四季・めぐりめぐりて

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山間の田植行事を伝える『上蒔田椋神社』(埼玉県秩父市)

2020年12月08日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:椋神社(むく じんじゃ)
通 称:上蒔田椋神社
御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社
例 祭:3月第1日曜日 御田植祭
指 定:ー
鎮座地:埼玉県秩父市蒔田2842

秩父市蒔田には二社の椋神社があり、こちらは上蒔田椋神社と呼ばれます。椋神社は「延喜式神名帳」
に掲載された武蔵国秩父郡の式内社ですが、秩父郡市には同名社が5社ありますが、明治政府はいずれ
の神社にも式内社と称することを許したといいます(いずれも論社・比定社)
この上蒔田の椋神社も永禄年間の「信玄焼き」によって灰燼と帰し、明治に入って拝殿が再建されたと
のこと。
また、当社で行われる「御田植神事」は県指定の無形民俗文化財です。




国道299号線沿いに建つ『一の鳥居』と【延喜式内 椋神社】と刻まれている『社号標』




参道を進むと『二の鳥居』が見えてきます




『狛犬』




『二の鳥居』




二の鳥居を潜ってすぐの左手にある『手水舎』




境内  「椋神社御田植祭」では境内を御田代に見立てて神事が行われる




  上蒔田 椋 神 社 御由緒
                            秩父市蒔田(字宮平)二八四二
◇山間での田植行事を伝える社、祭神は大黒様
 荒川支流の蒔田川に沿って、位置している蒔田には椋神社が二社鎮座する。当社は上蒔田の
字宮ノ平に、もう一社は中蒔田の字宮原にあって、当社の御祭神大己貴命を勧請したものと伝
えられる。
 当社の創建については、社蔵の古文書である『椋神社縁起』に、『日本武尊が東征に際して
武蔵国に至った時、「ちちぶが嶽」の頂に登り国の繁栄を天神地衹に祈念したところ、どこか
らともなく老人が現れ、「穀種の戈の先に取かけ是を北の方にむかひて投げ給うべし」と告げ、
去って行った尊は老人の教えに従い、戈を投じたところその落ちた所に種が蒔き散り、穀物が
豊かに実った。この老人は八千戈神すなわち大己貴命であった。これをもって尊はこの地を蒔
田と名付け、また戈の落ちた所に椋の大樹があったことから、尊は神徳を崇め、椋の大神と名
付けて、八千戈神の荒魂を奉斎し、東夷の平定を祈った。』とある。
 以来、この故事に基づき、村人によって御田植神事が連綿と行われてきたが、永禄年間の
「信玄焼き」によって灰燼と帰し、明治時代に拝殿も再建され、御田植神事も古例の通りに行
われるようになった。
 明治六年には延喜式内社を称することを許可され、同九年に蒔田村の村社となる。
 当社の「御田植神事」は、埼玉県の無形民俗文化財に指定されている。
◇主祭神     ◇例祭日
  ●大己貴命     ●三月第一日曜日




『拝殿』




『扁額』【椋神社】と揮毫




社殿を横から




『本殿』(覆殿)




本殿主棟鬼飾りの「三つ葉葵紋」




社殿を石垣の下から  拝殿、本殿とも入母屋造り




寄進額(奉納)が刻まれた石碑群
金壱百圓也 などとあります 当時のお金では大金だったでしょう





「椋神社御田植祭」説明板




椋神社碑?




『社務所』

参拝日:令和2年(2020)9月28日(月)

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