鳥取県米子市出身の世界的経済学者、宇沢弘文に関する回想ふたつ。
八幡泰治は、全国自治研究集会(1998年10月)における地元事務局として宇沢に講演を依頼した。2年前の長野大会でもメイン講演を行っていたが、ふるさと米子でも是非、とお願いしたら、快諾を得た。
以後数か月間、打ち合わせなどで宇沢その人と、さらには会話を成立させるためその著作に付き合った。
当時70歳だったが、ビールを大量に飲む人だった。体力も凄い人で、講演のあと皆生の温泉宿に泊まったが、翌朝湊山の城山までランニングした。
中川幾郎・帝塚山大学名誉教授は、その仕事を要約する。
20世紀の欧米先進諸国の経済政策と経済学は、ケインズ的な政策と新古典派的な政策とが振り子のように主導権争いを繰り返してきた。
しかし、21世紀のいま、双方の限界が露呈している。
①ハードの公共土木投資を主流としたケインズ主義的な政策の有効性は落ちてきた。
②シカゴ学派的な市場原理主義的政策が社会的格差を急速に拡大し、社会不安をもたらしている。
宇沢経済学は人間を大切にする。
宇沢は、シカゴ学派的な市場原理主義に厳しく対抗しつつ、ケインズを超える公共政策の理論的地平を切り開いた。特に、「社会的共通資本」の概念は、公共投資の向かうべき新たな対象を明確に示した。
ハードウェアだけでなく、ソフトウェアやヒューマンウェアにも示唆が及んでいるこの概念は、成熟経済段階に到達しないまま、いたずらに巨額の国公債を増加させている日本国の政策に、厳しく警鐘を鳴らすものだ。
宇沢弘文:
1928(昭和3)年7月21日~2014(平成26)年9月18日。享年86。
東京大学名誉教授。従三位。1983年文化功労者、1989年日本学士院会員、1995年米国科学アカデミー客員会員、1997年文化勲章、2009年ブループラネット賞、Econometric SocietyのFellow(終身)、1976年から1977年までEconometric Society会長。
□記事「経済学者「宇沢弘文」がくれた救いと勇気」(今井書店「かわら版」第140号、2014年12月22日)
↓クリック、プリーズ。↓
八幡泰治は、全国自治研究集会(1998年10月)における地元事務局として宇沢に講演を依頼した。2年前の長野大会でもメイン講演を行っていたが、ふるさと米子でも是非、とお願いしたら、快諾を得た。
以後数か月間、打ち合わせなどで宇沢その人と、さらには会話を成立させるためその著作に付き合った。
当時70歳だったが、ビールを大量に飲む人だった。体力も凄い人で、講演のあと皆生の温泉宿に泊まったが、翌朝湊山の城山までランニングした。
中川幾郎・帝塚山大学名誉教授は、その仕事を要約する。
20世紀の欧米先進諸国の経済政策と経済学は、ケインズ的な政策と新古典派的な政策とが振り子のように主導権争いを繰り返してきた。
しかし、21世紀のいま、双方の限界が露呈している。
①ハードの公共土木投資を主流としたケインズ主義的な政策の有効性は落ちてきた。
②シカゴ学派的な市場原理主義的政策が社会的格差を急速に拡大し、社会不安をもたらしている。
宇沢経済学は人間を大切にする。
宇沢は、シカゴ学派的な市場原理主義に厳しく対抗しつつ、ケインズを超える公共政策の理論的地平を切り開いた。特に、「社会的共通資本」の概念は、公共投資の向かうべき新たな対象を明確に示した。
ハードウェアだけでなく、ソフトウェアやヒューマンウェアにも示唆が及んでいるこの概念は、成熟経済段階に到達しないまま、いたずらに巨額の国公債を増加させている日本国の政策に、厳しく警鐘を鳴らすものだ。
宇沢弘文:
1928(昭和3)年7月21日~2014(平成26)年9月18日。享年86。
東京大学名誉教授。従三位。1983年文化功労者、1989年日本学士院会員、1995年米国科学アカデミー客員会員、1997年文化勲章、2009年ブループラネット賞、Econometric SocietyのFellow(終身)、1976年から1977年までEconometric Society会長。
□記事「経済学者「宇沢弘文」がくれた救いと勇気」(今井書店「かわら版」第140号、2014年12月22日)
↓クリック、プリーズ。↓