万 葉 歌 :萬葉集 巻十四東歌三三七八 「伊利麻治能 於保屋我波良能 ・・・」
撰 :大野信貞(歌人)
書 :小川紫峰
建 立 日 :昭和61年(1986)4月10日
建 立 者 :狭山ロータリクラブ
所 在 地 :埼玉県狭山市入間川1丁目 狭山市役所の庭
萬葉集 巻十四東歌三三七八に歌われている「大家が原」がどこか不確かですが、入間地方のいく
つかの市町が、我が町が発祥の比定地としています。
狭山市もその一つで市役所の庭に「伊利麻治能・・・」の万葉歌碑が建立されていますので訪ねて
みました。
【碑文(歌)】
伊利麻治能
於保屋我波良能
伊波為都良
比可波奴流奴流
和爾奈多要曾禰
いりまじの
おおやがはらの
いわいづら
ひかばぬるぬる
わになたえそね
巻拾四 武蔵の國歌の内
《大意》「入間道のおほやが原のいわゐ蔓を 引けばぬるぬるとよってくるように あなたと私の
仲を絶やさないでください」
【碑陰】
い り ま 道 の 碑 いりま道とは、武蔵と上野のふたつの國府を結ぶ古道に沿うここ入間地方のことと考えられる。 いりまの地名については、古くから日本書紀(720)の中に見え、和名類聚鈔(940)にも、伊利麻 と載っているように、入間川の集落の起こりはたいへん早く、古くは、いりま とよんでいたが、 後に川の字を加えたといわれる。なお、天暦の頃村諸考(950)にも「佐平次なる者入間川の南岸に 沿い、荒地を拓きて居を定む」の記録があり、入間郡名の出所も、この地よりと伝えられる。 歌の意は「入間道のおおやが原に生えているいわいづらのように、私の恋しと思う娘よ、私が手を 引くままに切れることなく、どこまでも離れないでついて来て欲しい」と解される。 昭和29年町村合併により狭山市となり、入間川のまちの名も次第に廃れてゆくこのゆかりの地に、 万葉人の優雅な詩心を讃えて、香り高い文化のふるさとづくりの径となるよう、新庁舎竣工を機に、 万葉の歌碑を建立し、いりまの名発祥のいわれを記す。 昭和61年4月10日 創立20周年記念 狭山ロータリークラブ 歌人大野信貞撰 小川紫峰書 |
散策日:令和2年(2020)7月16日(木)