内山興正老師から生命の実物、つまり世界ぐるみの自己を教わった。ただ、当初は自分とは関係なく世界が動いていてそれを体験するだけ、繋がりがもう一つ感じられなかった。
見えるものは確かに自分の体験だし、自分のありようで見えるものもそのようにある。それは確かに自分の世界だと思えるし、以前のように自他の別がはっきりして孤立していた時とは明らかに違ってはきたがすっきりしない状態が続いた。
長年宿題として抱き続けてきたが、これを解決したのが、やはりお釈迦さんの縁起という考え方、
「此れ有るがゆえに彼れ有り。此れ起るがゆえに彼れ起る」
具体的には「三億分の一の確率」で書いたように、世界は非常に微妙精緻にできていてちょっとした物事の動きが伝播し、それが増幅されるような仕組みなっていることに気がついた。
この世の一切のものは皆のっぴきならない関係で皆繋がっている、たとえば、あなたと私、あなたがいなければ私はいない。私が存在しなければあなたの存在もない。今日の日本でもっともとんでもない人間といえば、麻原彰晃でしょうが、私がいて麻原彰晃がいる、麻原彰晃がいればこそ私もいる。繋がっているのである、のっぴきならない関係なのである。
そんなことと思われるかもしれないが、証明は簡単である。自分というものを否定してみればいいのである。生まれてからのことを全て否定してみればいいのである。自分だけでなく自分が関わった一切のものである。それは全宇宙を否定することになるのは容易に想像できると思う。
過去にもヒトラー、スターリン、毛沢東、トルーマンなんてとんでもない人間がいたが、彼らが存在しなければ私の存在はない。また、御釈迦さんや道元禅師といった方々もいなければ私の存在はない。
とにかく、過去現在未来、存在するものは全てのっぴきならない関係で繋がっていて無限の広がりを持っているということなのである。