拠はないが、それが私の推測である。

 国が核燃料サイクルからの撤退を決めるに当たって最大の「難題」は、各電力会社が使用済み核燃料を負債ではなく資産に計上していることである。再処理された使用済み核燃料は燃料として再利用する建前になっているのでそうした会計処理を認めているが、これは電力会社にとって「不良資産」となっており、再処理からの撤退でこれを負債計上しなければならなくなると、電力会社の利益など一夜にして吹き飛んでしまう。一部電力会社は存続が難しくなる事態もあり得よう。

 解決策としては、(1)使用済み核燃料の「減損処理」で吹き出る損金を国が補てんする、(2)電力会社の財務が一気に傷まないよう、減損処理ではなく長期間の減価償却を認めるなどの特例制度を創設する、(3)使用済み核燃料の処理を電力会社から切り離して実施するなどの方法があり得る。③の場合、実施主体としては福島第1原発事故に伴う賠償や廃炉などを支援する原子力損害賠償・廃炉等支援機構や、所有する全原発が再稼働できず、将来の見通しもない日本原子力発電などが考えられる。

 ①~③いずれの手法を採る場合でも、費用は結局、電気料金か税金のいずれかを通じて国民に転嫁されるが、そもそも再処理事業自体、空想に過ぎなかったのだ。遅かれ早かれ核燃料サイクルの「損切り」は行わなければならず、そうした方向への模索が政府内部で始まっているかもしれないことを、「仮定の質問に、あえて答える」経産省・NUMOの姿勢の変化の中から感じ取ったのである。

 ●将来は途上国並みに「停電が当たり前」に?

 最後に、今回のエネルギー基本計画が原案通り政府方針となった場合、目標とする2040年前後、日本のエネルギー事情がどのようになっているかを予想して本稿を締めくくることにしたい。

 結論を先に言えば、日本も発展途上国並みに停電が当たり前の社会になっていると予想する。現在でも、途上国では1日に何度も予告なく停電が起き、市民も「あ、またか」と思う程度で驚きもしないというところは珍しくないが、今回のエネルギー基本計画通りに進むなら、日本も将来はこのような国々の仲間入りをすることになろう。

 それは何よりも、将来最も有望なエネルギー源である再生可能エネルギーを普及させないよう妨害を続け、一方で地球環境の維持の面からもコスト面からも有望でない原発、石油火力といった電源に巨大投資を続けるという、政府自身の「将来への見通しの無さ」が招く電力不足であり、偶然ではなく必然である。私は将来の子どもたち、孫たちの世代に大変申し訳ないと思っている。

 原子力2割が、特にコスト面や廃棄物問題から実現不可能な目標だということは前述したとおりだが、これだけ地球環境保護への国際圧力が強まる中で、火力3~4割などという寝言が通じると政府は本気で思っているのか。国土の狭い日本が再生可能エネルギーに不適だと主張するなら、せめて「2040年までに、現在の電力消費を半減させる」くらいの省エネへの覚悟を示すべきだろう。

 ただ、私はこの点に関しては悲観していない。福島原発事故後の10年間だけで日本が2割もの電力消費削減に成功したことはすでに述べたが、これは年率2%に当たる。この削減ペースを今後も続けるだけで、目標年度である2040年(15年後)までに3割の削減が可能になる。「福島」後の30年間のトータルで見ると、実に6割もの電力需要削減が可能になるのである。

 しかも、この数字は将来の人口減少を見込んでいない(福島第1原発事故後、電力消費の2割削減に成功した10年間に日本の人口がほぼ横ばいだったため、その影響を盛り込めなかったという事情による)。将来の人口減少を加味すると、実際の電力需要はさらに減る可能性すらある。「停電が当たり前のエネルギー途上国」を避ける上で、再生エネルギーよりも省エネに活路があるという私の従来からの主張を変更する必要はないと考えている。

 この数字は、過去の削減幅をベースに計算したものであり、空想に基づいた経産省の「電力需要激増」論よりは説得力を持っていると自負している。むしろ、企業や市民が省エネで電力使用量を減らすたびに、経営努力もせず、値上げで企業や市民の努力を水泡に帰させてきた電力会社の放漫経営と、それを許してきた経産省の責任を追及すべきであろう。

(2025年1月19日)


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鉄道ジャーナル休刊へ WEB移行の予定もなく事実上の「廃刊」

2025-01-23 23:32:45 | 鉄道・公共交通/趣味の話題

鉄道ジャーナル休刊へ 58年の歴史に幕「好きだったな」「やはり…」(まいどなニュース)

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1967年創刊の老舗鉄道雑誌「鉄道ジャーナル」が休刊することが分かった。21日発売の2025年3月号誌面で休刊することを発表した。ウェブ版へ移行する予定はなく、4月発売の6月号で休刊する。

鉄道ジャーナルは鉄道ジャーナル社(東京都千代田区飯田橋)が編集、発行し、成美堂出版(東京都新宿区新小川町)が発売する月刊鉄道雑誌。鉄道ジャーナル社の会社概要によると、 会社の創立は1965年(当初は鉄道記録映画社)、同社の主な業務は「月刊『鉄道ジャーナル』をはじめとする雑誌・書籍の編集・出版、および映像・ビデオ作品、DVDの制作・販売」で、従業員は8人(いずれも2015年12月現在)。

同社はまいどなニュース編集部の取材に対し、「現状を取り巻く出版状況の厳しさも一因」と休刊理由を説明した。

休刊が告知された2025年3月号「氷雪の旅 思い出の夜汽車」について、同社ホームページでは「鉄道を使った旅行では季節を問わずそれぞれの楽しみがあると言えますが、冬はとくに列車が進むにつれて車窓の景色がダイナミックに移り変わる、その変化を目の当たりにするだけでも旅情が深まるのを覚えます。今月は、津軽鉄道のストーブ列車、冬の日本海を満喫できる五能線のほか、トロッコ列車に窓ガラスを嵌め、だるまストーブで暖を取ったりもできるユニークな『風っこ』冬バージョンを取り上げました」「ブルートレインが姿を消して久しく、もはや望むべくもない往年の冬の夜汽車の旅を過去の記事から再掲しました。懐かしい思い出がよみがえります。そのほかグリーン車連結で注目の中央線快速の歴史について前号に続いて後編としてまとめました」と紹介している。1月21日(火)発売で定価1200円(本体1091円)。 

SNS上では休刊に対して「表紙めくったら告知があった」「書店が激減する中で手にする機会も確かに減った」「ルポ系記事や事業者執筆の記事とか、好きだったなぁ」と惜しむ声が上がり、「昔の記事を再掲したり、ページ数減などこの1、2年の急激な劣化は目を覆うばかりでした」「昔に比べ紙質も落ち記事もスカスカだったので、やはり…という感想しか出ない」と近年の紙面の変化を指摘する声も上がっていました。

