四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

小正月ー繭玉飾り・削り花ー

2020年01月15日 | 歳時記


今日1月15日は小正月。昔は成人の日でもありましたが、今は1月の第2月曜日があてられているので、
今年は13日が成人の日にあたりましたが、前日12日の日曜日に式典を行ったところが多いようです。

埼玉県唯一の村・東秩父村の和紙の里には、今年も繭玉と削り花が飾られました。




繭玉飾りは、米の粉または餅を繭のように丸めて、木の枝に付けて飾り、五穀豊穣や蚕の成長を祈願する
もの。削り花は、ニワトコの木を削って花や穂に見立てたもので、やはり、その年の五穀豊穣を願ってお
供えされるもの。

昔は、農家や養蚕家のほとんどで繭玉や削り花を飾ったようですが、今は見ることが出来るのは限られた
所しかありません。

撮影日:令和2年(2020)1月12日(日)

水仙

2020年01月13日 | 花・鳥・風景


我が家のちっぽけな庭の水仙(二ホンスイセン)は、まだ花を見せていませんが、散歩道の堤の斜面に、今年も
また数輪咲いていましたので撮ってきました。




水仙といえば思い起こすのが、立原正秋という作家です。没してから今年で40年になりますが、私は立原正秋が
没した年齢をはるかに超えてしまいました。
立原正秋は、水仙が好きでした。小説の中にもよく登場しましたし、あらすじは書きませんが、『水仙』という
短編ものこしています。
これらの作品集にも収められています。右ふたつは、単行本と文庫本の違いだけで、収録作品は同じです。
 立原正秋全集 第21巻 角川書店   昭和59年4月12日発行(1984)  
 埋 火        新潮社    昭和54年6月10日発行(1979)   
 埋 火        新潮文庫   昭和59年8月29日発行(1984)   




長編小説『その年の冬』の単行本のカバー絵には、立原正秋の好きな水仙の画が使われています。そして、この
長編の章の一つに「水仙」があります。ほんとに好きだったのですね。
 その年の冬      講談社    昭和55年11月8日発行(1980)  

撮影日:令和2年(2020)1月3日(金)

ー考古学から見る武蔵・相模のひとびとー 万葉のくらし

2020年01月11日 | 講演会・講座


令和元年度 東京・神奈川・埼玉埋蔵文化財関係財団普及連携事業公開セミナー
埼 玉 県 埋 蔵 文 化 財 調 査 事 業 団 設 立 4 0 周 年 記 念

ー考古学から見る武蔵・相模のひとびとー  
   万葉のくらし

日時:令和2年(2020)1月11日(土) 10:00~16:30
会場:戸田市文化会館(戸田市上戸田4丁目)

開催の内容
 ・万葉前夜     上野真由美 氏(公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団)
 ・万葉のすまい  小 西 絵 美 氏(公益財団法人 東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター)
 ・万葉のうつわ  高 橋 香 氏(公益財団法人 かながわ考古学財団)
       ー昼休憩ー
 ・万葉のうたげ  大 塚 邦 明 氏(公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団)
 ・記念講演 万葉に生きる女性   福 藤 早 苗 氏(埼玉学園大学名誉教授)
 ・戸田市の文化財 吉 田 幸 一 氏(戸田市教育委員会生涯学習課)
 ・琴曲の演奏 (埼玉県立浦和第一女子高等学校琴部)
 ・ミニシンポジウム「万葉のくらし」
   司   会   赤 熊 浩 一 氏(公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団)
   オブザーバー  田 中 広 明 氏(公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団)

を聴講してきました。

令和にちなみ、講演者それぞれが、自己の講演内容に相応しい万葉歌を冒頭に紹介説明するという
新しい手法での講演でした。




会場となった戸田市文化会館




セミナー資料

聴講日:令和2年(2020)1月11日(土)

シジュウカラ

2020年01月07日 | 花・鳥・風景


この写真には敢えて入れていませんが、この河川も、昨秋の台風19号であちらこちらで堤が崩れてしまい、大
型土嚢袋(フレコンバッグ)で応急措置がされています。この散歩道の堤も三分の一程崩れたままで歩けません。
そんな堤の桜の木にメジロやシジュウカラなどの小鳥が飛んできます。
安物のカメラとレンズではまともには撮れません。トリミングと画像処理をしてもこれで精いっぱいです。






枝に止まるのはシジュウカラですが、財布の中は「しじゅう空」です。

撮影日:令和2年(2020)1月6日(月)

天神山2号墳(埼玉県嵐山町)

2020年01月06日 | 古墳


名 称:天神山2号墳(てんじんやま2ごうふん)
別 名:天神山古墳群2号墳
墳 形:円墳 
規 模:径15m、高さ3m
築 造:古墳時代後期(6世紀初めから7世紀の半ば頃)
指 定:町指定史跡(名称:天神山古墳群 昭和60年(1985)12月1日指定)
所在地:埼玉県比企郡嵐山町大字勝田字菅原台

石室を見ることが出来る天神山2号墳は、嵐山町指定史跡の天神山古墳群を構成する古墳のひとつ。
そんな天神山古墳群を訪ねてみました。




天神山古墳群は、山というほどではありませんが高台に位置しています




『嵐山町指定史跡 天神山古墳群』説明板




『天神山2号墳』 開口部のある南方を




石室開口部




羨道部と奥室(玄室)




膝をついて這うようにして羨道部に潜り込んで奥室を




更に奥室に潜り込んで壁面を (体の向きを変えるのも大変!!)




