円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

大坂なおみが大好き!

2019-01-24 22:12:53 | 2018年度雑記
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2019-1-24
大坂なおみ。
1997年生まれの、とてもかわいらしいプロテニスプレイヤー。
今21歳で、感情コントロールさえできれば四大大会でいつか勝つだろうと言われていた。
ものすごくスイングが速い。
サイドステップが速い。
ラケットの構えから打ち終わるまでの時間がすごく短い。(専門用語がわからない)

でも、評判よりずっと早く大坂なおみは成長した。
2018年の全米で優勝した。
今日現在、2019年1月26日土曜日の全豪で決勝を戦うことが決まっている。

テニスのグランドスラムの優勝は、オリンピックの金メダルに値する。
そういう記事はいくつか読んだ。
僕は十代のとき、スポーツではテニスと相撲のテレビ放送をいちばん多く観た。
コナーズ、ボルグ。
クリス・エバート、ナブラチロワ。
対戦のレポを、一人で家で、家ってひと部屋だけど、誰もいない六畳で日記に書いた。
だから、テニスのグランドスラムの価値はわかるつもりだ。

日本の学校運動部の主義は勝利至上、勝つことが大事で、勝たなければ意味がない。
そいいう言葉を、中学校の部活顧問から数え切れないほど聞いた。
全日本レベルの高校男子バレー部員が、勝つためにつぶれていく記事を昨日読んだ。
つぶれるとは、ケガでもう高校を卒業しても競技ができなくなることだ。
それくらい、日本の部活動は勝つのが大事らしい。
何を目指しているのかさっぱりわからない。

だったら、大坂なおみは毎日のように、報道のトップに立っていいだろう。勝っているんだから。
でも、全然そうならない。報道は負けた錦織ばかりだ。錦織はすごく応援してるけど。

女性だからですか? 全然理解できない。
ハーフだからですか? 相撲はどうなんだよ。日本人の横綱はいないだろ。あ、男だからいいのか。
肌の色が濃いからですか? 情けなくて何も言えない。

大坂なおみが、全豪で優勝するかもしれない。
してもしなくても、大坂なおみが大好きです。
とても、魅力的なアスリートです。
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僕は認知症であるが/小池一夫さん

2019-01-19 19:51:19 | 2018年度雑記
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2019-1-19 ・・・(授業見学記録は今は出来もしないのに偉そうなので止めました)

小池一夫‏ @koikekazuo
僕は、認知症でアルツハイマーと診断されたのであるが、家人は
「ただ、あなたを愛しているだけだから。そんなことどうでもいいわ~」
とのんびり答えたので、ゆっくり眠れます。
おやすみなさい。
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今日抜けた親知らずとは何だ

2019-01-09 21:54:19 | 2018年度雑記
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2019-1-9
午後4時頃奥歯がポロリと抜けた。
口の中でもわかる、歯の見本のような大きな歯だ。
僕は歯の質が悪い。
母が歯で苦労したから覚悟していた。
昨年末からぐらついていたうちの一番大きなのが抜けた。
痛みも出血もない。
でも、すぐ電話して歯医者に行った。
8年ぶりですね。歯医者は。とても怖いんです。
昨年末から「良い」歯医者は調べてあったからすぐ予約できた。
抜けたのは、親知らずだった。
ところで、親知らずとは何だ。

 親知らずとは|歯科用語集|クリア歯科 東京院より引用
  親知らずは、第3大臼歯のことをいいます。
  上下左右で合計4本です。年齢を重ねてから生えてくるために、口腔内で方向が一定にならず、
  歯茎を圧迫する、あごの骨に圧力を加えるなど、痛みを伴うこともあります。
  必然的に歯医者で治療を必要となるケースも多くあり、
  歯や神経に非常に大きな負担がかかることになります。
  生えてくる年齢が二十歳前後ということもあり、
  かつては、この年齢では親が死亡していることが多いことから、この俗称がつけられたようです。


歯が抜けたおかげで、やっと歯医者に行くことができた。
これも塞翁が馬。
抜けてよかった親知らず。
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人間万事塞翁が馬20190102

2019-01-02 18:26:31 | 2018年度雑記
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2019-1-2
伯父は中卒で「教育はないが教養に富む人物」の見本であった。
さりげなく生き方の根っこを話してくれた。
伯父が数え切れないほど繰り返したのは塞翁が馬の故事だった。

