前回は、真実と事実について雪山偈に関係して、書いてみたが、今回は般若心経について書いてみたい。
般若心経は短いお経なので読む人が非常に多い。
しかし、読むからにはその意味するところはどういうことか、本を読んだりしてするが、ほとんどの人が理解不能じゃないかと思う。
なんとなれば、阿含経の説くところの四諦等の根本的な教説を無とか空とかで否定してしまう。
そもそも仏教の話は物事を否定するから難しいのである。心経は難しい話をさらに否定する。否定するから易しくなると言うことではなく、難しさが倍加する。
さて、どのお経もそうであるが、書かれている世界は認識された世界のこと、つまり、事実のことなのである。
はじめにそれが書いてある。観自在菩薩が照見した、つまり、見た世界なのである。それは我々の見るところの世界、事実の世界である。事実の世界は消すことができる。無とか空とかがそれである。頭の中をクリーンにする話である。
雪山偈でいうところの生滅滅已と同じである。
只管打坐・身心脱落の坐禅の世界を説いているのである。