四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

雷電神社裏古墳(埼玉県美里町)

2019年06月21日 | 古墳


名 称:雷電神社裏古墳(らいでんじんじゃうらこふん)
別 名:― 
墳 形:円墳 横穴式石室  
規 模:径10m 高2m
築 造:6世紀半~7世紀代
立 地:丘陵
現 況:山林、畑 
指 定:― 
備 考:消滅
所在地:埼玉県児玉郡美里町中里

この雷電神社裏古墳について最初は、雷電神社が征夷大将軍坂上田村麻呂にまつわるものだと知り、次に、神社
西側の道路が旧鎌倉街道と知り、更に、古墳だったと知るに至ったものですが、カテゴリを神社仏閣・鎌倉街道・
古墳のどれにするかおおいに悩みましたが(冗談)、取り敢えず「古墳」で・・・




雷電神社の東側を走る国道254号線の歩道上から撮りましたが、小規模の神社ですから存在を知っていない限り
は気付かずに通り過ぎるでしょう。




雷電神社の由緒書
冒頭に征夷大将軍坂上田村麻呂との関係が記されています。こうした坂上田村麻呂の関わりを謳った神社はあち
こちにありますが、果たして真偽のほどは・・・




神社のあるあたりは国道側より明らかに高く、丘陵であることが分ります。




覆屋と覆屋の中に鎮座する雷電神社(右下の枠の中)




神社西側の道路 これが旧鎌倉街道ですが、社のある場所より更に高くなっています。
古墳は社裏あたりからこの旧鎌倉街道にかけてあったものと思われます。
コンクリートの土留め壁は丘陵(古墳)が削られたことを裏付けるものでしょう。




東西に道路が横切り丘陵部を分断しています




逆方向(北方から南方向)から見るとこんな感じです




更に北方から見てみます 
道路左側(東側)に更に高いコンクリートの土留め壁があり墳丘ようのものがあります。




碗を伏せたような土盛りの上に「浅間大神」の石碑が建っています




墳丘を裏側(北側)からみています
素人の私には正しいことは分りませんが、ここも古墳跡(半壊)のようです。
但し、雷電神社裏古墳の一部でないことは距離的に見ても違うことは確かです。

散策日:令和元年(2019)5月27日(月)

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