コロナ流行以前は、よく映画を観に行っていたのであるが、流行が始まってからは全然観に行かなくなった。
流行が収まってマスクをしなくてもよいという事態になっても、観に行かない癖がつて全然観に行かなくなっていた。
ところが、この秋、漫画「沈黙の艦隊」の実写映画が上映されることになった。単行本「沈黙の艦隊」32巻もある長編漫画、見かけたのは門真市図書館、読みかけるととても面白い、全部読んでしまった。
それの映画化、見ないわけにはいない、というので、観に出かけた。32巻全部という訳にはいかないから、初めの数巻だけのストーリー。しかし、久しぶりだしまあよかったというところだった。
そうなると、予告なんかを見ていると、観たくなるのが出てくる。
で、次に見たのが、「ゴジラ1.0」、その次が「首」。
さて、映画の中味より、映画館自体が真実と事実の関係のよく分かるところなのである。
暗がりの中の自分、これが真実である、そして、映画が投影される、これが映っていることは真実だが、投影された映像は事実である。
普通の世活では真実と事実の境目は分かりにくいが、映画館では分かり易い。
映画映し出されると、自分や周りのことが無視されて、画面に意識が集中、画面の中に意識が取り込まれ、画面の中の存在と思える時さえある。
こうなると自己の真実なんて忘れられてしまう。そして、映画が終わってふと我に帰る。
現実ではない、虚構の世界の中にいたのである。映画の場合は、そのことがよく分かる。
しかし、日常の場合も自分が作り出した映像の中、つまり、事実の世界の中にいるのである。
事実の世界は真実から浮いた世界、これを浮世というのだと思う。
さて、ついでながら、映画の世界は動画と思っているが、実際は静止画集まり1秒の間に24コマ、それが連続で映されることによって、パラパラ漫画のように動いて見えるのである。
人間の目は1秒間を200コマくらいにカットして、とぎれとぎれに物を見ているのだそうである。
自分の目で直に見たと言うものでも、自信を持って言える事実ではないと言うことである。