四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

末野窯跡(埼玉県寄居町)

2021年07月02日 | 古代窯跡


名 称:末野窯跡( すえのかまあと)
種 別:登り窯跡
時 代:平安時代
指 定:埼玉県指定史跡(名称:末野窯跡 大正15年〔1926〕3月31日指定)
所在地:埼玉県大里郡寄居町末野2263-3

古代武蔵の国には、南多摩窯跡群(東京都八王子市)、東金子窯跡群(埼玉県入間郡)、南比企窯
跡群(埼玉県比企郡)、末野窯跡群(埼玉県大里郡)の四大窯跡と呼ばれる須恵器生産の拠点があ
ったとのことです。このうちの3か所が埼玉県西部に集中しています。
末野窯跡群には90基近い登り窯跡が存在していたことが判明しており、これら窯跡で須恵器・皿な
どのほか瓦、埴輪など多彩のものが盛んに焼かれていました。『末野窯跡』は、その末野窯跡群の
一つで、当時のまま保存されており、埼玉県指定史跡になっています。

 


末野窯跡の場所を地図上に落としてみました(おおまかな位置ですが)




末野窯跡を探してこの細い道を進みますが、先は行き止まりのようです
左側の丘陵の中に末野窯跡はあるようです




電柱の前に「埼玉県指定 史跡 末野窯跡」の説明板が立っていました




『埼玉県指定 史跡 末野窯跡』
この付近には丘陵の斜面を利用して数多くの登り窯が築造されたようですが、現在、当時のままで
保存されているのは県指定史跡となっている「末野窯跡」だけのようです




説明板のあった場所から丘陵に向いましたがいきなりこんな状態です




朽ちて倒れた竹が重なるように進路を遮っています 下を潜ったり退かしたりしながら進むもこの
道筋でよいのか この先はどうなっているのかと不安になります
イノシシや熊でも出没するのでしょうか大きなゲージのイノシシ箱罠が置かれていましたから一層
不安に




倒れている竹の間から小屋が見えました




末野窯跡の覆屋です




斜面と並行に建てられていませんので半分は埋まった格好になっています




斜面と覆屋の間は枯葉等で埋まってしまっています
ここにも 「県指定史跡末野窯跡」説明板が立っています




『県指定史跡末野窯跡』説明板
【末野(すえの)は須江野(すえの)すなわ陶野(すえの)である】
まずは地名の起こりから始まっています
※須江・・・須恵器
奈良時代前期(8世紀前半)に創建された武蔵国分寺(国分寺市)の屋根瓦も、ここで焼かれている




枯葉でよく見えませんが覆屋の左方に石が組まれたものがあります
祭祀か何かのためのものでしょうか




格子の間から登り窯の跡を 奥の方は暗くてうまく撮れませんでした




若干向きを変えて見ましたが大した変わりはありません




奥(斜面上側)の小窓から下に向って撮ろうと思い上に向いましたが、覆屋側面はこんな状態に
なっています




小窓は斜面の地表とギリギリのところにあったためカメラを持つ手を小窓に近づけて適当にシャッ
ターを切るしかありませんでした
何度かシャッターを切りましたがまともには写っておらずこれが精一杯の唯一のもので何とか画像
処理して




「かんぽの宿寄居」への坂道の右側途中のガードレールで仕切られた部分から丘陵下を見ています
この下の方に末野窯跡の覆屋がある筈ですがこれでは見えませんし、ここから行くことは無理のよ
うです

散策日:令和3年(2021)5月28日(金)

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