幼い頃から、野生動物と会話をしながら、育った少女。・・・・やっぱり「動物と人」は、意思の疎通や会話も出来・・・・んですね。
幼い頃から、野生動物と会話をしながら、育った少女。・・・・やっぱり「動物と人」は、意思の疎通や会話も出来・・・・んですね。
スプーンとビー玉(色鉛筆画)を描いて見た。
陸に上がったオオバン
一般道の直ぐ横の草の生い茂った、土手に上がって一生懸命、何やら餌を食べてる「オオバン」に出会いました。 陸に上がったオオバンは、これまであまり見たことが無かったのでパチリ、パチリ。 オオバンは、植物食傾向の強い雑食で、主に水生植物・魚類・鳥類の卵や雛、昆虫・軟体動物なども食べると言うことなので、草に着いた昆虫でも、食べていたのでしょうか。 近付いて行くとゆっくりと川に飛び込み、避難しました。
当地方に飛来している水鳥の中では、「オオバン」と「キンクロハジロ」 の数が、一番多い様に感じます。
水彩画(模写~再掲)
鉛筆&パステル画(新規):永遠のアイドル:ジェームズ・ディーン
理由なき反抗テーマ曲
ヤマガラ
久し振りの「風の丘公園」の散歩でしたが、運良く、ツグミとヤマガラの群れに出会う事が出来ました。
ヤマガラ、ガラ子ちゃんは、獣道をどんどん追い掛けて、頂上付近でやっとこさ撮ることに成功しました。 赤松の高枝の間を虫を探して、終始落ち着きがありません。 だから、撮影するの大変手こずりました。 でも、やっぱり小鳥ですので可愛いです。
マツボックイの間に巣くった、虫などを懸命に探している様です。
ご視聴有難うございました! ガラ子でした。
日本最小のキツツキ
全長約15cm程の日本で一番小さなキツツキです。 背は、黒色に白い点線模様が沢山あり、お腹の方は薄い焦げ茶に縦の斑が入っています。 オスは耳羽の上あたりに赤色羽がある様ですが、風になびくなどしないと、見えないくらい小さな羽の様ですので、私はまだ一度も見たことがありません。 強い握力の有る両足と尾との三角点で体を確保し、垂直な木の幹を上り下りできます。 下りは頭は上にしたままの姿勢で、跳ねながら少しずつ落ちる様に下がります。 「ギイー ギイー」と聞こえる声。 今の時期(冬期)には、木の割れ目幹やに巣食う、虫を捕らえるために穴をあけることも、また、木の枝に逆さまにぶら下がりなが体重を支え、虫などの餌を捕食しているのをよく見掛けます。 春や夏には木の葉につく虫を食べていることが多いです。 堅い木の実を食べることもあります。 日本全国では北海道から沖縄・西表島まで、ほぼ全国に分布・繁殖していて、渡りはしません。 地方ごとに色彩に変化があり、多くの亜種に分けられている様です。
川鵜:カワウ
鵜は、素潜り名人で一度潜ると、アッと言う間に小魚を咥えて浮上して来ます。 昭和40年代頃までは、内堀にもたくさんのタナゴ等がいましたが、今は鵜や外来魚に押されて、全く居なくなりました。 この鵜を慣らして、日本の伝統漁としての、「鵜飼い」鮎の捕獲に使われます。 鵜飼いの歴史は古く、今から1400〜1300年ほど前には、既に長良川など日本の各所で行われていました。 現在は、岐阜県・長良川、愛媛県・肱川、大分県の三隅川で行われる、「鵜飼い」が日本三大鵜飼いとされています。 鵜は視力が優れ、人に懐きやすい鳥です。 鵜飼いで使われる鵜は、3年間ほど人によって訓練された後、人と一緒に漁を行います。 鵜は、鵜匠 と一緒の家で暮らし、家族や子どものように大切に扱われます。 鵜が年をとり、活躍できなくなった後も、この共同生活は続くと言います。 鵜と鵜匠は固い絆で結ばれているのです。 せめて飼育鳥については、人間との関係においては、こうあって欲しいものです。
海にいるから「ウミウ」、川にいるから「カワウ」であると。。。そう単純には識別できません。 ただ、この画像の鵜については、嘴の付け根の黄色い部分の形や、目尻の白い毛の形から「カワウ」だと思います。 松江城の内堀にある、コロニーの周辺にて撮ったものです。 子孫繁栄の為に、3月から7月頃にかけて、子育てに取り組んでいる事でしょう。
