岸田劉生は日本近代美術を代表する作家のひとりです。作風としては、38歳という人生のなかで、後期印象派、北方ルネッサンスを矢継ぎ早に吸収し、そして東洋の美へ向かっていきました。また、ヒュウザン会や現代の美術社(草土社)にも関わり、彼のカリスマ性とその作風は多くの人を惹きつけたことで知られています。
私自身、岸田劉生の作品はどこかしこで見たことはありますが、同一会場でまとまった点数を見たことがなかったため、今回の東京ステーションギャラリーで始まった「岸田劉生展」はとても楽しみにしていました。
作品展示はほぼ年代順で、10代の水彩画から始まり、自画像、肖像画、風景、静物、麗子像へと続いていくため、作風がどのように変化していったのかがとてもわかりやすい内容になっています。そのなかでもやはり圧巻なのが《道路と土手と塀》で、角度のある坂下から切通しを描くという難しさをよくこなしていますし、ぬらぬらとした感じのするマチエールに絵そのものが生きているような心地がしました。また、《静物(手を描き入れし静物)》の神秘的、宗教的なイメージも面白く、今は塗りつぶされ、完成した時にはあったという林檎を狙う「手」を想像しながら見るのもまた一興でした。
私は岸田劉生について詳しくはありませんが、作品を眺めてきて思ったのはその宗教性でした。特に聖書との関係が気になります。展示室内の解説にも、彼がキリスト教の信者であったことは一文ありましたが、主題がずばり聖書のもの(特にペン画やエッチングなど)、妻を聖母に見立てたり、風景画における大地の役割など、作風自体は後期印象派や北方ルネッサンスから吸収したとはいえ、その思想のなかにはずいぶん宗教性が感じられました。彼の精神性という部分を考えるうえでのきっかけを与えられたような気がします。
展覧会は10月20日までとのこと。機会があれば、二度行ってみたい展覧会です。
私自身、岸田劉生の作品はどこかしこで見たことはありますが、同一会場でまとまった点数を見たことがなかったため、今回の東京ステーションギャラリーで始まった「岸田劉生展」はとても楽しみにしていました。
作品展示はほぼ年代順で、10代の水彩画から始まり、自画像、肖像画、風景、静物、麗子像へと続いていくため、作風がどのように変化していったのかがとてもわかりやすい内容になっています。そのなかでもやはり圧巻なのが《道路と土手と塀》で、角度のある坂下から切通しを描くという難しさをよくこなしていますし、ぬらぬらとした感じのするマチエールに絵そのものが生きているような心地がしました。また、《静物(手を描き入れし静物)》の神秘的、宗教的なイメージも面白く、今は塗りつぶされ、完成した時にはあったという林檎を狙う「手」を想像しながら見るのもまた一興でした。
私は岸田劉生について詳しくはありませんが、作品を眺めてきて思ったのはその宗教性でした。特に聖書との関係が気になります。展示室内の解説にも、彼がキリスト教の信者であったことは一文ありましたが、主題がずばり聖書のもの(特にペン画やエッチングなど)、妻を聖母に見立てたり、風景画における大地の役割など、作風自体は後期印象派や北方ルネッサンスから吸収したとはいえ、その思想のなかにはずいぶん宗教性が感じられました。彼の精神性という部分を考えるうえでのきっかけを与えられたような気がします。
展覧会は10月20日までとのこと。機会があれば、二度行ってみたい展覧会です。