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名 称:東照宮
通 称:世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)
祭 神:徳川家康公(東照大権現)
社 格:旧郷社
創 建:寛永21年(1644)
本 殿:一間社流造
指 定:国指定史跡(名称「新田荘遺跡 東照宮境内」 平成12年〔2000〕11月1日指定)
所在地:群馬県太田市世良田町(旧新田郡尾島町)
『東照宮の創祀】
寛永16年(1639)天海大僧正は徳川家康公から御下命されていた長楽寺を臨済宗から天台宗へ改宗復興。三代将軍家光公は
先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔 ・唐門・拝殿)を移築。本殿は新
築し、東照宮を勧請された。同21年(1644)10月11日には正遷宮が盛大に斎行され、同年12月には群馬県下の神社で
も高禄の200石の御朱印が寄せられた。以後、大小15回による社殿の修復は幕府の財政により賄われて来、世に 「お江戸見た
けりゃ世良田へござれ・・・」と俗謡を生んだ。 (『世良田東照宮公式サイト』(HP)内 由来から引用)
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「御黒門」(縁結び門)に建てられている「国指定史跡 新田荘遺跡 東照宮境内」の石標
東照宮境内は、「新田荘」に関連する寺社境内・館跡・湧水地など11の遺跡から構成される国指定史跡新田荘遺跡のひとつ。
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良縁が成就する門だそうです
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「東照宮」説明板
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東照宮境内案内図
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境内社「日枝社」 放物殿の東側に鎮座
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日枝社の由緒
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御黒門を入ったすぐ左側にある「上番所」(再建)
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上番所の説明板
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御黒門から境内を
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「手水舎」
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「鉄燈籠」(国重文)
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元和4年(1618)総社藩主秋元越中守長朝が家康公から受けた恩顧に対する報恩から、児玉の鋳物師・中林仲次に依頼して鋳
造したもので、高さ4.95mの当時とすると 日本一大きい鉄燈籠。明暦4年(1658)長朝の曾孫喬朝が奉納したもの。
秋元長朝といえば、はじめ庁鼻和(深谷)上杉氏に仕え、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐のときは、主君氏憲に
代わり深谷城を守備しました。前田利家らの深谷城攻めに際し、城下を戦禍から守るため、杉田因幡と謀り、城を明け渡して
深谷を兵火から守りました。その後、徳川家康の家臣となり総社藩主にまで出世。家康には可愛がられていたようで、それに
応えたひとつが、この鉄燈籠の奉納なのかもしれません。長朝の子孫は川越城五万石、次いで山形城・館林城六万石に転じ、
老中なども勤めて幕末を迎えています・
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「御供水井戸」 御宮へお供えする水を汲み用いた井戸 平成15年に再建
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石鳥居
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拝殿参拝場所
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「拝殿」
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拝殿背面 今回は時間の都合で、本殿(宝物殿を含む)拝観(有料)をしませんでしたので、以前に拝観した際の写真で
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「本殿唐門」と本殿を囲む「透し塀」
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再び境内から拝殿を
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境内社「稲荷社」
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「真言院井戸」
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「真言院井戸」説明板
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「真言院井戸」
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「普光庵跡」
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「普光庵跡」説明板
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「普光庵跡」
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境内にある諸々の説明板な中から境内図を
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「尾島かるた」 休憩所の前にありました
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「南御門」
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「南御門」説明板
世良田の東照宮は今回が2度目の参詣でした。新田荘の史跡巡りの一環として再訪しましたが、前回は「神社仏閣」のカテゴ
リーでの投稿でした。今回は「史跡・文化財」のカテゴリーでの投稿です。同じ場所を同じように見て来ただけなのに何故?
はい、それは訪問主旨・視点の違いからです(笑)
散策日:平成30年(2018)9月19日(水)