社 号:御霊神社(ごりょうじんじゃ)
通 称:正代(しょうだい)御霊神社
祭 神:源 義平(みなもと の よしひら)
創 建:不詳なるも鎌倉期と推定
社 格:旧村社
指 定:ー
鎮座地:埼玉県東松山市正代841
都幾川と越辺川に挟まれた低地に半島状に突き出た台地の東端に武蔵七党の児玉党の支流で入西
資行の次子・小代遠弘が小代郷を相続して居住したのが小代氏の始まりとされるようです。
「岡の屋敷」と呼ばれるこの小代氏の居館跡(現・青蓮寺)の地続きに正代『御霊神社』が鎮座
しています。
御霊神社の鎮座するこの地は、元は源義朝の長子で頼朝・義経らの異母兄である源義平が居館を
構えて居住していたと言われます。
久寿2年(1155)8月16日、源義平は軍勢を率いて 突如、武蔵国の大蔵館(比企郡嵐山町)を
襲撃し、父義朝の弟(自身の叔父)である源義賢(木曽義仲の父)と義賢の義父である秩父重隆
を討ちました。
この時、わずか15歳の義平はこの戦いで大いに武名をあげ以降「鎌倉悪源太」と呼ばれるような
りました。【悪】とは、「強い」「猛々しい」といった意味で、「鎌倉の剛勇な源氏の長男」と
いう意味のようです。 太-------太郎-------長男
時を経て鎌倉悪源太は、京都・六条河原で処刑されました(享年20)が、その後、家臣であった
小代氏が鎌倉悪源太(源義平)を御霊と祀り御霊神社を創建し崇敬してきたました。
なお、この正代御霊神社の主祭神は、旧来鎌倉権五郎景正((政)と言われていたが、「小代行平
置文」に、【略・・・悪源太郎ヲ御霊ト祝ヒ奉マツル・・・略】とあることから、源義平を祀っ
たものと認識されたようです。
台地の端に鎮座する正代『御霊神社』
庚申塔 建立日は読み取れず 台座に『正代村』とあり
鳥居(両部鳥居)と社号標『村社 御霊神社』
神額 『御霊神社』と揮毫
【手水石】と【境内社】
明治42年字弁天の市杵島神社、字東形八坂神社、字田谷稲荷神社の三社を合祀した
左 :弁天の市杵島神社(田んぼの水利を司る神【水神様】)
中央:東形の八坂神社(悪疫退散として牛頭天王を祀る)
右 :田谷の稲荷神社(五穀豊穣を願う神を祀る)
【正代の祭りばやし』説明板
『東松山市の名木 ケヤキ 幹回り約3m』平成20年3月1日認定 東松山市観光協会
社殿の右隣にある『正代公会堂・御霊神社社務所』
御霊神社境内 拝殿と本殿の覆屋
社殿と狛犬
『狛犬』 昭和13年(1938)建立
『拝殿』
扁額『御霊社』と揮毫
拝殿格子戸の覗き穴から社殿内を覗くと『本殿』が見えました
社殿裏にある 左:境内社(稲荷社) 中:石造物 右:納札所
得体の知れない石造物です
本殿覆屋の裏から拝殿(表)方向に
境内から越辺川方向を望む
『悪源太義平の墓』(太田市)⇐ クリックでブログ記事に
参詣日:令和2年(2020)8月6日(木)