四季・めぐりめぐりて

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源頼義が戦勝祈願のために白旗を献上した『赤浜出雲乃伊波比神社』(埼玉県寄居町)

2020年11月27日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:出雲乃伊波比神社(いずものいわい じんじゃ)
別 称:八幡神社・白旗八幡社・赤浜八幡社
御祭神:主神・須佐之男命(すさのおのみこと)
    配祀・三穗津姫命 誉田別命 天児屋根命 天太玉命 天穗日命
    合祀・天照皇大神 軻遇突智命
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧郷社
例 祭:10月20日 大祭
指 定:ー
鎮座地:埼玉県大里郡寄居町赤浜723

式内社・男衾郡3座のひとつとされる寄居町赤浜地内に鎮座する『出雲乃伊波比神社』を訪ねて
みました。
出雲乃伊波比神社は「延喜式」神名帳に登載された武蔵国男衾郡3座の一つですが、同郡板井村
(大里郡江南町・現熊谷市)にも同名の神社があることからともに論社とされています。
古くは川本町畠山(現・深谷市)に鎮座していたと言われる。古資料減失したために創建年代は
不明。天喜年間(1053~58)の前九年の役の際、源頼義が陸奥国へ向かう途中で戦勝祈願のため
に同社へ参拝し、白旗を献上したことをきっかけに「白籏八幡社」と改称されたと言います。弘
治3年(1557)に赤浜村下河内(現在の花園橋付近)に移転し、さらに天正8年(1580)に荒川の
大洪水により、住民と共に現在の鎮座地に移転したとのこと。
明治に入り、創建当初の社名の「出雲乃伊波比神社」に改称された。




神社入口




『鳥居』  屋根が付き鳥居自体がまるで社殿のようである




向拝屋根の付いた立派な『扁額』(社号額) 【出雲乃伊波比神社】




『社号標』 【延喜式内 郷社出雲乃伊波比神社】
背後にある建物は、『出雲乃伊波比神社社務所・赤浜集会所』




手前から『浅間大神』・『天照皇大神』・『榛名社』
末社(覆屋内) 左から『蚕影大神』『三峰大神』『古峰大神』『天満社』『愛宕大神』
『白山大神』『伊奈利社』




『参道』




『手水舎』




『旧郷社 出雲乃伊波比神社由緒説明板』




「御由緒」




    参道左側:各種記念碑         参道右側:馬大神、征軍記念碑等




『拝殿』




境内社『妙見社』




『妙見社御由緒』碑




『神楽殿』




境内社『八坂神社』  石祠(社名不詳) 




拝殿正面




『狛犬』




拝殿正面を右側から
向拝右側に懸かっている額 中央に「「延喜式内 出雲乃伊波比神社」とあり 他は判読不能




『向拝』




拝殿内




隅棟鬼飾りには「左三つ巴紋」




拝殿側面




『本殿』
塀と金網で彫刻がよく見えません




本殿大棟には中央に「菊紋」 左右に「左三つ巴紋」 鬼飾りに「菊紋」
当社と「菊紋」の関係が分りません




本殿背後から





右側の叢林の中に出雲乃伊波比神社は鎮座します
坂を下ると荒川に突き当たります

参拝日:令和2年(2020)9月27日(日)

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