鉄道写真家の中井精也さんは「鉄道カメラマンとしての僕を育ててくれた雑誌だけにとても残念でなりません」とX(旧Twitter)にコメントしていました。

同社ではバックナンバーを販売しており、書店で取り寄せも可能。バックナンバーの注文、申し込み、問い合わせは鉄道ジャーナル社 営業部まで。

(まいどなニュース・伊藤 大介)

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このニュースを見たとき「ついに来るべき時が来たか」が率直な気持ちだった。ネット上の記事には「意外だ」という声もあるようだが、私はそうは思わない。誌面はもう何十年も前から精彩を欠いていたし、ここ数年はずっと買っていなかった。「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」と合わせて「御三家」と呼ばれていたが、その中で最も破綻に近いのが「鉄道ジャーナル」であることは21世紀に入る頃からすでに囁かれていた。

最も痛いのは、種村直樹氏(故人)が離脱した後、専属のライターを育てられなかったことだ。鉄道ジャーナル専門で執筆活動をしているのは、事実上、宮原正和編集長1人だけ。それ以外はほとんど全員が他媒体との掛け持ち。しかも他媒体のほうがメインで「ジャーナル」にも「ついでに」書いている、というスタンスの人ばかりだった。

記事の内容も、ジャーナルでなければ読めないというクオリティの高いものは影を潜めていた。「鉄道の将来を考える専門情報誌」を標榜しながら、鉄道をめぐる諸問題をきちんと掘り下げたものは多くなく、近年は一般経済誌の鉄道特集記事のほうがはるかに面白いのだからどうしようもない。週刊「エコノミスト」で定期的に行われる特集記事は読み応えがあるし、東洋経済オンラインの鉄道コーナー「鉄道最前線」や朝日新聞の「テツの広場」には興味深い記事が多い(ちなみに、JR北海道の運賃値上げ公聴会や、北海道内のローカル線問題をめぐっては、この両媒体からは私も何度か取材を受けたことがある)。

正直なところ、種村氏が離脱したときが「店じまい」のチャンスだったし、このときに余力を残した状態でWEB転換などに踏み切っていれば、その後の展開はまったく違ったかもしれない。近年は、枝久保達也氏、小林拓矢氏などの有力な若手も外部ライター陣に加わり、盛り返しのムードも見られただけに残念ではある。ローカル線問題に関しても「廃止ありき」ではなく、活用策を提唱するなど是々非々かつ複合的な論評活動ができるという意味で、私も枝久保氏や小林氏に対してはそれなりに評価もしている。

ただ、ここ数年は「鉄道ジャーナルがライター集めに苦労している」という話が漏れ伝わってきていた。「まいどなニュース」の取材に対するジャーナル社の回答は「現状を取り巻く出版状況の厳しさも一因」とのあいまいな理由だが、このようなライター集めの苦労に加えて、印刷費や輸送費の高騰などの様々な影響が少しずつ積み重なった結果としての休刊ということだろう。

「御三家」の書店での売れ行きはファン>ジャーナル>ピクトリアルの順で、決して売れていないわけではないと思うが、この中で真っ先に休刊になるとすれば「ジャーナル」だといわれ、実際にその通りの結果になったのは、結局は編集方針の中途半端さに尽きると思う。「ファン」は鉄道雑誌の最古参で発行部数1位であることに加え、「鉄道友の会」の会報的位置付けもあり今後も発行を続けなければならない動機がある。

「ピクトリアル」は「ジャーナル」ほどには売れていないと思うが、鉄道界の最新の動きを追うことに関してはWEBには敵わないと割り切り、特定鉄道会社や特定の車両形式を深く掘り下げるという、他にはなかなか真似のできない編集方針があり、資料的価値が高い。極端に言えば、ピクトリアルの記事は「今日読んでも、明日読んでも、10年後に読んでも資料的価値が変わらない」ことに強みがある。鉄道図書刊行会は「鉄道要覧」(国交省鉄道局監修・年1回)の発行なども請け負っており、ピクトリアル誌ももうしばらくは続くだろう。

コロナ禍以降、表面化したローカル線の危機は相変わらず続いているし、新幹線の開業も昔のように諸手を挙げて歓迎されるばかりでもなく、費用対効果や並行在来線など「負の側面」もクローズアップされる時代になった。鉄道そのものにいい話題がないことも鉄道雑誌を苦境に追い込んでいる理由だと思う。御三家の一角が崩れた後、二大誌となるファン、ピクトリアルが引き続き多くの人に読まれることを願っている。


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【管理人よりお知らせ】米トランプ政権に関する当ブログでの言論・論評活動について

2025-01-22 23:45:25 | 運営方針・お知らせ

管理人よりお知らせです。

昨年11月の大統領選で返り咲きを果たしたドナルド・トランプ氏の政権が日本時間1月20日に発足しましたが、トランプ氏の任期は今回が最後(米国の規定では大統領は「生涯で2期8年まで」とされているため、今回が2回目の就任であるトランプ氏の任期は今回が最後)であるせいか、1期目にも増して米国第一主義を強く打ち出しています。

すでに、「メキシコ国境に非常事態を宣言し、移民の入国を制限」「メキシコ湾をアメリカ湾に改名」「性別は男女の2つだけと規定(性的少数者の権利否定)」など、どこの独裁者かと思うような常識外れの政策を次々と打ち出しています。

米国では、連邦議会上下両院とも共和党多数で占められ、連邦最高裁判事も9人中6人が親トランプの保守派で占められています。このため、トランプ政権の政策が司法の場で覆されることにもほとんど期待できません。2年後の中間選挙で共和党が少数にならない限り、三権分立もまったく機能する見込みがありません。

(日本ではあまり知られていませんが、米国の連邦最高裁判事には任期がないため、一生続けることも法制度上は可能です。このため、共和・民主両党とも政権を獲得すると、できるだけ若い判事を任命することが通例となっています。現在の連邦最高裁判事は多くが第1次トランプ政権で任命された人たちです。)

トランプ大統領に近いITプラットフォーム大手各社は、利益のため露骨に政権に擦り寄る姿勢を見せており、X社(旧ツイッターを運営)、メタ社(フェイスブックを運営)はファクトチェックを廃止する方針を打ち出しています。

当初、ファクトチェック廃止は英語圏だけの話だと思っていましたが、日本にも及んでいます。レイバーネット日本の運営委員で、当研究会代表もよく知る人物が、先日、レイバーネット日本の記事「太田昌国のコラム : ドナルド・トランプの2期目を迎えるいま、思うこと」をフェイスブックに転載したところ、記事が削除されるという「事件」がありました。「根っからの男性優位主義に立つ、このマッチョな独裁者」「「帝国主義者然」とした貌」などの表現がメタ社の検閲基準に抵触した可能性があります。

