今回は時間について考えてみよう。
真実の世界においては、時間というものはない。時の流れがあるだけである。
普通の時間観念は、過去、現在、未来とある。
しかし、過去は過ぎ去り今はもうない、未来は来たっていないのから今はない、現在あるのかというと時間というものはない、過去と未来に挟まれた無の時間。
時の流れを羊羹に例えると、それの切り口である。切り口だから幅がない。切り口の一方が過去、もう一方が未来となる。
幅のない切り口の現在が悠久の彼方から、永遠の彼方へと動いていくのである。
事実の世界では我々の持つ認識力でそれを五感で捉え過去を記録し、未来を想像し映像化してそれで時間の認識している。
未来を想像するのも、すでに過去の出来事。み・ら・いと言っている間に時間が経ってしまう。
とすると、全ては過去ということになる。どんな映像も作らえたものを追っかけ再生しているのである。