「万事塞翁が馬、って言ってな。何がおこるかわからない」

「男が失敗することは三つある。酒、女、金だ」

「バイトで酒を飲むのはいい加減にしておけ。
 俺でも晩酌を始めたのは四十からだった」

「教員になったら、職場で一番になることを一つでいいからできるようになれ。
 たった四、五十人だ。なにかできることはある。
 一つだけでいい。そうすれば、認められる」

「相手には、してあげて、与えてお返しは求めない」


僕が中学生のとき、伯父が「つばは歯の裏から出る」と言った。
僕は「違うよ。舌の裏に唾液腺というのがあって、そこから出るんだよ」と言い返した。
伯父は黙って僕を見ていた。
僕が大学生のとき、伯父が「やまとは くにの まほろば と言うんだ」と言った。
僕は前置きなく「たたなずく あおがき やまごもれる やまとしうるわし」と静かに続けた。
伯父は黙って僕を見ていた。
褒めることもなく驚くこともなく無言だった。

「週刊新潮」を読み続けていた。
「文藝春秋」を読み続けていた。
それで、僕が中3のとき、同じクラスの女子N村さんの小説が、
全文掲載の特選に選ばれたのを教えてくれた。
僕は読んだが難しくてわからなかった。秀才N村女史。どうなったのだろう。
新聞は「毎日」だった。
暇があると詰碁を打っていた。
碁の雑誌を片手に箱のような大きな碁盤に向かってぱちぱちと碁石を打った。
僕が大学生の時、飲んで午前帰りが続くと玄関の鍵が開かなくなった。
合鍵というものはなかった。
それでも度々祖母が起きて開けてくれた。
そのうちそれもなくなった。
僕は夜中に物置からはしごを出して二階の部屋の下へ運んだ。
トタン屋根にはしごを掛けて登り、窓を開けて忍び込んで眠った。
トタン屋根の上を歩いて、身体がやっと通る小さな引き戸の窓から入ったのだ。
よくできた。身軽だったのだ。

僕の母が亡くなった17から後見人になってくれた。
高校生にしては何もわからない愚かな僕はそれを当たり前のように思っていた。
今考えれば、孤児院に行く境遇だった。
伯父は正月に親戚を集めて宴会をするのが大好きだった。
二十から三十人の大人子どもが1月2日に集まった。
僕が大学生で二十歳を越えた正月に、伯父は僕を横に座らせて飲ませた。
しばらくして、
「やっと、++夫が、成人になったか」
と言うと、突然吹き出すように涙を流した。ぶ厚い手のひらで両目をおおった。
無口で関白、時には冷徹な伯父の様子に、周りの大人がうろたえた。
孤児の僕を預かった伯父は、僕を成人させる責任と亡くなった母への憐情を黙って抱えていた。

僕は今年58になる。
まさに人生は、万事塞翁が馬であった。人間は、じんかんと読み、人生・世の中を意味する。

もうすぐです。もうすぐ行くから一緒に飲みましょう。
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遠藤周作文学館へ行きました

2018-12-30 19:40:55 | 2018年度雑記
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2018-12-30
先日、五島列島に行った。
ダイビングの最後に行きたかったがかなわなかった海だ。
せめて、のんびり見るだけでもと思ったら研修のような旅になった。
【遠藤周作文学館から海を望む】

ここまで来るのは、よほどの物好きかという遠く何もない海の前だった。
だが、絶景であった。
遠藤周作が『沈黙』を書い場所だという。
文学館は小さく美しく、鉛筆で書いた自筆の原稿用紙や葉書などが並んでいた。
撮影は禁じられていた。
◆視写ここから◆
   「純文学の場合、私は原稿用紙をそのまま使うのではなく、
    その裏に細くとがった鉛筆をつかって、虫眼鏡を使わねばわからぬほどの
    小さな字でぎっしりと書く。
    それを清書してみると大体、四百字詰で八枚から九枚になる。
    自分で清書するより人に清書してもらうと、
    何か客観的に文章を読みなおしているような気がして加筆訂正しやすくなる。」
    『乱雑の中の秩序』より
◆ここまで◆
旅は気分を上げるので思わずこんなふうに視写などしてしまいがちだが僕はまずしない。
だが、遠藤周作の生没には驚く理由があった。
生年、1923年3月27日(大正12年)
没年、1996年9月26日(73歳)
遠藤周作の生年は、たしか僕の伯父と同い年であった。
伯父は高2から僕の後見人を引き受けてくれた。
大戦に招集され、特攻隊の飛行機に乗る順番を待つうちに終戦となった。
そして、僕が確か31の歳に病に没した。
遠藤周作は戦争に行かなかったのか。
行かなかった。
まず、文科の学生の徴兵猶予制というものがあった。
遠藤は慶応大生であった。
伯父は中卒であった。
徴兵猶予制はすぐ撤廃され、遠藤は徴兵検査を受けるが肺の病で第一乙種の入隊一年延期となる。
その約一年後、期限切れの直前1945年8月に戦争は終わる。
遠藤は30半ばに結核を患い、1962年39歳まで2年2か月の間入院する。
没年は1996年、73歳であった。
伯父が亡くなったのは1992年であったか。遠藤周作の4、5年前だった。
そのとき、僕は自分の生活がメチャクチャで、いろんなことが記憶にない。
割安ツアーで、行くのも意識しなかった文学館で、僕は初めていくつかのことを知った。
繰り返すが、高台から眺める西の海は、俗人には通えぬ絶景であった。

