
名 称:重殿水源(じゅうどのすいげん)
指 定:国指定史跡(新田荘遺跡 重殿水源 平成12年〔2000〕11月1日指定)
所在地:群馬県太田市新田市野井町(旧新田郡新田町)
国指定史跡 新田田荘遺跡は、「新田荘」に関連する寺社境内・館跡・湧水地など11の遺跡から構成されていますが、そのひ
とつである「重殿水源」を訪ねてみました。
■ 新田荘遺跡(重殿水源)
太田市の北西部は大間々扇状地に立地していることから、扇端部の標高60mの地点を中心として多くの湧水が見られます。
重殿水源は、現状では、周囲を民家や工場に囲まれ、四方を石垣とコンクリートで護岸された東西10m、南北23mの小さな
池です。北西の角には3基の石のほこらがあり、かつての面影をうかがうことができます。この東側には一級河川、大川の源流
であることを示す標柱が立てられています。
元亨2年(1322)の「関東裁許状」(正木文書)によると、大館宗氏と岩松政経が「一井郷沼水」から流れ出た「用水堀」を
巡って争論を起こしたことに対して、鎌倉幕府が判決を下したことが分かります。この古文書にある「一井郷沼水」が重殿水源
であると考えられています。
新田荘は大間々扇状地の扇端部に位置していることから豊富な湧水に恵まれ、荘園を経営するために湧水が利用されたと考え
られています。かつては実際に市野井・金井・赤堀・木崎など多くの地域がこの水を農業用水として利用していました。重殿水
源はこういったことを証明する貴重な史跡です。
《太田市ホームページ 太田市の文化財 より引用》

フェンスに囲まれたところが重殿水源です

重殿水源から出た水は、道向かいの右側のフェンスの内側にある用水路につながっており、一級河川大川(利根川の支流)の
源流となっているそうです。水位計が設置されているようですが写真は失念。

フェンスに沿って並んでいる石碑と説明板

だいぶ古い石碑のようで「重殿地下水記念碑」と刻まれています。。裏面も覗いてみましたが、昭和10年建立のようです。

「国指定史跡 新田荘遺跡 重殿水源」説明板
説明文の内容は、冒頭に引用した太田市のホームページにあるものと同一で、最初の”太田市の北西部にある”とのの文字がな
いだけです。
この説明板は、合併により新設の太田市(平成17年)になる以前の新田郡新田町のころに設置されたもので、太田市のホーム
ページの文面はこれがベースになっているようです。

北東から見た重殿水源

同上

北西端には、水神の3つの石祠が並んでいる。
地元では「じゅうどの様」と呼ばれているとのことですが、重殿って何のこと? 昔の偉い人 豪族?

沢山の鯉が泳いでいました

南側から
所在地番地の近くまで行ったところ大きな水路に出会いましたので、これが重殿水源かもと写真を撮りながら水源があるであろ
う上流を目指して歩きました。しかし、歩いても歩いても水路が続くだけで何か変です。途中、畑仕事をしているご夫婦がいま
したので、「重殿水源は、これでいいのですか?」とお聞きしたところ、ガーン!! 見事に外れでした。それでまたここでも
親切丁寧に教えていただき、どうにか目的の重殿水源までたどり着いたというお決まりのお粗末ぶりでした。
散策日:平成30年(2018)10月2日(火)