とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
ひとが主役のまちづくり!

大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

災害に強いまちづくり

2011年08月04日 | 防災・減災=災害に強いまちづくり
8月4日午後、大阪府庁、大阪城に近い会場で、府内の町村議員を対象にしたセミナーに参加、「災害に強いまちづくり」と題して関西学院大学の室崎益輝先生のお話を聴きました。東日本大震災のような非常に大きな災害が起こると、隠れていた問題が浮き彫りになります。医療過疎は被害を深刻にし、失業した罹災者は仮設住宅よりも避難所を選択。災害規模の違いや原発事故有無もありますが、阪神淡路と東北ではもともと地域性が異なっています。

さて、橋梁、歩道橋など高度成長期時代につくられた公共整備が一斉に老朽化、厳しい財政事情を背景にメンテナンスの手抜きや補修改善の先延ばしが行われ、いつ事故が起こっても不思議ではないという時代を迎えています。東海道新幹線は毎日必ず点検(おそらく車両も線路も)されているからこそ、安全性が保たれていると、室崎教授は念を押されました。つまり経済効率や財政難を理由に点検回数を減らすことによって事故のリスクが高まるということです。

人口減少化、成熟社会(=高度成長期時代の終焉)では、既存の施設や公共設備の維持管理が優先されなければなりません。誤解を恐れずにいうならば、老朽化した住民ホールを閉じる決断は、まちづくりにおけるスマートシュリンク(賢明な縮小)のひとつであり、万が一の事故に備えることでもあります。「厳しい財政事情を背景にメンテナンスの手抜きや補修改善の先延ばしが行われ、いつ事故が起こっても不思議ではない」であることに間違いありません

地震だけではなく、核(いうまでもなく兵器としての核だけを意味するのではない)やウィルス、地球気候変動による集中豪雨、悪意はなくとも「油断」によって起こる事故などに備えることが、これからの自治体の大きな課題。自然災害を防ぐという発想には無理があり、リスクを多面的に把握し、社会的リスクに備えるという意味を込めて「防災まちづくり」から「安全・安心のまちづくり」へと表現を変える自治体が増えているそうです。

午前は、議会運営委員会を傍聴しました。


画像は、町村議員セミナーの様子
島本町にいるとつい忘れがちですが
議員の多くは今なお男性です
そのイメージが伝わる会場風景です














コンパクトシティ・スマートシュリンク

2011年08月02日 | JR島本駅西まちづくり
コンパクトシティとはなにか。最近よく使われることばです。「賢く凝集する都市計画」と言い換えることができると思います。名古屋大学教授の林良嗣先生は、「スマートシュリンク」という言葉を用いて、これからの都市計画のあり方を提唱しておられます(7月23日:京都大学安寧の都市ユニット・シンポジウム・市民に開かれた講演を拝聴)。理想の都市計画として理念的には理解できますが、個人の権利という視座からみると「強制的移住」を強いることになりかねない政策という印象を受けました。

コンパクトシティの対極にあるのは、学問的に限界集落と呼ばれる過疎集落や水源の里への公共投資などへのインフラ整備は断念し、都市中心部に公共投資を「賢く集める」という厳しい現実といえます。言い換えれば山間部や過疎集落を一定「見放す」、住み慣れた土地から中心部へ「移住を迫る」ということです。

うなづいたり、わくわくしたりしながら忙しくメモを取り傾聴することの多い講演でしたが、はたして政治が簡単に許していいのだろうか・・・と思える考え方を含んでいます。自然との共存を放棄するに等しい発想ではないかという印象もちました。限界集落と呼ばれる集落の多くは、人々の営みそのものが水源や森林を守る役割をはたしており、もしかしたらヨーロッパの河川や都市のあり方とは根本的に異なっているのではないだろうか・・・と思ったりもします。

「集約」「移住」といえば、わたしの生家は京都の寺町通りの北端周辺に位置し、秀吉が、そしてそれを受け継いで徳川政権がこの地に寺を集めたと教えられました。文字通りお寺が多い通りです。京都の堀川通り、御池通り、五条通りが拡幅されたのは、太平洋戦争末期、類焼を避けるための強制立退きによるものです。整然とした都市計画は、本来、強い権力のもとに成り立つというものであることに思いがおよびます。

平等性を考えていくと都市計画はなかなか前に進まないものですが、考えられる限りにおいてみんなが得をするような「制度」を考えるのが「政治」の役割。京都の中心街は碁盤の目になっています。過去には、しっかりした理念のもと優れた都市計画が日本にもあった・・・と想像します。昭和時代、太平洋戦争敗戦後の日本は、「都市計画」を見失い「都市整備」に邁進したのではないか・・・そして「整備」を重視した結果、生命力のある混沌とした魅力(香港やかつての大阪に漂うような)も失ってしまった・・・

林先生は「200年街区」という発想で、「将来世代の景観」に耐えうる都市計画の重要性を説かれました。トヨタ・プリウスがエコカー減税で普及したように、住環境と景観に配慮した「街区」には固定資産税減税を実施するなど、工夫すれば実現の方向に向かうはず、と。なぜ「景観」か。それは、経済の低成長、少子化、生産人口の減少などを背景に「生活の質の向上」をめざす時代がきているから、とおっしゃいました。これからは「美しいかどうか」が重要な要素になると断言されました。

「景観の美しさ」を担保する「景観条例」「景観計画」に消極的な島本町ですが、「開発」を妨げるという考えが強い抵抗になっているとわたしは思っています。JR島本駅西側農地区の開発(民有地)、若山台調整池の埋め立て開発(町有地)、町営鶴ヶ池住宅跡地への新たなホール建設(町有地)など、開発による活性化を望む声は根強く、JR島本駅解説を機に以前にもまして開発志向が高まっています。次世代の「生活の質の向上」が守れるのか、「将来世代の景観」に耐えうるかという目線が欠落しています。


画像は、JR島本駅西側農地区
ここに学校法人・西大和学園が大学立地を希望されています
春からあった「噂」の域を越え「まちづくり協議会」(傍聴可)で公表されました