【頭ケ島天主堂・キリシタン洞窟・長崎夜景】

チャーター船で、五島列島を案内してくれた女性ガイドがプロだった。
天主堂とは教会のことである。
「神父」はカトリックで結婚もしない。
「牧師」はプロテスタントで結婚も許される。
細かいことは全部すっとばす。
どんな土地に住んでも、勉強してプロの仕事を続ける人がいるのに感激した。
余談だが、列島では今「マグロの養殖」をしている。
ブリ、ハマチの養殖はエサ代が高くて儲からない。
マグロのエサ代も高いが売り値も高くて儲けが出る。
地元の人は歯ごたえのないマグロは食べないそうだ。
もう、マグロはやめようよ、日本人。

【鯨賓館 げいひんかん ミュージアム】
写真はないが 鯨賓館ミュージアムがとても面白かった。
南極で捕鯨をした漁師の話をたっぷり聞いた。
半年漁に出て、シロナガスクジラだけでも一度に600頭捕ったという。
僕は面白いときはどんどん尋ねる。
「今でも、うじゃうじゃいますよ」
「減ってない?」
「減ってない」
「もうかりましたか」
「もうかったんんじゃないですかぁ」
「今度日本が条約を抜けましたけど、もっと捕れるようになりますか」
「いやぁ、南極のほうがいっぱいいるからぁ」
「他の国はなぜクジラを捕るのに反対するのでしょう」
「わからんなぁ」

【長崎平和公園・夜景】

長崎へ初めて行った。
恥ずかしながら広島も行っていない。

「軍艦島」も船でぐるりと回って見た。どういうところか初めて知った。詳しく知った。
だが僕には人気のわけがわからなかった。
本当にその時代と人を知るなら『邂逅の森』を読むべし。
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授業終了 嗚呼感謝でいっぱいです

2018-12-20 21:48:04 | 2018年度雑記
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2018-12-20
高校教員になるとは想像もしなかった。

去年、一昨年は、公立の、中学校とは、違う苦しいことがほとんどだった。

もうだめかというところまで行って、今年度が始まった。

今日2018年の授業が終わった。

「まさか高校の教員になるとは思いませんでした。
 しかも、こんなに楽しく幸せな年がくるとは思いませんでした。
 二十年、三十年の友達にはいつも、信じられないくらい幸せだと言っています。
 この冬に、会って、飲んで、皆さんの自慢をします。
 今年がこんなに楽しく終わることができて本当に感謝しています。
 どうぞ、良いクリスマスを。
 どうぞ、良いお年を。
 ありがとうございました」

幸せだと言っています、あたりから、手をたたいてくれる生徒がいる。
なんだろう、その感覚は。そのたまらない笑顔は。
嗚呼。こういう漢字を使うのは好きではないけれど、嗚呼、本当に感謝でいっぱいです。
生徒のみなさん。
ありがとうございました。
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ベルギー有給休暇は強制

2018-12-10 21:58:08 | 2018年度雑記
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2018-12-10
「ベルギーの場合(多くのEU先進国も)有給休暇は強制的に取らされます。
その上、
年に一回は「最低2週間」取らないと休暇とは言えない、
と私自身が言われました。
(毎月のように数日〜1週間休みを取っていたら、それは休暇ではない、
2週間以上まとめて取らないと来年は月給を減らすと脅された)」
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遊びをせんとや生まれけん

2018-12-06 22:02:49 | 2018年度雑記
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2018-12-06
遊びをせんとや 生まれけん
戯れせんとや 生まれけん
遊ぶ子どもの 声聞けば
我が身さえこそ 揺るがるれ