たとえ合法的手続を経て選出された政権であるとしても、移民や性的少数者を容赦なく差別・排除し、自分に反対したり、自分を批判したりする言論を、理由の説明もなく封殺するようなトランプ政権を民主主義国家の政権とみなすことはできません。ある国のある政府が民主主義的だと認められるためには、単に成立過程が合法的であるという外形的要件を満たすだけでは足りず、その政府が市民の権利を守り、民主主義的な政策を民主主義的な過程を経て決定するという内実もきちんと伴っている必要があります。成立過程が合法的でありさえすればよいというのであれば、ナチス・ドイツもイスラエルのネタニヤフ政権も、すべて「民主的」に選挙で選出され成立しています。

その意味で、トランプ政権はまったく民主主義的な政府ではありません。その具体的な行動原理や行動パターンは、プーチン大統領や習近平国家主席、金正恩総書記とまったく変わりません。

したがって、当ブログと安全問題研究会は、トランプ政権が終わる2029年1月までの間、米国をロシア・中国・北朝鮮と同じ「専制独裁国家グループ」の一員とみなして言論・論評活動を行うことになりますので、読者の皆様におかれましてもその旨をご理解いただきたいと思います。


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<地方交通に未来を(20)>見えてきた新幹線の「未来」

2025-01-18 21:01:54 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 この正月も、例年通り九州の実家に帰省してきた。帰省中の1月4日、地元の有名鉄道模型店を久しぶりに訪ねてみた。九州の鉄道模型ファンの間では「この店を知らない人はモグリ」といわれるほどの有名店だ。現在の店主は2代目であり、博多駅前の一等地で、先代の時代からもう半世紀以上営業を続けている。訪れる客は当然、濃いマニアばかりで、店主と客、あるいは客同士で鉄道(実車、模型の両方)の情報を交換し合うサロンのように機能している。働き方改革の流れなのか、最近は正月三が日は休業するようになったため、正月に帰省してもなかなか訪問できずにいた。

 十数年ぶりに訪れた店内は、足の踏み場もないほど並べられていた鉄道模型スペースが減ってずいぶん寂しくなった。2025年の営業初日のせいか客は私1人。「お元気ですか」と話しかけると、30年以上昔の学生時代、頻繁に訪れていたせいか「うっすらですが覚えていますよ」と返ってくる。客商売の人は顧客の顔は忘れないというが、本当らしい。

 しばらく鉄道談義をした後「九州の鉄道で私が唯一、心配なのは、西九州新幹線の今後です」とさりげなく切り出す。西九州新幹線は、武雄温泉(佐賀)~長崎間のみ先行開業したものの、鳥栖(佐賀)~武雄温泉間の開業の見通しは立たない。この区間は着工決定(2012年)の段階では、フリーゲージトレイン(軌間可変式電車;新幹線の標準軌(1435mm軌間)と在来線の狭軌(1067mm軌間)の切換区間を走行しながら車輪の幅を変える)を使用することによって在来線をそのまま走行する計画になっていたからである。博多から鳥栖までは九州新幹線(標準軌)、鳥栖から軌間を変えて在来線(狭軌)を武雄温泉まで走った後、再び軌間を変えて武雄温泉から長崎までは西九州新幹線を走る・・・はずだった。

 だが、フリーゲージトレインの技術開発に失敗し計画が頓挫。「鳥栖~長崎の全区間を標準軌新幹線にさせてほしい」と政府・自民党が佐賀県に申し入れたものの「同意する、しない以前にそんな話は聞いてもいない」と佐賀県知事が態度を硬化させ、ルートすら決められないでいる。もしこのままの状態が続けば、始発駅発車後わずか30分で全員が降りて乗換という現状が半永久的に続くことになる。1ミリも開業する見込みがないリニアのほうが、引き返せるだけマシではないかと思える。21世紀日本の出来事とは思えない。これほどの惨劇は探してもそうそう見つかるものではない。

 「西九州新幹線にデビューしたN700S系車両は、結局、博多駅のレールを一度も踏めないまま老朽廃車になるんじゃないか。九州ではみんなそう噂していますよ」。店主からは何事もなかったかのようにそんな答えが返ってくる。鉄道車両の寿命は、国鉄型車両だと40~50年くらいが多いが、路面電車など速度が遅い車両の中には80年、場合によっては100年走るものもある。しかし、新幹線車両は高速走行し、強い空気抵抗や振動が加わるため、20年くらいでほとんどが寿命を迎える。「僕が生きている間は、博多駅にN700Sは来ないんじゃないですかね」。少なくとも地元・九州では、博多~長崎の全通にもっと期待感があるのではないかと考えていただけに、意外な気がした。

 模型店を辞した後は博多南線に乗る。この路線は1990年、博多~博多南駅間8.5kmが開業したが、もともとは山陽新幹線岡山~博多間開業(1975年)に合わせて稼働を始めた博多総合車両所への回送線だった。車両所の敷地の大半が属する福岡県筑紫郡那珂川町(当時。現在の那珂川市)には鉄道がなく、那珂川町民は渋滞する西鉄バスで、福岡市中心部まで1時間かけて通勤通学をしなければならなかった。目の前を走っている新幹線回送車両は博多駅までたったの10分。「あの列車に乗れればいいのに」という町民の願いは国鉄時代からあったが、かなわなかった。

 国鉄分割民営化後「あの新幹線に乗せてほしい」と那珂川町民はJR九州に陳情したが「新幹線は当社の管轄ではない。陳情するならJR西日本に」と言われた。陳情を受けたJR西日本は、新幹線として事業免許申請をしようとしたが、最高時速120kmでしか走行しない博多~博多南間が「その主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(全国新幹線鉄道整備法第2条)の要件を満たさないため、在来線としての免許申請に切り替えるよう運輸省から助言を受ける。ところが今度は、九州内の在来線の営業権はJR九州が持つと定めた国鉄改革法第6条に抵触するため、JR西日本は列車運行ができても営業権は持てないことになった。やむを得ず、JR西日本がJR九州に博多南駅の営業を委託する形でスタートする。那珂川町民の「痛勤痛学」が解消され、博多南線は九州内でも有数の路線に成長した(その後、2010年からは駅もJR西日本の直営に変更されている)。

 新幹線車両所までの回送線を旅客営業線に転用した同様の路線としては、JR東日本・上越新幹線越後湯沢~ガーラ湯沢間がある(こちらも新幹線ではなく在来線として事業免許が与えられ、形式上は在来線である上越線の枝線扱い)。ただ、こちらは越後湯沢~ガーラ湯沢間が新幹線・在来線ともにJR東日本のため、開業に当たって博多南線ほどの紆余曲折はなかった。しかも、越後湯沢~ガーラ湯沢間はガーラ湯沢スキー場が営業する冬季のみの運行のため「新幹線が法律上、在来線として運行される区間」で、通年で乗れるのは博多南線だけ。その意味ではやはり珍しい路線であることに違いはない。新幹線車両を利用するため全列車が特急扱いだが、乗車券200円、特急券130円のわずか330円で新幹線車両に乗れる。子どもたちを「新幹線デビュー」させるための体験乗車向けの隠れた人気路線だという話もある。

