コンパクトシティとはなにか。最近よく使われることばです。「賢く凝集する都市計画」と言い換えることができると思います。名古屋大学教授の林良嗣先生は、「スマートシュリンク」という言葉を用いて、これからの都市計画のあり方を提唱しておられます(7月23日:京都大学安寧の都市ユニット・シンポジウム・市民に開かれた講演を拝聴)。理想の都市計画として理念的には理解できますが、個人の権利という視座からみると「強制的移住」を強いることになりかねない政策という印象を受けました。
コンパクトシティの対極にあるのは、学問的に限界集落と呼ばれる過疎集落や水源の里への公共投資などへのインフラ整備は断念し、都市中心部に公共投資を「賢く集める」という厳しい現実といえます。言い換えれば山間部や過疎集落を一定「見放す」、住み慣れた土地から中心部へ「移住を迫る」ということです。
うなづいたり、わくわくしたりしながら忙しくメモを取り傾聴することの多い講演でしたが、はたして政治が簡単に許していいのだろうか・・・と思える考え方を含んでいます。自然との共存を放棄するに等しい発想ではないかという印象もちました。限界集落と呼ばれる集落の多くは、人々の営みそのものが水源や森林を守る役割をはたしており、もしかしたらヨーロッパの河川や都市のあり方とは根本的に異なっているのではないだろうか・・・と思ったりもします。
「集約」「移住」といえば、わたしの生家は京都の寺町通りの北端周辺に位置し、秀吉が、そしてそれを受け継いで徳川政権がこの地に寺を集めたと教えられました。文字通りお寺が多い通りです。京都の堀川通り、御池通り、五条通りが拡幅されたのは、太平洋戦争末期、類焼を避けるための強制立退きによるものです。整然とした都市計画は、本来、強い権力のもとに成り立つというものであることに思いがおよびます。
平等性を考えていくと都市計画はなかなか前に進まないものですが、考えられる限りにおいてみんなが得をするような「制度」を考えるのが「政治」の役割。京都の中心街は碁盤の目になっています。過去には、しっかりした理念のもと優れた都市計画が日本にもあった・・・と想像します。昭和時代、太平洋戦争敗戦後の日本は、「都市計画」を見失い「都市整備」に邁進したのではないか・・・そして「整備」を重視した結果、生命力のある混沌とした魅力(香港やかつての大阪に漂うような)も失ってしまった・・・
林先生は「200年街区」という発想で、「将来世代の景観」に耐えうる都市計画の重要性を説かれました。トヨタ・プリウスがエコカー減税で普及したように、住環境と景観に配慮した「街区」には固定資産税減税を実施するなど、工夫すれば実現の方向に向かうはず、と。なぜ「景観」か。それは、経済の低成長、少子化、生産人口の減少などを背景に「生活の質の向上」をめざす時代がきているから、とおっしゃいました。これからは「美しいかどうか」が重要な要素になると断言されました。
「景観の美しさ」を担保する「景観条例」「景観計画」に消極的な島本町ですが、「開発」を妨げるという考えが強い抵抗になっているとわたしは思っています。JR島本駅西側農地区の開発(民有地)、若山台調整池の埋め立て開発(町有地)、町営鶴ヶ池住宅跡地への新たなホール建設(町有地)など、開発による活性化を望む声は根強く、JR島本駅解説を機に以前にもまして開発志向が高まっています。次世代の「生活の質の向上」が守れるのか、「将来世代の景観」に耐えうるかという目線が欠落しています。
画像は、JR島本駅西側農地区
ここに学校法人・西大和学園が大学立地を希望されています
春からあった「噂」の域を越え「まちづくり協議会」(傍聴可)で公表されました
コンパクトシティの対極にあるのは、学問的に限界集落と呼ばれる過疎集落や水源の里への公共投資などへのインフラ整備は断念し、都市中心部に公共投資を「賢く集める」という厳しい現実といえます。言い換えれば山間部や過疎集落を一定「見放す」、住み慣れた土地から中心部へ「移住を迫る」ということです。
うなづいたり、わくわくしたりしながら忙しくメモを取り傾聴することの多い講演でしたが、はたして政治が簡単に許していいのだろうか・・・と思える考え方を含んでいます。自然との共存を放棄するに等しい発想ではないかという印象もちました。限界集落と呼ばれる集落の多くは、人々の営みそのものが水源や森林を守る役割をはたしており、もしかしたらヨーロッパの河川や都市のあり方とは根本的に異なっているのではないだろうか・・・と思ったりもします。
「集約」「移住」といえば、わたしの生家は京都の寺町通りの北端周辺に位置し、秀吉が、そしてそれを受け継いで徳川政権がこの地に寺を集めたと教えられました。文字通りお寺が多い通りです。京都の堀川通り、御池通り、五条通りが拡幅されたのは、太平洋戦争末期、類焼を避けるための強制立退きによるものです。整然とした都市計画は、本来、強い権力のもとに成り立つというものであることに思いがおよびます。
平等性を考えていくと都市計画はなかなか前に進まないものですが、考えられる限りにおいてみんなが得をするような「制度」を考えるのが「政治」の役割。京都の中心街は碁盤の目になっています。過去には、しっかりした理念のもと優れた都市計画が日本にもあった・・・と想像します。昭和時代、太平洋戦争敗戦後の日本は、「都市計画」を見失い「都市整備」に邁進したのではないか・・・そして「整備」を重視した結果、生命力のある混沌とした魅力(香港やかつての大阪に漂うような)も失ってしまった・・・
林先生は「200年街区」という発想で、「将来世代の景観」に耐えうる都市計画の重要性を説かれました。トヨタ・プリウスがエコカー減税で普及したように、住環境と景観に配慮した「街区」には固定資産税減税を実施するなど、工夫すれば実現の方向に向かうはず、と。なぜ「景観」か。それは、経済の低成長、少子化、生産人口の減少などを背景に「生活の質の向上」をめざす時代がきているから、とおっしゃいました。これからは「美しいかどうか」が重要な要素になると断言されました。
「景観の美しさ」を担保する「景観条例」「景観計画」に消極的な島本町ですが、「開発」を妨げるという考えが強い抵抗になっているとわたしは思っています。JR島本駅西側農地区の開発(民有地)、若山台調整池の埋め立て開発(町有地)、町営鶴ヶ池住宅跡地への新たなホール建設(町有地)など、開発による活性化を望む声は根強く、JR島本駅解説を機に以前にもまして開発志向が高まっています。次世代の「生活の質の向上」が守れるのか、「将来世代の景観」に耐えうるかという目線が欠落しています。
画像は、JR島本駅西側農地区
ここに学校法人・西大和学園が大学立地を希望されています
春からあった「噂」の域を越え「まちづくり協議会」(傍聴可)で公表されました