霊符殿古墳は、群馬県南部・神流川西岸の低河岸段丘に築造された古墳で、天龍寺境内にあります。
本郷・小林古墳群を構成する古墳のひとつです。そんな霊符殿古墳を散策してきました。
名 称:霊符殿古墳(れいふでんこふん)
別 称:-
墳 形:円墳
規 模:径33m、高さ5.9m・後円部13.5m 埋葬施設:両袖式横穴式石室(模様積み)
築 造:6世紀末
出土品:不明
指 定:藤岡市指定史跡(名称:霊符殿古墳 昭和45年〔1970〕4月15日指定)
所在地:群馬県藤岡市藤岡461-8 (天龍寺境内)
霊符殿古墳がある天龍寺の山門
天龍寺本堂 霊符殿古墳はこの本堂の東方にあります
四阿の後ろにあるのが霊符殿古墳
石室開口部 南に向けて開口しています
右側に写っている民家と古墳との間をJR八高線の線路が走っています
この線路を通すために墳丘の一部が削られてしまったようです
『霊符殿古墳』説明板
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霊符殿古墳
所在地 藤岡市藤岡四六一-八
所有者 天 竜 寺
この古墳は径三三㍍、高さ五・九㍍の大きさで、墳頂に霊符殿がまつられている。墳丘の西側は周溝の名残を留
める窪地になっている。石室は南に開口する横穴式両袖型石室で、羨道、玄室からなり、楣石が設置されている。
大きさは全長九・二㍍、玄室長四・九七㍍である。
石室の石積み方に特徴があり、珪岩質の転石を中心に細長い棒状の片岩をまわりに配した模様積みになっている。
古くから石室が開口していたため副葬品は不明であるが、古墳時代終わり頃の六世紀後半以降に造られたものと
考えられる。
藤岡市教育委員会
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開口部を東側から 墳頂に鎮座するのが「霊符殿」
開口部
開口部
開口部 鉄製格子の扉が設けられて施錠されています
以前はお寺(住職)さんにお願いすれば石室内を見学させていただけたようですが、東日本大震災以降は危険
防止のために立ち入りができなくなったようです。
鉄製格子扉の格子の間から石室内を撮ってみましたが玄室は暗くてうまく撮れません
【羨道】長4.05m、羨道側壁は片岩と珪岩を用いた模様積のようですが玄室内の模様積と比べると
中途半端とのことです(この目で確認していないのでこういう言い方しかできません)
真っ暗にしか写っていなかった写真を画像処理してみましたがこの程度にしかなりませんでした
墳丘の西側 周濠がそのまま沼地になったようでちょっと足を踏み入れたら ズブズブ
墳頂への道です 墳頂に鎮座する霊符殿は北向きに建てられていますので、この道は背後からの
道ということになります
霊符殿古墳の名称の由来となった『霊符殿』
扁額『霊符殿』
新田大炊介義重廿四世 源朝臣道純拜書
とあります。
新田義重と言えば「新田氏」の祖 後裔の方の揮毫のようですが、調べたら江戸後期の画家
新田氏の本拠地(現在の太田市)とここ藤岡市はともに上野国ですし比較的近い位置にあります。
古墳とは関係ない無理矢理なこじつけでした・・・
墳丘北側にある石段 これが正規の参道の階段?
実はこの石段下の右側に「群馬県指定史跡 霊符殿古墳」の標柱が建ってい茶のですが写真を失念
群馬県指定史跡の場合 標柱と説明板が並んで建てられているのですが、ここにあっては別々の場所(墳丘の北西側と東
南側)でした・・・これもどうでもいい話
散策日:令和5年(2023)4月25日(火)