 博多南線の地元への定着は結構なことだが、西九州新幹線をJRというより国は今後どうするつもりなのか。「鳥栖~武雄温泉間では在来線をそのまま使うというから同意したのに、今ごろになって新幹線にしてくれなどというのはだまし討ちだ。打診されてもいないものに同意などできるはずがなく、新幹線はタダでも要らない」という佐賀県の怒りが収まる気配はない。たとえ1メートルでも線路が途切れてしまえば、ネットワークとして全体が価値を失ってしまうという鉄道の特性をJR上層部も国交省も誰ひとり理解していないからこんなことになるのだ。乗客が少ないから災害復旧費がもったいないという理由だけで、北海道のど真ん中を走る根室「本線」の一部区間だけ断ち切って平気でいられる国やJRの頭のレベルなどしょせんはその程度ということだろう。

 私は最初、本稿のタイトルを「見えてきた新幹線の『墓場』」にするつもりでいた。2025年の新年早々そんなタイトルでは縁起が悪いため「未来」に変えたが、九州でも北陸でも大鹿村でも、見えているのはまさに新幹線という名の「屍の山」である。

(2025年1月5日)


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2025年 新年目標

2025-01-15 23:29:48 | 鉄道・公共交通/趣味の話題

さて、大変遅くなりましたが、2025年の新年目標を発表します。

いろいろ考えた結果、2025年も例年通り5線区以上の完乗達成を目標とします。大ジャンプをしても届かないような無理な目標では気持ちが萎えてしまう一方、努力しなくても達成できるような低レベルのものでは目標にする意味がありません。やはり5線区くらいがちょうどいいと思っています。

大阪メトロ中央線の夢洲延長開業がこの1月19日に予定されていますが、安全問題研究会は万博の意義自体に疑問な上、大阪万博会場が危険であることなどを理由に開催に反対なので、そもそもあまり行く気がしません。万博と関係ない時期に、こっそり行くかもしれません。

今年はこの他、新年あいさつにも書きましたが、1985年の日航機墜落事故から40年、2005年のJR福知山線脱線事故から20年と節目が続きます。すでに新年早々、講演依頼が1件入っています(概要は、近づきましたら改めてお知らせする……かもしれません)。公共交通関係では、安全問題研究会はかなり忙しくなることが確実なので、この「節目」をしっかりとやり切りたいと思います。

なお、お知らせです。昨年秋から当ブログの名称を開設当時の「人生チャレンジ20000km」に戻していましたが、年末から「安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)」に変更しています。新旧名称を併記する形ですが、上にも書いたとおり今年は「節目」なので、やはり安全問題研究会の名称にすることが欠かせないと考えたからです。

そんなわけで、今年も安全問題研究会をよろしくお願いします。


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日向灘沖で発生した地震について

2025-01-13 23:36:52 | 気象・地震

令和7年1月13日21時19分頃の日向灘の地震について(気象庁報道発表)

日向灘で震度5弱の地震が発生した。この地域でこの規模の地震が発生したのは、昨年8月8日、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された震度6強の地震以来だ。

先ほど、午後11時15分から行われた気象庁記者会見で公表された報道発表(上記リンク先)を見ると、地震の規模はM6.9。昨年8月の地震が7.1だったから今回のほうがわずかに小さい。震央は昨年8月8日の地震(報道発表)から九州本土に10kmほど近い場所である。震源深さは約30kmで、昨年8月とまったく同じ。海溝型地震は、深さ20~30kmの場所で起きるとされており、今回もプレート境界での活発な地殻の動きを強く推認させる。

気象庁の報道発表では最近、地震のメカニズムを示す発震機構解に関する内容が掲載されなくなったため、今回と昨年の発震機構解を比較することはできないが、昨年8月の地震では西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型と公表されている。ただ、震央の位置、震源深さともに昨年8月とほとんど同じであることを考えると、実質的に昨年8月の地震の余震または関連地震と見て差し支えないと思う。

2011年の東日本大震災のときも、2~3年前からM6~7クラスの地震がプレート境界より内側で相次いだ。2008年5月8日の茨城県沖地震(最大震度5弱)、2008年6月14日の岩手県内陸南部地震(最大震度6強)、2008年7月24日の岩手県沿岸北部地震(最大震度6強)と続いた。

その後、「不気味な沈黙」とでも呼ぶべき空白期間が2年近くあった。2010年3月14日(最大震度5弱)、6月13日(最大震度5弱)の地震が相次いで福島県沖で発生後、東日本大震災(2011年3月11日)に至っている。

南海トラフ地震の発生時期を見通すことが困難であることには違いないが、2030年代にはその発生危険性が格段に高まるとの見方で多くの地震学者が一致する。すでに、この海域で最大震度5弱以上の地震は、2024年4月8日(報道発表)、2024年4月17日(報道発表)、そして「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された8月8日と3回も起きており、今回で4度目となる。1年も経たないうちに4回もの発生は、東日本大震災直前の東北をしのぐハイペースであり、極めて危険である。地震学界の大勢である2030年代よりは、かなり早まるのではないかと私は思っている。

1999年の段階で東日本大震災の発生を予言していたと話題になり、「平成の奇書」と呼ばれた漫画家・たつき諒さんによる「私が見た未来」が昨年以降話題になっている。たつきさんの漫画家引退後は絶版となっていたが、東日本大震災後に「私が見た未来 完全版」として復刻された(作者・たつきさんのインタビュー記事)。いったんブームが沈静化したものの、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された昨年8月以降、再び話題になっている。この「平成の奇書」の中で、たつきさんは「本当の大災難は2025年7月にやってくる」とし、その発生日時を「2025年7月5日午前4時18分」と分単位で予言している。

最近の南海トラフ地震想定震源域内でのたび重なる地震発生を見ると、たかが漫画と笑うことなく、備えくらいはしておく必要があるのではないだろうか。


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日本社会の縮図だった同窓会と、私の「これから」

2025-01-12 12:06:18 | 日記

ここ数年来、生活パターンが日頃と変わる年末年始になると、自分自身の精神状態の悪さや迷走を象徴するような夢を見ることが多かったが、昨年末から昨日に至るまでは、そのような夢は見ていない。睡眠が浅くなるのは例年通りだが、見る気配も今までのところはない。昨年10月12日付け記事で述べたとおり、少なくともここ数年では、私の精神状態は最も安定している。

