(26)アベノミクスの「3本の矢」は希望的観測を示したものにすぎない。消費と投資を増やしたいから金融緩和をしたわけだが、結果を国民経済計算で確認すると、消費増税前の1~3月の駆け込み需要があるので、年度ではなくて暦年を見ると、
(a)実は民間消費は民主党政権下と同じ程度の消費でしかない。
(b)経済成長率や設備投資はむしろ落ちている。
(27)成長を支えているのは、
(a)駆け込み需要・・・・伸びている。
(b)公的固定資本形成と民間住宅・・・・伸びている。
結局アベノミクスとは、典型的なケインズ流の景気刺激策だ。
しかし、震災復興の需要が一段落したときに、都市の人びとが公共事業に頷く理由はない。減税も止まっている。都市の人びとの反乱がまた起こる。
(28)アベノミクスが支持され、期待されるたった一つの理由は、経済が成長していることだ。これは土建国家型利益分配の残滓だ。サービスではなくカネと仕事を与える、という発想。土建国家は減税による利益誘導で支えられているから、増税して社会保障をする発想は出てこない。
今度の消費増税だって、「税と社会保障の一体改革」のアイデアはよかったが、増税する5%のうち、社会保障に回すのは1%。4%は財政再建にあてる、という。じつは振り返ってみると、(17)の土光臨調の前の1981年の法人税増税から今回の増税まで、すでに30年以上たっているが、この間に基幹税の純増税は一度もなかった。全部、減税のための増税だった。
人間の必要をマーケットからのみ調達する社会をつくってきたツケが、いま出ている。市場によって社会を回していく以外のモデルが、そのために想像できなくなっている。
(29)否定的に言われる「成長神話」だが、成長が神話となるだけの理由があったのも事実だ。端的にいえば、私たちの社会は、成長しないと人間が生きていけない仕組みになっている。
賃金が下がり、貯金がなくなれば、子どもを塾に行かせられない。家を買えない。親を養老施設に入れることができない。・・・・だからいまだに成長が待望されて、アベノミクスが喜ばれる。
(30)成長神話の裏返しとして、消費が、自分は何者であるかを確認する行為としての意味を持ったのだ。「三種の神器」がその象徴だ。
最初 冷蔵庫・洗濯機・テレビ
次 カラーテレビ・クーラー・自動車(3C)
ところが、いま、消費もできなくなって、私たちは本当に日本人なのか、と考える人が現れ始めている。
少なくとも、中流階級であるという意識はない人が増えている。
太田弘子は、土建国家を否定して出てきた規制緩和派だが、初めは「消費者主権」を主張していた。企業ではなく、消費者の選択を主張していた。すごい覆り方だ。
いまや「一人前の消費者」にさえなれない人が大量に生まれている。
逆にいえば、かつて「消費者主権」を唱えていた人びとは、いま消費者の特権を謳歌できているごく一部の人のためだけに一生懸命働いてきたともいえる。
(31)以上のように社会のなりたちを知れば意味がわかるが、一般的には、成長ありきではない道がある、といったとき、違ったイメージをもたれることが多い。
市場が円滑にジャンクんしていくことと、成長しなくても私たちが生きていける社会とは、矛盾しない。
本来、成長して人びとを豊かにするのは市場の役割のはずだ。家族が解体していく中、政府は、家族が果たしてきた役割を代わりに担っていかなければならない。
その結果雇用が生まれているのがヨーロッパ・モデルだ。
だから、本来、政府がやるべきことに取り組むなかで景気もよくなる、という側面をもっと大事にしたほうがいい。
都市の中間層をきちんと納得させるために、じつは経済政策のウェイトは減っていく。むしろ重要なのは「結果としての雇用政策」だ。
ここで都市の個別利害に応える形で政治が動けば、また同じことの繰り返しだ。
いま本当に必要なサービスを、ユニバーサルに、政府がその責任の下において満たしていけば、そのことが雇用を生み、そして結果的に経済もよくなるはずだ。
安倍政権も、土建国家に代わる新しいモデルは結局示せていない。根本的な変革を回避する一方で、集団的自衛権問題なんかを持ち出して、「国体を変更する」という。博打打ちだ。
社会が社会たり得る、重要な核として利益分配があったが、それがなくなると、他人の既得権益が目についてしょうがない。他者の利益を削るためにムダ遣いの犯人探しが横行するようになる。すると、最後に連帯の拠り所になるのは愛国心だ。米国でも、社会が不安定化するたび、戦争で景気をよくしようとしてきた。同じような道を、そんなところまで真似しようとしているのかもしれない。
(32)土建国家システムの解体が始まって、もう16年たつ。その解体期は、そろそろ終わる。
安部政権で終わるべきだ。
安倍政権で終わらなければ、財政が破綻するのを待つしかない。
□井出英策×佐々木実「「土建国家」と規制改革の果てから」(「世界」2014年8月号)
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【土建国家】規制改革派の登場、“オプチノミクス”再来」