頭から首にかけて、白い目出し帽を被った様なのが、「婚姻色」の鵜です。
今日は、どこにでもいる「鵜」でした。
『男子厨房に入らず』等と言いますが、決してその様なことは有りません。 それは、昔むかしその昔のお話です。 今は、料理を趣味の一つとしている人もいる訳です。 例えば、私の様に。(笑) ところで、今日は「肉じゃが」を作りつつ、つらつら思った訳です。 毎度、料理で使われる食材の、「ジャガイモ」「玉ネギ」は、一体どこから来たのだろうか?と。。。いずれにしても、一番最初にこれらの食材に、思い付いた人って、もしかしたらジャガイモ、玉ネギには、毒があるかもしれないんじゃないですか。 どうして毒見をせずに食べたのでしょうか。。。。。等々考えれば考えるほど、???符は尽きる事がありません。 そこで先ずルーツを辿って見る事にしました。
玉ねぎの歴史
玉ねぎは、昔むかしその遥かなる昔から、人々に愛されてきました。 人々は早くから玉ねぎの効能に気付いて、とても重宝していたということが分かります。 そんな玉ねぎの歴史について調べて見ました。
その①・・・ピラミッドを建設する労働者たちは、玉ねぎを食べていた。
玉ねぎを食べるとスタミナがアップすると言われていますが、その効果が実証されたのは、科学が発達た随分後のことです。 食用野菜として「玉ねぎ」が食されたのは、紀元前3千前の古代エジプトや、メソポタミア文明の時代から始まっています。 ピラミッド建設をする労働者達が、玉ねぎをこぞって食べていたというエピソードがありますが、その真偽のほどは分かりません。 なんせ大昔の事ですから。(笑) ただ、当時の人達は科学的な根拠よりも、身をもって玉ねぎの滋養強壮効果を実感していたのかもしれませんね。 そして玉ねぎパワーで、あの巨大なピラミッドの石が運ばれ造られたのかもしれません。
その②・・・玉ねぎは魔除けとして使われていた。?
地中海沿岸を中心にヨーロッパに伝わった玉ねぎは、肉や魚料理に合う食材として、16世紀ごろから広く栽培されるようになりました。 その栽培過程で南ヨーロッパでは、生食用の甘玉ねぎが、東ヨーロッパでは、刺激の強い辛玉ねぎが出来ました。 これが現在栽培されている玉ねぎの原型になっている様です。 ヨーロッパ中世では、その独特な香りから「魔よけ」としても使われていました。 ヨーロッパの家々には、魔除けとして玉ねぎが吊るされていたそうです。 玉ねぎは栄養をとるだけでなく、 神秘の力をもつ食べ物だったのですね。の その③・・・アメリカで様々な種類の玉ねぎが生み出された。 玉ねぎは中央アジアから、西へと伝わりコロンブスによって、ヨーロッパからアメリカ大陸にもたらわれたと言われています。 アメリカで甘玉ねぎ、辛玉ねぎともに品種改良され、さまざまな種類が出来ました。 今、現在多く出回っている品種の原型となる、スイートスパニッシュやイエロー・グローブ・ダンバースなどが誕生しています。 その後も玉ねぎは広く栽培されて、ハンバーガーやアメリカンフードには、なくてはならないかかせない存在になって行きました。
その④・・・日本に初めて玉ねぎが伝わったのはコレラに効くという噂から?ら? 玉ねぎが日本に初めて伝えられたのは、1770年に南蛮船が長崎にやってきた時のことです。 しかし国内では既に長ねぎが普及していたので、当時はあまり食べられることはありませんでした。 本格的に玉ねぎ栽培されるようになったのは、明治時代に入ってからです。 アメリカから伝わった種を、最初に北海道において、栽培が始まりました。 玉ねぎを食べるのが激増したきっかけは、当時関西で流行していたコレラに玉ねぎが効くという噂からだそうです。 玉ねぎの薬効には、日本でも早くから注目していた様です。・・・・・ここで一息入れます。(笑)・・・・・