1月8日付け記事で紹介した正月の同窓会の余韻は、まだ残っている。同期が440人もいれば、その中に1人くらい社長とか部長といった肩書きを持つ人がいるものだと思っていた。そんな人がいれば当然、話題に上るはずだが、出ないまま終わった。そんな人はいないということだろう。

S社のトラック運転手だったMくんは、高校時代、生徒会役員をしており、休み時間はほとんど教室にいなかった記憶がある。私から見れば、眩しく輝ける「リア充」そのものだったMくんより、「帰宅部」で協調性にも劣り、「非リア」で輝いていなかった私のポジションのほうが上だったことを心苦しく思うと同時に、「就職氷河期世代、報われていないな」という率直な感想を抱いた。

同期の「出世頭」が女性のRさんだったことに関しては、2通りの解釈が可能だと思う。ひとつは、ジェンダー・ギャップ縮小に向け、私が想像しているより早く時代が進んでいるということである。この解釈通りなら日本にも希望はある。もうひとつは、私の世代が「就職氷河期」の入口に当たったため、通常なら出世で有利なはずの男子生徒の多くが正規職に就けなかった結果が影響している可能性があるということである。

どちらの影響がより大きいかを判断する材料を私は持ち合わせていないので、私の下級生を含めた分析が必要だと思うものの、この点に関して個人ブログで優れた分析をしている記事がある。最近は影を潜めたが、かつて社会派ブロガーと呼ばれ一世を風靡したChikirinさんのブログ「Chikirinの日記」2008年8月3日付け記事「正社員ポジションはどこへ?」だ。16年半も前に書かれたものだが、さすがはマッキンゼー社で経営コンサルタントを長く務めただけのことはあり、分析はしっかりしている(私はコンサルタント自体「虚業」「ブルシット・ジョブ」だと思っているからあまり信用していないが)。

正社員の数は1987年から2007年までの20年間でほとんど変わっていないが、非正規雇用が1000万人近く増えたことがデータで示されている。増えた1000万人のほとんどが女性と高齢者だが、一方で、正社員のポストの多くを占めているのが、この記事で引用されているデータ(2007年)の時点で55歳以上だった世代である。この世代は1952年より前に生まれているので、最も若い人でも72歳。完全引退ではないとしても、社会の第一線からはすでに退いている。

正社員の数自体は変わっていないのだから、この世代が手放した正社員ポストは誰か別の人に渡ったことになる。Chikirinさんは、この後のデータや分析を示していないので断定はできない。だが「(2007年当時で)35歳以下、つまり1972年以降生まれの世代では女性が男性を圧倒している」という分析から考えると、1952年以前生まれの人たちが手放すことで空いた正社員ポジションの多くに、1972年以降生まれ世代の女性が座ったという推定が成り立つ。私の同期生は全員が1970~71年生まれで、Chikirinさんが「女性が男性を圧倒」していると分析した世代の入口に当たる。

この分析結果は、私の同期の出世頭が女性のRさんだったという事実と整合性を持つ。Rさんの存在は、これからの時代を占う上でひとつのシンボルかもしれない--Chikirinさんの16年半も前の記事が、そのようなヒントを与えてくれたのである。

   ◇    ◇    ◇

50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか?」(Fujiponさんのブログ「いつか電池が切れるまで」2021年8月31日付け記事)を読んで、大変共感を覚えた。こちらも4年半も前の記事だが、『(経営層、管理職になる人たちは)20代、せめて30代前半の頃から、そのための準備を積み上げてきていた』のに対し、Fujiponさんは『言われたところに行き、与えられた仕事をやって、それなりの給料をもらって生きる、賞罰なしの人生』だったと自分の半生を振り返りつつ『そういう人生だったから、ぶっ壊れずに生きてこられたのか、もうちょっとやれたのかは、自分でもわかりません。振り返ることはあっても、過剰に後悔はしない。これもまた、50年生きて身に付けた処世術なのでしょう』と述べている。まさに私の人生をトレースしたような内容である。

Fujiponさんは『”誰でもできそうだが、誰かがやらなければならない仕事”を誰かがやっていることによって、(最前線にいる人が)そこでしかできない仕事に集中できる、というのも実感しています』とした上で、そのような自分の仕事を「雪かき」に例えている。こうした実感も、最近の私と大変よく似ている。

Fujiponさんは医者で、私は企業の事務職という違いはあるが、どこの職場も基本構造は同じである。「人事評価では決して評価対象にはならないけれど、誰かがやらなければならない仕事」というものが、職場にも、そして社会にもある。

私の場合、ICT関連業務というのもこれに含まれる。誰の担当でもないので、やらないでおこうと思えばそれですんでしまうはずなのだが、Windows95が発売され一大ブームを起こしてから、今年でちょうど30年。ネット黎明期からずっとコンピューターに親しみ続け、たいていのトラブルを経験してきている私は、誰にも話していないはずなのに(私より明らかに詳しい人物が1名いるため)「職場で2番目にICTに詳しい人物」とされ、ことあるごとに相談が持ちかけられる。

システム開発といったような、システム部門に身を置いていれば当然、評価対象になるような仕事と異なり、「共有サーバーから警報音がして、エラーが出てるんだけど、誰かわかる人いる?」「昨日までログインできていたのに、なんで私だけ今日、急にログインできなくなったの? 誰か助けて」といった類の、いわゆる「ICT雑用」である。放置もできないので、自分の本業によほどの緊急性がない限り、放り出してまで対応に当たるが、こうしたことが評価対象になることはない。

ゴミ出しや、清掃業者が入らない更衣室内のトイレ掃除、庶務担当者が育児休業で長く休んでいるので、その人の代わりに郵便物を取りに行く仕事など、山ほど雑用がある。これらも当然、評価対象になることはない。しかし、だからといって誰もやらなければ、警報音は鳴りっぱなしのまま、コピー機の用紙は切れ、ゴミも山積みになったまま職場はカオスになってしまう。

こうした仕事に対しては、最近の若手社員にも言いたいことがある。生まれた時から新自由主義しか知らないせいか、コスパ、タイパの面で見て「割に合わない」仕事をなかなかやろうとしないことである。評価対象になる仕事には熱心に取り組むが、評価対象にならない仕事には「誰かがそのうちやるだろう」と思っている節がある。私の新人時代のように「新人は誰よりも先に出社して、全員の机を雑巾で拭き、お茶を入れろ」などと指導すれば、今の時代は「不適切にもほどがある」事例に一発認定されてしまう。しかし、30年後の今、思えばそれは「評価につながらなくても、誰かがやらなければならない仕事があるのだ」という職場、社会全体の基本構造を教えてくれる、諸先輩方からのありがたい「通過儀礼」だったのだ。