同じく壁面を  石がぴたりと嵌まっています




奥室から開口部を




1号墳 2号墳の南側に位置しています




3号墳? 2号墳の西側に位置しています

この他にもこれらより小さな古墳(塚)を3基ほどカメラに収めたのですが、写真ではよくわかり
ませんので掲載は省略します




古墳群のある高台の端から  中央の搭がある山は滑川町の二ノ宮山

散策日:令和元年(2019)11月25日(月)

桜山窯跡群(埼玉県東松山市)

2020年01月04日 | 古代窯跡


名 称:桜山窯跡群(さくらやまかまあとぐん)
別 名:-
形 態:窯跡群
時 期:古墳時代後期(6世紀前半~6世紀末)
現 況:はにわの丘公園として整備
指 定:市指定史跡(名称:桜山窯跡群  昭和62年(1987)4月1日指定)
所在地:埼玉県東松山市桜山台4

瓦を焼いた窯跡はいくつか訪ねていますが、埴輪を焚いていた窯跡があるところは初めて?




窯跡群を含めてのはにわの丘公園なのでしょうが、小さな公園にも関わらずトイレ、水飲み場があ
るのは好印象。




市指定史跡「桜山窯跡群」説明板




説明板の中から窯跡群の見取図を




説明板にある当時の様子の再現イラスト




窯跡の形を躑躅の植え込みで表しています




須恵器窯跡




はにわ窯跡



住居跡




窯跡群の斜面

窯跡の形の表現に植物を使ったのは公園という観点もあったのかもしれませんが、ちょっと違和感が・・・

散策日:令和元年(2019)11月24日(日)

真板氏館(埼玉県行田市)

2020年01月02日 | 100名城以外の城館跡


城 名:真板氏館(まないたしやかた)
別 名:真名板氏館
形 態:館
時 期:鎌倉時代
築城主:真板五郎次郎経朝
城 主:真板五郎次郎経朝
遺 構:-
指 定:-
現 況:花蔵院跡地真名板薬師堂
所在地:埼玉県行田市真名板1532 

行田市真名板地内の花蔵院(廃寺)真名板薬師堂境内が、鎌倉幕府の御家人真板五郎次郎経朝の居館跡と
伝わります。
経朝は弓の名手で、仁治4年(1243)以降11回に渡り、正月行事である御的始の射手を務めたことが『吾
妻鏡』に記されているようで、第35巻の中に、

仁治四年正月大十日丁亥。天晴。御弓始也。前太宰少貳爲申次。二五度射之。就箭員有祿。殿上人賜之云々。
射手
 一番  佐原七郎左衛門尉     澁谷六郎
 二番  中村太郎〔伊達〕     山内左衛門次郎
 三番  眞板五郎次郎       小河左衛門尉
 四番  神地四郎         對馬太郎
 五番  岡部左衛門四郎      肥田四郎左衛門尉

とあります。

館跡とされる薬師堂境内には遺構らしきものは認められませんが、当所にある薬師如来像や大板碑、公孫
樹は、経朝が活躍した鎌倉時代のもののようです。
なお、真板氏がここに居館を構えていたと伝わる以外は、出自やその後については分っていません。

そんな真板氏館跡と伝わる真名板薬師堂を訪ねてみました。




『楼門』 「藥王山」の扁額




「仁王像」




『力石』(ちからいし)




『新渠之碑』 慶応2年1(866)10月建立
碑の左側には、原文と原文意訳が記された説明板が設置されています。

碑の右側に②と記号を入れましたが、諸先輩方の真板氏館のリポートの写真では、ここに『真板氏館跡』
の石碑が写っています。行田市内でよく見かけるあの板石のものですが、私が訪問した時はこの通り石碑
はありませんでした。
元々は、トップの写真で玉垣の前に①と入れた場所に建っていたものを、②に移したようですが、撤去さ
れたようです。撤去されてから数年経つようですが、その理由は分りません。ここを真板氏館跡と名乗る
ことに何か不都合でも生じたのでしょうか?




『真名板薬師堂の公孫樹』 市指定天然記念物  指定年月日  昭和33(1958)年3月1日
薬師堂の前に東西に一列に3本植栽されています。雄木2本、雌木1本(東側)から成り、最大目通り5.5m、
まわり8.2mを計り、樹齢700年とも伝わる市内有数の巨木。




『薬師堂』




薬師堂に掲げられている薬師如来の額




埼玉県指定文化財  
   銅造伝薬師如来立像      
                                平成17年3月22日指定
像が安置されているこの薬師堂は、江戸時代にこの土地にあった花蔵院という真言宗寺院の境内にあって、
その差配を受けていた堂であったといわれています(『新編武蔵風土記』)
花蔵院は明治時代初期に廃寺となり、現在は薬師堂のみが残り、この像は両手先が失われていることから
「手なし薬師」として地域の信仰を集めています。
像の製作時期は鎌倉時代後期であり、この時期の金銅仏は全体的に小作りなものが多い中で94㎝目―もの
像高を持つ像は珍しいものといえます。また、薬師堂の近くには、この像とほぼ同じ時期にあたる「建治
元年(1275)銘の板石塔婆(行田市指定文化財)があります。
 平成19年12月                埼玉県教育委員会  行田市教育委員会




『板石塔婆』   行田市指定文化財         昭和34年3月19日指定
高さ3.51m、幅87㎝、厚さ13.7㎝行田市内で最も大きな板石塔婆
上部に伊字ノ三点、その下に阿弥陀一尊の種子(キリーク)を荘厳体で刻み中央の蓮台の上に「南無阿弥
陀仏」の銘文、左右に長五輪塔、下部に建治元年(1275)乙亥九月の記年銘と銘文が刻まれている。
     
地名は「真名板」 名は「真板」と表記しますが、いずれも「まないた」と読みます。
真板氏については真名板と表記することもあるようです。

散策日:令和元年(2019)11月21日(木)