四季・めぐりめぐりて

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社名が長すぎる『伊古乃速御玉比売神社』(埼玉県滑川町)

2020年12月09日 | 神社仏閣
◇延喜式内社◇


社 号:伊古乃速御玉比売神社(いこのはやみたまひめのじんじゃ)
旧 称:淡洲明神
御祭神:・気長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)
    ・大鞆和気命 (おおともわけのみこと)
    ・武内宿禰(たけのうちのすくね)
    ※本来の祭神は速御玉比売命(はやみたまひめのみこと)
創 建:仁賢天皇(449~460年)のとき創祀 文明元(1469)年当地に遷座
社 格:延喜式内小社・旧郷社
例 祭:10月15日 例大祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県比企郡滑川町伊古1242

延喜式神名帳とは、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時
「官社」に指定されていた全国の神社の一覧です。
この延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、
または単に式内社といい、一種の社格となっていて、由緒ある神社と言われます。
武蔵国比企郡では1座のみ記載されており、それが滑川町の「伊古乃速御玉比売神社」です。
仁賢天皇年間(449~460年)に、蘇我石川宿禰の子孫が二ノ宮山の頂上に創建したと伝わり、
天正4年(1576年)に当地へ遷座し、二ノ宮山の社を奥宮としたとのことです。





『伊古乃速御玉比売神社』参道入口をちょっとだけ遠景で




横から見るのもいいでしょう




最初の石段を上った右側にある  『社号標』・『皇太子殿下御降誕記念碑』・『社号標』




『社号標』                『社号標』
 【延喜式内郷社伊古乃速御玉比売神社】  【延喜式内比企郡一座 伊古乃速御玉比売神社 郷社】
                        
                                




『伊古乃速御玉比売神社』説明板

   伊古乃速御玉比売神社
                                   滑川町大字伊古
 昔は二ノ宮山上にあつたが文明元(1469)年当地に遷座したと伝える。
 第60代醍醐天皇は藤原忠平に命じて延喜式を編さん、武蔵国で44座を数えた。その中の一社で
県内でも古社の一つで、比企総社となっている。
 境内全域に自生する樹水は、南半部にアラガシを主とする暖帯常緑樹、北半部はアカシデ、ソロを
主とする温帯落葉樹で両帯樹が相生していて学術上きわめて重要なため、県指定天然記念物である。
 段を登りきったところにそびえ立つ御神木「ハラミ松」は箭弓安産の祭神と相まって近年でも広く
信仰がなされている。
   平成3年 月  敬白
                                    滑 川 町 観光協会
                                    滑川町教育委員会




最初の石段とi『一の鳥居』




両部鳥居です




最初の石段を上りきって『一の鳥居』




『石灯籠』と二番目の石段




『二の鳥居』




二番目の石段を上り切った左側に 『手水舎』




右側には 『御神木』




『社務所』




二の鳥居のところから参道の石段を見返しています




数段しかありませんが三番目の石段  玉垣の中が社殿のエリア




『拝殿』




拝殿を右斜めから  山林を削平して社殿を建てたのが分ります





拝殿向拝は切妻屋根




鬼飾りには 『五七桐紋』




拝殿の戸の状況




拝殿内
何故か左側の額に入った幟ようのものには『五三の桐紋』 内幕も『五三の桐紋』
「五七の桐紋」と「五三の桐紋」のどちらも使っていることはよくあることですから




『社号額』 【伊古乃速御玉比売神社】




社殿を右斜めから




『本殿』
本殿と言っても本殿を覆っている覆屋ですが




本殿背面




『拝殿・幣殿・本殿』




境内社『金刀比羅神社』




境内社『天満天神社』




なんだかわかりません




境内社『八幡神社』




社叢林の中から境内を

参拝日:令和2年(2020)10月11日(日)

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