正直に告白すると、前述したような仕事は、少し前までは、50歳を過ぎた自分がやるようなことではないと思っていた時期もある。しかし、最近はそうした仕事にこそ最も喜びを感じるようになった。経営層や管理職には、部下からの相談に乗り、メンバーが働きやすくなるよう職場環境を整えること(いわゆるマネジメント)や、重要な判断、決断を下すという任務がある。彼らが、係長や平社員がやるような雑事、雑用に追われていては適切な判断、決断に支障を来す場合がある。

花形部署で看板業務をしている人たちも「その人たちでなければ果たせない役割」があるので、経営層や管理職と同様、それ以外の雑事、雑用からは(全面的にではないとしても)ある程度、解放される必要がある。

そうなると、経営層や管理職、花形部署で看板業務をしている人たちの手を離れたとはいえ「評価対象にならなくても、職場・社会のために誰かがやらなければならない仕事」は誰が引き受けるべきか、という問題が残る。業者委託などアウトソーシングすることで、日本の企業・組織は20年以上続いた「人余り・リストラ・デフレ」時代を生き抜いてきたが、「人手不足・インフレ」に逆転した日本社会ではそのような手法も次第に難しくなってきた。アウトソーシングに限界が近づいてきたのである。

花形部署で看板業務にも就いておらず、管理職レースからも外れた私のような人間こそ、こうした仕事を引き受けるのに最もふさわしい。そのことに気づき、いわば「悟りを開いた」のが昨年秋のことだった。迷走していた私の精神状態が急速に回復してきたのもちょうどその時期のことである。

さらに言えば、私が労働組合役員を長く続ける中で、自然に身につけた「作法」がある。若手社員から出た疑問・不満などを決して放置せず、必ず責任ある部署に取り次ぐということである。

最近起きた例でいうと、「業務中、着用が義務づけられている制服なのに、なぜ経費でクリーニングをしてもらえないのか。一緒に仕事をしている他社の社員は経費でクリーニングをしてもらえるのに、納得できない」というものだった。私は、要求として当然の内容と判断し、昨年秋、全国課長会議で議題にしてもらえるよう現場部門の課長に掛け合ったが「その話は数年前にも出されており、すでに(経費では出せないことで)決着ずみ」だと言われ、取りつく島もなかった。

しかし、これぐらいで投げ出す私ではない。来月に全国支所長会議が開催されるので、今度は「所長会議案件」として議題にしてもらえるよう準備を進めている。もし、所長会議でも結論が「ノー」なら、次は労働組合として正式に職場要求を提出し、労使交渉に持ち込む。私が今、描いている青写真である。

若手社員には「将来」がある。「お前、そんな言動を取っていたら、将来、出世できなくなるぞ」という「脅し」は、将来ある若手社員には効果がある。こうして、言いたいことがあるのに怖くて言えないというムードがまん延してくる。しかし、管理職レースからもすでに外れ、将来も残っていない私にそのような「脅し」は意味がない。「今さら出世などできるチャンスもないですし、したいとも思いませんが、今、何か仰いましたか?」と返しておけばいい。

このことに気づいたのも昨年秋頃のことである。「若手社員にとっては怖くて上に言えないことでも、恐れず言える無敵の人」という武器が私にはある。「若手社員を守る『盾』に、自分がなればいいんだ」と役割に気づいた瞬間、スーッと悩みが消えていくのがわかったのである。

50歳を過ぎても非管理職のまま、若い頃のような体力もフットワークの軽さも失ってしまった私のような人間に、職場で生き残る道はあるか。結論から言えば、ある。

1.評価の対象とはならないが、職場のため、社会全体のために誰かがやらなければならない業務を積極的に引き受ける。

2.非管理職のままでも、20代から50代までに蓄積してきた経験がある。経験の浅い若手社員がやるには骨が折れる「緊急度、重要度は高くないが、難易度がやや高め」な仕事を、蓄積してきた経験で確実に結果につなげる。

3.「無敵の人」の立場を活かして、若手社員の上層部に対する疑問・不満の「受け皿」になる。

4.得意分野、専門分野がある場合、それを活かす。私の場合は、ICTの知識や文章能力など。

この数年間は、自分の進む道が見えず、本当に苦しかった。だが、こうした道で頑張ればいいと悟りを開いたら精神面での不安はなくなった。

もうひとつ重要なことがある。子どもの頃から「長」のつく仕事など一度も経験したことがなく、管理職にまったく向いていない私に無理やり管理職への希望を書かせた前任の課長など何名かの人たちが「60歳になったら、役職定年で管理職を降りなければならず、賃金もほぼ半分になる。どうしよう」という話ばかりしているのを聞き、滑稽に思えた。初めから役職に就かなかった私にはする必要のない心配だからである。

高校野球の地方予選を初戦で敗退したある球児が「全国で一番早く、来年に向けたスタートを切れます」とインタビューに答えているのを、「切り替えが早いな」と冷めた目で見ていた時期もある。しかし、今こそ彼のその無邪気なポジティブさに学ぶべきだと思う。「管理職になった同期より5年以上早く役職定年後に向けたスタートができる」と発想を切り替えてみると、気持ちが軽くなった(ちなみに、上で挙げた4項目は、そのまま役職定年後に求められるスキルでもある)。同窓会でかつての級友たちと旧交を温めたこともあり、2025年の新年は、私としては久しぶりに晴れ晴れしている。


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高校の同窓会に参加してわかった私の「現在地」

2025-01-08 23:56:33 | 日記

年末年始、帰省していた九州で、県立高校の同窓会(同期生のみ)に初めて出席した。出席の意思は前からあったが、仕事で1998年4月に地元を離れて早くも26年。高校全体の同窓会は毎年、お盆に合わせた8月に開催されるが、同窓会のためだけに帰省するわけにもいかず、これまで出席したくてもできないでいた。それが昨年7月に来た案内によれば、年始に同期生だけの同窓会が開催されるという。

高校を卒業したのは昭和が平成に変わった年だった。その平成もいつの間にか終わり、同級生に会う機会はほとんどないまま、気づけば35年もの長い年月が過ぎていた。

1985年に「卒業」というタイトルの歌が3曲出た。尾崎豊さん、斉藤由貴さん、菊池桃子さんがそれぞれ歌うメロディーも歌詞もまったく別の3曲で、私はどれも気に入っているが、そのうち斉藤由貴さんの「卒業」にこんな一節がある。『卒業しても友だちね/それは嘘では無いけれど/でも 過ぎる季節に流されて/逢えないことも知っている』

この歌詞の持つ意味は、卒業直後には多分、わからない。「みんな地元にいるんだし、会おうと思えばいつでもできる」と、卒業証書を持って最後に校門を出たときは誰もが思っている。だが、それぞれが別の進路を歩み、別の人生を刻んでいくにつれ、この歌詞の内容が徐々にその輪郭を表し、私たちの前で深く重い意味を持つようになる。