大学四年のとき、教えを受けたM先生は小学生に覚えさせる詩文集を作っていました。
その中に、この詩がありました。
今、高校二年の古典教科書に、この詩が載っています。

安定の集中力と一体感の高二のQ組が、二週間くらい前に感じが変わった。
僕が話し始めれば、いつも一瞬で聞き始める感じがなくなった。
先月までやっていなかったカードゲームをチャイムがなってもギリギリ片付けない。
三コマくらいそれが続いた。
「予告しないで何かするのは嫌なんだよ。
 今みたいな片付け方だったら、次は僕があずかります」

珍しく厳しく話した。
だが、もう何度も担任に取り上げられているという。

同じ時期、英単語を覚える本を堂々と他教科でも見ていることが話題になった。
僕がその学年の主任に話したら、当然だがどの教科でもやっているという。
僕は授業で語った。
「あなたたちは、英単語本に支配されている。
 最初は、英単語を覚える習慣をつけるのが目的だった。
 だが今は、見ていないと不安になった。携帯依存症と同じだ。
 効果は上がっていないはずだ。
 不安だから他教科の時間に見ているだけで、その人が抜群に出来るようになるか。
 ならないよ。
 この学年は本当に良くやってくれてありがたい。だから、もったいない。
 こっそり見ている数人が、少しずつクラスや学年のモチベーションを落としている。
 古典の時間は、古典をする。そうすべきです」

次の授業から、机の上の英単語本はなくなった。
たった数人ずつだが、四クラスとも、ガラリと変わった。

話は戻るが、二年Q組の次の授業が、古文単語のまとめテストだった。
今日は、締め付けると決めていた。
教室に入ると、男子五、六人が固まって女子の机をのぞいている。
他の生徒も復習している。チャイムが鳴る。
「そのまま! そのまま勉強。十分後テスト」
テストを始めてすぐ、
「今日は終わらない人がいても、時間で切ります」
と言い、数秒考えて、
「ウソです」
と言うと男子も女子も大笑いした。
俺はできないんだようなぁそれが、とひとり言を言った。

授業は『歌謡』の音読と解釈の時間だった。
【遊びをせんとや…】を、一人に指名音読させたあと、
「手に持っているものを置く。聞きなさい」
と言った。
「Q組は、この二、三時間、今までと違う授業態度になりました。
 話を聞く切り替えができない。心配しました。
 今日来たらカードゲームはしてない。
 男子は立っているけど、明らかに勉強してる。だから、続けさせた」
 
「さっき、ウソです、と言ったらみんな笑いましたね。(ここでどっと大笑い)
 とても素敵な笑い声でした。
 みんなとても可愛らしい笑顔でした。
 (ここでまたまた大笑い)
 今の、その笑い声がね。笑顔がね。可愛くてたまりませんよ。
 この詩は、そういう詩です。
 僕は、一人住まいですから、今みんなが笑って今週が終わる。
 今日帰って、夜まで明日もずっと幸せな気持ちです」

女子が合間に(そこまで~)(え~そんなに~)とか言うのが聞こえた。

テーマが二つになってしまった。
語るのが大事。
・・・怒鳴りつける大人が多すぎる。それしか仕方がわからないのか。
   怒鳴りつけて効くのはほんのいっときだ。教員なら語って変える力をつけなければ。
生徒が心から笑う声と笑顔は素敵だ。
・・・嘲りでない素敵な笑い声を聞かせてくてる生徒に出会うのは、とても有り難いことなのです。
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今苦しんでいる苦しみ:小池一夫‏

2018-11-29 19:59:06 | 2018年度雑記
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2018-11-29
小池一夫‏ @koikekazuo

 本当に残念なお知らせですが、あなたが今苦しんでいる苦しみは、最後の苦しみではありません。
 その苦しみが解決しても、生きている限り、形を変えて次の苦しみがやってきます。
 でもね、僕は、それでもいいと思っている。
 学び、成長し、次の苦しみの耐性ができていきます。
 死ぬまでそうです。それでいい
 1:41 - 2018年11月28日


いい言葉だなあ。

追)勝谷誠彦 2018-11-28死亡 57歳 肝不全
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過去は気にしない・小池一夫

2018-11-22 20:32:45 | 2018年度雑記
カテゴリー別目次 
2018-11-22

この言葉は年齢に関係ありません。
いつでも、毎日そのとおり。
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