(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
●JR東海、リニア2027年開業を正式に断念
3月29日、JR東海はリニア中央新幹線の2027年開業が不可能であることをようやく公式に認めた。本誌2023年8月号でも取り上げたが、神奈川県駅予定地となる横浜線・橋本駅にはそれらしきものは影も形もなく、「3年後に開業」など絵空事に過ぎないことはかなり前からはっきりしていた。
一方、4月1日に行われた県庁入庁式で「県庁職員は牛を飼っている人たちとは違う」などの失言をした川勝平太・静岡県知事が辞職することになった。せっかくリニアの躓きが世間に明らかになるという時期に手痛いオウンゴールとなったが、知事「辞職表明」後の4月4日になり、JR東海が急に山梨工区や長野工区における工事の遅れを公表したところを見ると、むしろ慌てているのは当のJR東海自身なのではないか。最大の「邪魔者」が消えたことで、リニア推進派は年内にも全線開業するかのようなはしゃぎぶりだが、むしろ、工事が進まない原因が静岡だけにあるわけではないことが、広く一般にも理解されるなら悪い話ではない。
●長野県大鹿村を中心にリニア建設現場を見る
そんな中、4月12日から14日にかけ、大鹿村を含む長野県を訪問した。昨年6月にも「レイバーネット日本」で大鹿村フィールドワークが計画されたが、梅雨入り宣言も出ないうちから襲来した季節外れの台風で中止となったため、大鹿村入りは今回が初めてだ。北海道からどう行けばいいのか最初はまったくわからず、道路地図と時刻表の路線図を何度も見比べながら、最終的には中部空港でレンタカーを借り、中央自動車道を走るルートを考えついた。12日の夜は飯田市内に泊まり、久しぶりの温泉で身体を休めた。
13日午前中、大鹿村民・北川誠康さんの案内で飯田市内の長野県駅予定地や、橋脚だけが建った工事現場、子どもたちの書いた絵が飾ってある現場などを見ながら大鹿村に入った。中央構造線博物館は、施設自体が中央構造線の真上に建つというユニークなものだ。顧問で元学芸員・河本和朗さんの地震や地質に関する説明は幅広く、大地震が起きるたびにテレビに出演し無内容なコメントを繰り返す「地震学者」より博識であることは明らかだった。
この原稿を書いている4月17日夜にも四国を中心に震度6弱を観測する地震があった。正月の能登地震を初めとして、今年は震度5強以上の地震だけですでに10回も発生しており、東日本大震災のあった2011年に匹敵するハイペースだと報道されている。河本さんのお話は、今後の地震防災に役立つに違いない。
<写真>橋脚だけが建った工事現場=長野県豊丘村で
午後からはリニア建設現場を見学した。西に向かうリニアが南アルプストンネルを抜け、一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区まで、普通自動車では通行困難な細い山道を軽自動車3台に分乗して回った。地下トンネル区間での事故・トラブルの際に地上に出るための非常口も2カ所見た。JR東海のホームページによると、非常口は約5kmおきに設置されるというが、事故やトラブルがJRの都合良く非常口のある場所で起きるとは限らない。
実際、過去に開かれた説明会で、地下区間での事故発生時の対応をどうするのか質問を受けたJR東海は「お客様同士で助け合ってください」と無責任きわまりない回答をしている。非常口はせいぜいアリバイ作りか、最大限善意に解釈しても壮大なファンタジーとしか言いようのないものだ。
大鹿村の人口はホームページによると918人(今年3月1日現在)とある。高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)最終処分場問題に揺れる北海道神恵内村(人口750人)とほぼ同じだ。このような小さな自治体が、リニアや核ごみといった国策に抗うことはほとんど不可能に近い。大都市部と大企業の利益のため「踏み台」になるだけで、自分たちの村にはメリットさえないものを、わずかな交付金や公共事業と引き替えに受け入れる以外にない地方の小さな村の悲哀。自分たちは使うこともできない「東京電力」の電気のために福島が踏み台にされた「3.11原発事故」を福島県西郷村で経験した私にとって、この問題が生涯をかけたテーマになるとの確信は年々強まっている。
<写真>南アルプストンネルを抜けたリニア新幹線が一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区。残土置き場になっている
現地見学会を終えた午後3時30分からは、村内で「どこに行く?日本の公共交通~リニア・新幹線とローカル線から」と題し、30分の報告時間をいただいた。私を含め11人が参加。リニア車両にはトイレの設置が困難なのではないかとの指摘が「超電導リニアの不都合な真実」(川辺謙一・著、草思社、2020年)で行われていることを紹介したら大きな反応があった。通常車両でトイレが置かれる車端部は磁力線の影響が最も大きく、また新幹線の2倍近い速度下での大きな気圧変化に汚物タンクが耐えられるか疑わしいため、川辺氏はリニア車内へのトイレ設置を困難視しており、リニア事業そのものにも中止を勧告している。なお、
報告資料は安全問題研究会ホームページに掲載している。
日本一美しい村と言われる大鹿村で、国と資本関係を持たない純然たる民間企業のJR東海が、着々と自然を改変し破壊している。遠く離れた地域の人にとっては、静岡以外でも大幅に工事が遅れ「リニアなんてどうせ開業しないのだからどうでもいい」でいいのかもしれない。だがそれではすまされない厳しい現実が地元にあることを知った。
