四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

新田義重の後裔の邸内社から村の鎮守となった『七本木神社』(埼玉県上里町)

2021年01月19日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:七本木神社(しちほんぎじんじゃ)
旧 称:-
御祭神:・誉田別尊(ほんだわけのみこと)
    ・倉稻魂命(うかのみたまのみこと)
    ・菅原道真(すがわらみちざね)
創 建:不詳
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社 神饌幣帛料供進神社
例 祭:10月19日 例祭
指 定:-
鎮座地:埼玉県児玉郡上里町七本木3237


七本木神社に合祀されている『榛名宮神社』(榛名大神社)は、延喜式神名帳の「武蔵国加美郡」の
式内社四社のうちの「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」
に比定される式内社(小社)の論社です。榛名宮神社は、もとは村内の字本郷原に鎮座していたとい
い、明治42年(1909)に他六社と共に合祀され七本木神社と改称されたものです。
ひとつの神社が三社の式内社に比定される論社であるということ。更に、この式内社三社の論社は複
数あり、裏を返せば式内社の素性がはっきりしていないと言うことになるのかも知れません。
元々は此の地を開発した旧金井家の邸内社で、後に村の鎮守となった八幡神社が合祀により七本木神
社と改称されたものですが、金井家は新田新田義重の後裔であるといい、新田蔵人の子三郎長義が金
井を称したのが始まりだといいます。つまり遡れば八幡太郎義家(源 義家)の子孫ということになり
ますから、邸内社に祀ったのが八幡神社というのは当然と言えば当然かも知れません。





境内・参道入口 《鳥居》




《社号標》 【七本木神社】とのみ刻まれています




『七本木神社御由緒』

  七本木神社 御由緒
                              上里町七本木3237
御縁起(歴史)
 当地は、旧金井家が開発した土地であり、地名の由来は、村内に七本の古木があったことによる。
『児玉郡誌』(昭和二年刊)には、久保田新田の旧八幡神社境内に、「八幡の大欅」と称される樹齢
六七〇年ほどの大木があり、地名の由来となった七本のうちの一本であり、他の六本は枯れてしまっ
たと記されている。
 創建については金井家の火災により古文書を失い不詳であるが、邸内社として祀っていた八幡神社
が村の鎮守となったものである。『明細帳』によると、明治四十二年に、榛名大神社・愛宕神社・白
岩神社・稲荷神社二社・八幡神社二社を合祀して、社名を七本木神社と改めたものである。現在、境
内の一角に合祀となった七社の旧本殿が建物に納められており、いずれも古色蒼然とした立派な造り
ものである。空宮となった中には、宝永五年(1708)銘の稲荷大明神棟札、元文五年(1740)銘の
八幡宮棟札、寛政十一年(1799)銘の正一位稲荷大明神白幣が納められている。
 一間社流造りの本殿には、弓矢を手に持つ八幡大明神座像が厨子に納められて泰安されている。こ
のほかに、合祀された数基の幣芯が納められており、このうち榛名神社から遷された幣芯には「今木
青□坂稲実池上神社」と墨書されている。

御祭神と御神徳 (省略)
御祭日     (省略)




『七本木神社の庚申塚』
地元では「お庚申さま」と呼ばれるで本郷の愛宕塚から移転された
98基の庚申塔が建てられていて頂上に猿田彦を祀るという




広~い境内です




『手水舎』  
左側にあるのが『御神木』?




『社務所』




『神饌幣帛料供進神社指定記念碑』




『狛犬』




『拝殿』




『拝殿』




拝殿表面を横から
通常は扁額(社号額)が掲げられる場所に掲げられている「額」 
何が書かれているかは褪色していてわかりません




拝殿内
【七本木神社】と揮毫された表装された額が掲げられています
幔幕の先に『本殿』が見えています




社殿を右斜めから




拝殿大棟鬼飾りには「並び矢」紋
本殿には弓矢を手に持つ八幡大明神座像が厨子に納められているとのことですのでそれに
由来するものかと




本殿(覆殿)の背後から社殿を




社殿の右側にある合祀した本殿を納めた合祀殿




この一か所のみ拝殿と同じ吹きになっています




中の本殿は『稲荷神社』のようです




たの部分は社殿に向っています




社名は分りませんが合祀殿に納められている本殿の一部です
歴史と厳かを感じます




社殿裏の石祠(境内社)群




境内をもう一度  やっぱり広~~い

参拝日:令和2年(2020)11月4日(水)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。