
名 称:岩松尚純夫妻の墓
指 定:市指定史跡(平成3年(1991)4月25日指定・合併に伴い同17年(2005)3月28日、改めて新市の文化財として指定)
所在地:群馬県太田市岩松町(旧新田郡尾島町) 尚純萩公園内
岩松尚純(いわまつひさずみ)は、2代金山城主で、後に下克上により家宰(かさい)の横瀬氏(よこぜし)に退けられ、
岩松に閑居し、静喜庵(じょうきあん)と号し、その生涯を連歌の道に生きた人物です。夫人の秋吟尼は、佐野氏(栃木県佐
野市)の出身で夫とともに岩松に移り住みました。
岩松尚純とその夫人の秋吟尼の墓(五輪塔)は、青蓮寺の200m東にある尚純萩公園の中、約4m四方の方形の盛土上にあり
ます。 《太田市ホームページ 太田市の文化財『岩松尚純夫妻の墓』から一部抜粋引用》

公園内です。ここには写っていませんが四阿もあります。

公園内に設置されている「岩松尚純夫妻の墓」説明板

約4m四方の方形の盛土上にある岩松尚純夫妻の墓(五輪塔)

「新田治部大輔源尚純朝臣夫妻墓」と刻まれている石標

五輪塔は石標の左側に並んでいます

北側から

右側の五輪塔が尚純の墓で、空・水輪部分が欠損しています。
左側の五輪塔が尚純の夫人、秋吟尼の墓で、空輪の部分がありません。

上記写真の反対方向から

青蓮寺に伝来する岩松尚純自画像と「風待たで露におられよ萩の花」の歌が刻まれている歌碑
尚純萩公園の「萩」はこの歌に由来するのでしょうか

尚純が詠んだ歌碑
「奈天徒具寸袖可 岩本乃朝霞 郭公月耳以左 与不雲間哉 風未多天露丹 於良連与萩可花」
(なでつくすそでか いわほのあさかすみ ほととぎすつきにいざ よふくもまかな かぜまたでつゆに おられよはぎがはな)
と読むようです

〔尾島かるた〕 れ 連歌の尚純 萩公園

公園そばに自然石の大きな石碑がありました

日差しの加減ではっきりは読めませんが、「岩松山旧跡」ときざまれているようです。

尚純萩公園はこうした場所にあります 左側の小さな森が義国神社ですが直接は繋がっていません。
散策日:平成30年(2018)9月19日(水)