十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

自己世界2

2013年10月08日 | 生命

先に自己世界の有り様について書いてみたが、今回、分かりやすいように図にしてみた。世界がこのような同心円状であるはずもなく入り混じりのモザイクのようなものだが、図示しにくいのでこのようなものにした。空想領域なんかは現実離れした中に浮いたようなものである。。

下の方に「宇宙」と記した太線の枠の内側が宇宙とする。宇宙内では宇宙の法則が働き、それを構成する諸々のものが無数に存在する。太陽も地球も自分もその一つとして存在している。もちろんその辺に転がっている石ころも物の大小はの宇宙の一欠片としてあってその点では他の物と変わりはない。石ころは黙ってただ石として存在しているだけだが、生物は認識力を持ち自動する。最もその能力に長けたのは人間という生物である。

さて、人間はその宇宙をどのように把握しているかということであるが、まず、五感で今ここの状況を把握する。五感によりとらえられたその世界というものに我々たいそう自信を持っているところだが、見ること一つとっても1視点からその視力で興味に従い焦点を合わせたもの、そしてその表面しか見ていないのである。

その向こうはというと、過去に体験し記憶したものが広がっている。記憶はあいまいだし、過去の状況だから現状は程度の差はあれ変わってしまっている。

そこでその変化したところ、足らないところは記憶をベースに推測したものを現実の世界としているのである。たとえば、春にある場所を体験したとする、ところが今は秋、春見た桜の花はない。花のないその場所をイメージする。つまり、頭の中で加工したものを現実としているのである。
テレビでライブ放送を見ているといった場合もこの範疇に入ってくる、写真や文章による描写などもこの中に入ってくる。

その他は不明領域、つまり、見たことも考えもしない領域が広がっている、これが99.・・・・・・・%である。

宇宙は実なる世界だが、人間というのは想像力豊かな動物で想像でいろんなものを作り出し、それで自分の世界を構成する。それが一時的なものなら、単に空想を楽しむだけのものだが、持続的なそして現実のものとしてしまうのが病気であったり、宗教であったりする。

神であったり、天国とか地獄とか、死後の世界とか生まれ変わりとかはその世界の範疇である。

まあ、いずれにしても人間の認識力では宇宙という真実の世界を知ることはできない。認識力の範囲が自己の世界である。その世界の中で生きている。しかし、真実を生きていることもまた事実。

つまり、捉えようもない真実の世界の中で頭で捉えた自己世界を持って生きている。そして、大概の人はその自己世界を自己独自の世界とは思わす真実の世界と思い込みその中の1員として生きているということである。

コメント
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