同時に、数多の困難を何とか克服してリニアが仮に開業できたとしても、こんな美しい村をトンネルで通過するだけで車窓に見ることもできない乗客が哀れに思えた。今、北海道ではJRが廃線方針を示している函館本線・小樽~長万部間の沿線地域(ニセコ、余市など)が観光地化し、シーズンの冬には3両編成が投入されるほど乗客が押し寄せている。真っ黒なトンネル外壁ばかりで外も見えないリニアを外国人観光客はどう思うだろうか。
<写真>リニア「非常口」。ファンタジーにしか思えない
●北海道では「最重要幹線」が一部廃線で切断
北海道では、3月31日限りで根室本線・富良野~新得間(81.7km)が廃止になった。石勝線開通(1981年)までは札幌と道東をむすぶ大動脈として特急や貨物列車が頻繁に往来した。2016年の台風災害では石勝線が約1か月間も不通になり、貨物輸送路が絶たれた結果、都内でもジャガイモ不足が起きるなどの影響が出た。だが旅客単独会社のJR北海道はそのような貨物輸送上の重要性を考慮することもないまま、迂回路となり得る重要幹線の一部区間を切断するという暴挙を既定方針通り行った。本線を名乗る路線の途中区間が廃止され、分断された例は、1997年の北陸新幹線東京~長野間の開業に伴って横川~軽井沢間が廃止された信越本線に次ぐ。
最終日となる3月31日、午後1時から新得駅前でJR北海道主催のお別れセレモニーが開催された。地元住民の足であるのみならず、貨物輸送や非常時の迂回路など複数の重要な役割を持つ幹線を、旅客輸送面での輸送密度の低さだけを理由に廃止するJR北海道に抗議するため、時折小雪の舞う中「根室本線の災害復旧と存続を求める会」(以下「求める会」)の平良則代表らが新得駅前に立ち、「復活を祈念」との横断幕を掲げ復活運動に向けた意気込みを示した。メディア取材に対し、平代表は「私たちの声が政治の場に届かず残念」だとして市民の声を聞こうとしない政治の機能不全を批判した。
<写真>新得駅前で根室本線廃止区間の復活を訴える「求める会」メンバーと平良則代表(7人中、左から2人目)
JR北海道は、新得駅前に陣取り、セレモニー参加者の視野に嫌でも入ってくる位置に掲げられた横断幕がよほど目障りだったのか、セレモニー開始直後、横断幕を下ろすよう求めてきた。他にも「ありがとう根室本線」の横断幕を掲げる鉄道ファンのグループがいたのに、そちらにはお咎めなし。自分たちの方針に反対するグループだけを狙い打ちにする相変わらずの反民主的、強権的企業体質だ。だが、そのJR北海道から目障りだと思われる運動を6年間も続ける住民団体が存在したことは特筆すべきことだ。
セレモニー終了後、多くのJR北海道や地元自治体関係者が「求める会」メンバーを無視して通り過ぎる中、セレモニーに参加していた長身の男性が平代表らメンバーに一礼した。地元・新得町の浜田正利町長だ。行政トップの立場上、JR北海道主催のセレモニーに出席せざるを得ないが、一方で「求める会」の集会にもほぼ毎回参加し、住民の意見をくみ上げるよう努めてきた。無念の思いを共有していることは間違いない。
これに先立つ3月15日には、「求める会」の集会が新得町公民館で開かれた。根室本線の廃止問題が持ち上がって以来、私もこの公民館には10回近く通い、すっかり通い慣れた道になっていた。この日の集会にも浜田町長が参加、冒頭ご挨拶をいただいている。「求める会」は今後「根室本線の復活を考える会」に名称変更し再出発することを確認した。
集会では、廃線後の線路撤去を許せば復活は難しくなるとして、線路撤去に反対することでは参加者の意見が一致したが、線路を残すための具体的方法に関しては、観光目的の保存鉄道とするよう求める意見と、営業路線として復活を目指す意見に分かれた。
私が調べたところ、保存鉄道として列車が走っている場所は、日本国内で100カ所以上あり、すでに「過当競争」状態になりつつある。保存鉄道が走ることで満足してしまい、そこから先の段階に進まないことが多い。北海道では冬に運行できないという問題もある。
この他、観光目的に特化し、正式な鉄道として国交省の認可を受けて運行する「特定目的鉄道」制度がある。とはいえ、制度ができてかなりの年数が経つのに、全国でいまだ「門司港レトロ鉄道」(福岡県)1例しかない。国交省の認可を受ける以上、通常の鉄道と同じ水準の保線を要求されることが普及のネックになっている。
また、営業路線としての復活も、2003年に一部区間が廃止されたJR西日本・可部線(可部~三段峡間、46.2km)のうち可部~安芸亀山間(1.6km)が2017年に復活した事例があるくらいで、いずれも多いとはいえない。
だが、「日経MJ」紙(旧「日経流通新聞」)2024年1月22日付記事によると、メキシコ政府は古代マヤ文明遺跡を訪れる観光客に対応するため、1554kmもの鉄道路線を整備するという。1554kmといえば、日本なら宇都宮から東京、大阪を経由して鹿児島までの距離にほぼ匹敵する。整備予算は4兆円で、この他、観光振興に5兆円の国家予算を投じる。トータルでは9兆円であり、途方もない額のように思われるが、日本政府はこれと同じ金額を、開業後の採算性はおろか、工事の先行きも見通せないリニアに投じようとしている。リニアを中止し、その資金を振り向けるなら日本でも同じことができるという事実を指摘しておくことは重要だろう。要はやる気の問題であり、それを実行する政治に転換できるかどうか、私たち自身が問われているのである。
いずれにせよ、わずか半月足らずのうちに、公共交通をめぐる問題の象徴である北海道新得町と長野県大鹿村、両方の現地を見られたことは私にとって大きな収穫となった。物流2024年問題と相まって、これから数年で日本の公共交通は大きくその姿を変貌させることになるだろう。安全問題研究会にとって専門分野であるこの問題を、向こう数年は集中的に追っていきたいと思う。物流2024年問題については紙幅も尽きたので、号を改めて論じることとしたい。
(2024年4月20日)