さて、次に来るのが、ジャガイモの歴史です。(出典:農林水産庁) その①・・・生まれたのはアンデスの山の中。 南アメリカでは、中南米から南米のアンデス山脈で、ジャガイモは生まれました。 今でも3000m以上の高地では、ジャガイモのもとになっている、野生種がたくさん残っています。 中央アンデス高地では、寒い冬の間に、チュノーというジャガイモのミイラ(干物?)を作っていました。 夜は外に出して凍らせて、昼は溶かして。。。それをを繰り返すと、水が抜けてカラカラになります。 こうやってずっと保存ができるようにしていたのです。
その②・・・ヨーロッパでは 15世紀末に、スペイン人が南アメリカから持ち帰ったのが始まりです。 ヨーロッパでは長い間、花を楽しむだけの物だったのだそうです。 アンデスより日が長くて暖かいので、葉や茎だけが繁って、芋が出来にくかった様です。 18世紀の半ばになって、やっと食べる為のジャガイモが出来る様になりました。 フランスでは、バルマンチェという人のお蔭で広まりました。 畑に昼だけ見張りの兵士をつけて、厳重に守っていたら、見張りがいなくなった夜、みんなが盗み出して、作る様になったのです。
その③・・・日本では、と言うと。 17世紀の初めにインドネシアのジャカルタからやってきました。 「ジャカルタから来た芋=ジャガタライモ」がなまって、「ジャガイモ」になったと言われています。 その後、江戸時代に何度もあった飢饉)の度に、飢えを凌ぐための作物として広がった様です。 現在作られている男爵芋、メークインといったジャガイモは、明治時代になってアメリカから入って来て、優秀な日本の改良技術により、美味しいジャガイモが、生まれ食卓に届くと、言うわけです。
それにしても、最初に発見し、試食た人は毒見を兼ねて、勇気があったのでしょうね。 今日は、誰かさんを真似て(笑)(ラクちゃんの、ここ掘れワンワン) 食材についての深堀りをして見ました。
今日は少し疲れましたので、ではでは。。。
城山の森には、今、たくさんの野鳥が入っています。 今日は、先日撮った画像と昨年末
に撮った画像を併せてUPして見ました。 この城山の森では、シメやエナガやウグイス・メジロ・鵜など、様々な鳥を撮影しました。 中でも珍しいのが、この『キクイタダキ』です。
『キクイタダキ』
日本では最小の野鳥です。 和名の由来は、頭頂部の羽毛を菊の花にみたてたものです。 全長10cm。 日本で見られる野鳥の中では、最も小さく体重5グラムほどです。 全体はうすい緑色をしていて、頭のてっぺんが鮮かな菊の花びらが貼りついている様であり、 雌へのディスプレーとして、頭のイエローが開く事から、その名も「菊戴」とついた様です。 絶えずせかせかと枝から枝へと飛びまわり、目が離せません。 ファインダーの中に捉える事さへ、とても難しい野鳥です。 日本では冬鳥として渡来している他、北海道や本州の高山帯の針葉樹で繁殖します。 平地では冬鳥で、林の中でも針葉樹で餌を探しています。 巣は、針葉樹の枝先にコケ類、クモの糸などを使ってつくり、ホバリングしながら出入りをします。 北欧やイギリスでは美しく鳴く鳥が少ないことから、特に愛されている様です。 ひろくヨーロッパで鳥の王といわれているのは、小さくても「黄金の王冠」をかぶり、凛とした姿が連想を呼ぶのでしょうか。
今日も、カワ(・∀・)イイ!! 野鳥の世界をご覧いただき、ありがとうございます。
再び「シメ」の登場です。
先日UPの「シメ」は、枝被り画像だったので、今日改めて「城山の森」に出掛けて撮って来ました。 この森には、たくさんの野鳥達が居ます。 小鳥たちは虫を探して、枝から枝へと次々と渡って行きますので、なかなかファインダーの中に、捉え切ることが出来ません。 でも今日は、少しは増しな画像を記録することが出来ました。
先日撮った ↑ 画像
今日撮った ☟ 画像
翼に飾り羽を持つキツネ色の鳥
全長18.5cm。 全身茶色系で、くちばしは短かめで太く、尾の短い鳥です。 この嘴で堅い木の実、草の実を割って食べています。 羽毛の色は変わりませんが、夏鳥ではくちばしが灰色になり、冬鳥では肉色です。 北海道で繁殖し、秋になると本州に渡ってきます。 山地よりも平地の林の中に、1羽、または小さな群れでいて、大きな群れになるのは渡りの時です。 一般的には漂鳥ですが、冬になると海外から渡来してくることも確認されています。 冬は人家の近くにも姿を見せ、エサ台にもあらわれます。肥満型で小鳥の感じがしませんし、事実、エサ台などでは他の鳥を追いはらって独占したりしています。(出典:サントリー愛鳥活動より。)
