佛陀は輪廻転生説を超えた
釈尊も確かにヒンドゥ思想伝来の輪廻説から出発した。ただし釈尊の問題は、そうした輪廻転生の生死ーー「生」と「死」でなく、一息に「生死」ーーの苦からの解脱にあった。釈尊は菩提(悟り、覚)となって、生死を解脱した。だから、悟ったのちの釈尊が、輪廻説などに立ったわけはない。「後有を受けず」と宣言したゆえんである。だから、「輪廻」の説は、あくまで佛教の前提としてのヒンドゥ教説であって、厳密な意味では佛教説ではない。
このことは、佛教を学ぶ者は、何としても一度はっきり押さえておいていただかないと困る。この一大事をぬきに、「悟りぬきの輪廻転生説」を文字どおり佛説であるかのように説き、またそう受け取っては佛教の基本を見誤ってしまうことになる。
「誤解だらけの佛教」と題する本稿を、佛教は「無神・無霊魂」論であるという主張から始めようとするのは、そうした意味からで、佛教は「無我」説で、そして何より「悟り」を中心とするからである。
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大蔵経のデータベースで検索したところ、ヒットした数は輪廻が27,転生が2217,輪廻転生が1という結果である。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%BC%AA%E5%BB%BB%E8%BB%A2%E7%94%9F&mode=search&uop=1
輪廻転生とよく言うが佛典にはたった1件、六道輪廻も1件しかヒットしない。
転生はたくさん出てくるが◯転生◯(例:流転生死)といった塩梅に四字熟語の中の二文字という使い方となっている例が圧倒的である。