真実と事実について、もう少し分りやすく説明したいために今回次のように図示することにした。
六根、六境、六識は仏教用語。
六根は感覚器官。眼耳鼻舌身意。
六境は六根によって捕らえられた映像等。色声香味触法。法境は意根により知覚される概念を含むすべての存在。
六識は認識作用。
例えば、具体的に上図の実物を太陽としてみると、太陽から光が情報として眼に飛び込んでくる。それを情報処理して頭の中に映像を作る、これが色境。その作られたイメージに対して、太陽であると判断したり、言葉を当てたり、過去の記憶と照合したり、記憶したりするのが認識。
その認識されたものが事実。頭の中の存在するイメージ、太陽のイメージは過去に記憶されたものを思い出しても太陽と存在する。頭の中のイメージは無数に存在する。それを「太陽」という言葉で抽象化して一つのものとしてしている。
とにかく、真実は絶対に認知できない。認知したと思うものも情報を得たに過ぎないのである。それは真実でない以上頭の事実というしかないというのが私の主張である。
誰もが真実でない幻影的事実に自信を持ち過ぎである。
次の図は、内山興正老師が「進みと安らい」という本で図示された自己生命図である。私もこのブロクで何回となく紹介したことがある。また、これに私の考えで補足的につけたした図を示したこともある。
この図は上の図でいうと、事実の世界を言っているだけ。しかし、これが仏教の世界なのである。
六根があって、六境がある。六根+六境を十二処という。十二処に六識をプラスしたものを十八界という。十八界が仏教の世界なのである。
仏教の世界は認識世界、私の言うところの事実の世界である。真実は見えない、見えないものは言及不能、言及できないものはないものとするしか仕方がないのである。
老師の図は仏教的には間違いではではない。念のため。
(追記)
図において、分りやすくするために真実と事実を左右の分けて描いたけれど、真実は全体つまり宇宙のことで、事実の世界は真実の世界に含まれます。