漂鳥・・・渡り鳥ほど長距離移動はしないが、季節ごとに短距離の移動をしたり、山地と低地を往復移動したりで。。。局所的な渡り鳥
である。
「オオヒシクイ」の接近撮影に成功せり。
「オオヒシクイ」については、先日来UPしてきましたが、警戒心が強くて接近撮影が出来ず。。。今日に至って、やっとまずまずの画像を撮ることが出来ました。
毎年11月下旬頃になると、斐伊川河口周辺に「オオヒシクイ」の群が、カムチャッカ半島から遥々やってきます。 「オオヒシクイ」は、ガンの一種(渡鳥)で、国の天然記念物に指定されています。 体長は約90cm。 羽を広げると、なんと180cm以上もある大型の鳥です。 くちばしの先に黒・オレンジ色が入っています。 飛来する斐伊川河口周辺は、斐川平野の広々とした水田地帯となっています。 「オオヒシクイ」は河口周辺を拠点として、夜明けと共に四方八方に出掛けて行き、田んぼの2番穂やスズメノカタビラなどの食物をついばんだり、のんびりと日なたぼっこ等をして過ごします。 この田んぼに飛来するのは、ほぼ同じ場所であり、個体数も変わらないので、同じ個体が日参ていると思われます。
想像を絶する宇宙
この画像を見ていると、人間達のやってる事の、「なんと姑息なことよ。」と、思うのです。 だからと言って、努力や情熱・愛・・・many othersを否定するものではありません。 ただ、物事に一喜一憂するすることが、あまり意味のない事だと思うのですよね。
~野鳥の数々~
久し振りにmy野鳥の宝庫、満願寺の森に出掛けて見ました。 居ました、いました。 まず最初に出会ったのが身近な鳥「鳶」でした。 ただ、ケヤキの巨木に6羽もの鳶が留まっているのは初めて見ました。(魚港等では、落ちた魚狙いで、沢山の鳶が舞っているのはよく見られますけどね。)
その近くの木に留まっていたのが、短い尾っぽにずんぐりむっくりの「シメ」です。 ♪「ピチッ」「ツイー」♪と鳴きながら、4~5羽は居たと思いますが、気付いて逃げて行きました。 これが野鳥撮影の難しさでもあるんです。
残念ながら「枝被り「」です。
次に、木の祠に飛んで来たのが、毎度、馴染みの「ヒヨドリ」でした。
このお寺には、たくさんの椿の木が植えられています。 木の葉と同化して見え難いですが、良く見ると「メジロ」が、ツバキの蜜を吸いに来ていました。
じゃ~ん。。。最後は、桜の木の枝に留まった「雀:スズメ」です。 桜の花芽も少しづつ膨らんで来ている様です。 (^^♪ 春遠からじ (^^♪
やっぱり来ていた「オオヒシクイ」
先日は「オオヒシクイ」の初撮りでしたが、それが不鮮明画像で、スッキリせず、不完全燃焼感が残っておりました。 なので。。。「再トライして見たい。」と、言っていおりましたが、 なんと、同じ場所(田んぼ)に今日も来ていたんです。 約4㎞離れた斐伊川河口から、10数羽、先日の個体と同じだと思います。 コハクチョウと同じくこの周辺の田んぼに生えてる、稲の「二番穂」を食べるのが、競合している様です。
コハクチョウと違って、とてもとても、敏感な鳥の様です。 人影を見ると一斉に首を長くしてSOSを発するようです。 たまたま近くで餌を啄んでいた「タゲリ」の群れが、ビックリして飛び立つと、「オオヒシクイ」も つられた様にTIME LAGで、飛んで行ってしまいました。 私の中では、大きい鳥ほど少々の事には動じないと思っていましたが、それは間違いだった様です。
近くに居たと思われる、「タゲリ」がビックリして、一斉に飛び立ちました。
これにつられて「オオヒシクイ」も、飛び立ちます。 タゲリは、比較的低空飛行で、次に舞い降りる田んぼの場所を選んでいるかの様に見えます。 オオヒシクイは、そのままどこかに、一時避難をする様です。
今度こそ、マガンやオオヒシクイの「塒立ち」を、斐伊川河口で撮影して見たいです。