   ◇    ◇    ◇

卒業後に会った高校当時の同級生は、たった2人しかいない。ひとりは、高校1年当時、同じクラスにいた個性的な女子・Nさん。おしゃべり好きで、話し始めるととにかく長い。ただ、話しかける相手はある程度決まっているらしく、私はその中に入っていなかった(要するに相手にされていなかった)。

Nさんは、休み時間などに談笑するとき、いつも誰かの(椅子ではなく)机に座っていた。何人かの女子の机に、Nさんはかなり頻繁に座っていたと記憶する。2年になって別のクラスに分かれたが、ある日たまたまNさんのクラスの前を通りかかると、そこでも机の上に座って談笑していた。

大学進学後のバイト先の店に、メーカーからの試食販売要員として来店したときに偶然会い、セール期間中の2日間だけ一緒に働いた。休憩時間に「高校時代の私、どういう印象だった?」と聞かれたときはどう答えていいかわからず困った。「普通だったけど」と無難に答えたことを思い出す。卒業してまだ数年で、思い出話に浸るには早すぎる時期だった。

もうひとりが、当ブログ2024年3月30日付け記事「路傍の雪が溶け、他人の幸せを祝う春」にご登場いただいた課長補佐の女性、Rさん。高校2~3年で同じクラスだったが、タイプはNさんとは正反対。派手さはないが、みんなでやろうと決めたことは、困難に直面しても最後まできちんとやり遂げる。それだけに、課長補佐への昇進は私から見ても納得の人事といえる。

結局、卒業後の35年で1回でも会えたのはこの2人だけ。これ以外の同級生の消息は、同窓会会員名簿掲載の情報で断片的に知るのみだった。

それなのに、同窓会に参加してみようと思い立ったのにはいくつか理由がある。ひとつは、同級生たちが35年の時を経てどのように変わったのか(あるいは変わっていないのか)を見たいという興味と、怖い物見たさ。もうひとつが、自分がそれなりに精いっぱい生きてきて、一定の立ち位置も得ているので、元同級生たちの前に出ることにあまり恐れを感じなかったことにある。

同窓会に出席するかどうかをめぐっては、大きく3つくらいの立場に分かれると私は思っている。第1は人生に成功している(と自分で思っている)人たち。多くは地元に残って高校時代からの人間関係をも活かしてポジションを確立している。同窓会には毎回のように出席しており、幹事や世話役などを務めるのもたいていこういう人たちである。

第2は、消息は知れているものの、決して参加してこない人たちである。人生に成功していないか、成功しすぎて地元に帰る暇もないかの両極端であることが多い。そして第3は消息不明の人たちである。同窓会に出席することはまずない。

   ◇    ◇    ◇

同窓会には70人ほどが集まった。今の若い世代には信じられないかもしれないが、私の高校時代(昭和末期)は40人×11クラスで同級生が440人もいた。この日、会場に来たのは約6人に1人ということになる。

先生方は4人が参加された。当時の指導法に対しては賛否両論あると思うが、今の時代なら「不適切にもほどがある」と言われるようなことであっても、その指導のおかげで困難に立ち向かう力がついた。あの頃があったから今があることも一面では事実なのだ。親からも教師からも大切に、丁寧にと育てられた今の若者世代は、私たちのような「困難に立ち向かう力」を本当に身につけられているのだろうか--先生方と昔話や近況に花を咲かせながら、ふと、そんなことも思った。

だが、私たちの世代も、上の世代からは「最近の若い者は」と言われながら育ったが、何とか持ちこたえている。私たちが心配するほど若者世代はひ弱ではなく、これからの時代にふさわしい、彼ら彼女らのやり方で道を開いていくのだと信じたい。

先生方からは「社会の第一線で活躍しているみなさんを見て、とても嬉しく思っています」という言葉もいただいた。もちろん、好きこのんでこの会場まで来ているのは、人生に成功している(と自分で思っている)人たちばかりなのだから当然だろう。だがこの会場の外には、第2カテゴリーの人(消息は知れているものの、決して参加してこない人)や第3カテゴリーの人(消息不明)がたくさんいることも、決して忘れるべきではない。

当ブログ2024年2月14日付け記事「年末に見た夢の意味が、少しわかってきた。私にとって「書くこと」の意味」で紹介したT先生は欠席だったが、幹事からメッセージが紹介された。自分でさえ気づいていなかった私の能力を見抜き、開花させてくださったT先生への恩は今なお忘れない。

会場に来ていた人は、高校教師になっている人、S社のトラック運転手をしている人などさまざまな職業の人がいた。地元に残っている女性は、臨床検査技師、看護師など医療系の職業の人が多かった。地方公務員(地元市役所職員)もいた。

総じて、地方では女性が「誰かのケアをする職業や立場」に就くことに期待する暗黙の空気がある。日本国憲法では法の下の平等が謳われ、男女差別はないことになっており、表向き、法制度上の差別は(女性天皇が認められていないことを除けば)すでにない。だが、こうした「特定の役割に対する暗黙の期待」こそが、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)として日本のジェンダー・ギャップ指数を下げる要因になっていることも、「元クラスメートだった女子」のその後の進路から垣間見えるのである。

私が2~3年生の時に所属していた文系特進クラスからの参加者は少なかったが、世話役の人によれば、今回に限らず毎回のことだという。特進クラスの人でたまたま、同じテーブル付近に集まったわずかな時間に「うちのクラスの卒業生は地元に残っていない人が多いよね」という話が出て、一同納得の様子だった。

私と同じ職場にいるRさんも全国転勤が前提だが、育児のことを考え転勤を緩和してもらっていた時期がある。それでも九州全域で広域転勤をしてきた。首都圏で高校教師をしている人もいて、地元残留組が中心になりやすい同窓会のシステムは、全国や世界を股にかけて活躍している人向けにはできていない。生まれ育った地元で人生を終えるマイルドヤンキーの、マイルドヤンキーによる、マイルドヤンキーのためのシステム--それが同窓会である(同窓会がしばしば選挙で集票マシーンとして機能するのも、結局は「地縁」組織だからである)。

私が卒業後に会った2人の同級生--Rさん、Nさんはこの日は欠席だった。2人とも、同窓会会員名簿で「消息不明」として扱われている。だがRさんは私と同じ職場であり、他にも現状を知っている人がいるため、ここでは第3カテゴリーの人には含めず、第2カテゴリーの人に分類する。Nさんの消息はわからず、この日の会場でも、私の知る限り話題になっていなかった。

3年間、一度も同じクラスになったことのない女子が、初参加の私を見て「あ、特進クラスにいた○○くん(私の本名)だ」と話しかけてきた。「私たちがどんなに頑張っても、特進クラスの人には絶対にかなわなかったんだよね」と言われた。高校生の頃は、特進クラスというだけでそんなに注目されているとは思っていなかった。見られていることの恐ろしさを感じた。

