語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【経済】成長は本当に必要なのか ~国家戦略特区~

2014年07月24日 | 社会
 経済成長がすべてか?
 否。
 経済成長は、それがすべてではないにせよ、必要か?
 然り。
 だが、なぜ必要なのか?
 金融緩和、財政出動に続くアベノミクス第三の矢である規制改革を実現するための国家戦略特別区域は、憲法からみて、果たして必要なのか?

 岩盤規制は<私の「ドリル」から、無傷ではいられ>ない、と安倍首相は1月22日のダボス会議で述べて、自治体の提案に基づく既存の制度と異なり、政府が率先して規制「改革」を行うことを強調した。明示されたのは、医療・介護・保育、労働、教育、農業分野である。

 安保より経済優先の政策を、というのが安倍政権に対する市民の側からの最大公約数的な声であろう。
 しかし、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認論と、それに先立つ武器輸出の原則解禁は、軍需産業の成長を促進させる効果をもっている。実際、6月中旬にパリで開催された武器見本市には、日本政府の「勧誘」に応じた三菱重工や東芝など13社が初参加し、今後は米国やNATOとの武器共同開発も想定されている。これに軍事転用の可能性をもつ原発の再稼働と、他国への原発輸出を加えれば、それだけで、経済波及効果は巨大なものとなる。まさに「軍事ニューディール」である。「岩盤規制」には、実は憲法9条も含まれているのではないかと思えるほどに、安倍政権の成長戦略においては、軍事と経済が密接に結びついている。
 これは、戦後自民党の路線とは根本的に異なる「異次元緩和」であり、論理的には自民党事態を「岩盤」とみて解体対象としようとしていると解する余地もある。しかし、規制改革会議は、自民党の圧力によりJA全中の廃止を撤回し、骨太の方針では、同様に予算獲得を狙った自民党からの圧力で各種公共事業が追加され、歳出削減方針が後退している。
 このように、自民党の支持基盤である既得権益は、実際には「無傷」のまま残されている。「ドリル」が向かう先は、極めて恣意的なのである。ちなみに、成長戦略をめぐって会議体が林立しているわけだが、その提言相互の関係が不明確なrために、つまみ食いが可能で、前記恣意性の温床となっている。また、各会議の案とは無関係に、安倍首相がカジノを成長政策の目玉にすえると5月30日に宣言して、民営ギャンブルを解禁するカジノ(特定複合観光施設整備推進)法案が6
月18日に審議入りしたことも、各会議の議論に重みがないことを逆説的に示す一例といえる。

 政府の最重要課題が経済成長にあるという信念が各国で共有され、自由市場経済の名の下に政府間で熾烈な生存競争が繰り広げられている現状では、脱経済成長論を掲げて特区構想を批判しても、議論はすれ違いに終わる。規制改革に託された役割は、成長の限界ゆえに、「既得権益」を解体することで新たな成長先を作り出すことにあるからである。それに向かって、成長を断念しろと説いても、相手方は聞く耳を持たないだろう。

 「企業による農地所有」を例として憲法の視点からみた特区の規制改革をみる。
 農業分野において改革すべき「岩盤規制」として観念されているのは、農地法の理念とされる農地耕作者主義である。同法3条2項4号が、農地の所有者は「耕作又は養畜の事業に必要な農作業に常時従事する」ことを要求していることから、農地の所有者は耕作者でなければならないと理解されてきた。その結果、株式会社の農地所有は禁じられ、賃貸借が認められるにとどまっている。
 農地所有権に関しては、戦後改革の一環としての農地改革、すなわち、戦前の地主--小作関係を否定し、自作農創設を目的として土地所有権を保障するという制度改革がなされた点を無視することはできない。農地所有権は、憲法上の財産権として保障されているだけでなく、農地改革の経緯から、農地の所有者は利用者でなければならないと考えられてきたのである。
 農地耕作者主義は、日本国憲法成立の前提をなす農地改革によって生み出された「岩盤」であり、憲法上の「既得権」である。2009年の農地法改正時に、株式会社の農地所有権取得が認められなかったことの背景には、こうした事情もあった。これを解体するには、必要性だけではなく、しかるべき憲法論を備えた「ドリル」が必要である。

 「規制改革」という用語から通常連想するのは、通常、政府規制でがんじがらめになった状態からの解放である。だが、国家戦略特区における「改革」は、そうではない。これは、政府(官僚)主導の新たな産業政策である。高度成長期におけるそれと異なるのは、護送船団方式ではなく、自己責任方式であることだ。そして、ゼロサム・ゲームのもとでの市場の奪い合いを正当化するために、元来が正当な権利や利益に対して「既得権益」とか「岩盤規制」とかいったイメージの悪い言葉を割り当て、それを解体すると称して、経済成長率に寄与しそうな企業に分け与え、経済成長の実現を演出する。それにより、多少の収入が増えれば、国民は文句を言わないだろうとタカをくくって進行する解釈改憲。
 立憲主義法学の常識からすれば、政府の役割は、本来、市民の生命、自由、財産の保障にある。しかし、現在進行中の「規制改革」は真逆だ。政府は市場を手厚く保護し、市民を放置している。経済成長は、なぜ必要なのか。
 安部政権の成長政策は、憲法の視点からだけでなく、例えば、労働者を不幸にする労働規制の緩和や、原発再稼働を含む環境破壊などの点でも賛成できない。のみならず、いまや政府との「社会契約」を破棄(その最低限は納税者反乱である。)すべき時が来たとさえ思う。

□中島徹「憲法からみた「国家戦略特区」 --経済成長の必要性を問い直す」(「世界」2014年8月号)
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