「【土建国家】日本版「働かざるもの食うべからず」、二つ目の分岐点」
「【土建国家】の定義、一つめの分岐点 ~戦後史の見直し~」
(a)実は民間消費は民主党政権下と同じ程度の消費でしかない。
(b)経済成長率や設備投資はむしろ落ちている。
(27)成長を支えているのは、
(a)駆け込み需要・・・・伸びている。
(b)公的固定資本形成と民間住宅・・・・伸びている。
結局アベノミクスとは、典型的なケインズ流の景気刺激策だ。
しかし、震災復興の需要が一段落したときに、都市の人びとが公共事業に頷く理由はない。減税も止まっている。都市の人びとの反乱がまた起こる。
(28)アベノミクスが支持され、期待されるたった一つの理由は、経済が成長していることだ。これは土建国家型利益分配の残滓だ。サービスではなくカネと仕事を与える、という発想。土建国家は減税による利益誘導で支えられているから、増税して社会保障をする発想は出てこない。
今度の消費増税だって、「税と社会保障の一体改革」のアイデアはよかったが、増税する5%のうち、社会保障に回すのは1%。4%は財政再建にあてる、という。じつは振り返ってみると、(17)の土光臨調の前の1981年の法人税増税から今回の増税まで、すでに30年以上たっているが、この間に基幹税の純増税は一度もなかった。全部、減税のための増税だった。
人間の必要をマーケットからのみ調達する社会をつくってきたツケが、いま出ている。市場によって社会を回していく以外のモデルが、そのために想像できなくなっている。
(29)否定的に言われる「成長神話」だが、成長が神話となるだけの理由があったのも事実だ。端的にいえば、私たちの社会は、成長しないと人間が生きていけない仕組みになっている。
賃金が下がり、貯金がなくなれば、子どもを塾に行かせられない。家を買えない。親を養老施設に入れることができない。・・・・だからいまだに成長が待望されて、アベノミクスが喜ばれる。
(30)成長神話の裏返しとして、消費が、自分は何者であるかを確認する行為としての意味を持ったのだ。「三種の神器」がその象徴だ。
最初 冷蔵庫・洗濯機・テレビ
次 カラーテレビ・クーラー・自動車(3C)
ところが、いま、消費もできなくなって、私たちは本当に日本人なのか、と考える人が現れ始めている。
少なくとも、中流階級であるという意識はない人が増えている。
太田弘子は、土建国家を否定して出てきた規制緩和派だが、初めは「消費者主権」を主張していた。企業ではなく、消費者の選択を主張していた。すごい覆り方だ。
いまや「一人前の消費者」にさえなれない人が大量に生まれている。
逆にいえば、かつて「消費者主権」を唱えていた人びとは、いま消費者の特権を謳歌できているごく一部の人のためだけに一生懸命働いてきたともいえる。
(31)以上のように社会のなりたちを知れば意味がわかるが、一般的には、成長ありきではない道がある、といったとき、違ったイメージをもたれることが多い。
市場が円滑にジャンクんしていくことと、成長しなくても私たちが生きていける社会とは、矛盾しない。
本来、成長して人びとを豊かにするのは市場の役割のはずだ。家族が解体していく中、政府は、家族が果たしてきた役割を代わりに担っていかなければならない。
その結果雇用が生まれているのがヨーロッパ・モデルだ。
だから、本来、政府がやるべきことに取り組むなかで景気もよくなる、という側面をもっと大事にしたほうがいい。
都市の中間層をきちんと納得させるために、じつは経済政策のウェイトは減っていく。むしろ重要なのは「結果としての雇用政策」だ。
ここで都市の個別利害に応える形で政治が動けば、また同じことの繰り返しだ。
いま本当に必要なサービスを、ユニバーサルに、政府がその責任の下において満たしていけば、そのことが雇用を生み、そして結果的に経済もよくなるはずだ。
安倍政権も、土建国家に代わる新しいモデルは結局示せていない。根本的な変革を回避する一方で、集団的自衛権問題なんかを持ち出して、「国体を変更する」という。博打打ちだ。
社会が社会たり得る、重要な核として利益分配があったが、それがなくなると、他人の既得権益が目についてしょうがない。他者の利益を削るためにムダ遣いの犯人探しが横行するようになる。すると、最後に連帯の拠り所になるのは愛国心だ。米国でも、社会が不安定化するたび、戦争で景気をよくしようとしてきた。同じような道を、そんなところまで真似しようとしているのかもしれない。
(32)土建国家システムの解体が始まって、もう16年たつ。その解体期は、そろそろ終わる。
安部政権で終わるべきだ。
安倍政権で終わらなければ、財政が破綻するのを待つしかない。
□井出英策×佐々木実「「土建国家」と規制改革の果てから」(「世界」2014年8月号)
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【土建国家】規制改革派の登場、“オプチノミクス”再来」
「【土建国家】日本版「働かざるもの食うべからず」、二つ目の分岐点」
「【土建国家】の定義、一つめの分岐点 ~戦後史の見直し~」