   ◇    ◇    ◇

こうして、私が出席した初の同窓会は幕を閉じた。総じて、この日、会場に来ている人からは、同窓会に来られる人--つまり、人生に成功している(と自分で思っている)人に共通する傾向のようなものも見えた。平たくいえば、学業成績よりもコミュニケーション能力、つまり社交的で他人との意思疎通がきちんとできていた人が多いと感じた。高校時代に寡黙だったり、変人と言われていた人はほとんどおらず、逆に、癖が少なく交友関係の広かった人が多かったのは、自分の予想通りだった。

35年間のブランクはあっという間に埋まり、2時間の会は瞬く間に終わった。まったく話し足りないと感じた。私が聞いている限り、昔話よりは近況を話している人のほうが圧倒的に多かったが、これも人生に成功している(と自分で思っている)人たちの集まる場なのだから仕方ないと思う。

他人と自分を比較することは好きではないし、「自分にはこんな得意分野があるのだから、他人と自分を比べる必要はないと思えるようになり、気持ちが楽」(上でご紹介した当ブログ2024年2月14日付け記事)になって以降、私はあえて他人と自分を「比べない」人生を選択してきた。ここまで人生を無事にやってこられたのがそのおかげであることも間違いない。

だが、いくら他人と自分を比較せず独自の人生を歩んできたとはいえ、どこかで自分の客観的な立ち位置--社会の中で今、自分がどこにいるのかを定点観測しなければ道に迷うことがある。目的地までの地図があっても、自分の現在位置がどこかわからなければ旅を続けられないのと同じだ。同窓会--その中でも、成績も生活態度も同程度の人が集まっていた高校の同窓会はその格好の舞台である。そこで観測した自分の位置が、自分が考えていたほど悪くないということを確認できただけでも、出席した意味があったと思っている。

Rさんほど粘り強くもなく、メンタルも安定していない私が、Rさんのようになれるかはわからない。高校時代、まったくかなわなかったRさんに追いつく自信は持てない。だがこの日、会場に来ていた同級生の立ち位置と自分の立ち位置を照らし合わせると、それ自体、私にとって高望みが過ぎると言うべきだろう。S社のトラック運転手になっていたMくんにRさんの現状を話すと「間違いなく、女子では一番出世してるよ」という答えが返ってきた。

そもそも私たちは就職氷河期まっただ中の世代に当たる。管理職以前に正社員の職にさえ就けない人が多かった。この日の会場を見渡すと、女子はもちろん、男子でもRさん以上の役職に就いている人はいない感じだった。私は、同級生の「出世頭」が特進クラスの人であってほしいと願っていた。結果としてその通りになっていたが、出世頭が女子の中から出るとは意外だった。ジェンダー・ギャップ縮小に向け、時代は私が想像しているより早く進んでいるとの確信を持った。

同窓会には、今後も機会があれば出席したい。特に、T先生が存命のうちにお礼を申し上げることは私にとって義務だと思う。それを実現させることも、私の「中長期目標」に加えておきたい。


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【週刊 本の発見】『日本鉄道廃線史~消えた鉄路の跡を行く』

2025-01-02 20:13:31 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】過去の鉄道廃線事例から「明日への提言」へ

『日本鉄道廃線史~消えた鉄路の跡を行く』(小牟田哲彦・著、中公新書、本体1,050円、2024年6月)評者:黒鉄好

 タイトルだけ見ると、鉄道ファン界隈にありふれた廃線跡「歴史探訪」系の本のように思える。だが、単なる廃線跡の訪ね歩きに終わらせず、路線ごとの廃線史を鉄道政策の中に位置付けて検証し、ローカル線の明日につなげたいとの意欲が見える。

 まず興味を惹かれるのは、この手の新書としては異例の7枚に及ぶ巻頭カラー写真と時代ごとの鉄道路線地図である。巻頭カラー写真では廃線後の各線の悲喜こもごもの風景が登場する。放置された線路跡をエゾシカが横断する北海道・石勝線夕張支線(2019年廃止)と放置された車両が草むす石川県・のと鉄道能登線(2005年廃止)の写真からは「悲」の強い印象がある。衰退が止まらない地域、過去の災害と比べても復旧の遅い地域と一致しているのは決して偶然ではない。「鉄道の扱われ方を見れば、その地域全体に対する国の扱い方が見える」ことは私自身、全国各地を鉄道で訪問し、何度も実感している。

 私がかつて国鉄闘争に関わっていた頃、ある国労闘争団員から「昔は鉄道で日本列島の地図が書けたが段々難しくなっている」と聞いたことがある。7枚の路線地図を見ると、本州、四国、九州の形は現在でも鉄道でほとんど描けるのに、北海道だけが原形を留めていない。北海道「独り負け」がローカル線問題の現在地だ(今後はわからないが)。

 鉄道路線の廃止を許可制から届出制に変更した2000年の鉄道事業法改悪によって、廃線がそれ以前と比べて増えたことを筆者はデータで示す。鉄道事業者が線路や路盤も含めて管理する「上下一体」方式では、廃線後に線路が撤去され、数十年後に再度、線路が必要になっても難しく、筆者は線路を残すことの重要性を訴える。保存車両の運行などと並んで「特定目的鉄道」制度(国が事業免許を与える観光専用鉄道。2000年の鉄道事業法改正で新設)の活用を提案している。

 筆者は、ローカル線を含めた鉄道ネットワークを維持するため、廃線パターンの類型化が必要ではないかと主張しており、私はこれに同意する。廃線に至る要因を解消しなければ廃線阻止はできないからだ。本書を読破してみると、大まかに戦後前半期(1970年代まで)は道路の充実と自動車の普及による廃線が、また戦後後半期(1980年代以降)は地域衰退がそのまま鉄道の自然死につながる形が多いことが見えてくる。

 現在まで続く「地域衰退型」廃線に関しては、鉄道事業者だけで対策を講じるのは不可能だ。地方の過疎対策、東京一極集中の是正を含む政策パッケージが必要であり、政治を転換する必要がある。衆院で少数与党となった2025年は千載一遇のチャンスである。

 英国では、政権を獲得した労働党が民営化した鉄道の再国有化を掲げている。このような国際的動向も踏まえつつ、民営化JRが公共交通機関としての役割と両立しなくなるのであれば、民営化を再考するという発想が出てくるのは当然のことだと指摘。鉄道維持に向けた国の関与を求める。これらは、過去の拙著「地域における鉄道の復権」「次世代へつなぐ地域の鉄道」で指摘した私自身の問題意識、解決の方向性とも一致している。

 廃線に減便、駅窓口の削減、割引切符の相次ぐ廃止・改悪などJRへの市民・利用者の不満はかつてなく高まっている。民営化からの脱却へ突破口を切り拓く2025年にしたい。


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